左翼とアメリカはシャム双生児? 佐伯啓思「自由と民主主義をもうやめる」(幻冬舎新書)
2008年 12月 26日
第二次大戦と冷戦における自由と民主主義の勝利は、世界を20世紀初めの状態に戻した。
それどころかかつてないほどに自由や民主主義や市場経済を礼賛し、謳歌し、世界をそれで埋め尽くそうとした。

それがグローバリズムだ。
市場経済だけではなく、政治、思想、あらゆる面で世界に民主主義と自由や人権の観念を植えつけてグローバルな市民社会を実現する。
その中心がアメリカだった。
日本に「年次改革要望書」を突きつけ郵政民営化から司法制度の改革さらには許可すべき医薬品のリストに至るまで細部の実行状況をアメリカ国会に報告した様子は「拒否できない日本」や「国富消尽」を紹介した通りだが、そのことが日本をグローバリズムの中に巻き込んだ。
イラク戦争に際して「日本はアメリカと価値観を共有しているから、真の同盟だ」と云った“保守派”たち(著者は彼らは本来の保守派ではなく親米派に過ぎないという)。
しかし、多幸症とでもいうべきアメリカの心胆を寒からしめたのは9・11テロであり今回の金融危機だ。
世界が決して平和ではないし、命を懸けてまで守ろうとする価値観〈自由と民主主義ではない!)を持った人々がいること。
市場の自由に委ねていれば繁栄は保障されると信じ込み喧伝もしてきた経済が国のありようを激変するような状況になってしまった。
起きてみれば当たり前のことが目の前に突きつけられて、アメリカは確かな価値の喪失を認識せざるを得ない。
ヨーロッパ、とくにイギリスはしたたかだ。
自由とか民主主義について腹の底では信用していない。
人間の理性に信を置き、世界が進歩し続けるというアメリカの思想=進歩主義(左翼思想と根底は同じ)には懐疑的だ。
自らの伝統とか歴史に基づいて考えるのが彼らの流儀=保守主義だ。
それこそ本当の保守派だ。

(今年の思い出①沖縄・3月)
自分が生きていくことだけが唯一の価値、生命至上主義になるのは一種のニヒリズム。
日本もそうなりつつあるのではないか。
20世紀初頭、ニーチエ、シュペングラー、オルテガたちが文明の没落、価値観の崩壊を予言した世界がいよいよ目の前に到来しているかのようだ。
日本はこのままで良いのか?
戦後のアメリカ的価値観を絶対視した進歩主義・民主主義はこれからも信頼していって力になるのか。
アメリカとの思想的決別なくして日本の再生はないのではないか。
イギリスの保守派に学び、日本古来の独自思想に回帰すべきではないか。

(今年の思い出②小淵沢・5月)
著者の東京裁判見直しとか散華=「滅びの美学」=「無の哲学」などの言葉をみると、いうところの保守反動、いつもの右翼的愛国者かとレッテルを貼って毛嫌いをする人もあるだろう。
俺も”戦後の子”だけに自分の精神的な心棒を壊されるのじゃないかと警戒しながら読んだ。
良く分からない部分もある。
だが、著者の言いたいのは、むしろ親米=保守=愛国とか左翼=反米などというレッテル張りでやってきた日本人にもう一度保守という言葉の意味、自由・民主主義の価値などについて考えてみてくれということのようだ。
日本精神かァ。

(「碁泥」、国立演芸場)
先日書いた談春の「文七元結」で長兵衛が文七の生命を惜しんで吐くセリフが聴衆の胸を打つってのもニヒリズムの影があるのかもな。
健やかな世界だったらもっとからっと江戸っ子の”いい加減な・その場しのぎの”蛮勇を笑うっていうようなものかもしれねえなあ。
落語にのめりこんで底に流れる価値観を探るなんてあまり健康的じゃないってか。
でも面白いんだもの。
冨を実現し、人々の欲望を解放することが、社会の規律を衰弱させる。秩序を維持しようという人間の意志を麻痺させてゆく。市民社会の道徳や正義に確かな根拠を与えられなくなる。人々から本当の意味での使命感、いきいきとした生の意識を奪っていく。それなのに90年代の世界は、そのことに対する自覚が乏しかった。
すなわちニヒリズムへの回帰です。「全体主義と自由・民主主義の戦い」という了解によって隠されていた20世紀の基本的な課題が再びわれわれの前に現れた、、
それどころかかつてないほどに自由や民主主義や市場経済を礼賛し、謳歌し、世界をそれで埋め尽くそうとした。

それがグローバリズムだ。
市場経済だけではなく、政治、思想、あらゆる面で世界に民主主義と自由や人権の観念を植えつけてグローバルな市民社会を実現する。
その中心がアメリカだった。
日本に「年次改革要望書」を突きつけ郵政民営化から司法制度の改革さらには許可すべき医薬品のリストに至るまで細部の実行状況をアメリカ国会に報告した様子は「拒否できない日本」や「国富消尽」を紹介した通りだが、そのことが日本をグローバリズムの中に巻き込んだ。
イラク戦争に際して「日本はアメリカと価値観を共有しているから、真の同盟だ」と云った“保守派”たち(著者は彼らは本来の保守派ではなく親米派に過ぎないという)。
しかし、多幸症とでもいうべきアメリカの心胆を寒からしめたのは9・11テロであり今回の金融危機だ。
世界が決して平和ではないし、命を懸けてまで守ろうとする価値観〈自由と民主主義ではない!)を持った人々がいること。
市場の自由に委ねていれば繁栄は保障されると信じ込み喧伝もしてきた経済が国のありようを激変するような状況になってしまった。
起きてみれば当たり前のことが目の前に突きつけられて、アメリカは確かな価値の喪失を認識せざるを得ない。
ヨーロッパ、とくにイギリスはしたたかだ。
自由とか民主主義について腹の底では信用していない。
人間の理性に信を置き、世界が進歩し続けるというアメリカの思想=進歩主義(左翼思想と根底は同じ)には懐疑的だ。
自らの伝統とか歴史に基づいて考えるのが彼らの流儀=保守主義だ。
それこそ本当の保守派だ。

自分が生きていくことだけが唯一の価値、生命至上主義になるのは一種のニヒリズム。
日本もそうなりつつあるのではないか。
20世紀初頭、ニーチエ、シュペングラー、オルテガたちが文明の没落、価値観の崩壊を予言した世界がいよいよ目の前に到来しているかのようだ。
日本はこのままで良いのか?
戦後のアメリカ的価値観を絶対視した進歩主義・民主主義はこれからも信頼していって力になるのか。
アメリカとの思想的決別なくして日本の再生はないのではないか。
イギリスの保守派に学び、日本古来の独自思想に回帰すべきではないか。

著者の東京裁判見直しとか散華=「滅びの美学」=「無の哲学」などの言葉をみると、いうところの保守反動、いつもの右翼的愛国者かとレッテルを貼って毛嫌いをする人もあるだろう。
俺も”戦後の子”だけに自分の精神的な心棒を壊されるのじゃないかと警戒しながら読んだ。
良く分からない部分もある。
だが、著者の言いたいのは、むしろ親米=保守=愛国とか左翼=反米などというレッテル張りでやってきた日本人にもう一度保守という言葉の意味、自由・民主主義の価値などについて考えてみてくれということのようだ。
「自由主義や民主主義をやめる、などとんでもない」と思っている人に読んでもらいたいのです。嗚呼、それにしても憂鬱だなあ。
日本精神かァ。

先日書いた談春の「文七元結」で長兵衛が文七の生命を惜しんで吐くセリフが聴衆の胸を打つってのもニヒリズムの影があるのかもな。
健やかな世界だったらもっとからっと江戸っ子の”いい加減な・その場しのぎの”蛮勇を笑うっていうようなものかもしれねえなあ。
落語にのめりこんで底に流れる価値観を探るなんてあまり健康的じゃないってか。
でも面白いんだもの。

タイトル : ミニー・ザ・無ー茶!
日本中のデパート、スーパーなどの小売店が悲鳴を上げている一方でネット通販の売上げが絶好調だそうです。テレビ・コマーシャルの世界でも以前の主役のほとんどが消えてしまったようですが通販業者は相変わらず、いや一層盛大にやってます。そして正月が近づいた今は「カニカニカニ」....いつ、どこで獲れたのか、もしかするとソビエト連邦時代に水揚げされ、輸入されたものかもしれないカニを朝から晩まで売り込んでいます。 どういった人々が注文するのか、冬場は来る日も来る日もブリとズワイガニを食べさせられて育った私には想像で...... more
日本中のデパート、スーパーなどの小売店が悲鳴を上げている一方でネット通販の売上げが絶好調だそうです。テレビ・コマーシャルの世界でも以前の主役のほとんどが消えてしまったようですが通販業者は相変わらず、いや一層盛大にやってます。そして正月が近づいた今は「カニカニカニ」....いつ、どこで獲れたのか、もしかするとソビエト連邦時代に水揚げされ、輸入されたものかもしれないカニを朝から晩まで売り込んでいます。 どういった人々が注文するのか、冬場は来る日も来る日もブリとズワイガニを食べさせられて育った私には想像で...... more

タイトル : 個人として?
従業員の首切りの増勢は加速しています。 総数については、数字の出所や「住所不定」の人々を含むかどうかが報道ではハッキリしませんので触れません。官庁やマスメディアの口癖に従うならば「戦後最高」になるでしょうが、何でもかんでも「戦後最高」と表現するところに無神経さが現れていると思いませんか。大抵の統計数値は「史上最高」なのに.... 自動車関連産業が集中している某地方では「暴動」と呼んでもいいようなデモが起きているのを目撃したので確認したい、という外国人の友人からの依頼がありましたが、日本メディア...... more
従業員の首切りの増勢は加速しています。 総数については、数字の出所や「住所不定」の人々を含むかどうかが報道ではハッキリしませんので触れません。官庁やマスメディアの口癖に従うならば「戦後最高」になるでしょうが、何でもかんでも「戦後最高」と表現するところに無神経さが現れていると思いませんか。大抵の統計数値は「史上最高」なのに.... 自動車関連産業が集中している某地方では「暴動」と呼んでもいいようなデモが起きているのを目撃したので確認したい、という外国人の友人からの依頼がありましたが、日本メディア...... more

タイトル : 本、保守の行方
自由と民主主義をもうやめる楽天ブックス 保守はながらく、日米同盟堅持の親米とみなされていた。軍事、安全保障に関わるので、真正面からのアメリカ批判はしない、そういう暗黙の了解があると信じられていた。 日本の自立、属国化(敗戦の呪縛)からの脱却を主張する保...... more
自由と民主主義をもうやめる楽天ブックス 保守はながらく、日米同盟堅持の親米とみなされていた。軍事、安全保障に関わるので、真正面からのアメリカ批判はしない、そういう暗黙の了解があると信じられていた。 日本の自立、属国化(敗戦の呪縛)からの脱却を主張する保...... more
鈴木大拙の東洋的見かたと考えれば、そんなに憂鬱にはならないと思いますが。
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>「自由主義や民主主義をやめる、などとんでもない」と思っている人に読んでもらいたいのです。
折角ですが、読む気がしませんねぇ。
ちょうど、和田宏『司馬遼太郎という人』を読んでいるのですが、
「日本の文化に誇りを持つのはいい。しかし思い上がって、西洋文明や中国文明に張り合おうと試みた人は、結局は追い詰められて、神がかりな国粋主義にいかざるをえなくなる」とありました。
司馬遼太郎に、読むのをやめろ、と言われているみたいです。(笑)
折角ですが、読む気がしませんねぇ。
ちょうど、和田宏『司馬遼太郎という人』を読んでいるのですが、
「日本の文化に誇りを持つのはいい。しかし思い上がって、西洋文明や中国文明に張り合おうと試みた人は、結局は追い詰められて、神がかりな国粋主義にいかざるをえなくなる」とありました。
司馬遼太郎に、読むのをやめろ、と言われているみたいです。(笑)
「宵越しの銭は持たねえ」
「お天道さまと米の飯はついて回らー」
「若いが二度ある物でなしと知りながら道楽せぬとはあほうの頭取」
落語的日本古来の独自思想というと、こんなところでしょうか。
世界に誇れる文化かどうかはさておいて、私は好きです。
「お天道さまと米の飯はついて回らー」
「若いが二度ある物でなしと知りながら道楽せぬとはあほうの頭取」
落語的日本古来の独自思想というと、こんなところでしょうか。
世界に誇れる文化かどうかはさておいて、私は好きです。
antsuanさん、海ゆかばみづく屍、、が散華の精神だと云うのですが、分からなくはないが私にはそういう精神はないものだから。
戦後の子なんです。
戦後の子なんです。
sweetmitsukiさん、かくて今日も私は落語を聴きに行くのです。
くしゃみが止まらないんだけど。
くしゃみが止まらないんだけど。

落語にのめりこんで底に流れる価値観を探るなんてあまり健康的じゃないってか。
でも面白いんだもの。で笑いました。
でも面白いんだもの。で笑いました。
自由と民主主義をもうやめる・・・と聞いたら、あら共産主義はいやだと反応してしまいました。
そいうわけでもないのですね。保守を考えて今後どうあるべきかをですか。田母神論文とは全然違うのでしょうが、衝撃的な題名の本ですね。
そいうわけでもないのですね。保守を考えて今後どうあるべきかをですか。田母神論文とは全然違うのでしょうが、衝撃的な題名の本ですね。
いろいろ考えさせられるところの多い文章ですね。
単純に考えるのは好きですが、広い分析が必要です。
人間はもっとごちゃごちゃした泥臭い生き物ですよ。
<自分が生きていくことだけが唯一の価値、生命至上主義>
自己の存在だけを主張する限りそうなるかもしれません。
そうでない自由を求めることも考えて生きたいですね。
今日もスマイル
単純に考えるのは好きですが、広い分析が必要です。
人間はもっとごちゃごちゃした泥臭い生き物ですよ。
<自分が生きていくことだけが唯一の価値、生命至上主義>
自己の存在だけを主張する限りそうなるかもしれません。
そうでない自由を求めることも考えて生きたいですね。
今日もスマイル
旭のキューです。さん、ありがとう。
笑っているとどうにか日々が過ぎていきます。
笑っているとどうにか日々が過ぎていきます。
kawazukiyoshiさん、命が脅かされているような状況では生命至上主義もあり得るかもしれませんが飽食の時代にそれは不健康ですね。
どういう自由を求めて生きるかが問われるのだと思います。
そのときアメリカ的(サヨク的)進歩主義に限界があるということなのだと思います。
どういう自由を求めて生きるかが問われるのだと思います。
そのときアメリカ的(サヨク的)進歩主義に限界があるということなのだと思います。
by saheizi-inokori
| 2008-12-26 22:36
| 今週の1冊、又は2・3冊
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