梟通信~ホンの戯言
2024-03-18T13:06:00+09:00
saheizi-inokori
ホン、よしなしごと、食べ物、散歩・・
Excite Blog
戦争の時代に起きること
http://pinhukuro.exblog.jp/30858933/
2024-03-18T12:33:00+09:00
2024-03-18T13:06:00+09:00
2024-03-18T12:33:49+09:00
saheizi-inokori
今週の1冊、又は2・3冊
血圧を測ると146、気いつけなあかんな。
松山の一六本舗「坊ちゃん」、
開けてみると、
抹茶、卵黄、小豆の団子三兄弟だ。
坊ちゃんは団子を食っただろうか。
走り読みすると、住田と云うところの遊郭の入口にある団子屋で食ったとある。
二皿七銭、それを翌日の教室の黒板に書かれて、呆れている坊ちゃん。
住田は道後をモデルにした地名、道後温泉の団子屋が、坊ちゃん団子を開発したという。
漱石がじっさいに食ったのは「湯晒団子」、湯にさらした団子を餡で包んだものだった。
スマホに向かって口頭で尋ねると、たちどころにいろんなことがわかってしまう。
松山の悪ガキどもも、びっくりして降参するだろう。
クッツエー「鉄の時代」、半分読んだ。
主人公・白人、元ラテン語教師のカレンが、アパルトヘイトと戦おうとしている若者、白人はすべて敵とみなして、口も利かず、言うことに耳も傾けない若者が、警察官の乱暴で怪我をしたのを助けたときに、話しかけたことば。
もしも、あなたがトゥキィディデスの講義に出ていたら、戦争の時代にわたしたち人間にどのようなことが起きるものなのか、学んでいたかもしれないわね。わたしたちがもって生まれる人間性について、そのなかにわたしたちが生み落とされる人間集団について。
トゥキィディデスは書いたのね。規則をつくり、それに従った人間について。彼らは規則どおり、敵の全階級を殺した。死んだ者の多くが感じたのは、恐ろしい過ちが行われようとしている。その規則がなんであれ、彼らのためのものではない、ということだった、そうわたしは思うの。喉を搔き切られたとき、断末魔に彼らが発したのは「わたしは!、、、」だった。抗議の言葉よ――わたしは、例外だって。
彼らは例外だったかしら?話す時間があたえられるなら、わたしたちのすべてに例外だと主張する権利がある、それが真実よ。だれもが個別に裁かれるべきなの。わたしたちのだれもが、疑問を投じる利益を享受できるはずなの。でも、そんな時間がない、例外や慈悲をかけたりする時間がない。
わたしたちがそんな時代に入ろうとしているのは、とても残念なこと。そんな時代には、おおいに意気消沈して入っていくべきだ、というのだ。
こうして、長々しく、ぽつりぽつりと入力して引用するのは、とても面倒なことだが、これをやると、読んだときには気づかなかったことば遣いや、文章の意味を知ることができる。
まして今朝みたいに、一回目が消えてしまったときはなおさらだ。
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重い
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2024-03-17T13:09:00+09:00
2024-03-17T13:56:04+09:00
2024-03-17T13:09:21+09:00
saheizi-inokori
今週の1冊、又は2・3冊
花粉症は終ったと思ったのに、若返ったのかな。
以前のようなひどい症状ではない。
散歩から帰ってきたら、前の家から「はあくショ!」と女性のクシャミの声が聞こえた。
ときどきゴミ出しで会って、丁寧にあいさつするおばあさん、ひっつめにして、身の回りに隙のない様子、くしゃみも、上品だけど音だけは大きかった。
細い溝にかぶせた蓋、目がみえた頃のサンチはここを歩くのが好きで、すたすたと走つて行って、僕を振り返ってみていた。
きのうは、大掃除のあと、WCH超党派議員連盟総会の録画を見たり、関連のXを調べていたら、本を読む時間が少なくなってしまった。
規則を無視して、拙速に決議を成立させるWHO、麻生太郎も怪しげな機関と批判する組織運営によって、危険なワクチンが独占的に認められて、ウイルスを怖がる人々に選択の余地もなく、使用させられる。
遅すぎるかもしれないが、いろんなことを今頃になって知る。
遅くても知らないよりはよいだろう。
くぼたのぞみの翻訳紹介した、ノーベル賞作家・クッツェ―の小説のなかから、とりあえず「鉄の時代」を借りてきた。
1986年、南アフリカのアパルトヘイトが崩壊しつつある南ア・ケープタウンに住む、白人女性・カレン・70歳が主人公・わたし。
助からない癌の宣告を受けて、遠くアメリカに住む娘にあてて書いた遺書。
それは自分が死んだのちに、たまたま世話をするようになったホームレスに託される。
ホームレスは届ける(郵送する)ことを確約しないのだ。
日記のように日々の出来事、ホームレスを受け入れた経緯、戻ってきた黒人の家政婦・フローレンスとその二人の幼い娘さらに15歳になる息子とのいろいろ、死の宣告を受けた心境、過去の様々な思い出などが語られる。
もしもあなたがここにいたら、あなたに向かって叫ぶわ。でもあなたはいない。(略)だれの胸でもいいから抱きかかえられて、だいじょうぶ、といってもらいたいのだ。痛みで眠れない深夜に、三人の子供といっしょにぐっすり眠っているフローレンスのことを、羨望と憧れの気持で思う。
四人は、それぞれのリズムで息をしている。どの息づかいも、しっかりと強く、病を知らない。かつてはすべてをもつていたのに、そう思った。いま、すべてをもっているのはあなたで、わたしにはなにもない。この時代を「鉄の時代」と呼ぶことについての記述がある。
いずれやってくるはずの、柔和な粘土の、土の時代に至る前の、国家のため、民族のため、戦士となる息子を産み、鉄の心をもったスパルタ教育をする時代。
「子どもたちが決して微笑まないよう、決して泣かないよう、拳を振り上げるよう、たがいに訓練するよう時代」「できそこないの、怪物みたいな、時節はずれの」アフリカの黒人世界に鉄の時代をもたらしたのは、じつはわたしたちでは、なかったか。
アフリカにおける<ジュネーブの勝利>、冷血・冷酷なカルヴァンの勝利!
僕にはよくわからない問題提起だ。
読んでいくうちにわかるようになるのか。
60頁しか読んでいないが、重い小説だ。
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日本人は猿の代用か
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2024-03-16T14:00:00+09:00
2024-03-16T14:00:53+09:00
2024-03-16T14:00:53+09:00
saheizi-inokori
今週の1冊、又は2・3冊
花がでなくなったシクラメン、もう終わりかなというので、毎日花や葉を根のところから引いて、気を送りながら見守っていたら、出て来た出て来た、この色のシクラメンがいちばん好きだな。
大掃除とストレッチの後、遅い朝飯を食べて見るともなく見ていたテレビで、死語についてやっていた。
「ほんとに?」が「マジ?」くらいまでは知っていたけれど「マ?」と一文字にまでなっていたなんて知りもしなかった、その「マ」が死語になったといわれてもなあ、僕には最初から生きていなかった言葉だ。
なんでもかんでも、短くして言うらしい。
「ムズイ」は「難しい」の略だろうが、日曜日の朝だけ聞くFM埼玉の漫才コンビが頻発するのだ。
埼玉ご当地クイズの問題が「ムズイ」って。
本格的なアクセントの英語交じりや、私って素敵でしょ的甘ったれや、気どってしゃべるアナウンサーより、ざっかけない二人のやり取りが気に入っているのに、ムズイはいただけない、カイカイがひどくなりそうだ。
「マ」だの「ムズイ」だの、いっときの流行りの言葉は、さっさと消えていってもさばさばすれどもちっとも惜しくない。
「メッチャ」「めちゃくちゃ」なども、できれば本来の使いかたにとどめて、「とても」とか「たいへん」とか「驚くほど」とか「すごく」などと使い分けてほしい。
いまは使われなくなっていて、その意味では死語なのだろうが、もともとはまっとうな日本語で、そのまま消えていくのは惜しい、そんな言葉は、知らない人には申し訳ないけれど、使い続けていきたい。
僕だって、本を読みながら、しょっちゅうスマホで言葉の意味を調べている。
きのう調べた言葉、「ソーシャルインパクトボンド」「WCH超党派議員連盟」「シモニデスの記憶術」「トライク」、、、。
その「WCH超党派議員連盟」というのは、2021年にイギリスで、世界45か国の医師、科学者、法律家、人権擁護運動家などが集まり、人と地球の健康や幸福よりも企業利益を優先する大手製薬会社による医学研究の支配に反対する組織、今度の5月総会をめざすWHOのパンデミック合意、世界保健規則改正に反対している。
日本支部も原口一博衆院議員を代表に昨年11月に発足し、活発に活動をしている。
定義のないままにパンデミックとWHOが認定すれば、ワクチンの接種などを加盟国に命令できるようにするらしい。
その動きの詳細が明らかにされないままに、岸田政権は前のめりで規則改正にむけて動いている。
おととい開かれた第五回会合の様子。
本日(3/14)の超党派WCH議連(仮称)
大阪府泉大津市の南出市長がオンライン参加
原口議員からの「例えば?教えてください」という質問に、
堰を切ったように、新型コロナワクチン接種後の異常事例を話し続け、止まらない南出市長
大変なことが起きています。知ってください。 pic.twitter.com/3jRdr6wdxb— 藤江@日本人、謎の大量死※コロナでは説明できない (@JINKOUZOUKA_jp) March 14, 2024
本日2024/03/14に行われたWCHJの一部です。世界的に実験用の猿が高いから岸田が国を上げて日本人を使い治験を行う。
第5回WCHJ(仮称)超党派議員連盟総会勉強会 https://t.co/rAVFlMccaS @YouTubeより pic.twitter.com/XtVLMbWmf4— トッポ (@w2skwn3) March 14, 2024
第五回の全容→https://youtu.be/R274KrtPY6s?si=ELN_FWYiiuyO6HfU
長いけれど、ご覧ください。
エライことになっていますよ。
「QJKJQ」(佐藤究)読了。
気持悪いと思って読み始めたが、途中から推理小説?SF?フアンタジー?変化して最後まで読みとおせた。
巻末に江戸川賞の選考委員の選評が載っている。
絶賛は、有栖川有栖、「これは平成の「ドグラ・マグラ」である」
今野敏、「殺人そのものを突き詰めることで、人間を見つめている。脱帽だ」
湊かなえ、「一番高い評価を付けました。文章が上手く、たくさん張られた伏線もすべて回収されていて見事だと思いました」
懐疑的なのが、池井戸潤、「果たしてこれが周到に準備された小説といえるか、という疑問が最後まで拭えなかった」
辻村深月、「すべてが丁寧にまとまりすぎ、(驚きへの期待が)果されないまま終わってしまった」
辻村の選評はとても丁寧に、評者が不満だった点を挙げていて、僕もそのほとんどに頷ける。
堪能した佐藤究ワールドから脱出すべく、図書館で五冊も借りてきた。
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刑罰としての記憶の破壊 絶後の畏怖
http://pinhukuro.exblog.jp/30854990/
2024-03-15T11:56:00+09:00
2024-03-15T13:38:48+09:00
2024-03-15T11:56:08+09:00
saheizi-inokori
今週の1冊、又は2・3冊
つけたと思うと、食器を洗ったりで、せっかくつけたクリームが落ちてしまうような気がする。
そんなにしょっちゅう、クリームをつけるのは贅沢な気がするなあ。
昔、母が使っていた「桃の花」は、高かったのだろうか。
(古道具屋で)
散歩中にであった、母と息子の二人連れ、二人で歩くのはぎごちなさそうでいて、どこか晴れがましいような空気が漂う。
近所の高校の門をくぐって行った、その先に「合格者手続き」の張り紙、なあるほど。
日体大は、今日が卒業式らしく、「卒業式」の立て看板の用意をしていた。
(学芸大学前の近くで)
合格不合格、悲喜こもごもだ。
でもいくら「いい」学校に受かったって、それがPerfectDaysの始まりになるとは限らないんだなあ、これが。
人さまざま、その人にとってのPerfectDaysとは何か、そこが大事なんだ。
僕みたいにふらふらとアルバイトと酒の学生時代を過ごしてしまうことだけはするなよ、もったいないじゃないか。
(納豆キムチ、堅いトーストに乗せてランチ)
すれ違う男性が、手に洋菓子屋の袋をもっていた。
帰宅したら、カミさんが、今日はホワイトデー、知ってた?
知らなかったといったら、そうだと思っていたそうだ。
チョコレートの代わりに、バスタブを洗って、トイレもキレイにしといてあげた、といったって、いつもやってることだから有難味はないやね。
わたし・殺人者家族の娘、自分も「いっそ死んでしまいたいくらい退屈。もし人殺しをやっていなかったら、どうやって生き延びていたんだろう?快楽殺人のスペシャリストの家族が生き方を教えてくれなかったら?」と考える女子高校生だ。
父、母、兄、そしてわたしの殺し方のスタイルが凄まじい、とくに父のそれはわたしも恐ろしい。
なんでこんなの読まなきゃいけないのか、もうやめようと思った。
それなのに、図書館に返す前に、と少し読み始めたら、こしゃくなことに面白くなってきた。
江戸川乱歩賞をとったのだし、「幽玄F」や「テスカトリポカ」(直木賞&山本周五郎賞)の作者だから、なめてはいけない。
「ダムナティオ・メモリアエ」、古代ローマで、元老院に逆らった者に、皇帝も含めて、究極の刑罰として下された。
記憶の破壊、その人物が生きた記録や痕跡の、ありとあらゆるものが「なかったこと」にされてしまう。
コインの肖像も削られる。
自分が今こうやって生きてきた道のりのせいで、逆に自分のすべてが世界から抹消されてしまう。
未来が過去を吞みこみ、しかもその原因を作ったのは過去だ。
ウロボロスの蛇のように、生きる自分と、死ぬ自分が、おたがいのしっぽを呑みこみ合う。
兄が惨殺されていて、母がいなくなり、、わたしは父を疑う。
家を出たわたしは、次々に異常な出来事に出遭う。
それは、絶後の畏怖、あったものがなくなっていくのだ。
どういう結末になるのか、早く読み終えて、次の本を読みたい。
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コロナワクチン後遺症の真実(福島雅典・文藝春秋)
http://pinhukuro.exblog.jp/30853505/
2024-03-14T11:51:00+09:00
2024-03-14T11:51:33+09:00
2024-03-14T11:51:33+09:00
saheizi-inokori
今週の1冊、又は2・3冊
らくちんだけれど、青空をみているとなんとなく罪悪感がある。
その分、トイレと洗面所の掃除は念を入れてやったのだけど、日差しを無駄にしているという罪悪感だ。
📢2022年11月の福島雅典先生(京都大学名誉教授)。やっと最新の『文藝春秋』に記事が掲載された。もはや新型コロナワクチンを信じるほうがカルト信者だろう。論壇誌でのワクチン後遺症の掲載は、この大薬害が医療時事問題として看過できない事態になっていることを意味する。pic.twitter.com/W25lFtZfKW https://t.co/7BUGlVOL3N— ワクチン後遺症の被害を防ぎたい (@Novaccinekita11) March 10, 2024
福島雅典先生(京都大学名誉教授)の凄まじい怒りの会見の様子をXで見て、図書館で「文藝春秋」を読んできた。
貸し出しは出来ないので、館内でメモをとりながら読んだ。
記者会見のような激越な調子を抑えて、冷静客観的な筆致で、コロナワクチンの危険を解く。
最近までの健診で総合Aと判定されていた28歳の男性が、フアイザー社のコロナワクチンを二回目に打って、五日後に「心筋融解」、心臓が融けて死んでしまった。
2021年12月から2023年11月までのあいだに、学会で発表されたコロナワクチンの後遺症と見られる症例は201例にのぼり、それは心臓、腎臓、肝臓、リウマチ、糖尿病、皮膚、血液、血管、神経、肺、消化管、、およそ全身のあらゆる体内組織に及んでいる。
僕のしつこい皮膚の湿疹や紅斑なども、六回も打ったコロナワクチンのせいかもしれない。
世界中では7071例が報告されている。
パターンが決まらず、全身に起り、複数の疾患が同時に起ることもある。
エイズウイルスの発見でノーベル賞を受賞した、仏のリュック・モンタニエは2021年にフランス国内で26例の後遺症と見られるヤコブ病を報告した。
日本でも3回目の人からヤコブ病が報告された。
厚労省の報告では2021年で、ワクチン未接種者より、1,2回接種者の方が致死率があがっている。
2022年新規陽性者数は、大半の年齢層で未接種の方が低い。
重症化率や致死率のデータを文書開示要求したら、不開示の決定通知がきた。
HER-SYS(感染者等の情報管理・把握システム)がありながら、そのデータを要求するとすべて黒塗りで示された。
なぜ、コロナワクチンの後遺症が多くかつ危険なのか?
体内細胞に打ち込まれて免疫反応を起こさせるmRNAが厚労省の説明とは異なって、化学構造が改変され、また脂質ナノ粒子を包み込むことで、壊れにくくなって、いつまでも体内をウロウロする。
そのために、影響はないとされたDNAにも作用することも危惧される。
癌、とくに白血病はワクチン接種後死亡率が上昇に転じ、乳がんは三回目接種後一気に死亡率があがり、卵巣がんの進行が速くなった。
免疫力の低下、ワクチンによって作られるスパイクタンパク質のがん抑制遺伝子などの働き抑制などが原因と疑われ、アメリカではスパイキオパシー(スパイクタンパク質症)と呼ばれている。
東京理科大学名誉教授・村上名誉教授などが、その検査法を開発中である。
福島教授は、2023年6月に「ワクチン問題研究会」を設立した。
新型コロナワクチンによる健康被害認定は2021年8月から2023年12月で5735件(死亡420件)に対し、1974年2月から2021年12月の間のコロナワクチン以外のワクチンによる健康被害は3522件(死亡151件)、45年間の件数をコロナの2年で上回った。
現行知識で議論できる範囲を超えたワクチン禍。
遅発性の毒性は考えられないことばかりだ。
国民の体質は変わってしまったのだ。
それではワクチンを打ってしまった人はどうしたらよいか?
食事、運動、睡眠、心のあり方など日常の生活を管理して免疫力を落とさないこと、それにつきる。
良質なタンパク質、新鮮な野菜や果物を十分にとる。
ビタミンDと亜鉛、干しシイタケ、牡蠣、レバー。
足踏み、スクワット、寝ている人は手足のグーチョキパーなど、気持のよい運動。
日に当たる。
腹式呼吸で副交感神経の優位をはかる。
ファイザーでワクチン研究開発部門の責任者だったキャサリン・ヤンセンは、退職直後に私たちはまだ製造している途中の飛行機を飛ばした。と述べたそうだ。
いやはや、だね、おのおのがた。
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雨の日はPerfectDays
http://pinhukuro.exblog.jp/30852221/
2024-03-13T13:48:00+09:00
2024-03-13T14:21:54+09:00
2024-03-13T13:48:14+09:00
saheizi-inokori
映画
病院の日は、いつもと違うところを彷徨い、千円以下のランチを食い、カフエで本を読んで帰るというのが、僕の楽しみにしている贅沢だ。
でも昨日は冷たい雨、これから風も吹いて雨も強まるという予報だ、さあ、どうしよう。
思いついたのが映画、そうだ!「PerfectDays」を見るには良い日じゃないか。
スマホを当たってみると、二子玉川で11時10分に始まる、しかも空席が多い。
スマホからの予約は、会員ナンバーを忘れたので、えい、そのまま映画館にいっちゃえ、3月末までのタクシー券もあることだし、病院の前にはタクシーが待ってる。
案の定、若いスタッフがすぐに会員登録を見つけてくれて、身障者割引1000円で真中の席を確保できた。
一時間以上の待ち時間があるので、カフエでコーヒーでもと思ったが、待てよ、トイレが近くなると困るじゃないか。
久しぶりに蔦屋書店のなかを廻って、鳥山明の漫画がないかとか、家具売り場を覗いたり、それでも時間が余ったので、別の飲食店などの看板を見比べて値段を調べたりする。
11時近くなったら、映画館の中は大勢の人が行列を作って、ポップコーンや飲み物を買っている。
ドラエモン、アカデミー賞のゴジラなどの客だと思う。
パーフエクトデイズを見ようという客は、あんなへんてこなものを、しかもはた迷惑にも映画を見ながら食おうなんて考える筈がない。
予告編の終わりそうなぎりぎりのタイミングでトイレにいって一滴も残さずに絞り出す。
まさかに備えてトイレの位置を確かめて、右側の通路際の席を予約すればよかったと反省。
主人公平山の一日。
東京スカイツリーの下あたりの古い木造の下宿屋の二階で、夜明け、外を掃く箒の音で目を覚まし、蒲団を畳み、歯を磨き、ハサミで髯を整え、シェーバーをあて、いくつもの湯呑から作った植木鉢(境内などでもらってきた実生の苗を育てている)に丁寧に水をやり、愛しげに一瞥。
ぶら下っている、背中に「TOKYO TOILET」とあるツナギを着て、下駄箱の上にきちんと置いた鍵束、財布、小銭をポケットにいれて、外に出るとともに空を仰いで、何事かを確かめて納得するかのように僅かに笑みを漏らす。
自販機でコーヒーを買い、軽自動車に乗りこんで、カシャカシャ、いくつかのカセットテープの中から、一つを選び出してセットする。
下宿屋の二階の窓が紫色に照らし出されているのは、植木たちを照らす明かりだろうか。
広い通りにでると、さあ、けさの曲が始まる。
It’s NewDawn It’s NewDay
It’s NewLife for Me
Freedom is mine
代々木公園、松濤公園、、しゃれたトイレをまわって、丁寧に掃除する。
見えないところは手鏡で汚れが落ちていることを確認する。
用足しに人がくると、その場をたち、トイレの外で、直立して、空を仰ぐ。
コンビの若者の饒舌にも無言だが、彼の身の上を気にかけている。
ランチは、境内でサンドイッチと牛乳、終わると古いオリンパスで、フアインダーを覗かずに、樹々の葉の影と光を撮る。
いつも出会う人たちには会釈するけれど話しはしない。
仕事が終わると、自転車にまたがり、銭湯「電気湯」に一番乗り、そのあとは白髭橋を通って、浅草駅に通じる地下の居酒屋へ。
「おつかれさん!」店主が両手をパッと開いて、あれは何かの気を送っているのか。
テレビ中継で、巨人が勝つと「金で買った勝ちなんか!」と怒る客、今は代議士のイスだって金で買うのに、ドジャースもバスケットもみんな金金金だ。
夜は寝転がって、フオ―クナーとか幸田文を読んで眠くなると消灯。
そして、平山は夢を見る、公園であった幼い子供、樹々、過去の苦しい思い出、、。
休日は寝坊して、濡れた新聞紙をちぎって撒いて箒で掃除をし、コインランドリーに行き、写真屋で出来た写真を受け取り、新しくフイルムを装着、それから古本屋で一冊百円の文庫本を選ぶ。
そのままいつもの小料理屋にいくと、平山をひいきにする女将が、客のギターで「朝日が昇る家」を感情たっぷりに歌う(石川さゆり)。
映画の進行とともに、部屋をローアングルで映すカメラが少しづつ引かれて、部屋の全貌が見えてくる。
旧型のデッキと見事な蔵書のほかは何もない。
まるまる一部屋が植木鉢に与えられている。
姪が家出してきたときに、自分は押し入れで寝るのだが、そこにゴルフバッグが置いてあるのが何を意味するのか。
判で押したような、ミニマムな、清々しい、しかもなんの不足もない満ち足りた日々の繰り返し。
そのなかに、いろんな事件が起きる。
平山が泪するような事件も。
しかし、その翌朝はふたたび陽が昇り、新しい一日が始まるのだ。
家出してきた姪に「この世にはいろんな世界があって、それはつながっていないようでつながっている。
でもつながっているようで、つながっていない世界もある」という。
僕は、平山の世界につながっていると思った。
そう思えたことが嬉しくて、じわっと涙がこみあげてきた。
もっと、いろんな夾雑物を削って、平山の世界に近づきたいとも。
平山の笑顔がいい。
おかしいことがあって笑うのではなく、まして優越感のみえる憫笑、嘲笑とか苦笑でもなく、肯定感、共感を示す暖かい微笑、あたかも太陽と水と風を得てさやぐ樹々のような笑いだ。
満ち足りた思いで、外に出るとしのつく雨と強い風。
路地で700円の「高菜チャーハン」を食べて、カフエは寄らずに帰宅した。
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糸遊
http://pinhukuro.exblog.jp/30850612/
2024-03-12T08:17:00+09:00
2024-03-12T08:17:27+09:00
2024-03-12T08:17:27+09:00
saheizi-inokori
わが母と祖母の遺したまいしうた
糸の切れた凧のように、あちこちして、思えば成人式なんて他人事、無縁に過ごし、今は案内のくる高校の同窓会にも出なくなって久しい。どこかに欠落のある人間なのだと、思いながら見ていた。
祖母の歌。
青白き若者乗せて白髪の親らしき人リヤカー引くリヤカー、今の子供は知っているだろうか。
学校にはあるかもしれないな、運動会なんかで使っているかもしれない。
ああ、そうだ、農家も使っているかな。
病人らしき人、子供を乗せていく老いた親、もの哀しい光景だ。
今はリヤカーでなくて車椅子だ。散歩していると、車椅子に子供、親、妻、いろんな人を乗せた人に会う。
たいてい無言だなあ。
母の句。
糸遊や硝子戸分厚き神輿庫糸遊、いとゆう、地面から立ち上る蒸気で空気が乱れ、風景やものが揺らめいて見える現象。
陽炎、春の季語。
母とともに暮らした杉並の家の近くには大宮八幡神社があった。
いっしょに散歩に行ったことは何度かある。
でも早咲き桜のことは覚えているけれど、硝子戸のはまった神輿庫があったかどうか。
もしかしたら、どこか別の場所でみたのかもしれない。
なんだか、大宮八幡神社に確かめに行きたくなった。
イトユウかあ。
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認知症vs直木賞
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2024-03-11T11:30:00+09:00
2024-03-11T11:30:03+09:00
2024-03-11T11:30:03+09:00
saheizi-inokori
今週の1冊、又は2・3冊
食器を片付けたあと飲むことにしていた漢方薬が切れてしまったので、夜のルーテインがまだ定まっていないのだ。
固有名詞、人名が出てこないのが普通になった。
認知症外来に行く時なのか。
行ってどうなる。
日曜日の駒沢公園、陸上競技場はサッカーの試合が終わったようだ。
幟の選手、誰も知らない、一人一人の幟があるなんて、大相撲や寄席みたいだな。
競技場の外にある回廊、小さな子を連れたママが入って行ったので、僕もついていく。
しばらくすると、親子が戻ってきたので行き止まりなのかもしれない。
まあ、行けるところまで行ってみよう。
正面の入り口に出たので、そこから出ると、係の男性が、礼儀正しく「お疲れさまでした」とお辞儀をする。
関係者と見られたのだろうか。
バレーボールの競技場前では、若い男女がダンスの練習をしている。
鳥山某という漫画家の作品を読んだことのない僕は、ダンスと言えば「お遊戯」か「フオークダンス」だ。
ああ、ウエスタン酒場で、ウエスタンのダンスを教わったことがあるなあ、あれもフオークダンスに似ていた。
「テスカトリポカ」読了、フーと息を吐く、読み応えのある大作だった。
作者、渾身の力をこめて書いたと、その気迫が伝わるような作品といえる。
しかし、僕にはしつこすぎる、とくにアステカの神話の繰り返し(太字)が。
臓器密売、とくに日本の無国籍の児童のそれをめぐる話は、読みたくない気持ちになる。
しかし、世界では現実にこれ以上悲惨な児童虐待・虐殺が、我が日本の親分・アメリカの支援のもと繰り広げられているのだ。
眼をそむけることは許されないのかもしれない。
直木賞と山本周五郎賞のダブル受賞、それだけの価値があるのだろうか。
直木賞受賞の際の、審査員たちの講評を読んでみた。
絶賛するのは、三浦しをん、「圧倒的な傑作だ」「世界に満ちる暴力性の問題を徹底追及する本作は、暴力と理不尽を越える希望をも、ちゃんと提示してくれている」。
宮部みゆき、「直木賞の長い歴史のなかに燦然と輝く黒い太陽」「(最近書きにくくなっている現代の)きわめてまっとうな勧善懲悪の物語」「私は読後、参りましたと感嘆することしかできなかった、傑作です」。
林真理子、「並外れた筆力、偏執的な知識と書き方に圧倒され驚いた」「この作家は、調べていくことに快楽を感じているはずで、その快楽は読み手にも伝わっていく」。
角田光代、「この凄惨な小説にちりばめられたうつくしさも、私には見たことのない、触れたこともない種類のものだ」。
否定的なのは、北方謙三、「よくあるアクション小説の域を出ていない。非人間的にさえ見える暴力が、なぜか読む側の痛みを誘発してこない」。
浅田次郎、「登場人物のおのおのが、当たり前の人間感情を欠くのである」「死は文学の欠くべからざるテーマにはちがいないが、死をかくも丹念に描くことはむしろ、人間不在の反文学としか思えなかった」。
伊集院静、「最後まで小説として読めなかった」「小児の扱いがこれほど安易になされて、文学の品格は問われないのか」。
桐野夏生は肯定的、高村薫は、やや懐疑的。
こうして比べてみると、それぞれ当たっているところがある。
しかし僕の感想は、北方、浅田、伊集院に近い。
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会津は永遠です
http://pinhukuro.exblog.jp/30848098/
2024-03-10T11:23:00+09:00
2024-03-10T11:23:25+09:00
2024-03-10T11:23:25+09:00
saheizi-inokori
こんなところがあったよ
そのなかで珍しかったのは、警察庁について
私たちは警視庁です。
あなたのお子様は窃盗容疑で逮捕され、被害者に215万円の賠償金を支払う必要があります。
至急下記口座にお振込下さい。ひっかかる人がいるのだろうか。
裏金と嘘つきの自民党に投票するような人ならありえるかもしれない。
異次元の少子化対策、新しい資本主義、安全安心、アベノミクス、誠心誠意、火の玉になって、スピード感をもって、信頼回復、、休む間もなく口をついで出るのは、インチキばかり。
それに騙されて、政党助成金を負担し、増税に甘んじ、防衛装備品の費用を負担し、あまつさえ自民党に投票する。
215万円より深刻な被害に遭っているのではないか。
夕方、散歩に出て、美しい夕焼けをみながら、角を曲がろうとしたら、向こうから歩いて来た、乙にすましたマダムが、すれ違いざま、ブブッと落としていくではないか。
僕は足を速めて逃げ去ったので、被害に遭わずに済んだ、あれが前を行く人でなくて不幸中の幸いだった。
彼女も自民党支持者かもしれない。
(碑文谷公園で)
録画しておいた新日本風土記で、奥会津の暮らしをみた。
たぶん前にも見たような気がするが、何度見ても懐かしい会津の冬景色。
こうしている僕が、56年前に、雪の会津線のデイ―ゼル車の先頭に乗りこんで、只見まで通票調節に行ったことが夢の中の出来事のようだ。
とつぜん雪崩がきて、前はすっかり雪がかぶって動けない。
機関士が汽笛を鳴らすと、川をはさんだ雪原から、蟻がはい出るように人が現れて、だんだん人の姿になって、一列になってこちらをめざして歩いてくる。
部落の人たちが助けにきたのだ。
助けに来た人たちの多くは、すでに亡くなってしまったと思うが、助け合って生きていく暮らしは、続いている。
裸参り、道具祭り、、昔から伝わる神々との、謙虚なつつましい暮らし。
その暮らしも、高齢化や過疎のために、いつまで続くのかと心配になる。
雪の中を野菜や日用品を巡回販売する人、石油を配達してくれる人、、いろんな人たちが支えている暮らし。
八十路の爺は、画面にむかって感謝の念を送る。
たった一年しかいなかったけれど、もっと彼らの暮らしのことを学ぶのだったと反省もする。
「テスカポリトカ」(佐藤究)は、あと百ページ。
テスカポリトカとは「煙を吐く鏡」、アステカの神、永遠の若さを生き、すべての闇を映し出して支配する神、生贄の人間の心臓と腕を好んで食べる神。
臓器密売(子供の)などおどろおどろしい話がつづく。
ここまで読んだら最後まで読もう。
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春風駘蕩
http://pinhukuro.exblog.jp/30846875/
2024-03-09T12:03:00+09:00
2024-03-09T12:21:03+09:00
2024-03-09T12:03:01+09:00
saheizi-inokori
こんなところがあったよ
それでも、土曜日だから、便器磨きからもろもろの大掃除をして、仕上げにストレッチをしたら、だいぶ軽快した。
きのうは、カミさんがサンチを見ていてくれるというので、昼飯後すぐに散歩に出た。
やってきたバスに乗り、下馬六丁目で下車、学芸大前を通り過ぎて、碑文谷公園に出た。
野球場の向こうではテニスに興じる女性たちの声がにぎやかだ。
ポニーが幼い子供たちが乗るのを待っている。
池を一周、大きなギターを抱えて座る男の子と、自転車に乗ったまま、話をする子、春休みか。
自転車を置いて、その横でしゃがみ込む、中年の男。
着物を着たママと可愛いドレスの女の子を撮るおばあさん(?)。
幼い子供を遊ばせるママたち。
暖かい日差しを浴びた公園は春風駘蕩。
(数年前に足の形に合わせてインソールを作ってもらった店)
踵を返して、学大商店街をクロスして、駒沢通りの一本北の細い道を歩きながら、けっきょく祐天寺の、古民家カフエに出た
隣りに母と娘らしき二人連れ、ほとんど話をしないで、ランチをとる。
鯖らしき焼き魚を黙々と一時間以上かけてキレイに食べていた。
僕はカフエラテで、「もう死んでいる十二人の女たちと」の「じゃあ、何を歌うんだ」と「私たちは毎日午後に」を読む。
前者は1980年の光州事件、後者は福島原発事故に作家がどう向き合うのかを、小説にしている。
前衛というのだろうか、隠喩や独特の文体で、晦渋といってもよいかもしれない。
1985年光州生まれの作家は光州事件を知らない。
知らない事件に、謙虚に真摯に向き合うこと、世界中で起きたほかの虐殺とどう違うのか、同じなのか、英語で語られるか韓国語で語られるかによって、事件の色合いまで変わってくるようだ。
難解な二作を読んだ後、佐藤究の「テスカトリポカ」に移る。
メキシコの麻薬戦争の描写から、一転舞台は川崎に移り、暴力団の幹部とメキシコから逃げてきた女性の間に生まれた息子の悲惨な生い立ち、それにもかかわらず、怪力無双の少年に育ち、非道な両親を殺してしまう、かと思えば、再び舞台はメキシコに戻り、アステカ王国の神官の血を引く祖母に、アステカの神々を祀る秘法を教わった麻薬ギャング団のトップ四兄弟の話になる。
550頁の長篇の120頁を夢中になって読んだ。
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映画を見なくなった
http://pinhukuro.exblog.jp/30845368/
2024-03-08T11:55:00+09:00
2024-03-08T11:55:58+09:00
2024-03-08T11:55:58+09:00
saheizi-inokori
今週の1冊、又は2・3冊
静かな家だと思っているが、雨や雪の日はその静かさが深みを増すのか、それとも単に怠け者になっているからか、よく寝た。
きのう部屋干しした靴下や下着を乾かすためにエアコンをつけて、スマホに外気温を訊くと1度、そんな体感はなかったのに、数字をみたのとエアコンの暖気を感じたら寒いと思った。
きょうも部屋干し、エアコンもつけっぱなし。
最後に映画をみたのは、コロナ禍のさいちゅうに、ほかの用で二子玉川に行ってたまたま開始時間にぶつかった「鬼滅の刃」を見たのだった。
映画は見つけないと、見たいという気持ちもだんだん薄れていく。
でも今どんな映画が面白そうかと新聞の映画欄をみることは續き、そのなかで「枯葉」と「PerfectDays」は、見たい気持ちをそそられた。
しかし時間を調べるなどの行動に出ることはなかった。
ときどき、ブログなどで面白かったという記事を読んだり、ラジオで「PerfectDays」に出てくる音楽を、そういわれてきくと、そのたびに、ああ、見たいなあ、と思う。
(皮膚科の前で)
さっき、今どこの映画館で何時からやっているかと調べたら、これから家を出たのでは間に合わないか、夕方の食事時間にあたる上映のみだ。
少々のことがあっても映画館にかけつけるようなことがなくなってしまったのだ。
斎藤真理子の訳した韓国小説「もう死んでいる十二人の女たちと」を読み始めた。
裏表紙に「距離感そのものが主人公であるかのような、パク・ソメルだけの独創的な物語作りの土台がある」と斎藤が書く、「いま韓国で最も注目される新鋭」(裏表紙の袖)の短編集。
斎藤と作者が話しあって編んだ日本版オリジナルの短編集。
「そのとき俺が何て言ったか」
少女がカラオケボックスにいると、入ってきたのはそこの経営者。
彼は「心をこめて歌え」と少女に言い、理不尽な暴力をふるう。
暴力というものは、そもそも理不尽なものと言わんばかりの、怖い話。
「海満(へまん)」
会社をやめた男が、手に入った大金で「海満」という島に、ゆっくり滞在しようと渡る。
そこの民宿で相客になった、無気力で無為に過ごす男たちとの、まじめな言葉のやり取り。
無気力にならざるをえない若者に対するシンパシーを感じる。
僕も、こんなところで無為に過ごしたくなる。
登場人物のなかでいえば、酒を飲みつづける男。
一緒に借りてきた、「幽玄F」の佐藤究の「QJKJQ」も少し読んでみる。
江戸川乱歩賞を受賞した作品。
冒頭から、残酷な殺しの場面、ドラキュラ一家のような家族の話に、いささか辟易して、散歩に出て、図書館で、佐藤究の直木賞受賞作「テスカトリポカ」を借りてくる。
映画を見に行く暇を自分でなくしている。
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ふるまひをやさしく。幽玄に心をとめよ
http://pinhukuro.exblog.jp/30843977/
2024-03-07T13:07:00+09:00
2024-03-07T13:50:28+09:00
2024-03-07T13:07:13+09:00
saheizi-inokori
今週の1冊、又は2・3冊
なぜ「介護の必要な人」と言わないのだろう。
テレビで少子化対策について侃々諤々、前にも書いたことがあるけれど、経済的な対策も必要だろうが、なんといっても、未来に希望のある社会であることが必須の条件だろう。
裏金を作って、追及されても平気の平左で居座り続けるような反社会的・無能破廉恥集団が治めているような国にそれは望むべくもない。
こんな中学生程度の人が、世襲と派閥の推しで少子化担当大臣になっているのだもの。
「ポンコツすぎる」加藤鮎子こども相「異次元の少子化対策」めぐり野党があきれる“しどろもどろ答弁”に批判殺到(SmartFLASH)
子供だまし庁。 https://t.co/Flea1Um3Z5— CLE︎︎︎︎︎︎ (@CLE_copen) March 6, 2024
文科教育を無用のものとし、理科系、そのなかでもすぐに役に立つ、実用の学問を偏重することも、薄っぺらな社会をつくる要因になっているのではないか。
貧しくても、力を合わせてよりよい社会をつくること、たとえば図書館で借りた本で未知の世界を知る喜びや言葉が紡ぎだす美しさや悲哀に感動すること、身の回りの自然の移ろいの中に生きとし生けるものの美しさを見てとること、、そういう心の持ち方によって、人生は生きるに値するものになる。
そういうふうに考える親が少なくなって、もっと旨いものを、楽しいことを、人より楽をするように、人よりいい服を着よう、、つねに他人との比較をして、際限のない欲望に囚われて、ほんとの生甲斐とは何か、について考えようともしない親が増えてはいないだろうか。
そんな社会が、家事労働を嫌い、育児の苦労を厭い、、その結果が少子化につながっているのではないか。
「幽玄 F」(佐藤 究)、読了。
直木賞受賞後、編集者から「三島由紀夫をモチーフに」という依頼を受けて、「天人五衰」(三島由紀夫・豊饒の海・第四巻)の遺稿を受け取った小島千加子に取材したり、三島による超音速戦闘機の搭乗体験記「F104」の初出データを、「あたかもコックピットに配置された計器を見るように、つねに意識して」、二年がかりで書いたという。
子供のころから、ひたすら飛行機に魅せられて、自衛隊の最新鋭のF-35Bのパイロットになり、天才とよばれる易永透、その名は「天人五衰」の主人公・安永透を思わせる。
彼の搭乗場面は、映画「トップガン」のそれよりも迫力を感じさせ哲学的である。
飛行機に乗るために自衛隊に入ったので、真言宗の祖父のいう「護国」については知らなかった透は、護国の意味を考えつづける。
重力との戦い、それは陀羅尼経における孔雀明王と蛇との戦いに通じるのかもしれない。
マッハ1・3になった時、巨大で透明な蛇が現れて、透は自衛隊を辞める。
タイの航空スクール、そのあとはパングラデイシュのローカル航空会社で仕事をする。
行動右翼らしきキドの言葉、「国ってのは、放っておくと腐り、その腐敗が国旗をどす黒く染める。その穢れを、繰り返し繰り返し祓うのは、義による。義の行動は水平ではなく、垂直的なのだ」。
水平的とは、国家でたとえるなら、延々とつづく領土の奪い合い、国家も、政治も、法律も、経済も、戦争も、どいつもこいつも終わりのない領土争奪戦だ。水平線の彼方で沈まない夕日みたいに、人間の欲の皮が燃えつづけているんだ。ずっと夕方がつづいて、夜の闇もおとずれなければ、朝日がのぼることもない。そういう水平的世界観から出てゆくのが、垂直的な義だよ。透は、キドが思ったより若く、その澄んだまなざしは、精神の強さではなく、内に巣食った恐怖が発露しないほどの純粋さに由来していることを見てとり、俺も同じ目をしているのだろうか、と思うのだった。
鎮護国家とは、仏が姿を変えた明王が、霊験によって敵を調伏すること。
俺にとっての敵は何か?
透は、自分には敵の概念が欠けていることに気づく。
自分にしっくりくるのは独立と言う言葉だ。
その独立はなにからの?
力だ、俺が欲したのは、空を切り裂くあの力だ。
パングラデイシュの奥地で、透は日本人の老僧に出遭う。
蛇について話しているうちに、老僧はウロボロスの蛇のことに触れ、円の回転、時間の蛇という言葉を発する。
そして、どのようにして時間と向き合うのかについて、室町の人・心敬の書いた「心敬僧都庭訓」の冒頭の言葉を教えるのだ。
それは、
心もち肝要にて候。常に飛花落葉を見ても。草木の露をなかめても。此世の夢まほろしの心を思ひとり。ふるまひをやさしく。幽玄に心をとめよ。短い切れ味の良い文章の連続に、あっという間に、読んでしまったが、読み終えて、さて、どういうことだ、と分からない、とくに結末が。
いま、こうしてブログに書くために、いくつかの叙述を追いかけてみて、ようやく朧げに見えてきた。
さっき、このブログの枕で書いたことにも通じているのだ。
いや、この小説を読んだから、それが内心に影響してブログのマクラになったのかもしれない。
半世紀も前に、すべて初刊本で読んだ「豊饒の海」や「金閣寺」を、そのイメージを少し思い出した。
処分してしまった「豊饒の海」も再読を催促しているようだ。
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自慢話
http://pinhukuro.exblog.jp/30842310/
2024-03-06T11:38:00+09:00
2024-03-06T11:39:32+09:00
2024-03-06T11:38:12+09:00
saheizi-inokori
よしなしごと
8年後輩のM君が、会場選びや予約もしてくれる。
鮨屋は初めて、大きなカウンターが満員で、その一番奥に三つの席がとってあった。
三年後輩のK君は将棋の達人、だからいつも藤井八冠の話をふると話が弾む。
大学の文化祭で、升田幸三と学生の対局を企画して、彼が升田名人(だったか)の家を訪問したら、ちゃんと家にあげてくれたが、わしは素人とは指さないのです、といって断ったという。
駒を指すしぐさをしながらそういったと仕方噺。
後日談があって、将棋連盟から原田康夫(とうじ八段)なら学生と対局してもよい、と言ってきたのは、きっと升田さんが手を回したのだ。
最強の学生たちが、角落ちでさしたが、だれも歯牙にもかけられなかったという。
その話から、僕が囲碁初段になった話(名古屋鉄道管理局時代に「本因坊列車」というお座敷列車を企画して、そのときの下見で熱海に名古屋棋院の酒井八段と行をともにしたときに、戯れに盤を囲んで、五分もうったら認定してくれた、まったくの八百長認定)をして、その仲立ちをした部下のM氏(囲碁の達人)のことに話が飛び、ついついそのM氏が国鉄を退いたあとに自家出版で、半生記を書き、そのなかで、不肖僕を「生涯にであった大卒エリートで、最高の人だった」とあったのをみつけて、二年足らずの付き合いの中で、無口のMさんが、まさかそんなことを思っているとは夢にも思わなかった、という話をしてしまった。
M氏がそういった理由は、とうじ名古屋駅で繁忙期にカラ超勤を支給するという悪慣行があったのを、内部告発で新聞にすっぱ抜かれたときに、記者会見で、その責任は現場ではなくて、悪慣行があると知っていながら、それを黙認し続けていた管理局の私にある、次期の繫忙期には全廃するということで、組合にも通告していたと説明、聞かれもしない過去の支給実績もすべて公開した。
国鉄解体の前夜、東京や大阪など全国各地で似たような内部告発があいつぎ、そのつど管理局の幹部は「初めて知って驚いた、早急に善処する」という言い方をしていた。
僕の場合も本社からは、管理局の責任を認めると局長、さらには本社の関係部局にまで責任追及が始まるから、と現場の責任にしろ、と強い指示があった。
しかし、そんなことが僕にできる筈がなかった。
スクープした新聞記者は、僕が逃げを打つようであれば、もっと追及するつもりで材料も用意していたが、あまりにもキレイさっぱり責任を認めたので、もうこの件は追及しないと広報課にいってきたそうだ。
こんな話をしてしまったのは、裏金議員たちの「秘書が、会計担当者が」の破廉恥、無責任に対する怒りがあったからだろう。
M氏は直属上司の課長に、この件はお前が処理しろとかぶせられて、どうしたらいいのかと途方にくれていたら、部長の僕がプレス、本社説明、組合、会計検査院などすべてについて、たった一人でなんのあとクサレもないように処理したので、「最高の人」と感じたのだろう(ほかにも似たような切ったハッタが何件かあって、最後は任期途中で臨海鉄道に出向を命じられた、それらのことも含んで)。
ふたりが、裏金議員たちの真逆ですね、と褒めてくれたのはよかったけれど、あとになると、いつまでも何十年も前のことを繰り返して大人げないことをしたと、別れるときに「今日はしゃべり過ぎたね」と謝った。
思い出話で人の名前が次々に出てこなくなって、内心こりゃあひどくなったと思ったが、最後には全部思い出されてやれやれだった。
鮨屋なのに、寿司は出てこないのかと思うほど、つぎつぎに料理が出て(写真のほか、天婦羅の盛り合わせ、味噌汁、デザートも出た)、熱燗も二合飲んで、腹いっぱいになった。
昼から赤い顔になったので、別れたあと一人でドトールに行った。
若い女性ばかり、右も左もノートをとって何か勉強している。
一年生くらいの女の子とその弟を連れたお母さんは、女の子だけ残して出て行って、女の子はひとりでパソコンに見入っている。
凡そ一時間ほどして、またママと弟が帰ってきたら「ああ、せっかくいいところなのに」と女の子。
僕は、佐藤究の「幽玄F」を読み始めて、外が暗くなるまで読みふけった。
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同病相憐れむ
http://pinhukuro.exblog.jp/30840667/
2024-03-05T10:29:00+09:00
2024-03-05T10:29:17+09:00
2024-03-05T10:29:17+09:00
saheizi-inokori
今週の1冊、又は2・3冊
「VIVANT」が長くて、いつものルーテインの順番が狂ったので、忘れたのだ。
けさ、反省とともに起きて朝の測定をすべく血圧手帳を開いたら、なんとゆうべの夜の欄がうまっている。
いつもより高い138と80、どういうボケだろう。
昼は皮膚科、大学病院の部長医師だから、ときどき見習の医師が見学している。
きのうは先輩格の男性が、アシスタント役をつとめてパソコンに入力したり、短い発言もして、その隣にもうひとり若い女性がかしこまっていた。
医師の着る白いユニフオームではなく、なんとなく初々しい。
そうすると、服を脱いで背中や足を見せるのが、ちょっと恥かしいではないか。
二年ほど前に、いちばんひどい症状のころ、服を脱ぐとパラパラと皮膚のかけらが落ちるほどで、それを数人の若い人たちが見て「わあ~っ」と驚いた。
特異な症状を見せてやろうということだったのだろう。
僕も医学に貢献しているのだから、はやく治療法を見つけてほしいものだ。
それでも、やっとステロイドから脱出できた。
}
(京都 藤菜美 ほろり)
「女刑事の死」(ロス・トーマス)読了。
ときどき置いていかれそうになるようなひねったプロットの展開。
脇道とも思える細部を楽しむことのできる作品だ。
アメリカ探偵作家クラブ賞最優秀長編賞受賞。
この作家、1995年に69歳で亡くなった。
「黄昏にマックの店で」「神が忘れた町」「五百万ドルの迷宮」などは読んだことがある。
藤本和子 訳
早川書房
ここまで書いて、待てよ、ロス・トーマスのなんかエッセイみたいのを読んだはずだと、このブログを検索したら、なんとなんと!
なにが、既読感がない、だ。
いよいよもって、広告のホンを読まなきゃ!]]>
テレビドラマ
http://pinhukuro.exblog.jp/30838918/
2024-03-04T09:16:00+09:00
2024-03-04T09:16:19+09:00
2024-03-04T09:16:19+09:00
saheizi-inokori
よしなしごと
膝や腰が痛くて歩けなくなったけれど、その後体操などで軽快して歩けるようになったら、歩けることの有難さが身に染みてわかる。
何にもない、変り映えしない場所でも、歩くこと自体が楽しく思える。
まして、春の日の花と輝くこの頃ときたら!
テレビのドラマを見ることはあまり好きじゃなかった。
朝ドラも猪苗代にいた頃、駅前の食堂で昼飯を食いながら、宇野重吉や加東大介が出た国鉄職員の物語「旅路」をみたくらい、大河ドラマでずっと見続けたのは緒形拳の「太閤記」、あとは最初のうち少し見ても続かなかった。
分かっていることをクダクダ喋ったり説明したり、せっかく面白くなってくると、お次は来週またどうぞ、というのがかったるいのだ。
さいきんになってカミさんといつしよに「鎌倉殿の13人」はほとんど見て、「光る君へ」は、まじめに見続けている、家康のなんとかは、つまらなくて二人ともパス。
民放のドラマは今に至るもまったく見ようとも思わず関心も持たなかった。
現役時代は見る暇も、まったくなかったし。
女性の友人から、いくつか、是非見なさいと勧められた番組も、一度か二度見ると、わざわざその日にまたとか録画してまで見ようと思えるようなのはなかった。
たまに旅先の宿で晩飯を待つ間にテレビをつけると、ドラマをやっていることがあるけれど、途中から見るせいもあって、どこが面白いのかと思われてとうてい続けてみる気にはなれないのだ。
それなのに、このところ二夜にわたって「VIVANT」というのをまとめてみた。
年末年始に総集編とかいうのがあって、それをカミさんが録画してくれたので、それを、続きはまた来週なしに、コマーシャルを飛ばして見ているのだ。
「分かっていることをクダクダ」どころか、老人性難聴に近づいている僕には聞き取りにくいような早口で、すぐには意味もくみ取れないようなことをポンポンしゃべる。
でも外国映画を字幕なしで見ていると思えば、ぞれよりは遥かにわかる。
おとといは第二部が長くて、もうすぐ終わるかと思ってがんばっていたら、11時近くなって、こっちから「続きはまた」にした。
高校時代に、予備校の模試に挑戦するために上京、郵政省のおえらいさんだった叔父の家に泊めてもらったら、とうじはまだ珍しいテレビジョンが「研究用」としておいてあった。
何をみても興味深く、映画やドラマも見ていたら、叔父が「実社会で向き合ういろいろだけで、もうたくさんなのに、それとおなじようなもんを、わざわざテレビで見る気がしれない」と笑った。
実社会から離れて久しくなったので、あの頃の僕のようにテレビドラマを見る気になったのかもしれない。もっとも「VIVANT」は、実社会で向き合うような事件ではないけれど。
「女刑事の死」、さらに120頁ほど読む。
殺された女刑事の葬儀は、故人は無宗教だったがトリニテイ・バプテイスト教会で行われた。
トリニテイ・バプティスト教会は設計と政治と女について極端な好みをもっていた。ある大学の建築科の教授の設計で五十年代の半ばに建てられた。州議会は男がどういう女を好むか、あるいはどんな種類の煉瓦を好むか、そういうことを気にする必要があるとは考えなかったが、ある議員が言ったように、「政治についちゃ、だまっていられない」と思っていた。議員たちはさらに、アカに大学で学生を教えてもらうのは困るとも思っていた。そこで彼らは下院議会の破壊活動分科委員会の前に教授を引っ張り出してきて、彼の常軌を逸した政治理論について、容赦なく訊問ぜめにしたが、それに飽きると、今度は彼の女たちと、彼の設計について、やはり容赦なく訊問ぜめにした。
リトル・ディキシ―の名で呼ばれる、その州のある地区選出の七十二歳の議員は教会の庭を飾る予定になっている、かなり自由な形式の彫刻のスケッチをふりまわした。ほんとに、バプテスマのヨハネはそういう姿をしていたと考えているのか、と彼は教授に問いただした。教授は、実際それはヨハネによく似ている、と回答した。そして、やさしい笑みをうかべて、委員会は聖人の髭のなかにピンクの色を見つけただろうか、とたずねたが、誰も彼が何をいおうとしているのか、どうもはっきりつかめなかった。その後まもなく、聴聞会はおわった。教授は四文節の辞表(「勝手にしやがれ、おれは辞める」)を提出して、カリフオルニア大学バークレイ校へ移った。バプティストたちは彼の設計を使って教会を建てた。ほとんど誰もが、いまはその教会をすごく気にいっている。オークランドのトリニテイ教会のことだろうか。
五十年代というから、違うかも知れない。
町や建物について、こういうエピソードがしょっちゅう語られるのだ。
テレビドラマを見るようになったけれど、やはり僕は本を読む方が面白い。
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