なぜ俺は島尾敏雄が気になるのか 島尾伸三「小高へ 父 島尾敏雄への旅」(河出書房新社)

「死の棘」「死の棘日記」「出発は遂に訪れず」などで紹介した島尾敏雄の長男(写真家)の父との思い出、7編、いずれも心象風景や家族の写真が数枚添えられる。

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狂乱・地獄と化した家庭で小学校に入ったばかりのシンゾーが、ませた口ぶりで両親の喧嘩の仲裁をする様子などは上記の小説などにたびたび登場する。
そう云う家庭でシンゾーはどう育ったか?
どのように両親を見ていたか?
妹、マヤの死は、十年経っても、私を悲しませるのに充分です。
どうして彼女を、狂った母の家から救いだせなかったのか・・・とです。
マタイ書にある“野のユリはどうして育つのか、働きも紡ぎもしない”の言葉を文章の前に置いた第二編(最近の書き下ろし)はこういう書き出しだ。
楽しいことを考えるのが得意だったお母さんの夢を、片っ端から壊したのは、外出が多くて難しい顔ばかりしていたおとうさんに違いありません。
私は今だって「おとうさんのバカ」と、言いたいです。
とは、小岩時代の思い出についての感想だ。
小岩駅をとりまく町の様子、子どもたちの姿、駅の風景、蒸気機関車が生き物のように伸三を魅するさま、、俺にも既視感がある。

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(広島県立高女生徒の原爆遭難碑、平和通り)

いや、風景のみではない。
風景をそのようにして観ていた伸三の心象こそ、俺の既視感を刺激する。
敗戦直後、父が憧れと焦燥の間で揺れ動く家庭の不安、俺の場合は父の早世、他所と違う貧しい家庭、、。
嗚呼!いったい何を夢見て生きてきたのでしょうか、ボクはおとうさんのように文学という魔物にとりつかれたままの一生、あるいは音楽家のような、命を削る楽しみを見出すことの出来た幸せを、未だに知らないままです。(略)
自分を犠牲にする愛に無関心でした。神の声から逃げ回ってきました。知り合ったり好きになった人の幸福を食い荒らし、迷惑をかけ、傷つけ、都合が悪くなると逃げ出すということを繰り返してきただけなのです。
58歳の頃に書いた父との琉球旅行の思い出の中で書きつける言葉だ。
まるで俺の言葉を盗み聞きしたかのようだ。

那覇で父が用事で出かけるのを待つ間に旅館で
太陽と黴と、汗の臭いを深呼吸している日に焼けた畳の上に寝転がって
いた高校生・伸三。
俺は、いったい何度、日に焼けた畳に寝転がって旅の徒然を過ごしたことか。
突然はっきりと思いだしたのが、大学を卒業する春休みに西宮、萩、博多、阿蘇、別府とさまよい歩いた帰るさに疲れて広島で途中下車して取った宿のこと。
西日がさして部屋の隅の屑入れの周りに落ちている髪の毛を寒々しく照らしていた様子まで思いだした。
駅の近くのバーで、広島カープが勝ったか負けたかしたのに反応しているバーテンに薄笑いで愛想をしながらウイスキーを飲んで旅館に帰るや吐いてしまったこと。

昨日書いた厳島観月能とその後の広島での小宴や翌日の平和公園や美術館歩きの間まったく忘れていた畳の臭いが蘇ってきた。

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(宮島口「うえのや」で)

第7章「骨」が父・敏雄の死の前後を書いている。
立ち読みするならここだけはの文章。
棺桶の中の敏雄をなで回し、顔を両手で包んだりしているのをみて
お母さんは、ずっと孤独の恐ろしい海を生きて来た人だと感じました。
そして、
「伸三、ごめんね、わたしは、おまえのおとうさんを殺してしまった」
と言いました。でも、おとうさんは緻密さを失っておかしくなりはじめていて、もう死んでもよいころだったので、むしろ、ありがとうと思いました。
悲しむことしか出来ない妹の精神の方が心配でした。
こうやって抜き書きをすると著者の気持ちが間違って伝わるかも知れない。
俺は伸三の父に対する愛情とそのあり方にも既視感を感じたことを付け加えておかないといけない。

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Commented by たま at 2008-10-19 23:32 x
広島つながりにて
原爆手帳を持っていた今は亡き義母(広島女学院)が、2人娘の長女(妻)を嫁に欲しいと声を振り絞って告白した私に義母が返した言葉。
「次男坊ですよネ。解ってますよネ…。お墓のお守りは…。」そして最後に、「原爆には縁がないですよネ…。」と (きっと原爆の遺伝子のことを心配されてたのでしょうネ。)

茶花には使えませんが、悲しさにはほど遠いほどの白いヤマユリの芳香を思い起こします。
同じ白花のサザンカの咲く頃に、17回忌にて倉敷です。
Commented by saheizi-inokori at 2008-10-20 06:44
たまさん、そうやって命の伝承、家計の伝承を慮っておられたのですね。
私などは自分が生きるだけで精いっぱいでした。
山茶花が咲き始めましたね。
Commented by yukiwaa at 2008-10-20 09:19
父との思い出が殆どない私には父への思いがある人の感情がうらやましいです。それが憎しみであっても。愛情の裏返しでもあるから・・そんな私でも母が最後に語った「父への思い」がただひとつの父への思い出になりました。
Commented by 芙蓉 at 2008-10-20 10:56 x
父を恋う旅...、
求めても、探しても、その姿未だ見えず..。
レンズを通しても近づけない父..。
怒り、悔しさ、腹立たしさ、哀しさ、温かさ...、
そんな伸三氏の静かな声が聞こえるようです。
息子さんは、写真家なのですね?
この本の表紙の写真は彼の作品でしょうか?
島尾氏の本は、その表題にも、いつもハッとさせられます。

ヒロシマ、私も少々馴染みがあります。
宮島の写真、懐かしい思いで拝見しました。
弥山(みせん)から望む瀬戸内の島々の風景も、好きでした。
何とものどか。

そろそろ、紅葉谷のモミジも紅く、色づく頃でしょうね。
Commented by saheizi-inokori at 2008-10-20 12:51
yukiwaaさん、>それが憎しみであっても
そうですね。愛憎は表裏をなして実在するのでしょうね。無ではないでしょうから。
Commented by saheizi-inokori at 2008-10-20 12:53
芙蓉さん、そうですよ。
彼が敏雄の故郷、小高に行く車中で撮った写真のようです。
私には「死の棘」のような凄まじい経験はなかったですが、やはりいろんな思いがあって信三さんに共鳴しました。
Commented by 髭彦 at 2008-10-20 18:38 x
びっくりしました。
小高(おだか)は僕の曽祖父と曽祖母・祖母の故郷で、曽祖父と島尾敏雄の父とは少なからずの因縁があり、僕の母なども島尾敏雄の父のことを記憶していたからです。
『夢と現実』(筑摩書房、1976年)という島尾敏雄と小川国夫との対談集の中で、島尾敏雄がそのことに触れています。
僕の姉がそれを知って、事実の訂正を含め、島尾に手紙を出したところ、丁寧な礼状が来ました。
1980年のことです。
『夢と現実』といっしょに姉から預かっているので、先ほど読み返しました。
『小高へ 父 島尾敏雄への旅』もぜひ読んでみたいと思います。
ありがとうございました。

先ごろ、上野千鶴子『文学を社会学する』(朝日文庫、2003年)を読んでいたら、島尾敏雄の『死の棘』を<妻と対幻想を結んでしまった男の物語>として分析していました。
佐平次さんのことですから、もうとっくに読んでいらっしゃるかもしれませんが。
Commented by tona at 2008-10-20 21:52 x
先日書評で見たので、内容に興味がありました。
「死の棘」もどうしても読めなかったのですが、この本と関連して読んでみます。
島尾敏雄が妻の心を痛めてしまったいきさつがわかるでしょうか。どんな人だったのでしょう。
saheiziさんの昔とだぶらせておられますが、辛い思い出って誰にでもあるのですね。絵に書いたような幸福者もいますが。
Commented by rinrin at 2008-10-20 22:48 x
広島は義父の育った地です。何度か遠い空を見るように故郷のことを話してくれました。従姉が転勤先の広島で亡くなったり、なんだか不思議な縁のある場所です。碑の写真を見て、掘り出されたという叔母の事を思い出しました。
Commented by saheizi-inokori at 2008-10-20 23:12
髭彦さん、そんなご縁があったのですか。日本は狭いですね^^。
上野さんの本は読んでいません。
ありがとう。いつ読めるかなあ^^。
Commented by saheizi-inokori at 2008-10-20 23:17
tona さん、本書は夫婦がおかしくなったときには小学校にはいったばかりだった子どもの懐旧ですから直接にはそのあたりの事情はわかりません。
ただ、奥様にも全く問題なしとはしなかっただろうとは察しられます(性格面などで)。
絵に書いたように幸福な夫婦にも何がしかの問題はあるのかもしれませんね。
表には窺われないけれど。
Commented by saheizi-inokori at 2008-10-20 23:18
rinrin さん叔母様はまだ若かったのでしょうね。
お気の毒な事でした。
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by saheizi-inokori | 2008-10-19 21:09 | 今週の1冊、又は2・3冊 | Trackback | Comments(12)

ホン、よしなしごと、食べ物、散歩・・


by saheizi-inokori