70年代が目の前に 佐藤嘉尚・編「面白半分 BEST随舌選」(文藝春秋)
2008年 04月 27日
1972年から1980年まで122冊発行された月刊雑誌だ。
前に紹介したことがある佐藤嘉尚が発行人、編集長は吉行淳之介、野坂昭如、開高健、五木寛之、藤本義一、金子光晴、井上ひさし、遠藤周作、田辺聖子、筒井康隆、半村良、田村隆一が半年交代で編集長をやったという、どうですか、面白全部みたいな雑誌でしょう。
その雑誌の創刊から終刊まで続いた目玉企画が「随舌」、毎号3~4人の著名人にインタビューしたものを、エッセイ風にまとめたもの。
ネーミングは吉行で「原稿料だと大変な人たちも喋ってもらうなら薄謝ですむ」という狙いがあった。
その内40編を選んだ本書、読み始めたら楽しくしかもなんとなく血が騒ぐような興奮も覚えて素晴らしい連休の半日となった。
どの話も熱っぽいのだ。
さらっと、まるでとぼけたことを喋っていても、その姿勢自体に確固たるものを感じる。
自立した個性と知性。
世の中、他人に対する温かい眼差し。
人ってもともとそういうものなんだよ、濃いものなんだよ。
”血液サラサラ”が素晴らしいことのように言われる今はほんとに“薄い水っぽい血”が氾濫しているんじゃないか?
ユーモアたっぷりに語られる”軽い”談話からかえってそんなことを感じた。
いくつか手当たり次第に。
田中小実昌は自転車との付き合いを語る。
人が運転している車に乗るのは別にかまいませんけど、車っていうのは下手すりゃ人をひき殺すのにさ、ぼくはそんなものやだよ。向田邦子は電話について
ウチの電話は肩で息するっていうんですけど、リーンと鳴らないでハァって、伊勢佐木町ブルースみたいな、なんともいえない溜息をするんですよ。音でもないしうなり声でもない。私だけにしか聞こえないんですけども、その時にちょっと勘が当たることがあるんです。これはいつもの人じゃないな、知らない人じゃないかなって思うと、それが当たったりして非常に面白いですね。太地喜和子は嵯峨三智子について
素面(しらふ)であれだけやったんだったら(情に流されて別れ方も下手な生き方)、ほんとにすごいんだけど、やっぱり薬でしょ。あの勇気は薬によるもんだ、と思うんですね。薬を飲んじゃお、っていうのもすごい勇気ですけどね。惜しいなあ、と思うと同時に、一生、ドラマチックに生きたな、という感じもしましたね。わたしは、男も女も破滅的な人が好きなんです。桐島洋子は学生運動をともにやった東大生のイヤらしさについて
彼らはナンダカンダと言っても自分を犠牲にする気なんかないのよ。(略)何かをやったからには裏切らない、意地でも逃げ出したりしないというところが彼らにはないそして
最近は、またそろそろ恋をしたくなったから、来年くらい子供達を寄宿舎かなんかに入れて、三十代最後の一、二年を盛大に、心おきなく男に狂おうかしら。としめる。
寺山修司の「自分語」という噺は全部紹介したいくらいだが冒頭だけ。
ぼくは、「国語」という言葉が大嫌いなんです。何につけても、「国」という単位でものを考える発想というのは、ぼくらには希薄になってきているわけで、そういう発想が唯一残されているのが、「国語」という言葉なんですね。それに対応するものとして、「県語」とか「町語」とか、もっといえば、「自分語」というものがあった方がいいと思う。寺山は国家というのは、すでに行政管理上の手続きとして存在しているにすぎないと考えていた。
まだまだ引きたい言葉がたくさんある。
金子光晴の「ストリップ劇場めぐり」、伴淳三郎の「東の女西の女」、加藤武「トルコ礼賛」(ソープランドのこと)、、猥雑方面も充実している。
お名前のみって弔電披露みたいだが、
野坂、開高、柴田錬三郎、加藤登紀子、岸田今日子、辻邦生、アン・ルイス、大岡昇平、淀川長治、山口瞳、、
その他多くの方々。
どうしても紹介したいのは田村隆一だ。
とにかく風呂が好きで、よくビニールの袋に石けんとタオルを入れて歩いていました。銭湯をみるとすぐに入りたくなるんだなあ。俺も詩人の素質があるのかなあ
今の世の中には無数の「有益説」「無害説」「有害説」が流布されています。 それらの説は、すべて、誰かのゼニ儲けのタネだと思って聞き流せば毎日が気楽になります。 思えばトリスバーが全国に現れた時代、何の「有益説」「無害説」「有害説」もなく、皆フワフワと生きていました。 人間は~、気楽な稼業と来たもんだ、アソーレ、スイスイスーダラッタ、スラスラスイスイスイ!... more
大学に入った頃、買わなくなったのか、休刊したのか、
はっきりしませんが、いつの間にか、ずいぶん溜まっていた
という記憶があります。
とても面白かったんですが、
知ってる人は私の周囲にはあまりおりませんでした。
佐藤さんにもらったのです。
>俺も詩人の素質があるのかなあ
あります,あります。詩人,随筆家,書評家,時事評論家,料理評論家,そして,極めつけのブロガー。まだありました,料理人。
遺伝的素質は充分でしょう。
太地喜和子や嵯峨三智子、ウェットな役者という風ですね。
破滅型の女優は今もいますが、やはり、ドライなタレントという風で底が浅いように感じます。
母や祖母とはまったく違う、考え方、暮らしぶり。(今も憧れています。^^)
夫の実家は、もう廃業してしまったけれど、三代続いたお風呂屋さんだったんですよ。
銭湯のレポート、いつもありがとうございます。これからも楽しみにしています!!
ちょっとそうは見えませんがよく考えると、確かに人間の内面て他人の見る目とはずいぶん違いますね。
旦那さんの実家は名古屋ダガネじゃなかったですか。
あれば一度入りたかった^^。
saheizi-inokoriさんレベルで”専門家”を名乗るのは許せん!
先週も市の「保健課」に出す書類に「配偶者名」を書くに10分ほど思い出せなかったし、悪名高き「ねんきん特別便」の返信を書いていて氏名欄にセガレの名前を記入してしまった。
「いま抱いているこの行倒れは確かに俺だけど、、抱いている俺はいったいどこのドイツだ?」
粗忽長屋、落語の世界の住人ですね^^。
身近なものほど「あれ」になってしまうのでは。
私はまだ妻の名前は覚えていますが夕べ何を食べたかは思い出せるかなあ。
このブログの一年前の記事を読んでいて誰が書いたんだ?と思うことがありますよ。
桐島洋子や向田邦子さん、懐かしい名前になりました。
さすが、錚錚たる方たちの言葉は凄いというか素晴らしい。胸打つ言葉があります。
田村隆一さんかsaheiziさんか甲乙つけがたいお風呂好きに笑ってしまいました。ごめんなさい。
懐かしさもひとしおです。
ついつい買いすぎてしまうけれど。
それとも今の銭湯は、必要品を貸して(?)くれるのでしょうか?
いつも気持ちに引っかかっていますので・・・
(失礼な質問でしたらゴメンなさい)
もちろん銭湯巡りのスタンプ帳も。
これを称して”セントウ用具”。
風呂でも売ってくれますが。
昔はタオルを貸してくれましたが、最近は衛生上の理由から保健所に禁じられているようです。
ぺらぺらのタオルと小さな石鹸とかシャンプーなどとセットで200円くらいで売っていますが、、。
私はカウンターの隅、電話の横に座っていました。電話が鳴ると女将が「すんませんけど電話お願いできますやろか」
受話器を取ると「向田邦子と申しますが、渋谷からどう行けばいいでしょうか」
ビックリしました。女将に「向田邦子さんやで」「ホンマ?!いやぁ、うちきてくれはりますのん」と大感激!
到着後、待ち合わせの相手が来るまで作品の裏話など伺いました。しかしサインは貰いませんでした。女将は色紙を用意して一筆書いて貰っていましたけど。
四谷の蕎麦屋へ行ったとき、高校の後輩である亭主が窓際の方を見て目配せしました。
太地喜和子が一人で徳利を傾けているのです。昼過ぎです。
トイレへ行くフリをしてそばを通り、「今日はお休みですか」というとニッコリ笑って「夕方からです」
亡くなる少し前でした。
この時もサインは貰いませんでした。
でも365日住んでいるのと行動圏が重なると案外ありうるのかもしれません。
有名人になると大変でしょうね。