戦後のスタートに間違いあり 「戦争文学を読む」(朝日文庫)①

「二十四の瞳」、壺井栄の原作も読んだが映画も見た。
まだ小学校だったか中学に入っていたか、見たということは学校で連れて行ったか許可があったということだ。
高峰秀子の大石先生と子どもたちの物語にこちらも子どもだったが泣いた記憶がある。

この映画について本書の中で川村湊(文芸評論家)は
「二十四の瞳」という小説の映画化は、戦後の教育者の一種の言い訳だと思います。これは非常に教育的な映画であり、文部省や日教組の推薦映画として学校でみんなで見るのにぴったりの映画だった。戦争中、いかに教育者たちは戦争に反対であったかが子供たちに伝わる。教育者がこの点を拡大していった面は拭えないし、『ビルマの竪琴』にしてもそうなんですね。基本的に、児童文学と教育はどこかが重なってしまうわけで、それがここで最初に戦争の語り方の典型的な例として出てきました。
といっている。
「ビルマの竪琴」については成田龍一(歴史学者)は、作者の竹山道雄はビルマに行ったこともないが、「合唱による和解」を描くために、共通の歌として「はにゅうの宿」をもつイギリスが選ばれ、そこからビルマ戦線を舞台としたと指摘し、しかも「人食い人種」の話を挿入するのは、野蛮な植民地対文明国・日本という戦時中の認識構造をそのまま引きづっているという。
川村は、ドイツ文学者たちが、戦中の言動を批判し、克服するのではなく、戦中の自分たちの行動を正当化する物語をつくったともいう。

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戦争は軍部および指導者たちがやったのであって我々には責任はない。
我々はみんな被害者なんだ。
だからもう二度とそういうことのないように平和な民主主義国家を創っていこう。
唱歌が歌われ美しい自然が愛でられる。
戦争に突き進んだときと同じ共同体幻想じゃないか。

結局、ここのところだ。
ここがアイマイなままで経済成長に邁進した結果、現在の無責任な世の中が出来上がったのではないか。
俺じゃない、俺にどうしろってんだ。
他にやりようがあるのか、あったのか?
みんなで大合唱だ。

gakisさんが指摘する通り総理大臣が”先の戦争”などと、いい加減な反省を述べている。
本書でイ・ヨンスク(韓国生まれの社会言語学者)は
日本に来たときに、「戦前・戦後」って言われてもピンときませんでした。被植民地にとっての戦争は、十五年戦争以前の韓国併合や日清戦争の頃からですから、逆になぜそんなに十五年戦争にこだわるのかと思いました。そこの日本側の認識は欠如していると思います。
と発言している。
彼女の母の記憶によれば、戦争状態というのは植民地支配がきびしくなって物資が足りなくなった状態というのが主な印象だったそうだ。
まだまだ戦争は語りつくされていない。
責任者についても。

俺が人生の終りに近づいて自分の人生の欺瞞性、自己満足の連続を反省している(振り?)のも似たところにある。
「もっとやりようがあったんじゃないのか」ということだ。
結局、肝心なところで逃げた。
言いたいことを云う、戦う、しかし結局は辞めて(首になって)しまうって無責任だったのじゃないか。
窓際から放りだされて、今までと全く違う仕事に対して髪型や服装を変えてでも取り組んで、、それが俺の“戦後”だった。
ホントにそれしかなかったんかい?
もう少ししぶといやり方はなかったか。

俺個人のことはもうしょうがない。
しかし、日本はどうなる。
難解な言葉遣いもあるけれど考えさせられることの多い本だ。

川村と成田が、上野千鶴子、奥泉光、イ・ヨンスク、井上ひさし、高橋源一郎、古処誠二をテーマごとにゲストに迎えて鼎談を行った記録集。

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(日本体育大学の講堂の壁、オリンピック大学だ)

女子ソフトボール、がんばったね。
ところで星野ジャパンとか岡田ジャパンとかいうけれどソフトボールは何ジャパン?
俺は単に日本代表ゾフトボール・チームが一番いいと思うよ。
監督個人の名前をかぶせるってなんか変だと思いませんか。
Tracked from 号泣する準備なんてできて.. at 2008-08-25 12:55
タイトル : 号泣する準備なんてできてねえよ!
というくらいに泣いた映画。更新しだいでは映画以外もうpしてきます。... more
Commented by antsuan at 2008-08-22 00:08
敗戦に対して、「とうとう来るべきものが来た。来ないより来た方がマシだ。」と、当時の反戦政治家は述べています。
勝ったんだか負けたんだか分からない朝鮮戦争。休戦状態の認識欠如が新たなる火種にならないと良いのですが。

Commented by m_poppy at 2008-08-22 00:45
「一種の言い訳」を、とことん美しく描くのってなんだかズルイ。“教育”という言葉が嫌いなのは、学校が(先生が)苦手だったから、そこに胡散臭さを感じてしまうのかも知れません。
でも映画などで感動すると、「人の志って、こんなに尊いものなんだ・・・」etc、心に種が埋められるから、やっぱり観られるコトって幸せだな~と思います。^^/
Commented by 高麗山 at 2008-08-22 00:56 x
>戦争は軍部及び指導者たちがやったので我々には責任は無い。

私の高校生までの大半の教師は、戦争体験者であり、また戦争を礼賛し、教え子が戦場に赴くことをよしとした人々でした!
戦後になって、我々に教育を施すまでにどのような○○○的転換があったのでしょうか?
そのようなことをお聞きするまでに殆どの先生は他界されました。
マア、聞きとる能力の無かった自分にも、大いなる責任はあると思っていますが。。。

○○ジャパン、否ですね、大嫌い!!!  長嶋ジャパンがはじめかな?   病気療養中の長嶋氏を、監督変更もせず“カリスマ”として奉る悪しき貧困精神が脈々と受け継がれているような気がしてならない。  監督ごときの“固有名詞は”は絶対避けるべきだ、マスコミ連中も目を覚ましてくれ。もし使うのならば、全監督の名詞を冠して欲しいものだ!
Commented by henry66 at 2008-08-22 06:37
>ドイツ文学者たちが ~ 戦中の自分たちの行動を正当化する物語をつくったともいう。

非常に興味深い点ですね。誰がどういう物語をつくったと書いてありましたか?
Commented by saheizi-inokori at 2008-08-22 07:32
antsuan、私も来ないより来た方がましだった、あのママ泥沼を続けるなんて考えられませんよ。
Commented by saheizi-inokori at 2008-08-22 07:38
m_poppyさん、感動することは素晴らしいと思います。
そのことと戦争の本当の責任を追及することは別ものなんでしょうね。
軍国主義思想の映画だって泣けます。
Commented by saheizi-inokori at 2008-08-22 07:45
高麗山さん、個人レベルでの誠実さをもって集団を構成する要素としての責任をあいまいにしてしまう。
今またあちこちで見られるのではないでしょうか。
ナントカジャパンという言い方はどうもそういう感性の延長戦上にあるような気がしてしょうがない。
一見逆のようだけど。うまく説明できませんが。
Commented by saheizi-inokori at 2008-08-22 07:51
henry66さん、竹山道雄自身は反ナチズムだったようだけれど戦中のドイツ文学者はナチズムの宣伝や賛美をしたわけで、そこを批判せずに”美しい”物語を書いた、それはヒューマニズムの文学でした。
高橋健二は戦中、文学報国会で活躍、ナチズムの文学についても書いたけれど、戦後はヘルマン・ヘッセなどの無垢なヒューマニズムを紹介して、ふたたび立ち上がった。「ビルマの竪琴」はそういう人たちの「アリバイ」としても機能したとか川村はいってます。
Commented by saheizi-inokori at 2008-08-22 08:04
henry66さん、「ビルマの竪琴」では日本人のアジア体験(植民地支配)は切り捨てられるのです。戦争の悲惨さは、日本人も、ビルマ人も、イギリス人も死ぬという一般的な戦争の悲しみや被害として描かれる。
ここではビルマは穏やかな自然風土としてのみ描かれて文明をもった主体としては捨象されます。
その上で日本人も帰って行くべきアジア的自然性として提示される。
”歴史的な過程を否認し、他者意識を欠いた内側に向けた共同性を創り上げている”成田の指摘です。
死者の弔い方も水島一人が残留することで終わり、これは島々の遺骨収集の思想とよく似ている。
外側に対して右代表で哀悼する。
内側として観念されている広島や長崎で遺骨収集は行われない。
Commented by gakis-room at 2008-08-22 10:49
壺井栄→壺井繁治から,戦争責任を巡る「吉本隆明・花田清輝論争」を思い出しました。政治家はもとより,文学者,小説家,詩人もまた,多くの場合「過去」などなかったかのように振る舞いました。

ソフトボールの決勝戦,おもしろかった。解説の宇津木妙子さんが,応援でも感想でもないまさしく解説を淡々としていましたが,日本勝利の瞬間に絶叫し,しばらく涙声であったのが印象的でした。
Commented by convenientF at 2008-08-22 11:51
>言いたいことを云う、戦う、しかし結局は辞めて(首になって)しまうって無責任だったのじゃないか。

>ホントにそれしかなかったんかい?
>もう少ししぶといやり方はなかったか。

ガンガン応えますよ。

当時のトップを叩き出す最強の武器を持っていたのはアンタじゃないか、と元部下たちや下請のオヤジタチオからの恨み節をまた聞かされました。
Commented by 夢八 at 2008-08-22 12:08 x
あれは、長島ジャパンが最初だと思いました。

それ自体もう違和感があったが、マスコミの悪い癖ですね。
何か特別仕様のような感じにしてしまう。

星野ジャパンがまさにそうで、高校野球の延長になって
見苦しい気がするが、そんなことを感じるのは
僕だけでしょうか。

オリンピックも悲願の言葉ばっかり飛び交って
悲壮感でおびただしい。

ソフトボールの3連投もきわめて日本人的で
投げさせたことの是非論が出てきませんね。
肩つぶれたらどうするんだろう?
プロだったら?

悲願が達成されたから、もういいのかな、どうも違う気がするが。
Commented by saheizi-inokori at 2008-08-22 12:18
gakis-roomさん、書いた人の思惑とはまるで違った”効果”を発揮していくのが作品と言うものですね。
「吉本隆明・花田清輝論争」、恥ずかしいけれど勉強していません。
やっと今なら読んでも少しは分かるようになったかな。
ソフトボールはラジオで聴いていました。
こちらは安藤をいう人が解説で妙に覚めていて「大したもんだ」ばかりを繰り返していて男性アナウンサーが涙声になったのがおかしかったです。
宇津木さんて結果論みたないい加減なことを言うのが面白くて好きです。あんなものでしょうね。理詰めでやれるものじゃないでしょう。
Commented by saheizi-inokori at 2008-08-22 12:22
convenientFさん、私の場合は恨み節に通じるところがある。
それが情けないけれど。
国の場合は敗戦後も恨み節じゃなくて大きな顔をして立ち上がってきたんだから困ったものです。
Commented by saheizi-inokori at 2008-08-22 12:30
フローラさん、ありがとう。でも孫は孫の人生ですよ^^。
大きな流れに逆らいにくい個人であればこそ、個人と集団の関係でもう一度戦争責任を捉えなおさないと戦争が天災になってしまう。
企業不祥事も国家財政の破綻もみんな天災、では困ります。
たしかに映像に慣らされる、映像のメッセージが伝わらなくなるということはありますね。
歴史の記憶もそういうことがいえるかも知れない。
事実をどう捉えるかで、記憶が変容していく、風化ってそういうことでしょうか。
Commented by saheizi-inokori at 2008-08-22 12:35
夢八さん、天皇陛下のためならば欲しがりません勝つまでは、ですかね。
ソフトボールが何とかジャパンでなかったのはよかったです、その意味でも。
ところで野口さんはどういう思いで見ているのでしょう。
Commented by 近所 at 2008-08-22 17:41 x
ソフトボールの上野投手の3日で4百10球!「上野と心中!」・・・しびれますね!!稲尾、杉浦の腕も折れよとばかりの連投を思い出すような・・・それに比べて、あれだけいい球を投げていたダルビッシュをつぎの試合を考えてか、2回で降板させたことは、壇ノ浦での逆櫓みたいな(義経はつけさせなかったが・・・)逃げ腰のように見えて、不安に思ったがその通りになった。「上野と心中!!」を見て星野さんいっそうがっくり来たんじゃないか?
Commented by 散歩好き at 2008-08-22 20:54 x
チョットしたひっかりで申し訳ありません。同じ朝日文庫で「硫黄島玉砕(海軍学徒兵慟哭の記録)どれだけ有能な若者を死に至らしめたかの記録です。我々も甘い生き方をしてきました。
Commented by henry66 at 2008-08-22 23:03
佐平次さん、ご丁寧なお返事ありがとうございました。
子供心にも、日本人のヘッセ偏愛は不可思議だったのですが、なるほど。

>その上で日本人も帰って行くべきアジア的自然性として提示される。
”歴史的な過程を否認し、他者意識を欠いた内側に向けた共同性を創り上げている”

この傾向は今でも頻繁に見かけます。ブログを始めてから、特に私の世代の人たちに、この歪んだ世界観(?)の持ち主が多いことに気づきました。私は昭和40年代生まれで、この世代を教えた教師たちは大抵戦後生まれでした。
Commented by saheizi-inokori at 2008-08-23 00:26
近所さん、稲尾ですか、懐かしいですね。
今テレビをみたらまだ上野が生出演してます。こっちの連投も凄い、顔がむくんでいました。
Commented by saheizi-inokori at 2008-08-23 00:29
散歩好きさん、その立場にならないと力は出ないのかもしれませんが、確かに彼らに比べたら甘い生き方と言わざるを得ないですね。
Commented by saheizi-inokori at 2008-08-23 00:33
フローラさん、どこまで耐えるか、ですね。
我慢できなくなるまでは頑張る。そうするとその人ごとの相対的なものになってしまう。
やはりその責任に対してどう応えたかが問われるのでしょうね。
Commented by saheizi-inokori at 2008-08-23 00:36
henry66さん、そういうのが一番癒されるのでしょうね。美しくもある、と錯覚する。
相手の気持ちなどかまやせぬ。アジアは一緒だよって。
Commented by 近所 at 2008-08-23 00:44 x
400メートルリレー!万歳!!みんな思ってもみなかったメダル!!娘は「タナボタりれー、なんていっていたが、冗談じゃない!“運も実力のうち!”をこのくらい実感したのは初めて!!」
朝原さん、為末さん、・・・今は夢のよう・・・実感は明日になってから・・・?うれしかったろうな・・・ともかくよかった、ヨカッタ!!ソフトボールと同じくらいうれしいニュース!!よかった!!よかった!!!
Commented by 近所 at 2008-08-23 00:56 x
パンとサーカス、3S(スクリーン・セックス・スポーツ)・・・庶民を政治から目を背けさせる、麻薬的政策ということはすこしは解っていても、なんでこんなに夢中になってしまうんだろう?それはここに到るまでの、筋肉との苦闘、肉体とのぎりぎりの苦闘の結果をちょっとでも理解っているからかな・・・興奮気味です!!
Commented by 近所 at 2008-08-23 01:02 x
小生の始めてのオリンピックはヘルシンキ(昭和28年。古橋は絶頂期を過ぎてメダルなし。橋爪が銀メダル)。レスリングで石井庄八が唯一の金メダル。陸上短距離トラックでメダル!!うそみたいだ!!
Commented by saheizi-inokori at 2008-08-23 01:03
近所さん、おっしゃる通り、走る、投げる、打つ、躍動する筋肉、特にリレーの如き、ソフトボールの如き、チームプレーがうまくいったのをみて感動しないはずはないです。
理屈抜きに。
Commented by sakura at 2008-08-23 13:01 x
全くgakisさんが仰っておられる通りです。
特に解説の宇津木妙子さんの絶叫!一緒になって涙を流しました。
素晴らしいソフトボールを見せてもらいましたね。満塁の時はじっとしていられなくて立ったり座ったり神様仏様に祈ったり、、
こんなに興奮した事久し振り、、決勝戦は全員が素晴らしかったですね。Tvの前で ばんざ~い!おめでとう!涙、涙。
そして昨日の400mリレー!
あ~~良かった!バトンタッチ良かったですね。
まだ興奮しています。
あ~ぁ もう明日で終わりますね。
どの選手の皆さんに 本当に有難う!を言いたいです。
Commented by saheizi-inokori at 2008-08-23 13:31
sakura さん、どっちもテレビでは見ていませんでした。
ソフトはラジオで実況、400は結果だけ聞きました。
チームプレー、とくにリレーはリアルに観ていると感動がまるで違いますね。
野球に比べてソフトは健気という感じが強かった。
“星野”ジャパンなどと言わずに上野さんをみんなでなんとか見殺しにしないようにという感じがよかったです。
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by saheizi-inokori | 2008-08-21 22:04 | 今週の1冊、又は2・3冊 | Trackback(1) | Comments(29)

ホン、よしなしごと、食べ物、散歩・・


by saheizi-inokori
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