もしもブログがあったなら 母のタイプ通信

亡き母は勤めていた会社が就業規則を突然改悪して(まるで第二組合に入らない母を狙い打ちにしたように)女性の定年を男性(55歳)より短くしよう(50歳)としたのに抵抗して戦い(戦わなければ生きていけなかった)、結局母だけ既得権として55歳まで働いた後上京し、パートとしてタイプ印刷をして暮らしをたてた。

その後、俺が地方勤務だったこと、というより自分のことしか考えていなかったことに加えて、それまで一緒に暮らしていた弟夫妻が別居したためひとりでアパートを借りて住んだ。

1980年頃、年金とパート収入をあわせて月収10万円以下、そのうち半分以上が住居費。
区長に「高齢化用の区営アパートを建設して欲しい」と手紙を出したら「孝行係」というところから大きな封筒で返事が来て要するに「家庭の団欒、子どもたちと住むのが一番いいです」と云われた。

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1979年から母は、同じように苦労している女たち、知っている人、新聞に載っていた人など40人ほどに、なんでもいいから言い合おうと手紙で呼びかけて、手紙を送ってもらい、それを、編集してタイプで打って「花通信」として全国に散らばっている会員に送ることを6年ほど続けていた。
一回でも送った人は55人、明治生まれが4人、大正23人、昭和10人、その他は不明、富山、長野、九州、沖縄、関東が一番多い。
共通しているのは貧乏なこと、それでも前向きにヒタムキに生きている人ということ。
夜なべ仕事の後などに白内障に怯えながら、しょぼつく目をこすり読みにくい肉筆の手紙を読み、それを印刷物にして、ほぼ毎月一号は発行していた。
近況報告(四季のたより)、花に寄せて、終戦の日にどうしていたか、私の抵抗、私の健康法、、テーマを決めて書いてもらったこともあるようだ。

母の記事を読むのは懐かしいけれど辛い気持にもなる。
女性差別の定年制と戦った人が最高裁で勝利したときには流石に感慨深かったようだ。
そこまで戦えず自分だけ首がつながったことで矛を納めたことを「当時は20代の若い女性が頑張ってくれることを信じて」と書いている。
驚きと不安で、私は絶望に近い気持ちになって、子供を抱きしめていつまでも泣いていた。この子がこれからどんなみじめな生き方をするのか、それを親としてどうすることもできないのだと思い、ごめんね、ごめんね、と抱きしめていたような気がする。
当時の朝鮮の南端・木浦で敗戦の知らせを聞いた時の母の思い出だ。
世の中の悪いこと、すべての根っこには「お金にさえなれば」がある。
そういうお金の魔力に抵抗しようとしても年をとるほどにお金のありがたみを身にしみてきたのをどうしようもないと嘆く。
すでに、世の不合理に抵抗して「美や愛やいのち」のために行動している人達に、この私でも何か微力を役立てなくてはと、思ってはいるのだ。
とも書いている。

最初は毎月一回発行できたけれど、段々体も疲れてファイトも湧かなくなって、88年には3回しか発行できなかった。
そのあと、6年分の記録を再び編集して一冊(316頁)の本(↑)にした。
これも母が自分でタイプを打って、メンバーの旦那さん(画家だったが早世)が遺した絵をカット(↓)にしたり、前書きや後書きもしっかり書いた。
それがあるから俺はこういうことを知っているのだ。

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(「海の底のつばくろとちょうちょう」という題がついた絵、前書きのカットにしてある)

「いつも読むだけですみません。でも花通信を読むことがどれだけ楽しみだったか」と終刊の感想を書いている人もいる。
プロハダシの半生記を書いている人、「健康法は、これと言ってないですが、具合が悪いと思ったら早く寝ることにしています」と書いた人は俺も子どものころ自分の子のように接してくれた近所のオバサンで、おおらかな笑い声を思い出してしまった。

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当時、今のようなブログがあったら?
母は喜んだだろうな。

でも、ちょっと考えることは、
今でも「俺は携帯メールもパソコンも駄目だ」という友人が、ときどき自分で作ったジャガイモを送ってくれたりササッと葉書を書いてくれたりする。
あのオバサンも生きていたら間違いなく「パソコン?なにそれ?」だろうな。
Tracked from 好都合な虚構 at 2008-08-20 15:26
タイトル : あなた「金持ち」?     
偶々続いてしまうが、「梟通信~ホンの戯れ言」からまた引用する。 今のフリーターは”国や組織にたよることなく”なんていう優雅なものではなくて”国や組織にたよりたくともたよれなくなって”、”手に職つける余裕などなくなって””自分の力で生きていくのも難しくなって”いる人が増えているってことは分からないんだろうな。 『人生読本 落語版』(矢野誠一)の中の以下の記述に対する「梟通信~ホンの戯れ言」管理者のsaheizi-inokoriさんのご感想だ。 国や組織にたよることなく、手に職つけて、自...... more
Commented by ginsuisen at 2008-08-19 23:09 x
あー、なんとすばらしい母上!女性として、母として、人として、すばらしい方だったのですね。今からでもどうでしょう。改めて、その花通信をブログにして紹介しませんか。新しい花通信の輪ができるのではないでしょうか。それから、通信としてミニタブロイドのようにして印刷してもいいですね。そのころ自由学園・「婦人の友」には載らなかったのですか。暮らしの手帖にも載ってしかるべきかと思いますが。
Commented by イネ at 2008-08-19 23:37 x
こんな素晴らしい本や新聞を遺して下さったお母様。
お金じゃ買えないものです。
saheiziさんの宝物、時々紹介してください。
お母様やオバサンたちの言葉をぜひ載せてください。

>すでに、世の不合理に抵抗して「美や愛やいのち」のために行動している人達に、この私でも何か微力を役立てなくてはと、思ってはいるのだ。
読んでいて背筋がしゃんとします。でもきっとsaheiziさんのように落語がお好きで、楽しいお話をたくさん聞かせてくださったんでしょうね。
Commented by takoome at 2008-08-19 23:44
サワディ〜カ〜  
こんな素晴らしいがんばりやのお母さんだから佐平次さん,今ここに居る!なのですね、
私,いい加減なぐうたらですから,喝を頂きたい。 
是非,また紹介してくださいね,
Commented by lilia109 at 2008-08-19 23:55
なんと素晴らしいお母様でしょうか!
弟子入りしたい気持ちです。
残していくことって、、とても大事ですね。。。
わたくしのブログも、後世に役立つことがあるますように、、、(悪い見本ならあり?)
Commented by henry66 at 2008-08-20 00:43
呼びかけて、応えてくれた人たちの手紙を読み、編集し、タイプする、という過程がブログにはありません。その過程を長年続けてこられたお母様の「花通信」のお話、胸をうたれました。

お母様の「暑きことのみ」の句を私も先日タイプしましたが、その行為を通して身体に伝わってくるものがあることを知りました。お会いしたこともない佐平次さんのお母様をたいへん身近に感じました。

日本の社会はまだまだ女性にとっては厳しいところだと思います。エキサイトブログでも、そういう状況と健気に戦っている女性をたまに見かけますね。声援を送りたくなります。
Commented by お茶好き at 2008-08-20 00:56 x
意志の強いすばらしいお母様ですね。だから今ここにステキなsaheiziさんがいらっしゃるのですね。

Commented by antsuan at 2008-08-20 06:24
落語には子供と云うと悪ガキしか登場しないとあの本に書いてありましたが、親思う 心にまさる 親心 ということわざも引用してあって、大陸からの引き揚げ者には、特にその絆が強く感じられます。
Commented by saheizi-inokori at 2008-08-20 07:36
ginsuisen さん、ありがとう。
個人の原稿ですからそのままご紹介もちょっと、ですが工夫してみます。
Commented by saheizi-inokori at 2008-08-20 07:38
イネさん、落語は好きでしたが寄席に行くことなどはできなかった。
亡くなる一年前に浅草演芸ホールに連れて行って住吉踊りを一緒に見ました。
一日大笑いをしたことが懐かしいです。
Commented by saheizi-inokori at 2008-08-20 07:39
takoomeさん、おはよう。
不肖の息子です。今頃いろんなことに気がつき始めました。
Commented by saheizi-inokori at 2008-08-20 07:42
lilia109さん、おおありのこんこんちき!こういう言葉ってわかります?母の言葉用例集にありましたよ。
ブログってだからすごいことですよね。
母は50人の人に声をかけるだけで大変だったようです。電話もほとんど使わないはずでしたから。
Commented by saheizi-inokori at 2008-08-20 07:51
henry66さん、ありがとう。
私が書きたかったことはそういうことでした。
ブログと手紙の往復の違い、書き写してみることと読むだけの違い、それをやり続ける人の思い。
昔は筆まめだったのに今はメールで済ましてしまう。その時何かが落ちこぼれてしまうかもしれません。
とても大事な何かが。
そういう何かが救えるようなメールを書ければいいなあ。
Commented by saheizi-inokori at 2008-08-20 07:53
お茶好きさん、モジモジ(顔真っ赤)。
Commented by saheizi-inokori at 2008-08-20 07:56
antsuan、おっしゃる通りですね。
ほんとに誰もが言うことですが自分がその立場になってやっとわかる。
引揚者ばかりではないのでしょうが、直接命の不安に怯えると絆は深まるのでしょう。
その割に私は冷たかったなあ。
Commented by 74mimi at 2008-08-20 14:39
大変な宝物(ご本)ですね。
少しずつ内容をここで拝見させて頂けたら・・・嬉しいのですけれど。
無理でしょうか。
Commented at 2008-08-20 14:49
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by suiryutei at 2008-08-20 15:06
こんにちは。
言いたいことはすでに皆さんが書いてしまった。
だから一言だけ。その花通信、読んでみたいです。
Commented by nao at 2008-08-20 15:49 x
suiryuteiさんと同じく私も是非読んでみたいです。
また紹介して下さい♪
Commented by convenientF at 2008-08-20 16:10
>「家庭の団欒、子どもたちと住むのが一番いいです」と云われた。

政治家、行政はいまだに同じことを言って「同居できないわけ」には目をつむっています。
そして「老老介護」、「認認介護」....
Commented by saheizi-inokori at 2008-08-20 16:38
74mimiさん、花通信はほんとうはそれぞれの人が自分の花通信をすればいいと思います。
こうやってブログで交信しているのは私たちの花通信ですよね。
でもそう云って頂くのはとても嬉しいので母と相談しながら、、^^。
Commented by saheizi-inokori at 2008-08-20 16:40
suiryuteiさん、naoさん、上↑に書いたとおりです。
ありがとう。母がびっくりしていると思いますよ。
Commented by saheizi-inokori at 2008-08-20 16:42
convenientFさん、ね、そんなことお前に云われなくても、、ですよね。
その区が立派な「総合文化センター」を作ったのをみて母はやりきれなかったようです。
Commented by Rie at 2008-08-20 16:43 x
梟は花から生まれたんですね。母子の強い絆を感じずにはいられません。
Commented by saheizi-inokori at 2008-08-20 17:16
Rie さん、オクターヴとRieさんも同じですよ^^。
Commented by sakura at 2008-08-20 21:39 x
言いたい事は皆様がすでにお書きになっておられますが、お母さまのお偉い所は、ただ考えるだけではなく 行動を起こされた所にありますね。
素晴らしい立派なお母様です。尊敬申し上げます。
私はパソコンを知った時、先ず自分が生きている間にパソコンに出合えた事は どんなに驚き 嬉しかった事でしょう・・フルに利用しなくては、、と思っています。
お母さまがご存命の時、佐平治さんがおっしゃっておられる様にお母さまに対して本当に冷たかったのですか?絶対その様な事はないと私は思います。今頃、もっと優しくしてあげたかったと思うのは、それはだれでも皆一緒だと思います。自分ではその時その時、一生懸命尽くしていたつもりですが、亡くなられると あ~~もっと色々と してあげられたら良かったと思うものですよね。
私はお義母様から孝行などしていらないよ。年をとったら優しい言葉だけかけてもらえば嬉しいものよ。と仰った言葉が忘れられません。
Commented by みい at 2008-08-20 21:43 x
女性にとっては、ほんと厳しい時代に生きたお母様、凛とした素晴らしい方だったのですね。私もその時代に居たら花通信してみたかった。なんて思います^^。
花通信、是非少しづつでも紹介してほしいです!
Commented by sagisouf at 2008-08-20 21:58
1980年頃、年金とパート収入をあわせて月収10万円以下、そのうち半分以上が住居費。・・・とてもキツイですね。あの頃なら、やっていけたのかしら?お母様、強かったんですね。それに信念もある方のように思われます。息子たちには甘えなかったのかしら・・?
私もお母様と同じ様な歳になり、息子が2人いるので、息子の場合は親はもたれないでおこうとヤケに思いますね。お母様もそういう意思がおありで、「花通信」にご自分の楽しみを見つけられたのかしら?立派なお母様ですね。
プログがあっても「本」を作られたんじゃないでしょうか?そんな気がします。やはり「手作りに本」にこそ、お母様の思いが出ていますね。
Commented by saheizi-inokori at 2008-08-20 22:18
sakuraさん、あなたのコメントに返信するときにこの記事を書こうと思ったのでした。
おっしゃっている“優しい言葉”という点が一番欠けていたと反省しています。
それはやっぱり自分のことばかり考えていたからでしょう。
一緒になってからは毎朝ご飯を作ってあげましたが、母にとってはその方が辛かった、たとえモタモタしていても自分で作りたかっただろうと思います。
これも私が自己満足だったのです。
Commented by saheizi-inokori at 2008-08-20 22:20
みいさんの花通信、毎朝楽しみですよ。
機会を見つけて又ご披露します。
Commented by saheizi-inokori at 2008-08-20 22:27
sagisoufさん、ありがとう。
きっとスゴク厳しい生活だったと思います。
生活費の分析も書いてあって孫たちに何かを買ってやることは生き甲斐だから削れない、なんて書いてあります。
最後の数年間は一緒に暮らしましたが、それは私が妻を亡くして面倒を見てやろうという気持ちからだったと思います。
その前は老人ホームを探して妻が訝しがっていたくらいです。妻とはとても仲が良かったのですよ。
私が小学校の頃書いた作文を謄写版で本にしてくれたこともあります。
そういうことがあの苦境を生き抜く何かになったのでしょうね。
Commented by たま at 2008-08-20 23:34 x
「母」という字を改めて想って見ました。
ものの本によれば、本来、この字を90度方向転換して、「虫」の字にも似た象形の2つの四角の窓に「点・点」を付して乳房を表し、あたかも女性が両手でわが子を抱き抱え、授乳する姿を起源とする・・・とありました。
(決して「カッコワル」(「÷」ではないようです・・・?)
今週末には17回忌の帰省墓参。
ひらがなとカタカナを恥じて決して手紙をくれなかった母、大人になっても決して一緒に暮らすことのなかった親不孝(不幸)の息子、今更に、そんな母の面影と、ずーと昔にまさぐったことのある「点、点」の母の乳首をも想い起しつつ、コオロギの音です。(ともに泣けとばかりに・・・)
Commented by saheizi-inokori at 2008-08-20 23:38
たまさん、虫の音がひとしお胸に沁みます。
Commented by sakura at 2008-08-21 10:49 x
佐平治さん。毎朝 ご飯を作ってあげた、とか、
面倒を見てやろう、、、とか、、
こう言う言い方は私は気に入りません。
<母にとってはその方が辛かった、たとえモタモタしていても自分で作りたかっただろうと思います>
こう言う事に気づかれているから許しますが・・・
本当に佐平治さんの自己満足の人生 多かったですねぇ~
奥様を亡くされて一人で過ごせませんよ。
お母様とご一緒に過ごされて どんなに精神的に助かられたか、、と思います。
ご一緒に住んで下さったお母さまに心から感謝ですね。


Commented by saheizi-inokori at 2008-08-21 20:06
sakura さん、その通りなのです。一言もありません。
面倒を見てやろう、、は母にそういう気持ちがあっただろうとも思うのです。
もっとも妻が発病する前から一緒に住むつもりで二所帯住宅の中古を探していたのですよ。
母は台所は小さくとも別にして欲しいという希望でした。バブルでなかなか手が届く物件が見つからないうちに妻が亡くなったのです。
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by saheizi-inokori | 2008-08-19 22:56 | よしなしごと | Trackback(1) | Comments(34)

ホン、よしなしごと、食べ物、散歩・・


by saheizi-inokori
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