ワキの役割は脇役ではない 安田登「ワキから見る能世界」(NHK出版)
2008年 03月 29日
能のシテを主役とすればワキは脇役か?
そうではない。
「ワキ」とは「分く」、すなわち「分ける」人であり「分からせる」人なのだ。
他の人には不可視の霊=シテを見ることができて、その存在を観客に「分からせる」。
シテの乱れに乱れている残恨の思いを聴いて、その思いを「分け」、整理再統合する。
日本人は異界と出会うことに(出会う物語を聴くことに)よって新しい生を生き直そうとする。
「ハレ」と「ケ」の「ハレ」の時としての異界。
異界を引き寄せる「場」に出会える能力を持つのが「ワキ」だ。
なぜ、ワキにはそういう力があるのか?
「無力」「無為」だから。
ただひたすらシテの語りを聴く。
「何もしない」ということを全身全霊をこめてする。
完全受容の「聴く」姿がワキのワキ座での姿だ。
ワキが亡霊と会うのは旅においてである。
「死者は留まり、生者は旅をする」
ワキの旅の姿、それは「物乞い」である。
欠如していることが「乞い」の旅になり「恋」の旅でもある。
己を「無」にしようとする「身を要なきものに思いなして」旅に出る。
「思いなす」、決断が必要だ。逃げるのではなく自分が変化するのだ。
「思い切りて」、過去の自分を捨てる力が必要だ。
ワキ的な世界に生きた人として芭蕉や漱石をあげる。
能におけるワキの役割・性格を語りながら我々に対して「非人情の旅」に出ることを提案する。
異界を感じて新しい生を生きていけるように。
人生において失敗、挫折、離別、、いろいろな原因で深淵を覗いてしまったような人、又は頑張っても最初から限界が設けられていて出世もできず大きな仕事をすることもできそうもないような人、そういう人たちは一度自分を「無と思いなして」世の中を能を見るように見直してみたらいいのではないか。
俳句などを嗜みながら旅に出たらどうか。
異界を感じて新たな人生を生きていけるのではないかと。
読んでいるときは分かった気持になったがこうしてまとめてみると半分も分かっていないなあ。
かなり多くの夢幻能が引き合いに出されているから能入門としても読める。
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at 2008-03-30 10:59
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
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saheizi-inokori at 2008-03-30 11:50
鍵コメさん、言葉にはそれ自体の力があるかも知れない。発した人とは無関係に。
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ginsuisen at 2008-03-30 13:45
安田登さんは、能の動きは体にいいということで、能ビクスとかも推奨してらっしゃいますよね。宝生閑さんは、脇はすべてを受け止めるようにしていると言っています。舞台で起きていることのすべてを受け入れる、シテの人生をすべて受け入れる。そのためには、日頃から何もかも受け入れるように努めているそう。向こうからぶつかっれきても、決して逆らわない。あの名脇の姿はそんな訓練からの感銘なのでしょうね。安田さん・・あまり舞台を覚えてないのですが、ステキそうですね。
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saheizi-inokori at 2008-03-30 13:55
ginsuisenさん、宝生閑さんと同じようなことが書いてありました。
無視されてもただただ聴く・受け止める。
ワキのおかげでシテは成仏するのですね。
私などは自分が無用の者になるということを思いきれずいつまでも支離滅裂な煩悩にのたうちまわっています。
ワキになればいいのですが、それが難しい。
無視されてもただただ聴く・受け止める。
ワキのおかげでシテは成仏するのですね。
私などは自分が無用の者になるということを思いきれずいつまでも支離滅裂な煩悩にのたうちまわっています。
ワキになればいいのですが、それが難しい。
忙しい現代人は異界のあることすら知らないのかもしれません。
あるいは、異界に突然出逢って右往左往するのかもしれません。
漱石の異界といえば、「夢十夜」を連想しますが、恐ろしいような懐かしいような、不思議な世界ですね。子供の頃、似たような夢を見たことがあります。意味が解らず、しかし、いつまでも付きまとってくる夢です。長い間忘れていたのですが、思い出しました。
わけの解らないコメントと思いますが、異界とはそういうものではないでしょうか。
あるいは、異界に突然出逢って右往左往するのかもしれません。
漱石の異界といえば、「夢十夜」を連想しますが、恐ろしいような懐かしいような、不思議な世界ですね。子供の頃、似たような夢を見たことがあります。意味が解らず、しかし、いつまでも付きまとってくる夢です。長い間忘れていたのですが、思い出しました。
わけの解らないコメントと思いますが、異界とはそういうものではないでしょうか。
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saheizi-inokori at 2008-03-30 23:04
きとらさん、本書で取りあげているのも「夢十夜」です。
能の影響が強いのですね。
内田百閒にも同じような作品がありますね。
落語は異界を平気な顔をして自分の世界にしてしまうような気がします。
「悋気の火の玉」は妾と本妻がお互いに呪い合って同時に死んで火の玉になって夜な夜な大音寺の上でぶつかるのですが旦那はその火の玉からたばこの火をもらうのですから。
能の影響が強いのですね。
内田百閒にも同じような作品がありますね。
落語は異界を平気な顔をして自分の世界にしてしまうような気がします。
「悋気の火の玉」は妾と本妻がお互いに呪い合って同時に死んで火の玉になって夜な夜な大音寺の上でぶつかるのですが旦那はその火の玉からたばこの火をもらうのですから。
by saheizi-inokori
| 2008-03-29 23:34
| 今週の1冊、又は2・3冊
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