自らを戦犯とし贖罪した作家・林芙美子 こまつ座「太鼓たたいて笛ふいて」
2008年 12月 14日
井上ひさし・原作の世評の高いこまつ座の切符を取ることができた。
大竹しのぶが林芙美子に扮して熱演、木場勝己がレコード会社の文芸部員から戦時中は内閣情報部、戦後はラジオ放送局のプロデューサーと常に時代の“物語”にノッテ要領よく生きる男を嫌味なく好演。
梅沢昌代が大声で笑い、かつ、見物を笑わせる芙美子の豪快な母親・キク役で、俺は一番良かった。
芙美子が“緩慢な自殺”をして早世したあと「この子は思い残すことなくやりたいことをやって死んだんだから私たちが勝手に悲しむのはよくない」と気丈に言ってはみたものの白布に包まれた骨箱を抱いて納骨に立ち上がる時の背中が丸くなった姿は何とも言えない悲しみに満ちていて、その場面だけ観て涙していれば、この芝居はそれでいいほどの演技だった。

「放浪記」で売った後“貧乏・苦労話ばかり”と云われ、自信を持って書いた「泣蟲小僧」が重版禁止になる理由が”時代の物語”にそっていないからだと木場扮する三木に諭される。
昭和10年頃の物語とは
公には口に出さないがひそかにオエラガタが描く日清日露と続いてきた物語。
頭の中にある物語を原稿用紙に書いて初めて生きていける作家、苦難からはいあがった芙美子は書いて母との暮らしを維持していかなければならない。
芙美子は従軍作家として兵隊賛美の物語を描き続ける。
戦地で芙美子は自分が信じていた物語のウソに気づく。
「早くきれいに負けることが大事だ」と発言して非国民として警察の監視下に置かれるが敗戦を迎え縛につくことは免れる。

戦後の芙美子は自分の叩いた太鼓とふいた笛のために戦地に送られ戦死した夫、遺された家族、傷痍軍人として帰還した者などの苦難を書きまくる。
そうすることがせめてもの贖罪であると、書きまくることが心臓の病気を悪化させ命を縮めていることを承知しながら書きまくる。
そして死ぬ。
島崎藤村に男女の関係を結ばされた姪・こま子(神野三鈴)が芙美子母子の家に住み込んで、とくにキクの好い世話役になる。
革命家として地下活動もした彼女は孤児の「ひとりじゃない園」を創るという役柄、事実はどうだったのか知らないが、キクとともに時代の狂気を冷静に見つめる、不思議な役だ。
かつて尾道でキクとともに行商をしていたという若者が上京、ひとり(山崎一)は大連で憲兵になった後、警視庁刑事となって軍国主義のお先棒を担ぐ。
もう一人(阿南健治)は遠野で百姓になり、出征してレイテで戦死と伝えられるが実際は生きて帰国すると、夫が死んだと思った愛妻は既に別の男と結婚している。
遠野物語を語るような方言で自らの悲劇を笑い話にしてのける場面も泣かせどころだった。

(駒沢公園で)
テーマは難しくない、いかにも井上節だが、6人の登場人物がそれぞれ個性的で嫌な役柄になった山崎などもどこか人間味があって、深刻で暗いはずの舞台に温かみを感じさせた。
笑いを基本に据えた演出が成功している。
音楽劇(宇野誠一郎)、朴勝哲のピアノで歌い、その歌がストーリー展開に絡む。
木場の歌はよかった。
紀伊國屋サザンシアター
大竹しのぶが林芙美子に扮して熱演、木場勝己がレコード会社の文芸部員から戦時中は内閣情報部、戦後はラジオ放送局のプロデューサーと常に時代の“物語”にノッテ要領よく生きる男を嫌味なく好演。
梅沢昌代が大声で笑い、かつ、見物を笑わせる芙美子の豪快な母親・キク役で、俺は一番良かった。
芙美子が“緩慢な自殺”をして早世したあと「この子は思い残すことなくやりたいことをやって死んだんだから私たちが勝手に悲しむのはよくない」と気丈に言ってはみたものの白布に包まれた骨箱を抱いて納骨に立ち上がる時の背中が丸くなった姿は何とも言えない悲しみに満ちていて、その場面だけ観て涙していれば、この芝居はそれでいいほどの演技だった。

「放浪記」で売った後“貧乏・苦労話ばかり”と云われ、自信を持って書いた「泣蟲小僧」が重版禁止になる理由が”時代の物語”にそっていないからだと木場扮する三木に諭される。
昭和10年頃の物語とは
いくさは儲かる。いくさは楽しい。という物語だ。
公には口に出さないがひそかにオエラガタが描く日清日露と続いてきた物語。
頭の中にある物語を原稿用紙に書いて初めて生きていける作家、苦難からはいあがった芙美子は書いて母との暮らしを維持していかなければならない。
芙美子は従軍作家として兵隊賛美の物語を描き続ける。
太鼓叩いて笛ふいたのだ。
戦地で芙美子は自分が信じていた物語のウソに気づく。
「早くきれいに負けることが大事だ」と発言して非国民として警察の監視下に置かれるが敗戦を迎え縛につくことは免れる。

戦後の芙美子は自分の叩いた太鼓とふいた笛のために戦地に送られ戦死した夫、遺された家族、傷痍軍人として帰還した者などの苦難を書きまくる。
そうすることがせめてもの贖罪であると、書きまくることが心臓の病気を悪化させ命を縮めていることを承知しながら書きまくる。
そして死ぬ。
島崎藤村に男女の関係を結ばされた姪・こま子(神野三鈴)が芙美子母子の家に住み込んで、とくにキクの好い世話役になる。
革命家として地下活動もした彼女は孤児の「ひとりじゃない園」を創るという役柄、事実はどうだったのか知らないが、キクとともに時代の狂気を冷静に見つめる、不思議な役だ。
かつて尾道でキクとともに行商をしていたという若者が上京、ひとり(山崎一)は大連で憲兵になった後、警視庁刑事となって軍国主義のお先棒を担ぐ。
もう一人(阿南健治)は遠野で百姓になり、出征してレイテで戦死と伝えられるが実際は生きて帰国すると、夫が死んだと思った愛妻は既に別の男と結婚している。
遠野物語を語るような方言で自らの悲劇を笑い話にしてのける場面も泣かせどころだった。

テーマは難しくない、いかにも井上節だが、6人の登場人物がそれぞれ個性的で嫌な役柄になった山崎などもどこか人間味があって、深刻で暗いはずの舞台に温かみを感じさせた。
笑いを基本に据えた演出が成功している。
音楽劇(宇野誠一郎)、朴勝哲のピアノで歌い、その歌がストーリー展開に絡む。
木場の歌はよかった。
紀伊國屋サザンシアター

タイトル : 井上ひさし『太鼓たたいて笛ふいて』(新潮文庫)
林芙美子といえば『放浪記』である。映画でも舞台でも観た。小説も部分的には読んだと思う。「貧乏を売り物にする素人小説家」と言われたそうだから芸術的には水準の高い作品ではないのかも知れない。とにかく、あまり記憶に残っていない。 『太鼓たたいて笛ふいて....... more
林芙美子といえば『放浪記』である。映画でも舞台でも観た。小説も部分的には読んだと思う。「貧乏を売り物にする素人小説家」と言われたそうだから芸術的には水準の高い作品ではないのかも知れない。とにかく、あまり記憶に残っていない。 『太鼓たたいて笛ふいて....... more
概して林芙美子の評判はよろしくないのですが、井上ひさしの捉え方は優しいですね。
佐高信『酒は涙かため息か』を読み終えたところです。あの時代、芸術に携わる者ほとんどすべてが戦争に協力したのではないですか。
佐高信『酒は涙かため息か』を読み終えたところです。あの時代、芸術に携わる者ほとんどすべてが戦争に協力したのではないですか。
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きとら さん、この戯曲は芙美子の史実とのかかわりがどうなのかは私にはわかりません。
ある作家の物語としてあの時代とそこに生きる知識人の苦悩として読んでもいいように思いました。
ある作家の物語としてあの時代とそこに生きる知識人の苦悩として読んでもいいように思いました。
こんなお芝居見たいけれど、全然行かれません。
↓巣鴨は・・・都民だった頃は交通費ただなので、よく買い物に行きました。おばあさんの肌着や、洋服が安い。
マグロ丼を食べてちょっとがっかりした事がありますが、この定食なら食べに行きたいです。でも電車賃がコワイ。
饅頭笠かぶって座っているお地蔵様、あの笠ちょっと大きすぎませんか?いつもそう思うのですが。
↓巣鴨は・・・都民だった頃は交通費ただなので、よく買い物に行きました。おばあさんの肌着や、洋服が安い。
マグロ丼を食べてちょっとがっかりした事がありますが、この定食なら食べに行きたいです。でも電車賃がコワイ。
饅頭笠かぶって座っているお地蔵様、あの笠ちょっと大きすぎませんか?いつもそう思うのですが。
hisako-baabaさん、でも雨が降ったらこれでもぬれてしまいますね。
重かったろうなあ。
重かったろうなあ。
そうなんですか、私は背景も知らないので、舞台を見てみたいですね。楽しそうですし・・・
井上ひさしと渥美清って確か浅草辺りで接点が会ったと思うのですが、庶民の目で見る表現も同じような気がします。
nariさん、井上ひさしは方言を上手に活かしますね。
antsuan、西欧列強の圧制から解放してあげるンだと云いながら占領後も独立を許さず、あまつさえ日本語を押し付ける日本軍のことを芙美子はなじるのです。
なかなか迫力がありました。
大竹しのぶって始めてみましたが。
なかなか迫力がありました。
大竹しのぶって始めてみましたが。
林芙美子、好きな作家です。放浪記面白かったなあ〜
私の田舎が北九州だからか、芙美子さんの歌碑もあったし、、魚と風琴の街なんて小説はなんだか懐かしい空気でいいなあと思いました。
あの時代に女流作家でやっていくのは、想像できないような精神的プレッシャーがあったのではないでしょうか。
彼女のいいとこはダサいくらい正直なとこで、その正直さが正義感や情熱につながるところが、ああ、九州あたりの血だなあって共感します。
私の田舎が北九州だからか、芙美子さんの歌碑もあったし、、魚と風琴の街なんて小説はなんだか懐かしい空気でいいなあと思いました。
あの時代に女流作家でやっていくのは、想像できないような精神的プレッシャーがあったのではないでしょうか。
彼女のいいとこはダサいくらい正直なとこで、その正直さが正義感や情熱につながるところが、ああ、九州あたりの血だなあって共感します。
kaoriseさん、ダサイくらい正直なところ、底抜けの明るさ、それがプレッシャーの元でもあり、プレッシャーを跳ね返す力にもなったのかもしれません。
芝居でみると親子がそういう雰囲気を作っています。いい親子です。
芝居でみると親子がそういう雰囲気を作っています。いい親子です。

先日203高地見てきました。日本とロシア5万人の軍人が亡くなったそうです。戦争の惨さを感じた次第でした。
高校時代に浮雲だったかを読みましたが屋久島と埼玉の鷺宮が舞台で灰色の色彩しかなくての印象が有りますが読みきれなかったのでしょう。読みこなせなかった文庫本は沢山有ります。
旭のキューです。さん、日露戦争の頃は現代の戦争からみたらのんびりしてます。
イラクでははるかに多くの非戦闘員が殺されています。
イラクでははるかに多くの非戦闘員が殺されています。
散歩好き さん、私も同じ、積読が山に。
by saheizi-inokori
| 2008-12-14 22:32
| 能・芝居・音楽
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