沖縄人による奄美人の差別 「沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史」(2)
2008年 11月 05日
冷戦の激化、朝鮮半島の情勢変化などはアメリカの沖縄統治の意義を激変させた。
従来、トカラ列島から八重山諸島を含む”琉球弧”を比較的穏やかに占領する方針から沖縄を基地の島として恒常的に利用するハードな軍事戦略に切り替わった。
こうした観点からは山地が多く基地建設に向かない奄美群島はアメリカにとって“お荷物”でしかない。
さらに本土復帰運動が先行していた奄美の反米勢力の影響を沖縄に及ばないようにする分断政策の必要もあった。
奄美には1947年の時点で非合法の共産党が生まれ52年には軍政下で初のストライキを指揮していた。
”奄美のガンジー”として有名な泉芳朗の指揮した120時間の「断食祈願」(軍政府が取った食料価格3倍値上げに反対し本土早期復帰を願う)には大島の児童・生徒のほぼ全員が参加、98・8パーセントの島民が嘆願署名をしたのだ。
大正から昭和にかけて沖縄に有毒なソテツで飢えをしのぐ”ソテツ地獄”の生活困窮が見られたが奄美ではソテツからでんぷんを採って粥を作るのは当たり前だった。
そういう状態で奄美を鹿児島県に復帰させたのは1953年12月25日(沖縄返還の20年前)、“ビッグなクリスマスプレゼント”などと云われた。
しかしそれは実際は奄美の人々にとって一層の地獄の始まりでもあった。
軍政下、“異国“日本への渡航は密航扱い、一方で基地建設ラッシュの沖縄は奄美住民の願ってもない働き口だった。
アメリカにとっても安い労働力をかりだすための奄美占領という側面もあった。
奄美復帰直後、沖縄の人口約70万人に対し、奄美からの流入は1割の7万人くらいと推定される。
それらの奄美の人びとは琉球列島米国民政府から“外人登録”が義務付けられた。
指紋を押捺した外人登録証を常時携帯する。
公職追放、参政権、土地所有権、公務員試験受験資格、国費留学受験資格、、はく奪はく奪ハクダツ!
税金だけは琉球人なみに徴収される。
アメリカの指令の背後に沖縄の人びとの陳情があった。
成績優秀な奄美人が俺たちの職場を奪っている!
立法院議長、琉球銀行総裁、電電公社総裁、復興金融公庫総裁、いずれも奄美の人は即刻解任追放される。
奄美の人びとはまともな仕事につけなくなり安定した生活も出来ない。
まともな仕事についていても給与の格差が指示された。
ヤクザやその日暮らしの日雇い、女性は売春婦になる人も多かった。
大島ドッコイ、沖縄の人が奄美の人を蔑んで差別した呼び方だ。
当時の沖縄タイムスなどはそういうアメリカの措置をむしろ評価している。
犯罪と云えば大島人、パンパンと云えば大島人と云われる在沖奄美人の同郷人の結束を呼び掛ける「郷友会」結成の趣意書に書かれた言葉、新聞報道が差別意識を煽っていたことに対するいらだち。
他人事じゃない。
戦前から「琉球人と朝鮮人はお断り」という貼り紙がしてあったと云う大阪の下宿やの話、沖縄の人びとが大正区に密集して暮らすようになった裏には本土の人びとによる差別がある。
1903年、天王寺で開かれた内国勧業博覧会には、アイヌ人、ジャワ人、台湾先住民族などとともに、琉球人が「学術人類館」の生きた標本として出展された。
沖縄独特の姓をからかわれて改姓した人もいる。
戦前、皇民化教育と称して「方言札」をぶらさげさせて沖縄方言を矯正させ沖縄伝統芸能に引け目を感じさせる文化政策を取った。
われわれは沖縄の島唄を歌い聴くとき、アメリカ世の残響や、その底流で奏でられる大阪ウチナンチュウーのたくましくも物悲しい旋律に耳をすまさなければならない。佐野はまたもや“説く”。説かざるを得ない。
アメリカで今日起きるだろう“奇跡”がこうした“差別”を世界からなくすための偉大な一歩になることをワクワクしながら待っています。
数秒前、各テレビ局が一斉に「勝負あり!」と報じました。 残る課題はオバマの生命の安全! いろいろ条件はあるでしょうが「金融市場崩壊」が「神風」になってことは否めないでしょう。 さて麻生君、どうしようか。... more
奇跡ではなく必然であって欲しかったのですが、それはともかくとして大きな前進ですね。
人間を信じれば必然というべきかも。
単にヒューマニズムの勝利というだけではなく経済・社会的に最早黒人の力がそれだけになったからでもありますね。
そういう意味でも必然だったかもしれない。
一流大学で物理(建築力学)を専攻したのに練習場のレッスンプロで生計を立てているのは「琉球人差別」の結果だろうと推量していただけです。このような歴史は知りませんでした。
とにかく「人種差別」「民族差別」は「すき焼き」や「蒲焼き」以上に嫌いです。
日本の政治もCHANGEするかな。
「おばあちゃんの若いころには、人種差別というものがあったのよぅ・・・」と、いつか孫たちに話してあげたいです。
涙がとまりません。
この歌も、島歌も好きです。
差別は何処にもありすぎる。貧乏だってことだけでも、差別される。
底辺をはいずって、いつも感じたし戦い続けましたが・・・
・・・アメリカ・・・どう変わるでしょう???期待と不安・・・ボディーガード、しっかりして欲しいですね。
毎日のテレビ番組も一皮むけば「俺はこいつらより優れている」など優越感のぶつけ合いのように思いますよ。
でも少しでも今ある差別を減らしていかなくちゃ。
なんだか映画の中の風景を見ると云う立場から変化できるような気がします。
オーバーかも知れないけれどオバマのことを今までと違った見方ができるようにも思いました。
オバマがブルースを友とした人々の心を失うことなく”ひとつのアメリカ”を創って欲しいと思います。
要するに「濃口醤油+砂糖」が全部駄目なのです。そして「白いご飯」も食べられません。
幸か不幸jか東京の大学に合格してしまったため、最初の1年間で3貫も痩せてしまいました。オヤジが驚いて取引関係その他にお触れを出し、「出汁と薄口醤油」の店を探させてくれたのでやっと生き延びたのです。
バアサンと結婚した理由だって、彼女が京風味付けで育っていたことだけです!
えぇ、今の東京、特に私が住んでいる多摩地方には日本中世界中からやってきた人たちが住んでいますから、世界中の味覚を入手できます。イスラムの人たちもあまり不自由がないようです。
必要性があって共通語が創られた(江戸時代から)のですが、そこに差別が加わるのには怒りを感じますし、方言自体がなくなるのはオリジナルな文化も失われるようで寂しい。
日本文化の混迷にもどこかでつながっている?
これまで本土でも琉球人差別は知っていましたが、差別されていた沖縄の人たちが、さらに奄美諸島の人たちを差別していたのはショックでした。
ずっと差別されてきたユダヤ教の信者が、パレスチナ人を差別(やっていることはもっとひどいですが)する様を見てやるせない気持ちになったことを思い出しました。
人間て、どうしてこうなんでしょうね...
歌素晴らしかったです。
あと、叔父さんの妻が大島の出身ですが、祖母や叔母が猛反対したそうです。
「わゃ大島ん人なんかと結婚すっとか!ないをかんげちょっとか?」と罵倒されたそうです。
他には、島の血が混じっせ生まれっくる子供がかわいそう」って言っていたそうです。この話を聞いて身内として非常に情けないと感じました。
島の人間はビンタ(頭)が悪りぃとも言っていました。