その“了見”になる! 小さんの教えを継いだのは誰か 第478回落語研究会(国立小劇場)

毎月一度の「落語研究会」、今日は第479回というのだから大した歴史だ。
年間通しのチケットを明けやらぬ早朝から並んで取って下さった(俺は飯岡の旅の予定があって並べなかったのだ)皆さんに何とお礼を言っていいものか。

5代目小さんが亡くなったのは6年前の5月、というわけで今日は「小さんナイト」。
長男・当代小さん、孫・花緑に、高弟・小三治、故人が落語より身を入れていた剣道の稽古相手だった市馬、小三治の弟子・三之助がいずれも小さんの得意としたネタで亡き人間国宝をしのぶ。
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(会場正面には別の写真があって花が供えられていた)
噺を教えてはくれない。
聴いて観て「盗め」、しかし、よその師匠の噺を無断でやったらこっぴどく叱った。
それは泥棒と同じだ
盗めと云ったり盗むなと云ったり、、、小三治は芸とは直接関係のないところで人間としての生き方を教わったと語る。
俺は学生時代に小さんの高座を新宿末広亭で観た。
「首提灯」だったか侍を演じるとホントの侍みたいだとホントの侍を見たことのない俺を感心させた。

今月の「サライ」には「5代目柳家小さんのすべて」という特集が組まれているがそこで小三治は
形はどうだっていい。登場人物の“了見”を大事にしろ
が小さんの教えだったという。

さしずめ今夜は「誰が一番師匠の芸をよく盗み、演じる人物の了見になりきれているか」の競技会だ。

三之助 「片棒」
ケチで身上を築き上げた旦那が三人の息子の誰に身上を譲るかを決めるのに自分の葬儀をどのようにやるかと聞いて判断しようという噺。
参会者に豪華な料理とびっくりするような車代をはずむという長男、芸者のてこ舞や山車、神輿まで繰り出す華やかな行列をやりたいという次男、旦那は肝をつぶす。
三男は葬式なぞに無駄な金を使いたくないとケチづくめの葬式、お棺も菜漬けの樽で自分が担ぐ。
問題は片方を担ぐのは人足を雇わなければならないことだといえば親父
倅よ、心配するな俺が片棒を担ぐ
手堅くきっちりと話して笑いも取るのだが旦那と三人の息子たちの人物像がイマイチ浮き上がってこない。
バカ息子ではあっても人並みのバカではない、流石は大店の旦那の血筋を引いているだけにひと味もふた味も違うスケールのバカのはず。
その“了見”って?
確かに難しいだろうけれど。

市馬 「粗忽の使者」
信じられないほどの粗忽者、大名の家来だが大名に可愛がられている。
他の大名が噂を聞いて会いたがるので、使者として使いにだしてやる。
馬に乗るつもりで犬に乗ろうとしたり馬の尻を向いてまたがり「首がない!」、、ばかばかしい粗忽ぶりを下手な噺家がやるとかえって白けてしまうのだが市馬は伸び伸びと演じて粗忽者の大らかな性格を彷彿とさせる。
肝心の使者の用件を忘れてしまって尻の肉をつねると痛さのあまり思い出すからつねってくれ、そうでなければ切腹しなければならないというのだがそんな切迫感なんてまるでないところがいい。
先代の小さんの野太い声で演じる家来の朴訥なユーモアを思い出しながら楽しめた。

花緑 「花見小僧」
こまっしゃくれた小僧のしゃべりに寄りかかりすぎた。
男女の機微のことなど知らない旦那がそれでも大きな店を築いたのだからさぞかし大きな人としての奥行があろうものを、ちっともそれが感じられない。
小僧の唆しにのせられて長命寺のことを語るところなど小三治がやれば桜が咲いている境内の趣などが浮かんできて行ってみたくなるはずだが、単純に観光案内を読みあげているような塩梅だ。

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小三治 「小言念仏」
毎朝の日課「なんまいだぶなんまいだぶ」と木魚を叩きながら少々血圧も高くなったかイラチなお父さんが次から次へと小言を繰り出す。
リズミカルに、念仏が小言か小言が念仏かわからなくっちゃうほど。

仏壇の天井にクモの巣が張ってる~なんまいだぶ~
お花取り換えなさい、水だけでも取り換えると長持ちするんだ~なんまいだぶ~
お線香立てのマッチ棒が線香より多い
うまそうな饅頭が供えてあったのにもう食ってしまったのか
赤ん坊が来た、なんか考えてるぞ、俺の顔見て首かしげている
動かなくなった、、ほれみろ、やっちゃった~なんまいだぶ~

話しかけるなよ、念仏に身が入らないじゃないか
なに?おつけの実だ?そんなものはゆんべ寝るときに考えておくもんだ
お芋?今から煮たんじゃ大変だ
泥鰌やがきたぞ、呼び止めろ、、オ~イドジョウヤ~なんまいだぶ

泥鰌やの値切り方やちょろまかし方まで逐一ご指導
味噌汁に入れるところも、なんまいだぶなんまいだぶ
なに?白い腹出して煮えたあ?
ざまあみろ!~なんまいだぶ~

一度もじかに声を聞かせてくれないオカミさんの様子が目に浮かぶ。
赤ちゃんが這って来て(近づいてくるのが感じられる)お父さんの顔を見上げる、可愛いなあ。
小三治もニカっと笑って
ぶっちょうズラの泥鰌やの顔。

皆みんな生きている。

小さん 「猫久」
まだもう一席あります。
小三治が終わっても終わりじゃないんです。
考えてみればありがたい。
小三治師匠を露払いで噺ができるなんて
最初からひいてしまった。
シャレにならない。
本気で拗ねているように聞こえた。

大人しくてまるで猫のようなので猫の久六、略して猫久と呼ばれている男、一度も登場しないけれど彼が影の主役だ。
何度も猫久とそのおカミサンが話題に登るうちに聴いている俺たちにも猫久の姿かたちみたいなものが浮かんで来なくっちゃ!
シテの熊さんやガラガラ女将も言葉つかいを別にしたら区別がつかない。
髪結いの親方に至っては確かに登場したはずだがどういう役回りだったのか思い出せないくらいだ。

小三治は野球の背番号を「532」(こさんじ)として車のナンバーも「532」としているそうだ。
今の小さんは前は三語楼といったので「356」だったが襲名に伴い「853」にした。
ナギヤコサン」。
さっそく小三治の好餌となる。
車の番号は一度登録すると変えられないはずなので「新しい車に変えたのか?」聞いたらコックリする。
襲名で新しい車を買わなくちゃならないなんて、どこに災難があるかわからないもんです。
三語楼が小さんを襲名したのは小三治が早くから固辞したばかりか三語楼を伴ってあっちこっちへ挨拶まわりをしたから誰も小三治に反対できなくなったんだということを聞いた。
それが罪作りだったテナことにならないように!

4月の第478回「落語研究会」のことを入院騒ぎで書かなかったので演目のみメモします。
鈴々舎わか馬 「六尺棒」
三遊亭歌武蔵 「風呂敷」
桂小米朝 「胴乱の幸助」
林家正蔵 「芋俵」
柳家さん喬 「干しガキ」
このときも”血筋”の人が出たんだ。
西の血筋が良かった。

話はまるで違うが74mimiさんのブログに載っている「カモの一家」、可愛くて楽しいから御覧あそばせ。
Commented at 2008-06-02 05:56
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by saheizi-inokori | 2008-05-31 22:06 | 落語・寄席 | Trackback | Comments(1)

ホン、よしなしごと、食べ物、散歩・・


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