世界は音楽に満ちている 恩田陸「蜜蜂と遠雷」 |
鼻水がでたりざわっとしたり、急に熱くなったり、なんかヘン。
清澄白河で降りて反対側に来た電車でとんぼ返り、せっかくだから渋谷の田園でクラシックを聴きながら本を読んで帰ろうか、それとも表参道もいいかな、などと思案したが結局元の桜新町まで戻って、「体調が悪くなったから旅行取りやめました」と申告、ただで出てきた。
地下鉄を移動読書室にしたようなものだ。
「戦争と平和」の最終巻、フランス軍をやっつけるパルチザンの連中のようすが映画を観るように生き生きと描かれて、それで途中で降りる気にならなかったということもある。
大事をとって早寝(酒は飲みましたとも)したから今朝は好調、布団を干したりシーツやホーフも洗ったり掃除機ぐいぐい、太陽が出てこないのが玉にきず。

彼女の「夜のピクニック」を読んだのは10年以上も前のこと(楽しかった)、あれは高校生が長い時間歩きとおす話だったが、今度は天才ピアニストたちがスター演奏家への登龍門と目されるコンテストで競い合う物語。
ジュリアードの優等生・スターとなっている優勝候補・マサル19歳、かつて彼の幼友達だった亜夜は天才少女としてデビューしながら母の死でピアノを弾くこともなかったが音大の学長に薦められて出場する。
パリからきた16歳の少年・風間塵は、自宅にピアノをもたず養蜂家の父とともに各地を転々としている。
この不思議な神の子的キャラクターを思いついたことがこの小説の鍵かもしれない。
楽器店勤務のサラリーマン・高島明石28歳も物語の奥行きを深くする大事な役割を果たす。
ぼくが涙ぐんだのは明石の演奏場面だ。
三次にわたる予選を戦う相手はライバルではなく己自身、短いとはいえそれまでの己自身の人生の意味・これからどう生きていこうかとするかが問われる。
自分がその曲とどう向き合うのか、技術を越えたところに音楽の神との出会いが待っている。
音楽の神に愛されているのは誰なのか。
自分は音楽家としてやっていけるのか。
つまるところは音楽とはなんなのか?

暇とカネがあればいちど浜松のコンテストに通ってみたい。
幻冬舎