ワキとアイが活躍する能「船弁慶」 「万作を観る会」
2008年 10月 22日
このところ能・狂言の話ばかりで恐縮ですが、
中入り後、義経(子方・観世三郎太)と弁慶(ワキ・宝生閑)主従(ツレ・高井松男、大日向寛、則久英志)は船頭(アイ・野村万作)に運命を委ねて船出する。
弁慶が船頭の催促で義経の鵯越などの勇戦振りを語る(船中之語)。
あの赫々たるイサオシ、堂々たる進軍も今のこうしてわずかな主従で寂しく船出するありようからは夢幻であったかのようだ。
エ~イ!エイエイ!
早装束(ぱっと幕に入り込んだと思ったら船頭になって舟の作り物を持って走り出てくる)で現れた万作、船歌を謡い魯をこぐ。
とても力強くきれいな姿。
ちょっと声の調子がイマイチなのを補って余りある。
俄かに波風が激しくなる。

あれ、あれは?
壇ノ浦で滅ぼされた平家一門の亡霊、平知盛(後シテ・観世銕之丞)が攻めてくる。
そこで、冒頭の有名な詞が子方(義経)の口から発せられる。
義経は果敢に刀を抜いて一合二合、知盛と戦う。
それを押し止めるのが弁慶、数珠を揉んで亡霊を祈り伏せる。
前シテ、静が弁慶に義経との同行を止めよと言われ、納得せず直接義経に真意を糾し、諦めざるを得ないと分かり舞い、泣き悲しむところ。
後シテの登場から戦闘場面。
見どころ満載のスペクタクルだ。
今まで観た能とは随分違う。
その違いの中でももっとも際立っているのが、ワキとアイの活躍ぶりだ。
弁慶が静御前や義経を叱り飛ばすようにして、今は義経だけで落ち延びよと画策するさま。
上に書いたような船頭の働き。
平家一門を迎えて船上で身構える弁慶の目の配り、じっと知盛の動きを見守り、いつでも受けてたって主君を守ろうという気迫が見所の俺にも伝わる。

(西早稲田・源兵衛地蔵)
こんなにワキとアイが活躍して一曲の見どころの大半を演じているのに何故シテにならないのか?
ちょっとそう思ったが、それは間違い。
やはりこの曲のシテは静御前であり知盛なのだ。
2人の悲しみ・恨みがテーマだ。
弁慶や船頭はそれを際立たせるために大活躍をしたに過ぎない。
過ぎない、というのは言葉のあやで実際はこの2人の働きが一曲の膨らみを左右したのだけれど。
シテはワキに折伏されるが、それは救いでもあったのだろう。
ワキはそうやって無念や遺恨ゆえに浮かばれない者たちを慰め鎮めてあの世に送り返すのだ。
義経と静を捌いてものごとを進行させるのもワキの大事な仕事。
それにしても楽しい能だった。
亀井忠雄(大鼓)、藤田次郎(笛)、観世新九郎(小鼓)、小寺佐七(太鼓)もすばらしかった。
100分近い長丁場、快い緊張感がずっと続いていた。
地謡
林宗一郎 野村昌司 藤波重孝 藤波重彦
関根祥人 関 久蔵 野村四郎 山階彌右衛門
そのとき義経少しも騒がず静御前(前シテ・観世清和)と義経の涙の別れを描く前場。
中入り後、義経(子方・観世三郎太)と弁慶(ワキ・宝生閑)主従(ツレ・高井松男、大日向寛、則久英志)は船頭(アイ・野村万作)に運命を委ねて船出する。
弁慶が船頭の催促で義経の鵯越などの勇戦振りを語る(船中之語)。
あの赫々たるイサオシ、堂々たる進軍も今のこうしてわずかな主従で寂しく船出するありようからは夢幻であったかのようだ。
エ~イ!エイエイ!
早装束(ぱっと幕に入り込んだと思ったら船頭になって舟の作り物を持って走り出てくる)で現れた万作、船歌を謡い魯をこぐ。
とても力強くきれいな姿。
ちょっと声の調子がイマイチなのを補って余りある。
俄かに波風が激しくなる。
波よ波よ波よ波よ ありゃありゃありゃありゃ 波よ波よ波よ波よ し~~っ!懸命に波を沈め乗り切ろうとする船頭。

あれ、あれは?
壇ノ浦で滅ぼされた平家一門の亡霊、平知盛(後シテ・観世銕之丞)が攻めてくる。
そこで、冒頭の有名な詞が子方(義経)の口から発せられる。
義経は果敢に刀を抜いて一合二合、知盛と戦う。
それを押し止めるのが弁慶、数珠を揉んで亡霊を祈り伏せる。
前シテ、静が弁慶に義経との同行を止めよと言われ、納得せず直接義経に真意を糾し、諦めざるを得ないと分かり舞い、泣き悲しむところ。
後シテの登場から戦闘場面。
見どころ満載のスペクタクルだ。
今まで観た能とは随分違う。
その違いの中でももっとも際立っているのが、ワキとアイの活躍ぶりだ。
弁慶が静御前や義経を叱り飛ばすようにして、今は義経だけで落ち延びよと画策するさま。
上に書いたような船頭の働き。
平家一門を迎えて船上で身構える弁慶の目の配り、じっと知盛の動きを見守り、いつでも受けてたって主君を守ろうという気迫が見所の俺にも伝わる。

こんなにワキとアイが活躍して一曲の見どころの大半を演じているのに何故シテにならないのか?
ちょっとそう思ったが、それは間違い。
やはりこの曲のシテは静御前であり知盛なのだ。
2人の悲しみ・恨みがテーマだ。
弁慶や船頭はそれを際立たせるために大活躍をしたに過ぎない。
過ぎない、というのは言葉のあやで実際はこの2人の働きが一曲の膨らみを左右したのだけれど。
シテはワキに折伏されるが、それは救いでもあったのだろう。
ワキはそうやって無念や遺恨ゆえに浮かばれない者たちを慰め鎮めてあの世に送り返すのだ。
義経と静を捌いてものごとを進行させるのもワキの大事な仕事。
それにしても楽しい能だった。
亀井忠雄(大鼓)、藤田次郎(笛)、観世新九郎(小鼓)、小寺佐七(太鼓)もすばらしかった。
100分近い長丁場、快い緊張感がずっと続いていた。
地謡
林宗一郎 野村昌司 藤波重孝 藤波重彦
関根祥人 関 久蔵 野村四郎 山階彌右衛門

なんか、すごい豪華キャストだったのですね。さすが喜寿の会。見たかったなー。船弁慶って、前場は女で、後場は男だから、演じるのが大変。でも、そうか、どちらも現世への恨みという共通項があるのですね。saheiziさんの解説で、なんかやっとわかった気がしました。万作師の船頭って、うまいですよね~。見ているだけで、乗っている気分になります。
0
ginsuisen さん、ホントは前シテと後シテは同じ人がやるんでしょ?
今日は特別だったかな。
世阿弥の夢幻能とはちょっと違う能だなと思いました。
エンタテインメントの要素が強い、それもまたタノシでした。
今日は特別だったかな。
世阿弥の夢幻能とはちょっと違う能だなと思いました。
エンタテインメントの要素が強い、それもまたタノシでした。
そうか、今回は前が清和さんで、後が銕之丞さんだったのですね。お祝いだからみんなで舞台を作ったのでしょうねー。船弁慶を見ると、いつも、子午線の祀りの舞台の知盛を思い出します。日本人は義経も知盛も悲劇にヒーローだからでしょうか、好きなんでしょうね。
ginsuisenさん、判官びいきの方がかっこいいですよね。私もそっちだなあ。
by saheizi-inokori
| 2008-10-22 23:55
| 能・芝居
|
Trackback
|
Comments(4)