みんな死んでいく 映画「運命は踊る」&NHK「下北半島 夏」 |

早めについたので、Tちゃんに電話、メールでお父さんが亡くなり自分も地震や津波や台風やで大騒ぎと知らせてきたのだ。
若いころの恩人を会津に見舞ったのは三月末、気になっていたが、、。
「お母さんがそこにいる」と真顔・しっかりした口調で言って、家に帰りたいというので退院させた、その三時間後に亡くなったとウソみたいなほんとの話。
そのとき、私は肺にガンが転移したらしく、急いで手術したばかり、あわてて帰省した、だから号泣しないで笑っちゃった、その話で、とTちゃん。
ああ、それが津波や地震ね、あとの台風ってのは?
13歳の猫がそういう騒動でほっておかれたストレスで参ってしまって、このところ毎日病院に点滴に行ってるんです。
自分のことより、僕やカミさんの様子を気にして、つい口の中のこと、肩の骨のことなどをしゃべると、いろいろ心配してくれて励ましてくれる、なんだこれ。

息子の戦死の報に悲しむ夫婦、俯瞰を多用してスタイリッシュな映像で、いい加減にしたらと思うほど嘆き悲しんでいると、兵隊が来て、「すみません、間違いでした。息子さんは生きています」。
場面は変わって息子の国境警備の日々。
誰と戦っているのだ?自分の心と。
シシュフオスの神話、人間の営みの哀しさ。
僕なら三日と我慢できないだろう(と言いながら、我慢している毎日)。

父が内心にしまったまま誰にも語らなかった罪・悔い。
意味のなくなった「戦争」が一人の人間を数に還元してしまって、、だから兵隊の、いや民間人の生き死にも意に介さない。
このあたり、イスラエル政府が怒ったというのも頷ける。
犬が主人の悲しみを察知してそっと右手を(膝に乗せようと)差し出すと主人公は蹴っ飛ばす、ひでえやつだ。
それでもまた、そっとやってきて許されているのを確かめて顎を乗せる。
ここが一番ぐっときた。
とても高尚な映画と言う感じはあるが、真ん中の警備所の部分を除くと、ちょっと退屈、独り善がりな映画だ。

「原発半島なんて言われて悲しいですよ」、潮焼けした漁師の言葉が重い。
だけど仏ケ浦や釜臥山の景色は素晴らしく、頃さんは毎朝この山を見てるんだなア、とアリさんの働くさまを想った。
大畑から大間、このあたりにみんなで行こうよ、んだね、と言い交した男も死んでしまった。あすこさ、いぎてというのはわがってるけんど、マンズ今年は俺のとこさ来てけれ、なんていってるうちに。
下風呂の熱い(でも僕は新湯派かな)湯にも入りたいし、「和子のとこや」にも行きたい。
田名部神社の立派な山車、三車別れもみたいな。
