ノーマ・フィールド「小林多喜二ー21世紀にどう読むか」(岩波新書)

「蟹工船」の作者、小林多喜二、30歳は1933年2月20日、警視庁特高ナップ係の中川成美とその部下たちによって拷問され死んだ。
3時間の拷問は情報を吐き出させるのが主眼ではない。
多喜二の苦しみを味わう時間を彼らは必要としていた、としか理解しようがない。(略)彼らは右手の人差し指を手の甲に届くまで折った。もう原稿に向かうことはあり得ないのに、わざわざ、である。
小樽高商を受験するときに間借りしていた家のお嬢さんは2005年のドキュメンタリー映画「時代(とき)を撃て・多喜二」に登場して
蠅一匹も殺せない多喜二兄さんにあんなことをした人は、どうにもならないんですか
と、心底不思議そうに言ったそうだ。
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著者はいま「文学」と考えられているもの、とくに小説はブルジョワジーの台頭とともに成立しブルジョワ的人間形成を反映し、その形成に大きな役割を担ったと云う。
豊かな内面と個人主義とは互いを前提としていて、個人の力ではどうしようもない外界、エネルギッシュで俗悪な資本主義社会からセンシティブな内面は尻込みし、疎外感に浸ることになります。ここで云う「疎外感」とは前近代的しがらみから解き放たれた個が味わえる唯一の自由の形態、つまり内面の自由です。
「世の中どうもすることが出来ない」という実感は「どうかしようと考えるべきではない」という発想に繋がっていく。
しかし、多喜二は違った。
あなた(多喜二)が確信していたのは、芸術の世界、想像と創造の世界は便利な逃げ場であると同時に、世界に立ち向かう力を養う空間でもありうる、ということです。(略)あなたの文学と運動は全く同一とはいえないけれども、理想としてはかなり重なっているはずです。そういう文学を文学として否定し、読む力を失ってしまった時代だからこそ、あらためて接近して、あなたの息づかいをつかんでみたいのです。
多喜二の生い立ちから虐殺されるまでを追いながら折々の作品を紹介して彼の思索と行動の内実を探っていく。

俺は多喜二の「蟹工船」ですら読んでいない。
だが本書に描かれる多喜二の人間性はとても魅力的である。
親しくない人間からは“孤高”と冷やかされ高校時代にはいじめの対象にすらなるような取っ付きの悪さの反面、親しい人には冗談が好きな優しいしかも真摯な男だ。
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(駒沢公園)
著者は多喜二が他のプロレタリア作家(多くはインテリゲンチャで労働者に対して豊かな感性を持ち合わせなかった)と違って、労働者ともインテリとも共感でき、また客観視出来た作家だという。
「登場人物全てがが作者によって人間として認められている」感じがする所以について
作家・高井有一は多喜二の「感じ易さ」を「人間への信頼感と言い換えてもいい」ものとして、それゆえに過酷な題材を扱った作品にも、「不思議な明るい楽天性」を与えている。
と書く。

誤ること多きさまざまな人々を公式的にとらえるのではなく、ひと角の妥当性を持った存在として生き生きと描くのには評論ではなく小説が適していた。
多喜二の運動と創作は互いを刺激して支えていた。創作はその場その場で認識される「正しい姿」に締め付けられることを拒み、運動は「正しさ」の探求を忘れさせなかった。
多喜二が地下生活者として党活動に携わる頃から「革命か芸術か」という葛藤が「革命か生活か」という問いに替ってきたのではないか、という著者の指摘はチェ・ゲバラ夫妻のことを読んだばかりだけに深く共感できた。
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母を始めとする多喜二を支えてきた人々のことがとてもうまく書いてあって、それはとりもなおさず多喜二の人柄を物語るのであるが、それだけに虐殺のクダリに肺腑をえぐられ(拷問の後が痛々しい遺体の写真も掲載されている)、その後の人びとのやったこと話したことに感動する。
露わにされた遺体のむごたらしさに、みんな思わず声を出し、顔をそむけた。しかしセキ(母)は、集まった者らに傷跡を見よ、と凄味をもって襟をかき拡げた。
「蟹工船」ブームなどは想像もしなかった頃から本書を書きはじめた著者の最後の言葉
多喜二さん。私はこころからお礼を言いたい。あなたが全身の力をふりしぼって、文学と社会変革をともに求めたことに対して、です。人はだれでも、あなたのように本気で生きてみたいと、一度は思うのではないでしょうか。そういう意味では、たとえ今のブームがつかの間のものであっても、あなたは何度もよみがえる必要があるでしょう。
俺もお礼を言わなければならない。
多喜二と、著者と、本書のことを教えて下さったmaruさんに。
どうもありがとう。
Commented by maru at 2009-02-02 07:41 x
力のこもった素晴らしい書評ですね。本書を読み終えた時の感動が蘇ってきました。ありがとうございました。
感謝すべきは小林多喜二と、彼に正面から向き合い、この愛すべき人間を描ききった著者だと思います。
今の時代閉塞を打ち破るために、一人でも多くの人にこの本が読まれる事を願っています。
Commented by convenientF at 2009-02-02 08:44
「蟹工船」を読んだのはもちろん戦後、小学校高学年か中学生の頃でした。終戦までは「禁書」でしたからね。

そして「網衆(ヤンシュウ)」や「蟹工船」の現場に詳しい父、「野麦峠」の世界に詳しい母、そして戦後日本共産党の幹部になっていた母の兄にいろいろ教わりました。

今も、特にKT政権以後、言論のタブーが増えていますね。私は臆病なので逃げていますがsaheizi-inokoriさんはお逃げにならない。偉いなぁ。
Commented by takoome at 2009-02-02 16:56 x
「本気で生きる」まだまだ甘いです。
Commented by saheizi-inokori at 2009-02-02 21:16
maru さん、ありがとう。
もう第一線も二線も退いた私ですが、少しでもやれることをやっていきたいという気持ちが湧いてきます。
Commented by saheizi-inokori at 2009-02-02 21:18
convenientFさん、この程度でタブーに触れるのでしょうか?だとすればノーマは凄く偉いなあ。
Commented by saheizi-inokori at 2009-02-02 21:19
takoome さん、完ぺきであるのは不可能だから少しでも、と思います。
Commented by antsuan at 2009-02-02 21:21
当時のソビエト連邦、アメリカ合衆国においても、そのようなリンチは珍しくなかったとは云えるのですが、思想弾圧は支配者の心のゆがみと腐敗を意味していることがわかります。
現代の国策捜査をする検察、冤罪を生産する裁判官をみると、当時とまったく変わっていないかのようです。
Commented by saheizi-inokori at 2009-02-02 22:11
antsuan、今は虐殺はしないと思いますが、まさか。
しかし捏造とか国策捜査で犠牲になると社会的には殺されるのと変わりませんね。
Commented by 佐藤三郎 at 2009-02-16 11:02 x
★「みのもんたのおもいッきりイイ!!テレビ」2月20日(金)昼11:55~で小林多喜二。

★2月24日(火)CSテレビ「朝日ニュースター」の『ニュースの深層』午後8時~55分までで、岩波新書『小林多喜二―21世紀にどう読むか』著者ノーマ・フィールドが生出演予定です。
Commented by イネ at 2009-03-07 00:11 x
この本を紹介していただいて読むことができて良かったです。
今、豊島区立熊谷守一美術館で小熊秀雄展をやっています。15日までです。小樽生まれで多喜二とほぼ同時代を生きた人。できたらぜひいらしてください。
Commented by saheizi-inokori at 2009-03-07 07:39
イネ さん、ありがとう。
時間が出来れば行ってみようかな。
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by saheizi-inokori | 2009-02-01 22:38 | 今週の1冊、又は2・3冊 | Trackback | Comments(11)

ホン、よしなしごと、食べ物、散歩・・


by saheizi-inokori