特攻出撃直前に終戦を迎えた作家 島尾敏雄「出発は遂に訪れず」(新潮文庫)(1)

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「死の棘日記」「死の棘」で紹介した島尾敏雄。
奄美群島加計呂島に特攻隊長として赴任、1945年8月13日に出撃準備命令が下るが、発信命令がないまま15日を迎える。

そのときのことを書いた小説2編を読んだ(この短編集には9編収められている)。

まず「島の果て」

著者は島の娘と恋におちて、その娘が「死の棘日記」の狂える妻となる。
この小説はその二人の出撃を前にした交情を描く。
むかし、世界中が戦争をしていいた頃のお話なのですがー

トエは薔薇の中に住んでいたといってもよかったのです。
童話のような書き方だ。

朔中尉(島尾、軍務以外の行動をとるときは中尉さんと書かれている)は、島の部落の人々のことが気になって、深夜、本部を抜け出す。
山の端の向こうの青白い月夜の部落には真珠を飲んだ冷たい魚がまな板の上に死んだふりをして横たわっているのだ。私は是非ともその様子を見届けてこなければならない。
寝ずの番に気どって云った頭目(中尉さん)。
横たわっていたのがトエだった。

毎晩トエをおとなって、にぎやかな羽子板星が東の空に見え初め、あけがたの金星が輝きだすと、中尉さんはトエをなだめて峠を越えて帰る。
すると峠の下の部落からきまってあやしい音色がまつわりついてくる。
それはー部落全体が青い沼の底に沈んで、部落の人々の悲しみが凝り固まり呪いの叫びを挙げているのです。やがて嫋々とした一人の狂女の声音になって沼の底からメタンガスのようにぶつぶつふき出し、峠を越えて部落をのがれ行く青年をとらえて放さないのです。

トエが娘の名、彼女は中尉さん(島尾、作中では朔中尉)の任務を知っている。
島の人たちはどんなに秘密にしていたことでも知ってしまうのだ。
朔中尉の世にも不思議な仕事を知ったときにトエは気が違いそうになりました。そして自分のからだを眺めてみて、自分が人間であることをどんなに悲しんだでしょう。
毒蛇のいる潮がみちて道がなくなった岸壁を中尉さんに会いに通うトエ。
出撃前夜に本部にまで忍んできたトエ。
紬の黒っぽい着物を着て白い襟をしっかりかき合わせて、唇がふるえて何も言えないトエは中尉さんの頭から靴先まで眺めて、そっと手をさしのべて靴にさわってみた。

トエは一晩中浜にいて、
何かが浮かんでそれが四十八の数だけ(特攻艇の数)トエの眼の前の入り江を外海の方に出て行ってしまったときには、そのときもうトエもたくさんの石ころをたもとに入れて短剣(中尉がくれた)をしっかり胸に抱いたまま海の中にはいって行こうと思いました。
終戦の一年後に書いた小説だ。
童話仕立てにして、しかもトエを主人公にしなければ書けなかったのではないか。
それでも生々しい。

中尉さんもトエも一度死んだのだ。
死んだはずが生きて戻ってから地獄が始まる。
それが「死の棘」だ。
Commented by convenientF at 2008-09-25 10:15
「七十代万歳」(http://hisakobaab.exblog.jp/7504631/)に特攻隊関連の記事がありましたので、そちらに寄せたコメントを転載します。
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>覚せい剤中毒に走った若者達も悲惨でした。

社会人になったばかりの頃、大学の先輩で直属の上司、そしてその上司と学生時代から親友だった人が、ともに、飛行機が来ないので出動しなかった特攻隊員でした。

待機中は宿舎で「酒漬け」「覚せい剤(ヒロポン)漬け」でジャズやハワイアンを演奏して騒いでくらしていたそうです。

つまり、「隊員」の間から覚せい剤中毒にされていたようなのです。

いまのイスラム自爆テロも薬物を利用しているんですよね。
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Commented by saheizi-inokori at 2008-09-25 10:50
convenientFさん、島尾中尉は薬物は戦後手を染めたかも知れませんが待機中はやらなかったでしょう。
トエ(後に妻となる)との神話的な愛(性?)の世界が空白を埋めるものだったのかもしれない。
後は「死ぬんだ」という極限の思いが彼を生かしていた。
だから出撃せずに14日、15日を迎えた途端に世界が停滞してしまったのでしょう。
草鹿といいましたか、玉音の後で部下を連れて特攻に飛び立ったエライ司令官も責任感からというよりもその空白に怯えたのかもしれません。
それでも島尾は体は”笑い出した”とかいてますね。
実験小説です。
Commented by convenientF at 2008-09-25 14:57
>後は「死ぬんだ」という極限の思いが彼を生かしていた。
>それでも島尾は体は”笑い出した”とかいてますね。

そういう話をしながら上司や先輩が「飲め飲め」といくら言ってくれても飲めませんでしたね。
ホンの7年か5年の違いで自分も同じkyほうぐうに置かれていたのです。どうなっていたでしょうか?
Commented by saheizi-inokori at 2008-09-25 15:14
CFさん、島尾は小説で読む限りは覚悟を決めていたようです。
玉音の後、部下が草鹿の場合のように自発的に突っ込むことを、それを隊長に強いることを怖れていたのです。
私もそうなってみなければ分からないけれど、覚悟をしたかもしれません。逃げ出す方が度胸がいる時代だったでしょうから。
Commented at 2008-09-25 16:28
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by saheizi-inokori | 2008-09-24 22:08 | 今週の1冊、又は2・3冊 | Trackback | Comments(5)

ホン、よしなしごと、食べ物、散歩・・


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