「自分」から自由になる沈黙入門 小池龍之介( 幻冬舎)
2008年 05月 11日
人は非難されると傷つく。
この場合の「非難」とは「自分の意見や好き嫌いに反するあらゆる物事」。
世の中に満ち満ちている。
花粉を少しづつ浴びていると、いつか蓄積の限界が来て花粉症が発症する。
同じように非難されて傷つくたびに不快感が蓄積されてゆく。
そうすると、ほんの少し無視されたと感じたり、単に自分と違う意見を聞かされるだけでも、プライドに対する苦しみの感覚が湧いて不快感の目盛りが上がってしまう。
普段から非難されても「嫌だなー」と感じないように心がければ不快感の蓄積がなされず逆に消耗して減ってしまう。
「非難」に対して、腹を立てたり傷つくのは「自分はこれだけしっかりやっているのだから非難されないはず」と言う思いがあるからだ。
でもね、それは期待に過ぎない。
幻想なのだ。
仏陀は「沈黙している者も非難され、多く語る者も非難され、すこしく語る者も非難される。世に非難されない者はいない」と言った。
だから、甘い期待や幻想を捨て、あらかじめ「非難されても当たり前だ」と幻滅しておくことが肝要だ。
俺には痛いほど思い当たる。
若い坊さんがウェブサイトに書いた文章をもとにまとめた本。
「ジブン」と言う厄介なものにとらわれて周りの人を傷つけ、嫌われ、結局自分も傷つき苦しむ。
ヨクボー、イヤイヤ、マヨイの三毒から少しでも自由になるための心の持ち方、具体的実践法も教えてくれる。
そうできればなあ。
今からでも遅くないってか。
ありがとうございます。
「嫌だなー」と感じないように心がける。それは仏陀の言葉で解決できますね。
とてもよいことを教えてくださいました。感謝しています。
傷ついたと思われるのも嫌なんです。
それで、人が気にしたりするのが、私のために、私が傷ついたことを知られたために、他の人が嫌な思いをするのが嫌なんです。
みんなにいい気持でいてほしい。^^
私は相手にもよりますがとてもセンシティブで困ったものですよ。
頭で理解できても,煩悩が断固として拒絶しています。「自由」は山のあなたのなお遠く,です。
私は「煩悩」に逆らうのをやめています。
今煩悩にとらわれている自分を客観視できたらそれは受容出来る。もうその時は煩悩から脱却しているのかもしれません。
わたしも心がけてみます。
しかし、これ、仕方がないんですよねぇ。(笑)
解っちゃいるけどやめられない。
スイスイスーダラダッタスラスラスイスイスイ~♪♪
>あらかじめ幻滅しておくことが肝要だ。
これはその通りですね。
『求めない』を拾い読みしてそう感じました。
私の場合は。
私の辞書に沈黙の文字はないかも。
だから災いが多いのか?私の周り(^^ゞ。
あらかじめ幻滅しておくことが肝要だ・・・かー。
幻滅かぁ~~なんだか複雑だなー。
まだまだ修行が足りないってことですね、私。
幻滅はあらかじめどころか十年もたって始めて諦めとともに、、。そんな人生を突っ走って来て、今小池さん、仏陀かな、の言うことが痛々しく頷かされるんですよ。