9条を守るために状況を創ろう 品川正治「戦後歴程 平和憲法を持つ国の経済人として」 |
メール設定をし直すのを店で手取り足取り教えてもらって帰ったのに家でやるとつながらない。
朝になるのを待ってイッツコムに電話で教えてもらってやっと開通。
パソコンは日本語になっていない日本語がこともなげに使われるから知らない人には何のことかちっともわからないだけでなく、”こともなげに使われる”ということで置いてけぼりになったようで不快かつ不安感を募らされる。
一言でもわからなかったり、一つでも間違った操作をするとウントモスントモ動かない。
これだけ長いこと付き合っているのにこちらの気持ちを察するということができないバカ。
サンチの方がはるかにわかってくれる。
世の中も人間もどんどんパソコン化しているなあ。

ことし亡くなった反戦護憲派の財界人の自伝、いわば遺言だ。
京都、三高の生徒総代だったときに親友が京都師団長が査閲した際に「我国の天皇は世々軍隊の統率し給う所にぞある」と軍人勅諭をわざと言い間違えた(天皇と軍隊を入れ替えた)事件が発生。
品川は総代としての責任をとり「退学、そのうえで陸軍に志願、一兵卒として最前線に送って欲しい」と嘆願、学校閉鎖などを免れた。
中国の激戦地で辛くも死を免れて敗戦、1946年復員船の中で新憲法第9条に接する。
読み上げると全員が泣いた。
よくぞここまで書いてくれた。これなら亡くなった戦友も浮かばれるに違いない。私は、読みながら、突き上げるような感動に震えた。しかるに、それから70年、89歳の品川は病床でこう書く。
資本主義を問い、民主主義を問い、さらに科学の進歩を問う時代がはじまったようだ。しかし、このことは新しい歴史のはじまりと考えてはならないのではないか。むしろ危険な時代のはじまりなのではないか。そのような重い予感を、いま病床にあって、覚えている。
歪んだ資本主義にとっては、歪んだ民主主義が使いやすいのである。日本においても、1%の支配階級が、政治も経済も握っている。しかもそれは、アメリカの権力に全面的に従属した、きわめて歪んだ形の構造を形作っている。そして、その全体構造を支えているのが、この国のマスコミにほかならない。戦争の記憶と批判力が失われつつある日本社会において、社会のさまざまな分野で、戦後の民主主義と平和主義とを解体していく「構造改革」が進められている。閉塞感が強まる中で、強硬な政治が歓迎され、ファシズムを指向する動きさえ出てきている。この国を再び戦争をできる国にするため、憲法9条を骨抜きにしようとする動きも続いている。(略)
私はまもなく世を去る。後の世代の方々には、9条を守りつづけ、日本の平和、東洋の平和、アジアの平和、そしてアメリカを含め世界の平和の先頭に立っていただきたいと願うばかりである。

沖縄の人たちは日本で一番幸せにならなければならない。の信念を貫き円・ドル交換の戦いには現地の組合運動家も組織して沖縄の人たちの利益を守る。
社長になったときシュミット・元西ドイツ首相を招いて社員に講演を依頼、シュミットは三時間、その頃急速に力を得てきた新自由主義、英国サッチャー首相、米国レーガン大統領、中曽根首相ら権力の絶頂にある人々へ真っ向から斬りこむ演説をする。
演説を聞いた社員たちの感想
私たちは状況に流されるのではなく、状況を創る存在でありたい。状況を創れる、状況を変えられる存在をヒントに「状況を創る」を会社のスローガンとする。
品川が考える日本の目指すべき方向と全く逆の方向を目指す中曽根
靖国神社へ参拝し、教育基本法という日本国憲法を支える大黒柱を「臨調」の名を借りて改正しようとしている。軍事費をGNPの1パーセントを上限として軍事力増大を抑えてきた国を、日米安保体制強化のため「不沈空母」の役割を担えるように変えていこうとする。すべて「戦後日本の総決算」と大言壮語する彼の右翼的な信念から発している危険な徴候である。中曽根を安倍と書き換えたら、まさに今そのもの。
品川はこういう状況認識の上で社員とともに「状況を創る」ことを社長の行動指針としたのだ。
シュミットたちと話していると自分の原子力に対する科学的無知を思い知らされて糸川英夫に顧問になってもらったが、顧問契約の条件を一分間一万円と切り出されて驚いた、など印象深い人々の思い出話なども面白い。
俺なども忘れかかっている戦後のあれこれを反芻するのも大事なことだと思う。
多くの方の一読をお勧めする次第。
岩波書店