辺見庸「目の探索」(朝日新聞社)、または鵺(能)のあっぱれ
2008年 10月 17日
能・「鵺」を又観た(国立能楽堂、普及公演)。
浅見真洲のシテ、亀井忠雄の大鼓がよかった。
後シテが
普通は「神の遍満」とか「仏知の遍満」のように使われるのかと思っていたのに「悪」が遍満して、しかも素敵な言葉だとは、異なことを仰せられると思った。
が、、。

辺見庸は、1997年「周辺事態法」の成立する年に書いた文章に

(広島平和公園で、これが“儀式”であったり、先生方の“善意”のアリバイでないことを祈る)
今の日本に感じられるものは「鵺のような全体主義化」だという。
そうだとすれば我と我が身を悪となし王城近くに遍満すると大見得を切った鵺こそ天晴れではないか!
そして”思ひもよらざりし頼政が矢先にあたり””たちまち滅せしこと”になっても、それは頼政の矢先というよりは”君の天罰”に当たったと観念するのも見事な覚悟だ。
たとえ浮かばれることもなく”いくへにも”鵺の声を聞かせ続けることになったとしても。
「いまここに在ることの恥」を感じようともせず「自分自身への審問」を思いもよらぬことのようにして善人面をしている人間ども(俺もだ)には足元にも及ばない。
辺見は埴谷雄高の言葉を引く。

今の世、マスメデイアを中心に『目の怠惰』が”遍満”して恐ろしい風景を見ようとせず、あるいは隠し続けているのではないか。
『目の怠惰』は、想像力の墓場へと俺たちを導く。
そうではなかった、想像力がなくなることが目の輝きを奪い、みるべきものをみなくなるのだ。
想像力の墓場についても辺見は埴谷の言葉を引く。
浅見真洲のシテ、亀井忠雄の大鼓がよかった。
後シテが
我悪心外道の変化となって、仏法王法の障りとならんと、王城近く遍満してと云うのだが、その「遍満」を解説の村瀬和子さんは「悪がはびこる、と言うこと、素敵な言葉です」と云った。
普通は「神の遍満」とか「仏知の遍満」のように使われるのかと思っていたのに「悪」が遍満して、しかも素敵な言葉だとは、異なことを仰せられると思った。
が、、。

辺見庸は、1997年「周辺事態法」の成立する年に書いた文章に
いまは、しかし、この新聞も、あの新聞も、テレビも週刊誌も、主観的「善」のオンパレードである。この国はつまらぬ善にまみれている。と書いた。
善玉が善人面して悪を嘆いてみせる。嘘!悪はだから、いっかなその貌をあらわさず、闇の深みで、くっくっくと含み笑いしている。こちらも善を装い、黒光りしながら。

今の日本に感じられるものは「鵺のような全体主義化」だという。
そこには凛呼たるものが何もない。右も左も凛然としないことをもって、主体が消え、責任の所在が隠れ、満目ひたすら模糊とした風景のままに「いつのまにかそう成る」何かだ。とも。
そうだとすれば我と我が身を悪となし王城近くに遍満すると大見得を切った鵺こそ天晴れではないか!
そして”思ひもよらざりし頼政が矢先にあたり””たちまち滅せしこと”になっても、それは頼政の矢先というよりは”君の天罰”に当たったと観念するのも見事な覚悟だ。
たとえ浮かばれることもなく”いくへにも”鵺の声を聞かせ続けることになったとしても。
「いまここに在ることの恥」を感じようともせず「自分自身への審問」を思いもよらぬことのようにして善人面をしている人間ども(俺もだ)には足元にも及ばない。
辺見は埴谷雄高の言葉を引く。
「闇の中から光に入って、光に入ってまた闇の中に入っていく。これが人間なんですよ、あなた」(『埴谷雄高独白「死霊」の世界』NHK出版)とくれば、やっぱり鵺だ。
冥きより、冥き道にぞ入りにける写真家、中平卓馬が『目の怠惰』と言う言葉を語ったそうだ。

今の世、マスメデイアを中心に『目の怠惰』が”遍満”して恐ろしい風景を見ようとせず、あるいは隠し続けているのではないか。
『目の怠惰』は、想像力の墓場へと俺たちを導く。
そうではなかった、想像力がなくなることが目の輝きを奪い、みるべきものをみなくなるのだ。
想像力の墓場についても辺見は埴谷の言葉を引く。
そこに『事実』があると受けとってしまえば、そこは、ある種の想像力の墓場となる(『鐘と遊星』・未来社)そして、
主題が人間である限り、『事実』とはつねに永劫に掘り起こせない過誤を含んだ何物かであるこれも埴谷の言葉、世阿弥が語ったとしても不自然な言葉ではないと思う。
私は広島に一度だけしか行ったことがありませんが、
平和祈念公園では中東の人と思われる方に、
シャッターを頼まれました。
千羽鶴の少女像のところでしたね。
そのあと、繁華街に行ったら、客引きする外国人女性が
私に声を掛けようとすると、必ず同僚がやめさせていました。
グレーのスーツにネクタイ締めた私は
そんなに危なそうだったのでしょうか?
平和祈念公園では中東の人と思われる方に、
シャッターを頼まれました。
千羽鶴の少女像のところでしたね。
そのあと、繁華街に行ったら、客引きする外国人女性が
私に声を掛けようとすると、必ず同僚がやめさせていました。
グレーのスーツにネクタイ締めた私は
そんなに危なそうだったのでしょうか?
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自然に咲いているかわいらしい花と綺麗な海。saheiziさんたくさんの素敵なところに行かれてますねえ。うらやましい^^。まだまだたくさん素敵なな写真載せてください。楽しみにしてま~す。
HOOPさん、私も先日、鶯谷のホテル街を抜けたのですが、それらしき女性が私の姿をちらっとみては声をかけるのをやめていました^^。
私の場合は年齢?
私の場合は年齢?
お茶好きさん、若い人はこれからですよ。
自然を大事にしとかないとね、それまで^^。
自然を大事にしとかないとね、それまで^^。
海と青い空と砂浜、きれいな写真ですね。
自然は嘘がない・・・ですよね。
自然は嘘がない・・・ですよね。
前世、現世、来世の連続性を信じる日本人ならではの言葉のように思います。
みい さん、この空も海も讃岐につながっていてルナを見守っていますよ。
ちょっと離れていますが(石垣島)。
ちょっと離れていますが(石垣島)。
antsuan、悪の連続も?
他の人が困っている時は、助け合ってゆきます。小学生に教えられちゃいます。ライバルがOBだしたら喜んでいました。ちょっと道がずれちゃいまして申し訳ありません。
旭のキューです。さん、汝の敵を愛せよ^^。
HOOPさん、信用のおける安心感を与えるお顔なんですね、羨ましい。
きとらさん、おひさしぶりです!
痛々しいというか鋭いメスを何本も用意して書いたような文章ですね。
世の中の癌を書くことでわが身にも引き受けてしまったのか?
書中、悪を見るには悪の目がなければならないと、梶井基次郎の文章なども引いていましたが、、。
痛々しいというか鋭いメスを何本も用意して書いたような文章ですね。
世の中の癌を書くことでわが身にも引き受けてしまったのか?
書中、悪を見るには悪の目がなければならないと、梶井基次郎の文章なども引いていましたが、、。
by saheizi-inokori
| 2008-10-17 22:59
| 今週の1冊、又は2・3冊
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