信じられるかなあ、あの頃の情熱 荒岱介「新左翼とはなんだったのか」(幻冬舎)
2008年 05月 30日
先日「松崎明 秘録」を紹介して直ぐに書店で見かけた本だ。
著者は1945年生まれ、早大入学後べトナム反戦闘争を契機に学生運動に身を投じ第2次ブント社学同委員長、三里塚闘争、安田講堂闘争で実刑判決を受け3年余刑務所に入った。
略歴を読んで「フーン、ブントかァ」などと言う人も少なくなってきていると思う。
松崎明の革マルとどう違うの?
そもそも新左翼ってなんだったのか?
スターリンを批判して世界の共産主義勢力に衝撃を与えたフルシチョフはハンガリー民衆を武力弾圧することで更に衝撃と幻滅を与える。
ソヴィエトの無謬性に対する疑問がそれまで反革命と言う刻印を押されていたトロツキーなどの理論の見直しにつながっていく。
一方で共産党や社会党などは55年体制の中に埋没して新左翼的な運動には背を向けむしろ弾圧側に回っていく。
若者たちはそれに我慢ができたか。
短い文庫本に要領よく新左翼思想の由来、各党派の違いとか60年代から70年代にかけての事件・闘争を回顧・解説してあって今頃になって「あァ、あれはそういう事件だったのか」とか、いろいろ教えられた。
それにしても、砂川基地拡張反対闘争、三池反合闘争、60年70年安保闘争、10.8羽田闘争、日大闘争、、懐かしい、既に風化しかかっている事件が次から次へと、森田実など、えっ!そんな人も闘士だったんだ。
三菱重工ビル爆破とかテルアビブ空港襲撃、ハーグ大使館人質、よど号ハイジャック、、”超法規的措置”などと言う言葉ももう忘れられそうだ。
世界中を暴れまわった日本赤軍。
近くにいた人が書いているだけに簡潔だが臨場感・迫力がある。
大学の自治会の主流派となることが濡れ手で粟の自治会費(当時は大学当局が代理徴収していた)や文化祭、生協の利権を握ることになる。
億を超える巨額な資金を確保するために各党派は目の色を変えて主流派になろうとし反対勢力の存在を許さない。
駅弁大学と称されるほど大学が増えて大学生のエリート性がなくなるという趨勢がブントなどに魅力を感じた学生が多かったことの背景にあると指摘する。
映画「光州 5・18」の中で軍との戦いで若者が「生まれて初めて生きている実感を味わうことが出来た」というような言葉を吐いて死んでいく場面が印象的だったが、そういう感情と通じるものがノンセクトラジカルといわれた学生たちにもあったのだろう。
何故新左翼が分裂し、つぶしあい、力を失い、解体されて行ったのかについても著者は、そもそもの誕生に由来する弱点から運動過程における戦略的・戦術的な失敗を分析している。
今の若者からすれば失敗・崩壊するのが当然で、どうしてあんなことを信じて行動したのかがむしろ分からないだろう。
内ゲバがどうして避けられなかったか、その論理、革命の手段としてのテロから憎しみの連鎖への変質(極限が仲間殺しとなった赤軍派)の実態なども数字(これまでに113人が死んだ)や双方の言い分、酸鼻な蛮行など虐殺された学生たちの顔が浮かんでくるようだ。
こういう本が出るということに時代性も感じます。でも、未だに、あれはなんだったのか、わからないので、改めて読んでみたくもなります。おそらく、あのころの友人たちも未だにわからないのではないかなー。今はみんな、いいオジサンとおばさんです。でも、彼らが裁判員制度に声をあげて反対するかどうか・・疑問です。
Like a bridge over troubled water
I will lay me down.
この歌の気分はどこか新左翼に通じる気がします。(夫はそうではありませんでしたが。)
それももう今から×年前の話ですけど。
でもサイモンとガーフアンクルは好きです。
ただデモには時々参加しました。
日比谷公園で機動隊のごぼう抜きにあってお尻を蹴っ飛ばされて怖かった。
その後、今まで向き合っていたお巡りさんに「安く食事できる店ありませんか」と訪ねて「そんなの知らない」と言われたことを思い出しました。
私が学生だった70年代前半、ブントの政治集会には吉本隆明氏が参加するというので、それで話を聴きに行った友人によると、吉本氏の話が終わると、集会はまだ続いているのに人はゴソッと」抜けていなくなってしまうとか。そのころブントは新左翼の中でももう少数派になっていたのでした。
私たちの頃は、内ゲバがどんどんエスカレートしていった時代で、新左翼の党派には何の魅力も感じませんでした。しかし私よりすこし上の世代で労働運動に誠実に取り組んでいるような人が少数ながらいます。新左翼の運動が輝きをまだ失っていなかった頃からの生き残りでしょう。
汚い(物理的に)というイメージもありました。
私の個人的な感想でしょうが。
もうこの頃は私は社会人で良く覚えていないのです。というよりもともとよく知らない。
西部ススムはブントという組織を包み込んでいる雰囲気はモダニズムに他ならなかった、と書いています。
東大系のブント同盟員がやがて喜々としてアメリカ留学をして己が精神のアメリカナイゼーションに飛び込んでいったと批判的に書いています。
選ばれているものの恍惚、そういえば太宰も左翼たろうとしたのでしたね。
しかしながら、あの頃、「ブント」の青ヘルと白いタオル姿はカッコよかった!
おしゃれだなあ。
チエリーは私のたばこ遍歴の最後を飾るたばこです。上着のポケットにいつもふた箱は入れておかないと落ち着かない、一日百本は吸っていました。
やめて20年になります。
それはともかくも,西部邁のいう「アメリカニズム」は私にはよくわかりません。もっとも「60年安保 センチメンタルジャーニー」しか読んでいませんが。
彼は「センチメンタル・ジャーニー」を書いたときに「反米」というレッテルを張られるのを避けようとしたと“自認”しています。
今にして思えばアメリカニズムがレフテイズムの基本形態だと。個人主義的左翼がアメリカで社会主義的左翼がソ連、どっちもフランス革命の過激派に淵源がある。
冷戦とは左翼同士の内ゲバ代理戦争だった。
この本はあとがきしか読んでない!
その残虐性、殺意を今まで保存しておいてくれれば国民に感謝されたのに...
71歳としては最後の日である本6月1日、徹底したノンポリで生きてきた71年の月日に表現しがたい寂しさを感じています。
せめて自分自身の独裁国家の構築に全知全能を傾けるべきではなかったか、と(笑)。
特定のイデオロギーのために残虐なのは新自由主義者の権力かもしれませんね。
ありがとうございます。
悪逆非道な」「新自由主義者」どもの暴挙に圧殺されることもなく、よくぞ生きてきたものー感無量です。
このところ、思うことあって「ホロコースト」に関する文献をまた読み始めています。焦点は「実際に手を下したのは普通の市民だったこと」