今読まれるべき巨編 大西巨人「神聖喜劇」(光文社文庫)

ついに読み終わった。
500頁を超える文庫本5冊、400字詰め原稿用紙約4700枚、「奥書き」によれば
作者は、1955年2月28日深更にその稿を起し、1980年正月8日午前にその稿を脱した。
だがしかし、この小説は1942年1月10日から4月24日までのたった3か月の間に対馬要塞重砲連隊で起きた物語だ。

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再び、だがしかし、陸軍教育召集兵・東堂二等兵が語る物語は時間の流れとは関係なく行きつ戻りつする。
東堂の思考の流れが時間を再構成している。
思い出が語られる。
繰り返しも多い。
しかも随所に引用される古今東西の夥しい文章、試みに第一巻の冒頭から順にあげてみようか。
 トォマス・マンによるニーチェへの言及、スツッツガルト大会(当時のコミンテルンの会議らしい)における決議、芥川龍之介の警句、久保田万太郎の発句、新井洸の短歌、萩生徂徠の言葉、江馬細香の漢詩、菊池五山の「五山堂詩話」、谷川徹三の青年に与える文章、グチュコフの非合法文書、、200頁くらいの間でこれだけ。
古謡、戯れ歌、法律論、法律の条文、、ジャンルを問わず東堂は一字一句をゆるがせにせず思いだす。

もとより引用はペダンテイックな目的からなされているのではない。
自らを”この世界は生きるに値しないと考える虚無主義者”とし、それまでの不生産的な人生と決別し具体的な破滅を目指して旅立ってきた22歳の東堂が、なぜ虚無主義者になりきれずに軍隊の非(何処にあってもありうるだろうような)と戦おうとするのか?
そのときの東堂の思念・感情のよって来たる所以・根拠・正体を繰り返し繰り返し確かめる。

「知らない」ということは許されない。
「忘れました」と言え。
上官(つまるところは元帥=天皇)の無謬性を侵してはならない。
「知らない」のは「教えなかった」、すなわち上官の罪になる。
(現代における教えざる罪=無責任の横行!自己責任論!)
建前では平等になっているというけれど、腹の中では「特殊部落の出身者は普通の人間ではない」と思っている。
軍隊にある非条理との戦い、博覧強記と頭脳の冴えで戦う。
長いものには巻かれろ、バカな真似してやり過ごせ、泣く子と地頭には勝てない、、でも、戦う。

このうえない潔癖・誠実・公正な男。
しかも消えゆく雪のひとひらにさえ哀惜の念を持たずにはおれない(こんなことは小説には書いてないが)詩人であり、特殊部落出身の戦友が差別されていることに特別な(好意的な)関心を持つこと自体が自らの(不公平な)差別意識の表れであったかと疑うような男であるが故に古今東西の先人たちの言葉が必要であり(個人的体験・感情の普遍化・位置・意味づけ、、必ずしも正当化ではない)過去の思い出の繰り返しが必要だったのではないか。

読む者に苦痛を感じるほどの緻密・厳正・入念な論証・検証・回顧に付き合わされることによって、たとえば部落差別の歴史を知り、自分の無知を恥じながら東堂の思考・行動をより身近に感じる。
東堂が自らのうちに剔抉してみせた優柔ないしは臆病・自己欺瞞ないしは虚偽、、が俺のなかにもある(より濃厚に)ことを痛感する。

喜劇である。
おおらかな堂々たる喜劇だと思う。
何べんも噴き出してしまった。
「おもしろうてやがて悲しき、、」という面もある。
だが、そんな面よりももっともっと正面から人間(ないしは社会・国家)の喜劇性を描いている。
軍隊で起きていることをそのまま書くことが喜劇を書いたことになったような喜劇。
鋭い観察力・分析力・洞察力に裏付けられた正確無比な表現がそれまで厳粛に受け止められていた軍隊の諸行事に内在していた喜劇を暴露してしまう。

だが実は埒もない陸軍で起きるさまざまな悲喜劇はそのようなテーマを浮きだたせるための舞台装置にすぎない。
この国、人たちに通有な喜劇が描出されている。

軍隊(国=天皇制)だけではない。
左翼も右翼も、人間たちが喜劇である。
そしてこの喜劇は当時の軍隊だけに起きた特殊例外的な事象ではない。
そっくりなことが今平成の現在、俺たちの周りで起き続けている。
今も、ではなく今ますます、だ。

にもかかわらず人間は素晴らしいのだ。
人のいのちを玩具(おもちゃ)にするのは、止めて下さい。人のいのちは、何よりも大切であります。
「天皇陛下への人なみな忠義」を誓う被差別部落出身の兵が上官に叫ぶ。

孤立した戦いと思われたが実はそうではなかった。
そうなのだ、これは爽やかな感動的な青春の物語でもある。

これだけの“巨大な“(長さのことではない)作品を語るのは荷が重い。
今日のところは読み終わった満足、そして未読の方はぜひお読みなさいと薦めるだけにとどめよう。
Commented by suiryutei at 2008-03-23 23:27
こんばんは。
いつか読もうと思いながら、「でも重そうだな~」と手にとらずにきた本です。
でも、やっぱり読まなきゃならんかな。
Commented by 74mimi at 2008-03-24 02:13
せっかちですから、私にはとても読みきれないと思います。
ここで「ダイジェスト」が伺えて嬉しいです。
先日"The pianist" (戦場のピアニスト)をDVDで観ました。
内容について、ずっと考え続けています。
Commented by henry66 at 2008-03-24 04:20
これがいつか教えて下さった本ですね。
記事を書いて下さってありがとうございました。
被差別部落出身の戦友への好意。私にもそういうものがあります。
私は有色人種なので、「差別される」ことを知っている人たちの中にいると無言でも通じるものがあるため気が楽です。だからいつも一緒にいます。
私のことを人間以下と見なす人たちと一緒にいるのはどんなに頑張ってもやはり辛いです。景気が悪くなって、また移民に対する風当たりが強くなってきました。日本でも、若い人たちが攻撃的なサイトを鵜呑みにして在日コリアンを目の仇にしているようですね。これは単なる印象にすぎないのですが、気になります。
Commented by Count_Basie_Band at 2008-03-24 05:45
いま初渡米の時の思い出話を執筆中で、いよいよ「明示的な差別」を受けた件に入ります。

>私は有色人種なので、「差別される」ことを知っている人たちの中にいると

ところが私より少し若く、経済超大国になった日本から欧米へでかけたので下へも置かぬ待遇を受けた人たちに理解できるかどうか、どう書けば理解されるか考え込んでいるところです。編集部にメールしてもう少し時間を貰おうかな。

>日本でも、若い人たちが攻撃的なサイトを鵜呑みにして在日コリアンを目の仇にしているようですね。

それは知りません。「在日」の友人も何も言っていません。続発するホームレス虐殺で今の子どもたちの残虐さは知らされていますが...
Commented by saheizi-inokori at 2008-03-24 07:56
suiryuteiさん、面白いですよ。大笑いもあるし。
アマゾンの古本で買いました^^。
Commented by saheizi-inokori at 2008-03-24 07:58
74mimiさん、内容は到底ブログで書ききれません。でも面白いところだけつまみ読みもできるかなあ。
ピアニストは見そびれました。
Commented by saheizi-inokori at 2008-03-24 08:03
henry66さん、東堂は「被差別者なるが故に“普通の人“以上の関心をもったことが」たとえそれが好意的なものであっても既に自分のなかに差別的な見方(の裏返し)があるんではないか、と疑うような男なのです。
私にも理解できる心理です。
好意的か否かはともかく差別的(言語矛盾かな?)な心理は私のなかにある。
Commented by saheizi-inokori at 2008-03-24 08:06
Count_Basie_Bandさん、ずばり事実を書くしかないと思います。
でもどう書いても理解の仕方は保証の限りではないですね。
そう云う事実をしって自らの差別的言動の根拠にする人だっているでしょう。
まさに喜劇です。
Commented by henry66 at 2008-03-24 09:50
佐平次さん、東堂の心理わかりました。私には強い者の心理にも見えます。

CBBさんへのお返事になりますが、会社の名前に守られて大きな顔をしている日本の人はたくさん見ます。私も父と渡米した際は苦労知らずでした。後ろ盾を捨てて一人で始めた時が悲惨でした。自分はゼロ以下と思い知りました。
私の生活などはままごとのようにうつるかもしれませんが、私は私なりに辛い日を送りました。今でもどう対応してよいかわからないような差別を受けます。生活もかかっているので悔しい思いをします。ですからCBBさんの「明示的差別」のご経験を読んで学びたいとも思うのです。
Commented by saheizi-inokori at 2008-03-24 11:14
henry66さん、自らに厳しいという意味では強い人かもしれません。いや、めちゃくちゃ強い人です。スーパーマンと言ってもいいくらい。出来たらご一読を薦めます。
Commented by fumiyoo at 2008-03-24 23:39 x
すごい!集中力!読めないなぁたぶん、でも「差別された者は差別する心理を有する」は真実だと思います。この世の喜劇を見ながら・・・
 喜劇である。
おおらかな堂々たる喜劇だと思う。
何べんも噴き出してしまった。
「おもしろうてやがて悲しき、、」という面もある。
だが、そんな面よりももっともっと正面から人間(ないしは社会・国家)の喜劇性を描いている。この文章からは読んでみたくなりますが、止めておきます。悲しいところから、人間は喜劇的なものを見つけては強く生きようとするのですね。そのようなペーソスあふれる文章が私は好きです。
Commented by saheizi-inokori at 2008-03-24 23:52
fumiyoo さん、面白いですよ。読み始めると止まらないかも^^。
Commented by きとら at 2008-03-25 00:20 x
 姜尚中さんが学生に勧める小説が、大西巨人『神聖喜劇』と高橋和己『邪宗門』です。
 『神聖喜劇』は男性的、というか男の世界ですね。読み通せる女性は少ないでしょう。
 『邪宗門』は女性的、というか、本質は女の世界です。
 
 どちらにも共通するのはインテリゲンチャの運命ですね。
 精神とか思想というものがどういう意味を持つんだろう。
 ずっしりと重たくて、なかなか答の出せない問題です。
Commented by saheizi-inokori at 2008-03-25 07:21
きとらさん、そうか、男性の世界、いえてますね。
吉原などもある種の男性の典型だ。
男の視点が随所に出てくるなあ。
Commented by バラつく意味 at 2014-03-18 23:27 x
大西巨人氏は2014年3月12日死去されました。 97歳でした。
Commented by saheizi-inokori at 2014-03-19 09:52
バラつく意味さん、存じてはいました。
コメントをいただいて自分の記事といろんな方からのコメントも読み直してみました。
もう一度読もうかどうか逡巡しています。
あなたのコメントが背中を押してくれるような気もします。
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by saheizi-inokori | 2008-03-23 21:24 | 今週の1冊、又は2・3冊 | Trackback | Comments(16)

ホン、よしなしごと、食べ物、散歩・・


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