2016年 06月 05日
孫の運動会から懐かしい井の頭公園に |
帰国したサエが転校した中学の運動会に行った。
午前中は天気が崩れる前にと洗濯やら何やらやって午後から参加。
久我山でユイの高校願書を出しに行ったときにカツ丼を食った蕎麦屋でお礼参りに「冷やしタヌキ」を食う。
人見街道、井の頭に住んでいた頃、夜遅くに車で帰宅した道、運転手泣かせの道、いろんなことが沸いて出るように思い出されてくる。

応援ポスター、サエも参加して作った由、優秀賞に選ばれた。

パンクイ競争、縄跳び、徒競走、、あまり競技種目は多くない。
強風に黄塵万丈。
騎馬戦とか棒倒し向きの天候だけどそういうのはやらない。

サエは100メートルは一位だったそうだが午前中なので見られず、「台風の目」という5人6脚でポールをまわって帰る競技は何位だったか、二年生全員リレー、選抜リレーとあり、選抜の方は先頭走者として二位でバトンタッチしたが結果は三位。
どれもボケ爺さんが撮るからピンボケ。
ブラスバンド部ではサックス、表彰式の「勇者は帰りぬ」などを演奏していた。

我が中学時代の運動会に比べると規模も小さく大人しい運動会だった。
中学と高校、同じ三年間、あっという間に過ぎてしまう。
ましてサエのように二年生からの途中入学だと慣れたと思ったら受験勉強が始まるし、高校受験の勉強などしなかった俺の頃と比べて可哀想な気もする。
その代わり、なんてたって外国で暮らしたんだもの、羨ましくもある。

新居を見せてもらって、あとは一人でぶらぶら井の頭公園をめざす。
10分も歩かないで、あ!ここ!記憶に残っている道に出る。
ふっと腰が抜けそうな感覚。
亡き妻、子供たち3人と、5人そろった最後の日々を送った家の近くなのだ。
妻亡きあと、なんどか井の頭公園に来ることがあっても、吉祥寺駅側を歩くのみで、その反対側の家のあった方には足を踏み出せなかった23年間。

ここで↑毎朝自己流の気功をした。
一時間もやって帰宅すると味噌汁のいい香りがした。
土日の夕方は公園のなかをアちたりコちたり、10キロ近くジョギングした。
買い出しから片付けまで晩飯を作ったこともある。

子供たちと遊んだ水辺。
家のあったあたりは開発されて、さいしょはどこだったかわからなかったが、大きな欅の木でわかった。
病妻の背中をさすりながら見あげた窓の外の木、そのそよぎを見あげながら「命を連れていかないで」と願った。

井の頭公園口駅前は昔の面影を残している。
井の頭線に乗って、ふと思いついて新代田で降りる。
新寿湯に入るのは数年ぶりかな。

熱くて気持ちのいい湯で砂埃をきれいにして、しばらく汗を鎮める。
テレビ「報道特集」で安倍の厚顔無恥な嘘つきぶり、無責任ぶりを暴いている。
結論がわかっていても自民党税調で議論をして決めるという不文律をまったく無視した。
財務省役人が作ったサミット向けの文書を闇に葬って、信じられないような論理を展開した。
リーマン級の危機という言い訳も利かないと、「新しい判断で」とうそぶく。
国のためとかではなく自己保身のために、都合が悪くなればどんどんいうことを変えて押し通す。
まるで駄々っ子、こういう子を育てた親(母)の顔がみた、、くもない。

風呂を出て環七の面白くもない道を下りだからと言うだけでダラダラと若林まで歩くと世田谷線の電車が見えたので飛び乗る。
三茶から半蔵門線で桜新町に帰り、「はじめ」。

今夜も久しぶりの人に会えて嬉しい花いちもんめ。
午前中は天気が崩れる前にと洗濯やら何やらやって午後から参加。
久我山でユイの高校願書を出しに行ったときにカツ丼を食った蕎麦屋でお礼参りに「冷やしタヌキ」を食う。
人見街道、井の頭に住んでいた頃、夜遅くに車で帰宅した道、運転手泣かせの道、いろんなことが沸いて出るように思い出されてくる。


強風に黄塵万丈。
騎馬戦とか棒倒し向きの天候だけどそういうのはやらない。

どれもボケ爺さんが撮るからピンボケ。
ブラスバンド部ではサックス、表彰式の「勇者は帰りぬ」などを演奏していた。

中学と高校、同じ三年間、あっという間に過ぎてしまう。
ましてサエのように二年生からの途中入学だと慣れたと思ったら受験勉強が始まるし、高校受験の勉強などしなかった俺の頃と比べて可哀想な気もする。
その代わり、なんてたって外国で暮らしたんだもの、羨ましくもある。

10分も歩かないで、あ!ここ!記憶に残っている道に出る。
ふっと腰が抜けそうな感覚。
亡き妻、子供たち3人と、5人そろった最後の日々を送った家の近くなのだ。
妻亡きあと、なんどか井の頭公園に来ることがあっても、吉祥寺駅側を歩くのみで、その反対側の家のあった方には足を踏み出せなかった23年間。

一時間もやって帰宅すると味噌汁のいい香りがした。
土日の夕方は公園のなかをアちたりコちたり、10キロ近くジョギングした。
買い出しから片付けまで晩飯を作ったこともある。

家のあったあたりは開発されて、さいしょはどこだったかわからなかったが、大きな欅の木でわかった。
病妻の背中をさすりながら見あげた窓の外の木、そのそよぎを見あげながら「命を連れていかないで」と願った。

井の頭線に乗って、ふと思いついて新代田で降りる。
新寿湯に入るのは数年ぶりかな。

テレビ「報道特集」で安倍の厚顔無恥な嘘つきぶり、無責任ぶりを暴いている。
結論がわかっていても自民党税調で議論をして決めるという不文律をまったく無視した。
財務省役人が作ったサミット向けの文書を闇に葬って、信じられないような論理を展開した。
リーマン級の危機という言い訳も利かないと、「新しい判断で」とうそぶく。
国のためとかではなく自己保身のために、都合が悪くなればどんどんいうことを変えて押し通す。
まるで駄々っ子、こういう子を育てた親(母)の顔がみた、、くもない。

三茶から半蔵門線で桜新町に帰り、「はじめ」。

隣り合わせた人たちと高校時代の思い出話などしていたら、俺が一回り年上なのことが分かって「キョウシュク」された。
若く見られていたって、悪いことじゃないのに。
17000歩、歩いたのだから、まあそれほど年寄りでもないのか。
若く見られていたって、悪いことじゃないのに。
17000歩、歩いたのだから、まあそれほど年寄りでもないのか。
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by saheizi-inokori
| 2016-06-05 13:04
| こんなところがあったよ
|
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Comments(14)