過ちを認めるに憚ることなかれ
2008年 11月 18日
勇気がいることかもしれないが尊敬できる態度だ。
子育てなんてろくにできなかった俺だが子どもたちにはそういう人間に育って欲しかった。
たとえ動機において間違っていなかったかもしれないけれど、自分のしたことで多くの人が傷つき人生をめちゃくちゃにされてしまったとする。
私は貝になりたい!と、ごくごく普通の市民にこう言わせるほどに。
それはやはりどこか自分が間違っていたのかもしれない。
少なくともそのことについては謝るべきじゃないか。
もともと、そういう市民を守ることが目的で起こした戦争だったはず(大義名分は)なのに目的を達するどころか塗炭の苦しみの末に独立の維持すらできず保護領に等しい扱いを受け続けているんだから。
俺たちの家族だから、俺たちの会社だから、俺たちの国だから、、そう考えるならどうしてもう一歩、俺たちの世界、俺たちの地球と考えられないのか?
会社生活でもしばしば経験した、身びいきと不公平な、いや公正を欠いた物の見方。
嫌いな奴のやることは認めまい。教育を受けるということは物事を客観的にみて、たとえ都合の悪いことでも自分たちが悪かったらそれを認めるということのはずなのになあ。
主流派に膝を曲げているやつは少々ダメでも救ってやろう。
仲間のことは大目に見よう。、、、
そういうのを馬鹿正直って言うんですよ。すみませんですよ~、ツムジ曲がりで。
マゾですか、あなたは?
又始まった、梟美学!
そういえば映画「レッドクリフ」では農民の水牛を奪った兵隊がいるという訴えがあって、それを大将が兵隊たちに言うと、口々に「それは我々の恥だ、許せない!」の叫びがあがりましたよ。
三国志の話、大昔のしかもフイクション、でも見ていて気持ちがよかったぜ。
間違いを認め、改善していける前向きな心なくしては良い環境は作れませんよね。
日頃は身内びいきして不公平して贅沢して、なのにヒューマニストぶって
ラブだのピースだのを語る男のツラなんかみたくもないわ!
って少なくとも私は思ってますわ。
ドウセ戦争なんて人ごとだ見たいな気楽な”危機感”がきになります。
会社などの身の回りのことと国レベルのこととは別問題と言う人がいます。
私にはそう思えないのです。同じ根っこがあるように思えます。
身内だと許しあう。企業同士だと許しあう。角を立てたくないと言う心理もあるのでしょう。
定額給付金などもさすがに変だと思っている自民党議員は多いと思います。
しかし、なんとなくズルズルと引っ張られて2兆円もの金を使うことになってしまった。
軍部の独走なんかも似たような経過があったように感じますよ。
でもそれを気にしていると言うべき事を言えなくなってしまうような気がします。
出来るだけ不必要な摩擦は避けたいけれど。
中国にあった石井細菌部隊の上層部の研究者は米軍との取引で戦後大学教授になったり役所のお偉いさんになったりしたそうです。
庶民と上流階級は違うようです。
確かに平時でも悪い奴はいるし善人がとんでもない目に会うこともあるけれど、戦争の場合は度外れているように思います。
命が消耗品、命をより多く奪った方が立派だというわけですから。
間違えて全文削除してしまいました。
ホントにこういう床屋か銭湯で気炎をあげている程度の男がこともあろうにトップについていることは驚くばかりか恐ろしいです。
氷山の一角でしょうから。
国民の中にもなんとなく好いことを云ったという受け取り方があるのも怖い。
世界史を勉強しないで大学に入ることが話題になったことがありますね。
ナチスもその内アフリカ諸国の独立を助けたなどと評価する手合いが出てくるかもしれません。
反省しなくてはなりません。