子を持って知る親の恩 「ビクター落語会~蓄音器の犬」(三田・仏教伝道センター)

「盆と正月がいっぺんにやってくる」。
このたとえが今の人には実感としてはいまいちか、「クリスマスと誕生日とバレンタイン、、と」とかいえば少しは分かってもらえるかな。
自分が親の金で当然のごとくに大学に行ったこと。
今わが子を育ててみて初めて親が大変だったことが分かります。
しおらしいことをいう正朝。
でもちょっと前の日本はそうじゃなかったんですよ。
大学なんて行く人はよほどの家の人ばっかりでほとんどは小学校か中学を終えると手に職をつけるってんで大きなお店に奉公に出されたりした。
奉公に出ると一年で休みと言えばたったの二日、お盆と正月しかなかった。
しかも奉公に出たばかりは里心がつくからってんでその休みに実家に帰ることは許されないこともあった。
10歳やそこらで厳しい24時間住み込みのお店奉公、それがやっと一日だけ実家に帰る藪入り。
本人はもう何日も前から指折り数えていよいよ明日という晩などは枕もとに着て帰る着物と下駄まで置いて眺めるんですがついつい涙が止まらない。
このあたりんところが分かって貰えないとこれからの噺は面白くもなんともない
子を持って知る親の恩 「ビクター落語会~蓄音器の犬」(三田・仏教伝道センター)_e0016828_16443483.jpg

迎える両親はもっと大変だ。
親父は興奮して
納豆、ありゃあの腰の曲がったばあさんが売りに来る方が好きだからあれと、味噌汁は油揚げと豆腐をたくさん入れて、そうだ、刺身もな、魚金にそう言ってシビの脂ンのったろころを二人前ばかり、俺もお相伴と、天ぷらも少しばっかりあげるのもなんだから誂えて、ウナギも好きだったなあ、中串を二本ほどに、おお、小豆が大好きだったからお汁粉をな、赤飯も炊かなくっちゃ、西洋料理もいいな、オムレツにカツレツに、、

けえって来たら湯ィ行かして、まず、墓参りだ、親父に亀が大きくなったところ見せてやって、ついでに浅草行って観音様を拝んで仲見世ィ連れってたらよろこぶぞ。
それから世話んなった上野の鈴木さんとこィ挨拶に、鈴木さんとこ行ったら新宿の北村さんも外せない(席亭の名前?)、、、品川まで行ったら川崎のお大師様も拝んで、そこから足ィ伸ばして静岡で富士山見せね~とな、男ん子はでかいものを観て大きく育てって、そいから豊川の稲荷様と、、、、金毘羅様もついでに、、

おい、ところで今何時だい?
え~?二時い?その時計動いてねぇんじゃねえのか。
お前、針い動かしちまいな
夜っぴて寝るもんじゃない。

いよいよ息子が帰ってくると照れくさくって緊張してまともに息子の顔を見ることもできない。

「藪入り」だ。
3代目の金馬の名演は聴いていると目頭が熱くなる。
春風亭正朝は十分に枕で時代背景(昭和初期)を説明した後に軽快にやった。
新学期に新社会人の季節、身につまされる親(祖父母)もいたのではないか。

他に正朝「悋気の火の玉」
柳家権太楼「死神」
橘家文左衛門「天災」
開口一番春風亭正太郎「家ほめ」

写真は椿山荘の庭。
Commented by MAKIAND at 2008-03-30 23:27
そうなんですね~
子を持ってというのは、現代でこそ意味を成す言葉なんですね。
しかし、一年ぶりに帰ってくる子供を迎える親御さんの喜びよう。
昨日、アメリカにいる息子に、今年は帰らないで来年にしなさいよと言ってしまいました。
私は昨年4月に息子が出てから、今年頭までは、寂しくて仕方なく、自分を失っていました。このお話中の気持、しみますね。
Commented by sweetmitsuki at 2008-03-31 05:15
今の交通事情では決して不可能ではない東京見物も、当時にしてみれば、かなり無茶な話だったのでしょう。
それを見越して、富士登山まで企画してしまう辺りが先を読んでますね。スケールが大きいです。
Commented by Count_Basie_Band at 2008-03-31 08:14
私の年代では「高校進学率」が10%強。
貧しい家の子だけでなく、伝統工芸や芸能の跡継ぎ、大家のお嬢様も進学しませんでした。

>刺身もな、魚金にそう言ってシビの脂ンのったろころを二人前ばかり、

「シビの刺身」って、近頃は言いませんねぇ。
Commented by saheizi-inokori at 2008-03-31 08:19
MAKIANDさん、私も大学に出てからは休みに家に帰らないことはしょっちゅうでした。
親は帰ってほしかったんでしょうに。
Commented by saheizi-inokori at 2008-03-31 08:20
sweetmitsukiさん、ばかばかしいセリフですが親の気持ちがよく出ていてジーンとくるところです。
Commented by saheizi-inokori at 2008-03-31 08:23
Count_Basie_Bandさん、今は大学が中学相当、その上というと修士、博士号、最近は何とか院を出るのが当たり前、さらに企業で研修と一人前になるのに大変なようですね。
Commented by mimi at 2008-03-31 08:36 x
「盆と正月がいっぺんにやってくる」
大好きな表現です。今でも友達(日本の)へのメールに使うことも。
「藪入り」今の若い人に分かるのでしょうか・・・
Commented by hanabi_cyu at 2008-03-31 09:23
>子を持って知る親の恩

今 それをすごく感じてます。子を持ったありがたさを忘れがちですが^^;
私は、商業高校だったのもあったのか当時同級生の進学は、ほとんどいませんでした。高校を出たら働く・・・それが当たり前でしたが、今は、高校の先生が「親は、とにかくお金を貯めてください」と入学式に言われるんです。世の中変わりました。
Commented by knaito57 at 2008-03-31 11:54 x
この噺はやはり三代目金馬がいい。文字で読んだだけで師匠の表情と口吻が彷彿してジーンときます。世の中、何が変わったっていっても、こういう親心が薄くなったことがいちばん大きいかも。
Commented by saheizi-inokori at 2008-03-31 16:19
mimiさん、当日の客は年配が多かったのですが正朝は丁寧に説明しました。
ものの本によると宿入りがなまったのだそうですね。
Commented by saheizi-inokori at 2008-03-31 16:21
hanabi_cyuさん、最初からこれこれのお金がかかるといわれたらとてもできそうもないのですが現実にはその都度何とか工面してしまう。
結局親が切り詰めたのですね。
Commented by saheizi-inokori at 2008-03-31 16:22
knaito57 さん、口は出すね、金だけは出せ。
この心も変わってしまったのかもしれません。
親の鏡かな。
Commented by gakis-room at 2008-03-31 19:47
まだ電話が普及していなかった頃は緊急連絡は電報でした。「苦学生」と言う言葉が生きていた頃のジョーク(?)です。
息子の電報,「オヤジ,すまん,○送れ」
オヤジの返信「息子ガンバレ,○はない」
この親子の関係がおかしくて,しかし,好きです。
Commented at 2008-03-31 20:45 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by 散歩好き at 2008-03-31 21:12 x
大正初めの生まれで神田で丁稚をしていた人ですが月に一度の休みがありその時は下駄履きで外出し上野でアンパンを買って浅草で映画を見るのが一番の楽しみだったと言います。聞いていてひたむきさを感じます。
Commented by saheizi-inokori at 2008-03-31 22:54
gakis-roomさん、有名な「カネオクレタノム」も知らない子どもが多いのかもしれませんね。
Commented by saheizi-inokori at 2008-03-31 22:56
鍵コメさん、いつでもお待ちしています^^。
Commented by saheizi-inokori at 2008-03-31 22:58
散歩好きさん、私も下駄ばきで50円持って浅草に行きました。銀座線が全線25円だったから降りて街を歩いてまた乗って帰る。
映画も見ないで帰ったのです。
ただし月に一度じゃなくて時々。
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by saheizi-inokori | 2008-03-30 22:32 | 落語・寄席 | Trackback | Comments(18)

ホン、よしなしごと、食べ物、散歩・・


by saheizi-inokori
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