いい本にめぐりあった 観世寿夫「観世寿夫 世阿弥を読む」(平凡社)
2008年 10月 26日
雨模様の日曜日、FMから謡いが聴こえてくる。
2年前だったらすぐにチャンネルを変えただろう。
番組の最後に笛の音が聴こえたらジンとしてしまった。
この本を読むのは楽しくて楽しくてしょうがなかった。
電車の中で読んだりするのには小難しい本は向かない。
前だったらこういう本は選ばなかったはずなのに、こいつだけは。
電車に乗って待ち合わせがあったり、注文の品が出てくるのが遅いのを喜んで読んだ(電車用の本は家では読まないのだ)。

(「演目別にみる能装束」(淡交社)から。寿夫は「井筒」を世阿弥の最高傑作と評価して本書でも「井筒」を多角的に分析している)
読んでいるとすぐにでも能楽堂に駆け付けたくなったことが何回もあった。なんでこんなに面白かったか?
1)自由な考え方に満ちている。
世阿弥の子孫、観世家の嫡男として生まれながら、能楽の現状に鋭い疑問を抱く。家元制度は害あって益なしと言い切る。
2)世阿弥の本質を極め真の伝統を創造・継承しようとする気概と自負の念・使命感が強い。
近代以降、能役者で世阿弥を原典でこれだけ徹底的に読んだのは寿夫が最初。
3)“奥儀”とか”秘伝””を盲目的に信仰するような閉鎖的な経験主義とは対極をいく論理的なアプローチ。
科学的な思考で世阿弥を読み、語る。
世阿弥をひとりの苦悩を生きた人間、筆者と同じ年ごろの同じ苦心に明け暮れる人間としてとらえて彼の著作を読む。
言葉では表せない能の魅力、それを表現する役者の芸を否定するのではない。
何処までが“科学的な”方法で解き明かせるかを究めていく。
稽古・修行のあり方(二曲三体)、発声(一調、二機、三声。能では声を出すまでが勝負、声を出した時は終わっている。ヨーロッパとの違い)、舞(前後左右から“引っ張られている”)、能面、、役者としての具体的な方法論・心の持ち方などが明かされる。世阿弥と寿夫の共同講義だ。
そう云う態度が能を世界(とくにフランス)に正しく紹介しえたのではないか。
多くの後輩を育て、今俺などが感動して観る能を遺したのではないか。

(能のリズムについて、「精しく書き始めたらきりがない。日本語を考えるうえにもこんなにおもしろいものはない」と書いている。精しく書いたものがあるか探して読みたい。
本に書きこみはしない主義だったのに本書から始めてしまった。俺の本だものね)
4)短いエッセイや論文を22編集めたものだから、一つひとつが短い時間で読める。
そしてそれが結果的に同じ主張や論点が他の文章に繰り返して(視点や文脈を変えて)述べられるので頭が硬くなっている俺には有難い。
文章も気取りがなくズバッと書きたいことを書くと云う風だから分かりやすい。
5)戦後を代表する能役者(アァ、観たかった!)が実体験を踏まえて書くのだから論点・視点が生き生きとして説得力がある。
「ああ、そういうことなんだ」と。
6)広い視野・学識経験に裏付けられて単に能楽者の芸談とは全く異なる芸術の書となっている。
とくに演劇論は古今東西の演劇との比較など浅学の俺には有難かった。
日本の能楽界(当時?の)を取り巻く因習などを厳しく指摘するのはある意味では日本文化論をきくようだ。
アホみたいなことをいろいろ書いてもしょうがない。
ひとことでいうならば能の魅力を説き明かした本である。
でも感じは分かるし、そこが魅力なんだ。
何処まで俺は心を空しくして舞台に向き合えるのか、楽しみだ。
2年前から能が好きになって何回も能楽堂に通ってきて、本書を読んでもう一度初心(この言葉の本義についての記述も面白い。世阿弥の”初心”とは未経験・未熟をいうのだと)を反省し能舞台に向き直ろうと考えることが何か所もあった。

(真鶴・「鵐窟」しとどのいわや、頼朝敗走の時、身を隠したと言われる。真鶴には蜘蛛が多かった。俺をつかまえようと?)
2年前だったらすぐにチャンネルを変えただろう。
番組の最後に笛の音が聴こえたらジンとしてしまった。
この本を読むのは楽しくて楽しくてしょうがなかった。
電車の中で読んだりするのには小難しい本は向かない。
前だったらこういう本は選ばなかったはずなのに、こいつだけは。
電車に乗って待ち合わせがあったり、注文の品が出てくるのが遅いのを喜んで読んだ(電車用の本は家では読まないのだ)。

読んでいるとすぐにでも能楽堂に駆け付けたくなったことが何回もあった。なんでこんなに面白かったか?
1)自由な考え方に満ちている。
世阿弥の子孫、観世家の嫡男として生まれながら、能楽の現状に鋭い疑問を抱く。家元制度は害あって益なしと言い切る。
2)世阿弥の本質を極め真の伝統を創造・継承しようとする気概と自負の念・使命感が強い。
近代以降、能役者で世阿弥を原典でこれだけ徹底的に読んだのは寿夫が最初。
3)“奥儀”とか”秘伝””を盲目的に信仰するような閉鎖的な経験主義とは対極をいく論理的なアプローチ。
科学的な思考で世阿弥を読み、語る。
世阿弥をひとりの苦悩を生きた人間、筆者と同じ年ごろの同じ苦心に明け暮れる人間としてとらえて彼の著作を読む。
世阿弥とは何と人を喰った奴だと思ってしまう。「秘すれば花」の「花」とは何かを論じている文章に出てくる言葉だ。
言葉では表せない能の魅力、それを表現する役者の芸を否定するのではない。
何処までが“科学的な”方法で解き明かせるかを究めていく。
稽古・修行のあり方(二曲三体)、発声(一調、二機、三声。能では声を出すまでが勝負、声を出した時は終わっている。ヨーロッパとの違い)、舞(前後左右から“引っ張られている”)、能面、、役者としての具体的な方法論・心の持ち方などが明かされる。世阿弥と寿夫の共同講義だ。
そう云う態度が能を世界(とくにフランス)に正しく紹介しえたのではないか。
多くの後輩を育て、今俺などが感動して観る能を遺したのではないか。

本に書きこみはしない主義だったのに本書から始めてしまった。俺の本だものね)
4)短いエッセイや論文を22編集めたものだから、一つひとつが短い時間で読める。
そしてそれが結果的に同じ主張や論点が他の文章に繰り返して(視点や文脈を変えて)述べられるので頭が硬くなっている俺には有難い。
文章も気取りがなくズバッと書きたいことを書くと云う風だから分かりやすい。
5)戦後を代表する能役者(アァ、観たかった!)が実体験を踏まえて書くのだから論点・視点が生き生きとして説得力がある。
「ああ、そういうことなんだ」と。
6)広い視野・学識経験に裏付けられて単に能楽者の芸談とは全く異なる芸術の書となっている。
とくに演劇論は古今東西の演劇との比較など浅学の俺には有難かった。
日本の能楽界(当時?の)を取り巻く因習などを厳しく指摘するのはある意味では日本文化論をきくようだ。
アホみたいなことをいろいろ書いてもしょうがない。
ひとことでいうならば能の魅力を説き明かした本である。
単に物語を舞台に展開するというより、もっと純粋に、しかもあらゆる人間に訴える美しさであると思う。いわば徹底した自己の否定をし尽くしたところから、最も強烈に打ち出した自己主張で、そこに現れる美だ禅の考え方、難しいね、ここは。
でも感じは分かるし、そこが魅力なんだ。
何処まで俺は心を空しくして舞台に向き合えるのか、楽しみだ。
2年前から能が好きになって何回も能楽堂に通ってきて、本書を読んでもう一度初心(この言葉の本義についての記述も面白い。世阿弥の”初心”とは未経験・未熟をいうのだと)を反省し能舞台に向き直ろうと考えることが何か所もあった。


そして、読んだ知識を全部とっぱらって、ただ無心に舞台で起きていること見る、感じる・・と白州正子さんはいいます。この本、いい本ですよねー。私もいつでも手に取れるところに置いておきたい本です。そして、友枝昭世さんを初め、亀井広忠、野村萬斎と流派を超え、多くの能楽師が観世寿夫さんを目指しているのだそうです。
見たかったなー、この方の能を。能を知って、気づいたときはお亡くなりになってたからなー。天皇さんたちはご覧になったのだろうか・・さてはて。
見たかったなー、この方の能を。能を知って、気づいたときはお亡くなりになってたからなー。天皇さんたちはご覧になったのだろうか・・さてはて。
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ginsuisenさん、観世寿夫を通して世阿弥とつながっているのかもしれませんね。
若くて亡くなったのが惜しいです。
若くて亡くなったのが惜しいです。

田舎の母が部屋に蜘蛛を発見するや、蝿叩きを振りかぶって「タコだ!」と走り回っていた姿を思い起こします。
母いわく、足が8本あるのは、すべからく「タコ」なのでそうである。
そうすると、尻尾が1本又は2本の凧は、案山子か人かしら…?
聞きそびれてしまいました。
母いわく、足が8本あるのは、すべからく「タコ」なのでそうである。
そうすると、尻尾が1本又は2本の凧は、案山子か人かしら…?
聞きそびれてしまいました。
私の母が最近どういうわけか能に興味を持ち始めました。この本を薦めてみます。よい本ですね。
「“奥儀”とか”秘伝””を盲目的に信仰するような閉鎖的な経験主義とは対極をいく論理的なアプローチ」という箇所に共感しました。音楽をしていた頃、私は声高にアンチ・奥義信仰を主張していたんですよ。懐かしいなあ。
「“奥儀”とか”秘伝””を盲目的に信仰するような閉鎖的な経験主義とは対極をいく論理的なアプローチ」という箇所に共感しました。音楽をしていた頃、私は声高にアンチ・奥義信仰を主張していたんですよ。懐かしいなあ。
あっ,ジョロウグモですかね。
henry66さん、洋学にも奥儀主義があるのですか。
お母さまが能に興味をお持ちになるのは嬉しいなあ。
お母さまが能に興味をお持ちになるのは嬉しいなあ。
明日、京都の観世会館へ行きます。「能楽堂」ですが、明日は「邦楽」です。わけが分からんまま行くのです。恥ずかしいですが、これからです~~
佐平次さんとこで、勉強です。でもよく分からんが「気」を感じるとか~
能の演目「五番立」の簡単な説明を読んで「ふーん!ふー!」とおもとる団塊です。いやっ段階です。
佐平次さんとこで、勉強です。でもよく分からんが「気」を感じるとか~
能の演目「五番立」の簡単な説明を読んで「ふーん!ふー!」とおもとる団塊です。いやっ段階です。
yukiwaaさん、肩の力を抜いてボケっと寝てしまってもいい、ゆっくりしてください。きっとほっとします。
運が良ければ感動しますよ^^。
運が良ければ感動しますよ^^。
by saheizi-inokori
| 2008-10-26 21:14
| 今週の1冊、又は2・3冊
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