韓国の詩人にとって日本語はなんだったのか 四方田犬彦「われらが<他者>なる韓国」(平凡社)

著者は1979年にソウルの建国大学で日本語と日本文学を教えた。
朴大統領が暗殺され戒厳令が布かれた年だ。
そして1980年には光州事件が起きる。

日本では1960年と70年が安保の年だったが80年はどんな年だったろう。
大平首相と林家三平が死んでいる。
アメリカではジョン・レノンが。
政治的には衆参同時選挙で自民党が圧勝した年だ。
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知識として韓国の出来事は知っていたが韓国の人びとがどんな空気の中で暮らしていたかについてはほとんど考えても見なかった俺だ。
心の片隅に過去の不幸な歴史へのこだわりはあったものの、むしろさしあたって何の目的意識もなくソウルの地を踏んだ
という著者が韓国で見聞したもの、映画、小説、学生たち、演劇、何よりも朴大統領暗殺当日のソウル、戒厳令下の人びとや町の様子、、。
朴大統領の暗殺された日に著者はミシマ・ユキオ「綾の鼓」を演出して学生たちの公演をするはずだったが中止される。
著者はある学生と朴は英雄かという質問から韓国の青年たちが現在(79年)カリスマ的英雄を必要としていること、日本の若者は英雄に信頼を寄せることに始めから疲れていること、韓国の青年たちが韓国民族、韓国人であることを自分たちに常に言い聞かせておかないと納得できないように見えることなどを話す。
今の韓国の若者はどうなんだろう。

その頃女を買いに韓国にやってくる“優雅な日本人”について辛辣なエッセイ。
その末尾に
いくえもの無知と尊大さが日本人を覆い、韓国人を「親日」と「反日」の二種に分類するという愚挙を行ってきた。だが、それ以上に解決困難な感情が日本人、とりわけインテリゲンチャを支配している。やましい良心に由来する、不必要なまでの卑屈である。
と書いている。
その感情はひとつ間違うととんでもない傲慢に転じるのではないか、と俺は思う。
その方が楽だから。

映画に関した評論が力作らしいのだがその映画を観ていないのと、詩的イメージ、隠喩、に富んだ文章が俺の貧しい理解力では追いつけなかった。
崔仁浩(チェイ ノ)という大流行作家のインタビューの中で崔が
日本が経済大国であることは少しもうらやましいとは感じませんが、1950年代に溝口という監督をもっていたことはすばらしいと思います。

(三歳のときに滅亡した百済から日本に渡った山上憶良について)日本人がいくら考えても、憶良のこの悲しみというのは分析することはできないでしょう。憶良の歌を読むといつでも涙がこぼれます。とくに彼の「貧窮問答歌」は現在韓国で書かれている民衆詩と同じものだ、と思います。故国を喪失した者からでなければこうした歌は生まれてこなかったのではないでしょうか。
と語る。
韓国の詩人にとって日本語はなんだったのか 四方田犬彦「われらが<他者>なる韓国」(平凡社)_e0016828_22485028.jpg
(イクラだと思って食べていたら梅だって。俺の味覚もあてにならんね)
その崔を「あれは実に下らない。ただの才人以外の何物でもない。」といい、評価する著者にそんなバカなことを言うなら「飛行機代をやるから今から日本へ帰っちまえ!」とくさすのが金素雲だ。
日韓併合の直前(1908年)生まれの金は父が暗殺された後、14歳で下関に密航する。
疾風怒濤の日本体験後、釜山で処女詩集を出版したのが17歳、その後再び東京に来てドヤ街をめぐり、在日朝鮮人労務者の口にする民謡を採譜する。
それは全てハングルで記した700ページの「朝鮮口伝民謡集」として結実する。
それを自ら日本語抄訳したのが「朝鮮童謡選」「朝鮮民謡選」、岩波文庫に収録された。
前者は、母語の使用を禁じられた皇国臣民教育を強要された植民地朝鮮の子どもたちに向けた、悲痛にして栄光あふれる呼びかけから始まっている。
「桃太郎」の凱旋が君たちにとってこの上なく退屈であるように、君たちには君たちだけが知る心情の世界があり、その世界だけで君たちは思うさま翼を拡げて君たちの精神の高さを翔けることが出来るのだ。
大韓民国成立後、李承晩政権は親日分子として彼を追放し日本で暮らし65年にようやく故国への帰還を果たす。
その晩年の金老人を訪ねて著者は親密なつき合いをするのだ。
1981年に73歳で死ぬまでの波乱と悲憤に満ちた詩人についての三つの文章が白眉だ。
金素雲は巨大な物語そのものだった。その生涯は無数の邂逅にあふれ、事件から事件へと激しい紆余曲折に満ちていた。そして、あらゆる洪水が引いてしまったあとで、この老人は漂着物のようにこの現実へ呼び出されたかのようだった。
この後の文章もとてもいいのだが長くなるから、、。

分からないところもたくさんあるのだが、それでいて不思議に読むのが辛くない。
分からないなりに読んでいるのが快い本だった。
1987年単行本、2000年追補の上文庫化。
古本屋「貝の小鳥」で買った本。
Commented by kaorise at 2009-02-14 01:05
金さんは本物の詩人ですね、、
金さんのように人生の必然から産まれ出る作品と、作ろう作ろうと苦しんで作るものは似て非なるもの。そんなこと考えました。
私の故郷では春になると中国から黄砂が飛んできました。
高校生のころ、門司港で海をみながら下関からフェリーに乗って釜山に行ってみたいと思っていたのを思い出しました。
Commented by saheizi-inokori at 2009-02-14 07:56
kaoriseさん、彼の自伝が出ているそうです。
読んでみようかと思っています。
Commented by 旭のキューです。 at 2009-02-14 08:37 x
分からないなりに読んでいるのが快い本だった。私も探してみます。
Commented by saheizi-inokori at 2009-02-14 09:39
旭のキューです。さん、古本屋じゃないとおいてないかもしれませんよ。
Commented by takoome at 2009-02-14 12:13
サワディ〜カ〜
最近、目の前の本もおぼつかない。古本屋、あるにはあるが・・・

来月末は、いよいよ梅の季節だなぁ、さて、どぉ料理してくれよぉ、^^
Commented by saheizi-inokori at 2009-02-14 14:54
takoomeさん、タイにも梅は生るのですか。
Commented by gakis-room at 2009-02-14 15:42
「大韓民国」の読みは,濁らないで「タイカンミンコクなのか」,濁って「ダイカンミンコク」なのかは,この本の中での四方田犬彦ととと金素雲の会話だったでしょうか。確かめたくても本が見あたりません。

金素雲の子ども向けの歴史本「三韓昔がたり」は面白く読んだ記憶があります。
Commented by saheizi-inokori at 2009-02-14 16:14
gakis-roomさん、そうです。真に敬意を払うに足る大はタイと読み、ダイニッポン帝国だというのです。
Commented by きとら at 2009-02-14 19:47 x
 今日は司馬遼太郎記念館に行ってきました。書斎前は菜の花が満開でむせるようです。ミツバチが群がってました。市中なのに、どこの巣から飛んでくるんだろう?
 
 館内の売店で『座談会 日本の渡来文化』を買い、「山上憶良と万葉集」を喫茶室で読んで帰ってくると、このブログ記事です。不思議ですねぇ。
 
 (昨夜、今朝とネットにアクセスできませんでした。別ルートでアクセスしています。パソコン、どうにかなっているようです。)
Commented by saheizi-inokori at 2009-02-14 21:27
きとらさん、何度かコメントしたのですが受付拒否されました。何かおかしくなってるのでしょうね。
それほど不穏なことを書いているのでもないから検閲ではないでしょう^^。
Commented by takoome at 2009-02-14 22:19
杏です。
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by saheizi-inokori | 2009-02-13 23:08 | 今週の1冊、又は2・3冊 | Trackback | Comments(11)

ホン、よしなしごと、食べ物、散歩・・


by saheizi-inokori
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