戦争を知らない世代が本当の戦争を見抜いているのかも知れない 古処誠二「接近」(新潮文庫)
2008年 09月 04日
自衛隊にいた.ことがあり戦史・戦記をしっかり読んでいるという。
寡黙、必要なことしか述べないが必要とあれば明晰に遠慮会釈なくずっと考え続けてきたことを述べる。
媚とか大言壮語とは無縁。
そういえばこの小説に
あなたが立派なことを口にしていたのは、自分が後ろ暗いからです。
自爆強要機は自爆しない。特攻隊を送り出す人は特攻しない。アメリカ人を殺せとの記事を書いた人は自分では殺さない。行動の苦痛を味わう必要がないからいくらでも大口を叩ける。という文章がでてくる。
自爆強要機とは特攻機の後ろから戦果を確認するためについてくる戦闘機の隠された目的を暴く”噂”。
米軍が沖縄に上陸を始め老幼婦女子の県外疎開が閣議決定された頃の沖縄の12歳の少年の目を通して描かれる極限状態に近づいた人間たちのありよう。
家を爆撃・砲撃されて壕に逃げ込んでも軍からの徴用(資材運搬や野戦築城など)に従う現地の人々。
青壮年は防衛隊に召集されたから老人や夫人達が主体だ。
友軍が負けるはずはないと信じていたが、”音を上げて撤退する”はずの米軍の攻撃は激しさを増す。
飼い主を失った山羊が死体を踏みつけて走り、足の数が足りない馬は藻掻く(もがく)たびに壊れた馬車を蹴っていた。爆風を呑んだのか、手綱を腕に絡めた御者が妊婦のように腹を膨らませて死んでいた。息絶えた人は、しかしまだ幸せだった。小さな家ならまるごと入る大穴が燻る周囲では、傷ついた人々が無秩序に動いていた。髪を乱した婦人が道路へ戻ろうとする様子は直視できなかった。持ち得る財産を放棄し、赤ん坊だけをねんねこに負ぶっていたが、その首はすでに消えていた。崩壊しつつある軍からは逃亡兵が続出、住民たちの壕にやってきてあるいはスパイの言いがかりをつけて殺害し、あるいは軍の命令だとウソをついて食糧を奪い、明け渡しを迫る。
戦争は国家と国家の間で行なわれているとは限らないのだ。
”スパイ”対”逃亡兵”ないしは”正規の兵”相互の殺し合い。
住民対兵または軍。
沖縄を守ってやると兵隊さんは言ってたのに約束したときは本気だったのだろう。
危険がなければ他人に施し、危険が降りかかれば他人から奪う。そんな、どこにでもいる人間、、朝鮮人と日本人。
日系アメリカ人。
本土の日本人と沖縄の人々。
少年の完璧な発音は、琉球処分以降の沖縄を集約していた。苦悩の結晶であり、方言撲滅運動という自己否定の成果だった。住民内部でも相克はある。
少年は信頼が裏切られていくことに我慢ができない。
極限状態で”どこにでもいる人間”が裏切ることは当たり前であるという考え方はできない。
著者は誰が正しいとは言わない。
人間と戦争の実相を突きつける。
人間相互の実相を突きつけるために戦争という場、しかも兵站をになう”銃後”(沖縄戦で戦場と銃後の境など在ったのか?)という場を用意したのかもしれない。
ミステリです。
一筋縄ではいかないミステリ。
そういえば、先ほど帰省の折、屋根裏部屋から、おそらくに祖母がなけなしの米を売って購い、せめて出征する父(長男)に持たせたであろう「昭和新刀」が見つかりました。
戦後に父自身が一々かざしつつ丁重に油紙を巻いたのであろう、刃に一点の曇りもなく・・・。
アメリカ軍は街をオープンシティにさせるという考えは全くなく、艦砲射撃や空からの爆撃で街をぶっ壊しましたね。
人間と戦争の実像を真っ先に政治家が知るべきでしょうね。特に今の若手政治家が。
正直、戦争を題材にした小説は史実と創作を混同させてしまう恐れがあると思って今まで避けてきたのですが、古処さんが対談で「当事者だから語れない事実もあり、誤魔化さねばならない事実もあります。」と書かれているのを読んで得心しました。
http://minoh.9.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=558122などで感じはつかめるのでは?
情けない。
この『接近』と『ルール』『七月七日』です。
後者は、ルソン島とサイパン島の戦場の地獄を描いています。
いずれもかつて読んだことのない、すぐれた戦場文学でした。
自衛隊経験のある30代の作家だそうですが、驚くべき歴史・戦争・人間理解の持ち主ですね。
佐平次さんの紹介を知らなかったら、ひょっとして読む機会がなかったかもしれません。
いつもながらですが、深く感謝します。
ここで古処は興味深い発言をいくつかしています。
それで、この本を読みました。ああ、それをここに書いたんだ!
今日はこれから「フラグメント」を読んでみます^^。