100万回目に亡くなったお母さん 佐野洋子「シズコさん」(新潮社)
2008年 07月 16日
なんだか読むと切なくなって困るだろうと思って買わなかった。
結局何人かに薦められて読んだ。
切なくはなった(ほとんど泣けた)が困りはしなかった。
むしろほっとするような温かい気持ちになれた。
俺には身につまされるような話なのだ。
知的エリートだった父は満鉄調査部(著者は”植民地を支配したワルモン”の生活という)にいて引き揚げ。
父が早く死んで若い母が苦労して子どもたちを育て大学まで出す。
うるさい・恐い・カミソリといわれた父が亡くなったときに幼い弟が日記に「よかった」と書く。
母の手伝い。
編み物のかせを両手に通して母の毛玉を作るのが面倒だけど嬉しかった。
貧しくても母はいろんな工夫をして”御馳走”をつくってくれた。
貧しい学生時代、貧しいことは楽しいことだった。
でも、その楽しい最中、母のことを考えると楽しいことが後ろめたかった。
どれも俺にも既視感のある光景だ。
俺とはまるで違うのが洋子さんは母親を憎んで憎んで嫌いで嫌いでしょうがなかったというところ。
情のない、とくに洋子を嫌っているとしか思えない、継母だといわれたくらいな母親。
終戦により民主主義というなじみのないないものの洗礼を受けて「時代のしつけに埋もれていた」母の地金がむき出しになった。
こんなに母親を嫌う娘は自分ひとりかと思ったら結構もっと凄い母娘もいることに年を取ってから気がついた。
あゝ、世の中にないものはない。嫌いな、身体に触るのも嫌な母を高級老人ホームに入れる。
ごくふつうの人が少しずつ狂人なのだ。
少しずつ狂人の人が、ふつうなのだ。
スッカラカン、
お金で母を捨てたホームに行くのが嫌だった。
嫌いだけれどその母に対して冷たいあり方しか出来ない自分を責めて責めて、、ああ、切ない。
ホームに行くと「洋子かい」と目に星ができる母。
一緒にベッドで横になりながら童話のような会話をする。
帰るときに玄関でいつまでも手を振る母。
母は呆けてふつうになった。
今までどれだけ手伝っても何をしても「ありがとう。ごめんなさい」といわなかった母が
私の方こそごめんなさい。あんたが悪いんじゃないのよといった。
洋子さんがごめんなさいと云ったときにだ。
誰でも「ごめんなさい、ありがとう」と一緒に生まれてくるのだろうか。そしてだんだん、そう云えない事情や性質が創られてゆくのだろうか。「こころ」というものがあるとしたら、母に対してそれを麻糸でぐるぐる巻きに固く固く何十年も縛りこんでいた様な、その糸がバラバラにほどけて、楽に息が出来るようになった洋子さん。
「覚えていない」に書いてあった、河合隼雄に指摘された「あなたは本当のことをいう。男は真実が嫌いなのに」という洋子の性格からくる苦しさが救われる場面だ。
その洋子は乳がんが再発して93歳で逝った母に車イスで対面したのは葬儀屋の霊安室だった。
やはりこうして書いていると切ないね。
でも、ほんと、なんだか安らかな気持ちになるんだよ。
洋子さんの文章が飾り気のない嘘のない心からの文章だから。
その文章が母への愛情を語っていて自分を許す気持ちが素直に書いてあるから、まるで俺までも許されているような気がするんだ。
父、叔母、知的障害者の叔父や叔母、妹、弟とその鬼嫁、アカンボのときに死んだ兄や弟、友人、、それぞれの登場人物が活き活きとして人間の動物園を観るように面白い。
まことに「ごくふつうの人が少しずつ狂人」なのだ。
「100万回いきたねこ」の作者が俺たち爺にも絵本(絵はないが)を描いてくれたような気がする。
٤̼طΡ Ǹ²ǤƤ褫ä͡ĤȤ褦ʤ 줬ۥȤä͡ κ줵ĤФˤʤʤơפ⤷ʤää줵Ǥʤä̼ϤƽȤΰ (Amazon) ܤȤˤäƼʬεǤʤ顤 ʤΰ̣ʤä�ĤȤޤ ϡƤȤδطǺ̼Ρ֥Х֥פȤʤ褦ܤǤϤʤ ĿͤκʤĤȻפޤ ڤε ̿ ... more
貧しい中に、「おさがり」をこれ見よがしにへつらう末っ子を思い遣り、長兄のセーターをわざわざ密かに解いて、それとは知らない当の末っ子に新品の如くに無理やり「かせ」を手伝わせた母。
晴れて私が地元の普通高校(農業高校以外に選択の余地なし。)、そして某旧帝国大学に受かったときにわが事のように大声を出して喜んでくれた、尋常小学校しか出ていない母。
それを恥じて息子たちに対して一切の文を残さなかった母。
間もなく、その母の17回忌です。
ホントに素直に、なおかつ切なくも、遅ればせながらの「ありがとう」の一言を思い起こしました。
良い本ですね。
佐平次さんの温かい気持ちへ、さらにおまけとして
http://takoome.exblog.jp/8289704/#8289704_1
友達のtakoomeさんの今夜の記事です。
かわいいフクロウの写真があります。
「こちらこそありがとう」と。
本読んでみたいです。
今読んでるのはケラケラじゃないなあ。
無意識のうちに、、母親って、娘を同じ<女>として見てしまい、感情むき出しにすることが、よくあると思います。
死ぬまで切り離せない関係。。こんなに嫌いなのに、どうしてっ?
大嫌い、、、だけど、母親の苦労や不器用さも理解しているだけに、、ほっとくことも出来ない。。
娘としての複雑な心境、、わたくしも少し前までは、同じような気持ちになったことがあります。
似たような小説で<愛を乞う人>っての、、前に映画にもなり、原田美枝子が好演していました。
<母親>という固定観念を取払い、、、一人の<人間>として、付き合って行くと、、結構ラクになれるし、、お互いを認め合える。。。
何年か前に、、それに気付きました。。
この本、、読んでみたいです。
私の母は、私が母にありがとうと言うシーンで、私も言いますが何故か母も私に言うんです。
不思議だといつも思うんです。
やたらとありがとうと言う母をへーんなのって思っていたことがありました。
でも、何故か私も今、母のようになっているんです。
今はどうしてだったのか解ります。^^
コスタリカでぐらしゃす。と言うと こんごすと。とか、むーちょ ぐーすと と返ってくるんです。
あたり前のように、知らない人たちが、知らない私にオラ(挨拶の言葉みたいです)と声をかけてくれるんです。
私は、全く私には用事もない人たちとすれ違う時にもオラと声をかけるんです。そこでゴミを集めている人とか、ペンキを塗る仕事をしている人とか。
そして、私がカメラを持っていると、私に仕事をしているところを撮れと言うんです。
だから、今回花ばかりではなく仕事をしている人々の、通りすがりの依頼写真をたくさん撮りました。
でも、彼らは見ることはないんです。それでもひと時私を仲間に入れてくれました。
とっても嬉しい旅でしたよ^^
>ごくふつうの人が少しずつ狂人なのだ。
>少しずつ狂人の人が、ふつうなのだ。
これ、ズンときました。
しかし、娘であり、母でもある私は、まだこの本は読めないかも。
母・娘というのは本当に複雑なものと思います。
娘にそんな思いをさせない母として老いたいと思います。
嫉妬のことも。
ユーモアもあるんですよ、洋子さん。すごく。
それぞれに長所と短所があるけれど、
長女の短所は「しょうがないなぁ・・・」と許せる。
でも、次女の短所があらわになると、時に猛り狂い、自分でもワケ分からなくなるほど罵倒してしまいます。
それはおそらく、次女が自分そっくりだから(ある意味)だとわかっています。長女とはタイプが違うから許せるんですね。
自分と同じタイプの子供とは、シンクロするときはすごいけど、反発しあうときはすごいエネルギーで怖くなります。
佐野洋子さんの場合はどうだったのか、わかりませんが、親子もいろいろ。面白いですね。
でも大事、逃げられない、だからなおさら嫌になるときもある。
それなのに、というかそれだから(というのが洋子解釈)母は嫉妬しているんだそうです。
お母さんは夫とケンカしていても尊敬していた、かなわないと思っていたんだそうです。
「ふつうの母娘関係」なら,
「ふつうの母娘関係」なんて,
多分どこにもないんでしょうね~。
この作品,救いがありましたね~。
この救いが本当なら,
佐野さんのためにもよかったね…と思いました。
私は共感、ありました。今は凄く。