爆笑街道まっしぐら 権太楼「蛙茶番」(池袋演芸場・3月上席)
2009年 03月 26日
「蛙茶番」
町内で素人芝居をやることになった。
ついちゃあ、建具屋の半公、通称バカ半に「舞台番」をやらせたい。
舞台のワキで、場内が騒がしい時に鎮めたりする役目、まあ、役者じゃない。
バカ半はむくれてしまって出て来ない。
まとめ役の伊勢屋の番頭さんが定吉に呼びに行かせると、まあ、大した剣幕で旦那の悪口。
前に会った時に「化け物芝居をやるときには座頭にしてやる」といわれたのがコタエテル。
”旦那がいなければ人間の干物がひとつできあがっちゃう”ほど世話になってるのに、イッチョウマエに腹ァ立てて啖呵を切るところがバカ半の所以、権太楼のやる半つあんのおかしさったらない。
番頭さん、一計を案じて半公が片思い(”足袋屋の看板”、片っぽだけが出来てる)の小間物屋のみいちゃんが
(大塚・「手打ちうどん 恩田」、鶏、ちくわ、げそ、野菜などの天ぷらに讃岐うどん、行列の店だ)
案の定、半ちゃんすっかりその気になって、ついては趣向だ。
舞台番は尻まくって半畳に座る。
そのときにびっくりするようなフンドシじゃなきゃいけねえ。
去年の祭りにしめた、とっておきの緋縮緬のフンドシを質屋から請け出す。
緋縮緬のフンドシってのが笑わせるが、それを質においてるってのはもっと笑わせる。
そいつを釜を代わりにおいて請け出そうって質屋とのやりとりが噴飯、「オカマでフンドシを取ろうってのか」なんてね。
何とか請け出した緋縮緬のフンドシをして銭湯に行く。
みい坊が来るなら男を磨かなくっちゃ!
丹念に磨いていると定吉が「半ちゃんが来ないからってみいちゃんが帰ってしまう」(もちろん嘘)と催促に来たから、そりゃ大変!と飛び出したはいいけれど、肝心のフンドシを番台に預けたまんま。
つまり、古枕。
(神田・「お玉湯」、きれいな銭湯。半ちゃんの子孫が入ってたかも)
途中で兄貴分に会う。
最後まで気がつかないで勇んで走っていく半公だ。
さあ、舞台番だ。
騒いでもいないのに「静かにしろ」と注意を引いて尻をまくる。
蛙の役の定吉が出番なのに一向に出て来ない。
どうした?訊くと
半公が、それと知らずに”フンドシ”自慢をする時に、どんどん調子に乗って畳み掛け、客が合いの手を入れるところがなんともいえない可笑しさで、何度も聴いては塞ぎ虫を退治している。
権太楼の高座はテープと違ってあの独特の表情があるから一層腹の皮がよじれた。
と、それだけではなくて、当たり前のことだけど、まごうことなく”今”になってる。
どこがどうとうまく言えないけれど。
(江戸川橋、地蔵通り、「子育て地蔵」の天井にこんな絵があるとは気が付かなかった)
他に、喜多八「旅行日記」、何回か聴いているが田舎のオヤジのとぼけた味がブラックユーモアを際立たせる。
左龍が「甲府い」、円生のテープのみで高座は初めて。
とても良かった。
この人の”にん”に合っている。
扇遊「引越しの夢」
菊之丞「湯屋番」
豪華なメンバーでしょう。
トリはさん喬、圓朝の創った「福禄寿」
しっとりと人情噺。
孝行者の義理の息子にかしづかれて幸せを絵に描いたような大店のお祖母さん、唯一の気がかりは放蕩者の実の息子のこと。
年忘れとて一族が集って楽しむ中に行方不明だった息子が隠居部屋に引き取った母を訪ねてくる。
母屋でさんざめく子どもや孫の声。
しんしんと降り積む雪。
炬燵のぬくもりに足を伸ばす老人。
情景が目に浮かんでくる。
一人ひとりがキチンと存在感をもって立ち上がってくる。
ドラマテイックな盛り上がりを十分に聴かせてくれた。
さすがはさん喬だ。
町内で素人芝居をやることになった。
ついちゃあ、建具屋の半公、通称バカ半に「舞台番」をやらせたい。
舞台のワキで、場内が騒がしい時に鎮めたりする役目、まあ、役者じゃない。
バカ半はむくれてしまって出て来ない。
まとめ役の伊勢屋の番頭さんが定吉に呼びに行かせると、まあ、大した剣幕で旦那の悪口。
前に会った時に「化け物芝居をやるときには座頭にしてやる」といわれたのがコタエテル。
”旦那がいなければ人間の干物がひとつできあがっちゃう”ほど世話になってるのに、イッチョウマエに腹ァ立てて啖呵を切るところがバカ半の所以、権太楼のやる半つあんのおかしさったらない。
番頭さん、一計を案じて半公が片思い(”足袋屋の看板”、片っぽだけが出来てる)の小間物屋のみいちゃんが
素人が白粉塗ってギックリバッタリやるのなんかみっともない。それを断って舞台番になる半ちゃん、素敵、是非見に行くと言ってたと伝える(罪なことやるねえ)。
案の定、半ちゃんすっかりその気になって、ついては趣向だ。
舞台番は尻まくって半畳に座る。
そのときにびっくりするようなフンドシじゃなきゃいけねえ。
去年の祭りにしめた、とっておきの緋縮緬のフンドシを質屋から請け出す。
緋縮緬のフンドシってのが笑わせるが、それを質においてるってのはもっと笑わせる。
そいつを釜を代わりにおいて請け出そうって質屋とのやりとりが噴飯、「オカマでフンドシを取ろうってのか」なんてね。
何とか請け出した緋縮緬のフンドシをして銭湯に行く。
みい坊が来るなら男を磨かなくっちゃ!
丹念に磨いていると定吉が「半ちゃんが来ないからってみいちゃんが帰ってしまう」(もちろん嘘)と催促に来たから、そりゃ大変!と飛び出したはいいけれど、肝心のフンドシを番台に預けたまんま。
つまり、古枕。
途中で兄貴分に会う。
舞台番だってえ?それにしちゃ扮装(なり)が地味じゃねえか。
そこなんで、兄貴、まあ、みてくんねえ、中身がぐっと派手なんだおいおい、真昼間から、よせよ、イヤ参ったなあ、兄貴は驚く。
てぇしたもんだろう?アァ、てえしたもんだ。
立派だろう?町内広しといえどもこれだけのモノは、、アァ、ありゃしねえよ。
重くてどっしりしてらあ目方もありそうだな、その様子じゃ。
咥えて引っ張ってみねえ、伸びて縮まあ誰が咥えるもんか、早くしまいなよ。
最後まで気がつかないで勇んで走っていく半公だ。
さあ、舞台番だ。
騒いでもいないのに「静かにしろ」と注意を引いて尻をまくる。
どうだ!立派だろう!場内騒然、舞台そっちのけで半ちゃんを野次る。
町内にこれだけのものはねえだろう
オウ、半ちゃん、立派だ!もう半ちゃん大喜びだ。
日本一!大道具!
そうだとも、それだけのモノは無いなあ
蛙の役の定吉が出番なのに一向に出て来ない。
どうした?訊くと
あそこで青大将が睨んでちゃ出られない前の(三代目)金馬のテープを持っている。
半公が、それと知らずに”フンドシ”自慢をする時に、どんどん調子に乗って畳み掛け、客が合いの手を入れるところがなんともいえない可笑しさで、何度も聴いては塞ぎ虫を退治している。
権太楼の高座はテープと違ってあの独特の表情があるから一層腹の皮がよじれた。
と、それだけではなくて、当たり前のことだけど、まごうことなく”今”になってる。
どこがどうとうまく言えないけれど。
他に、喜多八「旅行日記」、何回か聴いているが田舎のオヤジのとぼけた味がブラックユーモアを際立たせる。
左龍が「甲府い」、円生のテープのみで高座は初めて。
とても良かった。
この人の”にん”に合っている。
扇遊「引越しの夢」
菊之丞「湯屋番」
豪華なメンバーでしょう。
トリはさん喬、圓朝の創った「福禄寿」
しっとりと人情噺。
孝行者の義理の息子にかしづかれて幸せを絵に描いたような大店のお祖母さん、唯一の気がかりは放蕩者の実の息子のこと。
年忘れとて一族が集って楽しむ中に行方不明だった息子が隠居部屋に引き取った母を訪ねてくる。
母屋でさんざめく子どもや孫の声。
しんしんと降り積む雪。
炬燵のぬくもりに足を伸ばす老人。
情景が目に浮かんでくる。
一人ひとりがキチンと存在感をもって立ち上がってくる。
ドラマテイックな盛り上がりを十分に聴かせてくれた。
さすがはさん喬だ。
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HOOP at 2009-03-26 23:32
笑いたいですなぁ!
なかなか、機会を掴まえるのが難しいですが。
なかなか、機会を掴まえるのが難しいですが。
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74mimi at 2009-03-27 06:15
「お玉湯」モダンで綺麗な銭湯ですねぇ!
でも、チョッと普段着で行っても大丈夫でしょうか。
讃岐うどん 美味しそう・・・
読んでいると、自分が桟敷にいるような気分になります。
居ながらにして色々な演劇場へ行けて感謝で~す。
でも、チョッと普段着で行っても大丈夫でしょうか。
讃岐うどん 美味しそう・・・
読んでいると、自分が桟敷にいるような気分になります。
居ながらにして色々な演劇場へ行けて感謝で~す。
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sweetmitsuki at 2009-03-27 06:25
大店の放蕩息子のように、いくらお金や物を与えても使い果たしてしまう人もいれば、着の身着のままで(今回はそれすらないんですよね)立派に(?)やっていける人もいる。
ふんどしを締め忘れて気付かない人も、義理の弟に器の小ささを諭されて心を入れ替えれる人も、現実にはいないのでしょうけど、リアルな情景がこちらにまで浮かんできます。
ふんどしを締め忘れて気付かない人も、義理の弟に器の小ささを諭されて心を入れ替えれる人も、現実にはいないのでしょうけど、リアルな情景がこちらにまで浮かんできます。
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saheizi-inokori at 2009-03-27 07:18
HOOPさん、笑っている間だけは、、、。
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saheizi-inokori at 2009-03-27 07:21
74mimiさん、アメリカには銭湯がないのですね、寄席も。
昔は年をとったら田舎暮らしをしたいと思ったこともありますが、最近は寄席のないところには住めないようなきがしてきました^^。
銭湯は普段着どころかパジャマで来る人もいます。
もっとも私のように会社帰りは背広ですが、そっちの方が浮いてしまいますよ。
昔は年をとったら田舎暮らしをしたいと思ったこともありますが、最近は寄席のないところには住めないようなきがしてきました^^。
銭湯は普段着どころかパジャマで来る人もいます。
もっとも私のように会社帰りは背広ですが、そっちの方が浮いてしまいますよ。
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saheizi-inokori at 2009-03-27 07:23
sweetmitsukiさん、現実にはいそうもないけれどリアル、というのが落語の面白さかもしれないですね。
幻想もそれに浸っている人にはリアルなのでしょうから。
幻想もそれに浸っている人にはリアルなのでしょうから。
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saheizi-inokori at 2009-03-27 07:24
sweetmitsukiさん、全体としてありっこない噺、存在しなような人物でも部分描写がリアルなことが大事なのでしょう。うまい噺家はそこが違うように思います。
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convenientF at 2009-03-27 13:01
>昔は年をとったら田舎暮らしをしたいと思ったこともありますが、
ムフフ。
僕も本気で外房、三浦、伊豆などで物件探しをしたことがありますよ。でも、こんなに健康的な自然の中で暮らすと病気になる!と悟って、18歳の時から住みついている東京西部に根を張っています。
赤提灯とネオンとティッシュ配りがないところでは息が出来ません。
ムフフ。
僕も本気で外房、三浦、伊豆などで物件探しをしたことがありますよ。でも、こんなに健康的な自然の中で暮らすと病気になる!と悟って、18歳の時から住みついている東京西部に根を張っています。
赤提灯とネオンとティッシュ配りがないところでは息が出来ません。
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kaorise at 2009-03-27 14:44
子育て地蔵の天井画、かわいい〜
子供がみんなで遊んでいるのね、、こんな風景もう今は見られない。
私が子供の頃はまだこうして遊んだのに。
saheiさんに田舎は似合いませんよ〜だ。
寄席通ってひと風呂あびて蕎麦たべて、プリプリ怒るフクロウなんて田舎にはいません、都会の動物ですわ。
子供がみんなで遊んでいるのね、、こんな風景もう今は見られない。
私が子供の頃はまだこうして遊んだのに。
saheiさんに田舎は似合いませんよ〜だ。
寄席通ってひと風呂あびて蕎麦たべて、プリプリ怒るフクロウなんて田舎にはいません、都会の動物ですわ。
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antsuan at 2009-03-27 16:29
読んでいるだけで腹の皮がよじれてしまいました。
まだ仕事中なんですけれどね。
まだ仕事中なんですけれどね。
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旭のキューです。
at 2009-03-27 16:32
x
演芸場の落語を聴いて、記憶から投稿しているんですよね。すごいですね。情景がよくわかります。
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saheizi-inokori at 2009-03-27 18:36
convenientFさん、ドウショウ相哀れむですか。別に憐れまれることもないか。
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saheizi-inokori at 2009-03-27 18:37
kaoriseさん、シテイー梟ですか^^。
自然児なんだけどなあ。
自然児なんだけどなあ。
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saheizi-inokori at 2009-03-27 18:38
antsuan、ご迷惑をかけました。仕事に没頭してくださいませ。
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saheizi-inokori at 2009-03-27 18:40
旭のキューです。さん、何回か聴いてる噺ですから。権太楼のセリフ、少し間違えているかも知れませんよ。金馬のテープも頭に入っていますから。
by saheizi-inokori
| 2009-03-26 22:59
| 落語・寄席
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