落語もよかったが魚屋の酒もよかった 権太楼&扇遊@三田落語会 |
一番後ろの席だが、折り畳みイスなので見やすいように動かせるのがありがたい。

終演後、ミニ居残り会を西小山の魚屋さんで楽しんだので、その料理を反芻しつつ落語も反芻する。
写真はいずれもひとつを三人で分けました。

前座・小はだ「道潅」
あばら家は油屋、しずの女は雀、魚の目、たしかにもはや死語かもしれないなあ、あばら家もか。

権太楼「代書や」
喉の調子が悪くて、いつやめようかと思うほどだったと、ぼくと同じ喘息か。
東横落語会の円生が、高座にある火鉢の鉄瓶から湯を注いで「番頭さん、、」とやる物まねがどんどんうまくなるようでは困るのだ。
ANAのなかで何度も聴いた文蔵の「道潅」をこういう前座噺をイイノホールでやったとは「よほど力があるんでしょうね、度胸があってイイネ」と褒めて同じ機内テープの女性講釈師を「この人は講釈を手段にしていないか、講釈なのか単なるセリフなのか分からない、何が何でも講釈を生業にするんだという気持が見られない」と(ゆうまいかどうかと迷ったあげくに)酷評する。

三田落語会のお別れだから、今までやらなかった「代書や」をやります。
こういう本格的な落語会では、噺家はどうしても他の噺家に負けまいとオオネタをやるのだけれど、今日はそれは扇遊に任せて、楽しんでやります。
喉をいたわりながらだろうか、抑えた声で、それでも爆笑の代書や。
権ちゃんの代書やは秀樹にやさしい。
「かけなさい、、、なんで走るの」ふと僕に言われているような気がした。

扇遊「花見の仇討ち」
かっちりと、文句なし、モット満開の花のように弾ければモットいいとないものねだり。

扇遊「明烏」
4年に一度の37秒に全精力をこめる(小平)って、凄い、私はそんな落語はできない。
芸能人が謝ってばかりだが、佐川に謝ってほしいなどとマクラもほどのいいチクリ。
堅物、世間知らずの若旦那がとてもよかった。
とくに騙されて吉原に連れ込まれたときの泣きじゃくるところが可愛くて、「おおよしよし」と頭をなでてやりたいくらい。
わき目もふらずに基本に忠実に演じる古典落語の快さ、扇遊も時次郎みたいな若者だったか。

権太楼「藪入り」
権ちゃんは、ひとつのネタをやりだすと徹底的に納得いくまでやり続けるから、こちらはなんども続けて聴かせられる。
せんじつの落語研究会よりはあっさりではあったけれど、やっぱり全編父子愛のお泪頂戴。
さいごはおっ母まで参戦して、いかにおとっつあんが亀のことを心配していたかを涙ながらに亀に聞かせる。
どうせなんども聴かせるなら、もっと明るいからっとした噺にして頂戴。

きょうは扇遊の勝ちだね、と三人の総評。
始めるのが早かったから8時前にお腹いっぱい、酒は「獺祭」から「菊正宗」をたっぷり、いい気持で帰途についた。
