乞食を逮捕した明治の東京府 塩見鮮一郎「江戸の非人頭 車善七」(河出文庫)

穢多(エタ)・非人という差別されてきた人々。
江戸時代には世襲の非人頭や穢多頭がいて幕府の統治機構に組み入れられていた。
それなのに天保10年(1839年)に町奉行が浅草の非人頭を呼びだして、非人の定義と起源を訊ねている。
彼らも分からなくなっていたのだ。
それほど根拠なき差別だったということか。

非人頭は自分もよく分からないが「古代、京都で悲田院が作られ、飢えと寒さ、病気と貧困で苦しんでいる人たちが集められました。その人たちを悲田人と呼んでいた。それが略されて非人になったものか」と答えているそうだ。

士農工商の枠組みに入らない「山守、関守、座頭、髪結い、牢番、猿引き、筆師、陰陽師、猿楽、膠屋、壁塗り、石切り、、、」などを穢多頭の配下において、そのなかに非人も入っている。
そして非人は穢多より下の身分とされていた。
その起源すらはっきりしないのに差別の上にさらに差別の構造が作られていた。

穢多や非人は牢屋人足として役人がやりたがらない嫌な仕事を押し付けられた。
特に磔、斬首、火刑などの残虐な死刑を役人の手先になって囚人を取り押さえたり、槍を何度も突き刺したり、死体の後始末をし、さらし首の番をするなどは辛いことだった。

非人頭はそのほかに隅田川や堀の清掃なども「御公儀御用」として請け負っていたがそうすることによって乞食(日勧進)、紙くず拾いをすることが認められていて、これが結構な利権だった。
非人は生産と商いは禁じられていたから紙くずは拾うだけで漉いて再生することはできなかった。

非人は江戸に5千人(非人人別帳に記載されて非人頭の管理下にいるもの数、そのほかに野非人というアウトローもいた)ほどいて4人の非人頭が束ねていたが、その内新吉原に土地を与えられた車善七が3分の2ほどを治めていた。
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明治4年(1871)に穢多非人の解放令が出る。
警察ができ、近代刑務所が出来、彼らの出番はなくなった。
それはともかく彼らにとって大きな災厄は「乞食撲滅」の世論が起こったことだ。
ロシアの皇太子も来るんだしみっともない、何よりも乞食はかわいそうだ、行政は何をやってる!
仏教の教えからすれば喜捨を求める行為(乞食)はむしろ義務ですらあるけれど、廃仏毀釈の影響でか乞食の取り締まりが始まる。
東京府から出た通達で「乞食に米銭を与えるのはかえって当人を怠け者にするから今後一切米銭を与えてはならない。
違反したら罰金に処す。
乞食は見つけ次第逮捕する」というのだ。
派遣切りが問題になると派遣を禁じろというような発想か。
根っこを直さなきゃね。

人口の増大する都会において乞食・無宿はどうしても発生する。
その対策として車善七を頂点にした非人制度ができた。
身分制を前提にして形成されたシステムだった。

それを解体したところから新たに東京の乞食対策が始まった。
明治の東京はやがて「東京養育院」を作りそこに収容し授産事業を行う。
善七のもとにいた非人たちはあるいは養育院に雇われ、あるいは養育院に収容され、あるいはルンペンとなり、、つまるところ浮浪者の数は増えこそすれ減りはしなかった。
200年も前に非人が集められた山谷掘。
そこに又今路上生活者が集まってはいないか。
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(近所の農家の畑で)

本書は車善七がどこから来たか、非人たちのいた場所はどうなっていたか、仕事の内容、穢多頭の弾左衛門との関係、特に対立抗争の経緯などを考証しながら江戸社会の仕組みを今まで考えたことのなかった(俺は、だが)視点から解き明かしている。
専門書と云ってもよいほどの内容なのに時代小説を読むような感じで地図や図面も多くとても面白かった。
Commented by HOOP at 2009-01-31 22:43
何年かに一度行われる「選挙」によって指名される現代の非人たちは、千代田区内の一角に集められ、各種の特権を与えられるものの、常に多数の警察官および報道関係者に見張られ、人権を無視した扱いを受けます。が、大多数の国民は、それを当然のこととして差別を続けています。
Commented by antsuan at 2009-01-31 23:44
昔から、臭い物には蓋をすることしかお上は考えないのですね。
Commented by saheizi-inokori at 2009-02-01 07:08
HOOPさん、ニンピニン、ということですか?
Commented by saheizi-inokori at 2009-02-01 07:09
antsuan、おっしゃる通りですね。
みっともないから目の前から隠せ!殿のおなりだ!
Commented by 74mimi at 2009-02-01 07:50
この世からいかなる「差別」もなくなる日を夢みています。
無理な注文かしら・・・
Commented by 旭のキューです。 at 2009-02-01 09:24 x
私が同和の担当していた頃、映画を観ましたが、涙がでてきました。差別は悲しみをうみますね。
Commented by gakis-room at 2009-02-01 10:03
カムイ伝の世界を思い出しました。

「太郎が恋する頃までには」は差別の現実を浮き彫りにしています。
Commented by orangepeko at 2009-02-01 11:59 x
こんにちは。
差別っていろんな形があるのに…何故同和が代表のようになるのかしら(・・?)
所詮日本は部落社会から抜けきれないのではないかしら…
正直な所…実態は良く解りませんが、本質は押さえておきたいです…

権力体制に反抗しながら独自の権力構造を創っている不思議な世界(・・?)
>差別の上にさらに差別の構造が作られていた…これ納得(^O^)

実態もあるし、観念もあるし…(一方的で嫌な同和教育を受けました…)
でも、必要のない区別だと思っていますが…まだ根強いようですね…

時代小説・ドキュメントなどで、吉原・山谷など調べていて…
今更ですが(^^;…そこに繋がるのか!と妙に納得しましたね…
江戸時代って…いろんな意味で面白いです…
saheiziさん、いろんな事教えてくださいますね~♪
Commented by saheizi-inokori at 2009-02-01 12:44
74mimiさん、おそらくなくならないと思います。私自身にもそういう気持ちがないわけじゃない。
でも理性と愛の力で、、。
Commented by saheizi-inokori at 2009-02-01 12:47
旭のキューです。さん、悲しみと憎しみと、、差別することで自分の安心を得ようとする。
武士ももともとは下層階級で差別されていたのです。
それでなおのこと差別社会を作って安心したかったのです。
Commented by saheizi-inokori at 2009-02-01 12:51
orangepeko さん、私もたまたま本屋でこの本を手にとって読まなければ知らないことばかりでした。今度は弾左衛門のことを読んでみます。
ゲバラの日記も読みたいし今は多喜二のことを読んでるし、、。映画も行きたいし^^。
Commented by saheizi-inokori at 2009-02-01 12:52
gakis-roomさん、それは読んでないです。太郎ってまさかあの偉い方ではないでしょうね^^。
Commented by gakis-room at 2009-02-01 13:07
「太郎が恋する頃までには」はフジテレビプロデーサーの栗原美和子氏の私小説的小説(幻冬舎)です。自身と被差別部落出身社との結婚が下敷きになっています。
以下に詳しく紹介されています。
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/081106/acd0811060807002-n1.htm
Commented by convenientF at 2009-02-01 14:16
明治8年の政令で平民も苗字(姓)を持たなければならなくなったとき、曾祖父は「部落」を含む領地内のすべての平民で希望する者に自分と同じ姓を名乗ることを許しました。

その結果、私の苗字はいろいろなところで作られ、配布されている(らしい)「要注意の姓」のリストに入っています。未だに氏素性、生まれ育ち、一族の生業などを遠回しに詮索されます。

「平リーマン」の頃はその種の詮索がイヤでイヤでしばしば偽名を使いましたが、今では却って面白くなっています。

個人情報保護が厳しくなるまでは、たとえば銀行に口座を開設する際にも「世間話を装った」詰問に遭ったものです。

ブログという媒体でこの問題を正面から取り上げられたのは流石にsaheizi-inokoriさんだ、と感服しています。

次は「派遣労働の歴史」かな?って、saheizi-inokoriさんへの催促じゃありませんよ(^^;)。
Commented by saheizi-inokori at 2009-02-01 14:25
gakis-roomさん、ありがとう。
塩見の本では「猿回しが馬を守る」役だったこと。
家康の馬が怪我をしたときにエタ頭を通して猿引きをよんで直させた。猿飼頭とエタ頭、非人頭はいつも近くに住んでいたようです。
Commented by saheizi-inokori at 2009-02-01 14:34
convenientFさん、車寅次郎と云う名前はテキ屋のルーツに車姓があることを知っていて山田監督が使ったという説もあるようですね。
もっとも無法松の一生の車夫・松五郎からだという説もある。
Commented by せん at 2009-02-01 14:54 x
少し前の私の地元の地方新聞に、「箱廻し」という被差別部落の芸能を復興させた女性の記事が載っていました。
木偶の入った木箱を天秤棒で担ぎ、正月などに家々を廻り、門付け芸「三番叟まわし」などを上演して一家の幸運を祈るのです。
この箱回しを復興させてのは、41歳の女性を中心とする被差別部落出身の女たち。
男たちが差別を恐れてひた隠しにしてきたものを、女たちが再び光を当てたのです。
現金収入が乏しかった時代の彼等にとって、卑しい生業は生きるための糧であったのです。
昔も今も、女は強し!
この世から差別を無くするのは難しいことではあるけれど、各自が差別をすることが恥ずかしいと感じるモラルを身につけた時代に、一日もはやくなってほしい。

Commented by saheizi-inokori at 2009-02-01 15:13
せんさん、歌舞伎とか能などは今やいい育ちの代表みたいなものです。
差別されるのもするのも、またいい血筋だからと意味もなく持て囃すのもイヤですね。
実績も定見も未知の世襲議員を選ぶのも裏返しの差別意識かもしれない。
Commented by kaorise at 2009-02-01 15:21
私の子供の頃、同和の問題や朝鮮人差別の問題が活発でした。
差別発言をした大人が運動をしている組織の人に呼び出されて「つるし上げ」に会うとか、そういう話が多くてすさんでた。
顔の広い父になんとかしてくれと泣きついてくる人もいました。
私たち子供はそんなこと聞かされなければ、みんな同じと思ってたのに、とも思いましたが、それは私の父母が在日の人や同和の人など関係なく困った時は人は助け合わなければならない、という長屋感覚で生きてきたから、私には差別がわからなかったのでしょう。
もし、大人が出自をあれこれ言う家庭に育ったら、私も進んで人を出自で差別する人になっていたかもしれません。
そう考えると恐ろしいです。


Commented by saheizi-inokori at 2009-02-01 15:38
kaoriseさん、白人が黄色人種を差別し、その中で又差別の連鎖が幾重にもある。
知らないよりは知るべきだと思います。
まず知って恥いることから始めないと。
障害者に対する差別も同じだと思う。
Commented by 高麗山 at 2009-02-01 21:40 x
’01~’03年位にかけての、タロウ君のヒロム君虐めは夙に有名です。  後年は。ヒロム君も話を蒸しかえして反論を展開しました。
Commented by saheizi-inokori at 2009-02-01 22:42
高麗山さん、今朝テレビでヒロム君を見ました。
なんだかまともな人、ちゃんと喋るじゃん、という感じで懐かしくなりました。どんどん政治家が劣化しているのですね。
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by saheizi-inokori | 2009-01-31 22:13 | 今週の1冊、又は2・3冊 | Trackback | Comments(22)

ホン、よしなしごと、食べ物、散歩・・


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