創られた”終戦記念日” 「八月十五日の神話」 佐藤 卓己 (ちくま新書)
2005年 09月 04日
「終戦記念日のメデイア学」が副題。毎年8月15日は終戦記念日と言うことで、この日を中心にいろいろなイベントが行われ、マスコミも戦争に関する記事・番組が多い。なぜ8月15日なのか?なぜ”敗戦”でなく”終戦”なのか?この日を終戦記念日とすると決まったのは1963年の池田内閣閣議決定によるのだが本当に15日に戦争は終わったのか?あまり深く考えることも無く当たり前のこととして受け止めているかもしれない。
15日は天皇陛下がラジオで全国民に「堪え難きを堪え、忍び難きを忍び以って万世の為に太平を開かむと欲す・・」と、敗戦のやむなきになった事を告げた日である。多くの国民が直接経験したかのように「あの暑い夏の日の思い出」を語る。ラジオの前で聞き取りにくい”玉音”に接し涙が出てたまらなかった、という人。なんだか分からないが解放感に満たされたひと。
しかし、実際にポツダム宣言を受け入れると決めて連合国にその旨を通知したのは14日、現に15日の終戦の詔書の日付は14日である。そしてミズーリ号船上で重光外務大臣が日本代表として降伏文書に署名したのは9月2日だ。国際的には9月2日が日本の敗戦が確定したのであり、例えばアメリカのVJデイ(対日戦勝記念日)はこの日だ。
日本でも当初は8月15日が終戦記念日という位置づけは無かった。1952年・4月、サンフランシスコ講和条約締結後、朝日新聞をはじめとする各紙が「8・15終戦」企画を本格化する。同じように広島への原爆投下の日、8月6日が今のように終戦と結びつけての一大記念日として扱われるようになったのは1949年頃からである。この頃から真珠湾攻撃、柳条湖事件、ミズーリ号での降伏文書調印、講和条約調印などの戦争の重要な日付の中で広島と玉音のふたつが”選ばれて”記念日となっていく。他の日々は”忘れられて”いく。著者が”創られる記憶”と言う所以だ。
そもそも玉音放送を聴いて涙ながらに崩れ落ちる人びとや皇居前で伏して頭を下げる人の写真も、実は”やらせ”であったり別の場面の写真を流用した可能性が強いと言う。
敗戦を新たな平和に向けての解放の日、旅立ちの日と位置づけたい人びと(8・15革命説を唱えた丸山真男)。反対側の敗戦の屈辱を忘れたいと思う人びと。双方にとって15日を”終戦”の日と位置づけることは好都合であった。55年体制を完璧なものにしていく為に、国民が整列し謹聴するという形で”参加した”玉音放送は格好の統合の儀式として必要であった。だからヤラセの写真を以ってしても繰り返し記憶を強化し続ける必要が国にもあった。
8月15日は旧盆としてずっと昔から日本人の心の深層に根づいている日だ。1933年8月15日に満州事変の新霊にたいして「盂蘭盆会法要」が全国放送されている。玉音放送に由来しているとはいえない民族的伝統の日なのだ。甲子園野球がこの日をはさんで行われ、15日正午球児たちは起立して黙祷する。高校野球のなにやら戦争を思わせる行動理念や用語(全体責任、軍、攻撃、死・・)も、考えようによっては異様な光景だ。
教育、すなわち教科書の記述にも終戦の日を何時とするかについて相違と変遷があり著者は細かく検証する。なんのために?本の最後に著者からの提案がある。「敗戦=反省=平和への祈念=近隣諸国との対話の日」(9月2日)と「戦没者を追悼=民族的伝統の日」(8月15日)にわける。それが上記の「8・15革命説」や「新しい教科書」などの呪縛から自由な新たな”戦後派”の終戦記念日になるのではないかと。日本が国際的にきちんと行動していくために必要なのではないかと。聴くべき論だ。
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この本を読んで、太平洋戦争を(戦後のメディアが作った)主観的な「記憶」ではなく、客観的に考える時代になりつつあることを感じました。
興味深い記事のTBを戴き厚く御礼申し上げます(平身汗)。
> 朝日新聞をはじめとする各紙が「8・15終戦」企画を本格化
ん~、なるほど、ここいらへんの事情と・・・
> 甲子園野球がこの日をはさんで行われ、15日正午球児たちは起立して黙祷する。
> 高校野球のなにやら戦争を思わせる行動理念や用語
ここいらへん↑の、夏の甲子園を仕切る?ブン屋さんの事情に、何やら共通するモノを感じる次第にございます(感じる汗)。
夏の高校野球(中学野球)の、その歴史的プレゼンスを考えますと、夏が近づく度に、やれほげほげ高校が不祥事云々、ほにゃらら野球部が出場辞退云々、などと巷間プレスを賑わすところでございますね(プレスいそがし汗)。
そうした夏の風物詩的高校「のたま」・・・戦前的色彩が残存しているような、なさそうな、そのようなかほりを感じる親爺ではございます。