あの子たちの絶望に対して俺のしなければならないこと

瓦礫の下で身動きもならず、喉の渇きを癒す一滴の水も得られず、身体の痒みをかくことすらままならない。
真っ暗な闇で父や母の顔を思いながら死を待っている罪なき子どもたち。

俺は彼らを救うために何もしてやれない。

ただ、俺の生き方を考え直して少しはましなものにすることは出来るはずだ。

喉が渇いたら立ち上がって水を飲みに行き、ついでに思いきり背伸びが出来る!

その幸せをもっときちんと感謝して生きていくこと。

そうすることがあの子たちに対する礼儀だと思います。

あぁ、なんとか一人でも多く!
Commented by henry66 at 2008-05-16 11:12
私もこういう時には自分が無力でいやになりますが、昨日NYタイムズのある記事を読んでいたら、世間の目の一員として災害のなりゆきを見守っているだけでも意味のあることなんだ、と感じました。
中国も世間の目があるから唐山地震の間違いは繰り返すわけにはいかないでしょう。気休めかもしれませんが、私はそう思ってニュースを読み続けることにします。
Commented by saheizi-inokori at 2008-05-16 11:24
henryさん、私もそう思います。と言うより見たくなくても普段は見ないテレビを見てニュースを見てしまいます。新聞も念入りに読んでしまう。
それにしても歯がゆいですね。
Commented by 高麗山 at 2008-05-16 12:01 x
私の、幼い時からの“愚にも付かぬ”酒飲み友達が、あの阪神淡路大震災の時、重要な会社の仕事を擲って神戸市内へ、手弁当でボランテイヤ活動に10日間ほど参加していたことを、後ほど聞かされ、私を「どうして誘わなかった」と大変悔やんで、詰問したことを思い出します。。。
殆ど毎日側溝に排泄された、糞便除去と幼児達の引率と遊戯に明け暮れたと述懐していました。
Commented by saheizi-inokori at 2008-05-16 12:48
高麗山さん、自分の身になってみたら部屋の掃除一つとっても大変ですね。
中越地震のボランティアがそういうちょっとした手伝いを被害者たちが遠慮して受け入れなくて大変だったと語っていました。
軽度の被害者は家に上げるのも嫌がるそうです。
でも阪神の時からみたら中越地震の時は格段に支援システムが向上したそうです。
今の中国は阪神以前、はるか以前だろうと思います。
助かる者も助からない。可哀想な子どもたち。
Commented by sakura at 2008-05-16 20:33 x
こう言う場合何時も何も出きないので、、
先ずは義援金をと思います。NHKで番号を言ったので直ぐにそこに電話をかけましたが聞き間違ったようで又今夜義援金番号を聞いて少しでも手助けになる事なら何回でも電話する積りでいます。
Commented by saheizi-inokori at 2008-05-16 21:07
sakuraさん、私もやります。銀行振込もありましたよね。
今はお金以前の状態でしょうが。
Commented by rinrin at 2008-05-17 22:45 x
毎日、テレビを見て胸が痛みます。
私、数年前宮城沖地震のときに、屋根の瓦がすごい音をして落ちたんです。
ガラスが全部割れたかと思うぐらいすごい音でした
しばらく、ショックで心臓病になったんです、--;
こういうのは、生きている人も精神的に病になります。
まして下敷きになっているなんて・・・・世界中の軍隊とレスキューが入って何てこと出来ないものかしら、ミャンマーなんて、涙が出る
心から祈ることぐらいしか・・・・です。
Commented by saheizi-inokori at 2008-05-18 06:50
rinrinさん、ホントに彼らのことを想像すると堪らない。
じれったいです。
名前
URL
削除用パスワード

※このブログはコメント承認制を適用しています。ブログの持ち主が承認するまでコメントは表示されません。

by saheizi-inokori | 2008-05-16 09:43 | よしなしごと | Trackback | Comments(8)

ホン、よしなしごと、食べ物、散歩・・


by saheizi-inokori