ひと足お先に花見を萬斎と 「万作の会 狂言の世界」(朝日ホール)
2008年 03月 20日
久しぶりの狂言、会場のことを考えに入れないで出場メンバーで切符を取ったのは去年だったかなあ、もう。
階段状の大きなホールの向こうに作られた能舞台を見たとたん期待の風船がしゅっとしぼんだ。
みすぼらしすぎる。
中学の学芸会?
でも会場は女性でいっぱい、特に若い女性で。
石田幸雄が登場して軽妙に狂言というものについて話をする。
テレビはボケっとしていても面白く見えるように工夫をしているけれど狂言はその対極にあって観る人が自分で想像力を駆使して(という言葉はつかわなかったけれど)イメージをふくらませて観ていないと何事もなく終わってしまう。
特に今日の演目はどちらも、ただただ笑って「ああ、面白かった」というわけにはいかないから覚悟して欲しいという。
「靱猿(うつぼざる)」は子方の演技というものは極力芝居らしさを排除して大きな声できちんとやることを追求する。
たとえば「舟弁慶」の義経(大人)役を子方がやるときも静御前との感情を子どもが演技をせずに一本調子で声張り上げてセリフをいうことで生々しさを消す。
見る方が想像する。
「花折(はなおり)」は舞と謡が主体というあまりやらない演目。
滑稽な筋書きとかやりとりを期待しているとつまらないかもしれない、、。
今日、初めて狂言を見る人が2~3割くらい(手を挙げさせた)という“見所”を牽制したのか?
しかし、石田さん、それは不要だったんじゃないか。
どちらも素晴らしい狂言だったよ。
「靱猿」。
大名(野村万之助)が太郎冠者(高野和憲)と狩りに行く途中で、毛並みの良い小猿(野村祐基)を連れた猿曳き(野村万作)に会う。
大名は小猿の皮で靱(矢を入れる稲穂型の武具)の張替をしたいと思い猿曳きを脅し猿の毛皮を譲れと迫る。
いやならお前も共に殺してしまうとまで言われて余儀なく猿に因果を含める。
猿曳きがそんな怖い話をするなんて小猿は考えもしない。
芸の噺と思って懸命に船をこぐ芸をするのだ。
たまりかねて号泣する猿曳き。
仔細を聴いて感泣する大名は猿を許し喜んだ猿曳きは猿に舞いをさせる。
緊迫、愁嘆と続いた舞台が一挙に明るく命を寿ぐ和みの世界に変わる。
着ぐるみをきた祐基君は99年うまれ、三歳で「靱猿」を初演、いまや猿についてはベテランだ。
猿の舞にすっかり喜んだ大名は、伏したり片ひざついて月を眺めたり、猿の猿まねだ。
最初、ずるくて酷薄な様子だったのに今は何とも言えない好好爺。
後ろで猿曳きが謡う長い猿唄が楽しい。
実世界のおじいちゃんとその弟、お孫さん、芸とは関係ないと思うのだが、小猿をかばいいとおしむ二人の老人とナニ疑うこともなく信じきって身をゆだねる小猿の姿をみているとどうしても万作一家を感じてしまった。
劇の中で猿曳きが猿に太郎冠者に、大名へのおとりなしを感謝してお礼をいわせる。
確かに太郎冠者が主役二人の会話を必ず中継するという、大役だね。
万作さん、ちょっと声が、、前から気になっている。
小猿をおぶって退場する。
もう、来年は祐基君は重すぎるかも。
「花折」。
住持(野村万作)は寺に咲いた桜が気になる。
留守の間に近所の連中が見に来ると庭を荒らしていくんじゃないか。
そこで新發意(しんぼち・出家したばかりの僧・野村萬斎)に留守中花見禁制を申し渡して出かける。
しかし、その通りにならないから狂言になる。
近所の男たち(石田幸雄・深田博治・野村遼太・高野和憲)らがやってくる。
最初、ダメだと断る新發意だが連中が門の外で酒盛りを始めるともう”たまんない”(って急に落語んなっちゃった)。
結局みんな入れて楽しく花見となる。
はじめ外の連中をよそに作り物の前に萬斎が端坐する。
その時、ぱあっと桜が明るく見えたのは照明のせいとは思えない。
萬斎が不思議なオーラを放って花見の座が不思議な明るさを帯びる。
花を愛で、月を愛で(唄の中で)、酒をぐいぐいと。
次々に謡い、舞うのがとてもいい。
よいやよいや、だ。
最後は足がもつれてふ~わりふ~わり、よいや、よいや、酔って候だね。
一滴も呑ませてもらえない俺だけどなんだかホンワカしてきたぜ。
のどかな春でござった。
(出来たらちゃんとした能舞台でもう一度観たいなあ)
写真は上、品川神社。中、勝ちどき・やまに「まぐろのほほ肉」。下、谷中・川村「岩のりせいろ」、岩のりはあったかな汁。
階段状の大きなホールの向こうに作られた能舞台を見たとたん期待の風船がしゅっとしぼんだ。
みすぼらしすぎる。
中学の学芸会?
でも会場は女性でいっぱい、特に若い女性で。
石田幸雄が登場して軽妙に狂言というものについて話をする。
テレビはボケっとしていても面白く見えるように工夫をしているけれど狂言はその対極にあって観る人が自分で想像力を駆使して(という言葉はつかわなかったけれど)イメージをふくらませて観ていないと何事もなく終わってしまう。
特に今日の演目はどちらも、ただただ笑って「ああ、面白かった」というわけにはいかないから覚悟して欲しいという。
「靱猿(うつぼざる)」は子方の演技というものは極力芝居らしさを排除して大きな声できちんとやることを追求する。
たとえば「舟弁慶」の義経(大人)役を子方がやるときも静御前との感情を子どもが演技をせずに一本調子で声張り上げてセリフをいうことで生々しさを消す。
見る方が想像する。
「花折(はなおり)」は舞と謡が主体というあまりやらない演目。
滑稽な筋書きとかやりとりを期待しているとつまらないかもしれない、、。
今日、初めて狂言を見る人が2~3割くらい(手を挙げさせた)という“見所”を牽制したのか?
しかし、石田さん、それは不要だったんじゃないか。
どちらも素晴らしい狂言だったよ。
「靱猿」。
大名(野村万之助)が太郎冠者(高野和憲)と狩りに行く途中で、毛並みの良い小猿(野村祐基)を連れた猿曳き(野村万作)に会う。
大名は小猿の皮で靱(矢を入れる稲穂型の武具)の張替をしたいと思い猿曳きを脅し猿の毛皮を譲れと迫る。
いやならお前も共に殺してしまうとまで言われて余儀なく猿に因果を含める。
猿曳きがそんな怖い話をするなんて小猿は考えもしない。
芸の噺と思って懸命に船をこぐ芸をするのだ。
たまりかねて号泣する猿曳き。
仔細を聴いて感泣する大名は猿を許し喜んだ猿曳きは猿に舞いをさせる。
緊迫、愁嘆と続いた舞台が一挙に明るく命を寿ぐ和みの世界に変わる。
着ぐるみをきた祐基君は99年うまれ、三歳で「靱猿」を初演、いまや猿についてはベテランだ。
猿の舞にすっかり喜んだ大名は、伏したり片ひざついて月を眺めたり、猿の猿まねだ。
最初、ずるくて酷薄な様子だったのに今は何とも言えない好好爺。
後ろで猿曳きが謡う長い猿唄が楽しい。
実世界のおじいちゃんとその弟、お孫さん、芸とは関係ないと思うのだが、小猿をかばいいとおしむ二人の老人とナニ疑うこともなく信じきって身をゆだねる小猿の姿をみているとどうしても万作一家を感じてしまった。
劇の中で猿曳きが猿に太郎冠者に、大名へのおとりなしを感謝してお礼をいわせる。
確かに太郎冠者が主役二人の会話を必ず中継するという、大役だね。
万作さん、ちょっと声が、、前から気になっている。
小猿をおぶって退場する。
もう、来年は祐基君は重すぎるかも。
「花折」。
住持(野村万作)は寺に咲いた桜が気になる。
留守の間に近所の連中が見に来ると庭を荒らしていくんじゃないか。
そこで新發意(しんぼち・出家したばかりの僧・野村萬斎)に留守中花見禁制を申し渡して出かける。
しかし、その通りにならないから狂言になる。
近所の男たち(石田幸雄・深田博治・野村遼太・高野和憲)らがやってくる。
最初、ダメだと断る新發意だが連中が門の外で酒盛りを始めるともう”たまんない”(って急に落語んなっちゃった)。
結局みんな入れて楽しく花見となる。
はじめ外の連中をよそに作り物の前に萬斎が端坐する。
その時、ぱあっと桜が明るく見えたのは照明のせいとは思えない。
萬斎が不思議なオーラを放って花見の座が不思議な明るさを帯びる。
花を愛で、月を愛で(唄の中で)、酒をぐいぐいと。
次々に謡い、舞うのがとてもいい。
よいやよいや、だ。
ひょうたんつるしておもしろや~ちょっとだけ舞ってすぐ座り込む新發意に短すぎると注文がついて今度はながながと冗談好きな春風のような舞を舞う。
最後は足がもつれてふ~わりふ~わり、よいや、よいや、酔って候だね。
一滴も呑ませてもらえない俺だけどなんだかホンワカしてきたぜ。
のどかな春でござった。
(出来たらちゃんとした能舞台でもう一度観たいなあ)
写真は上、品川神社。中、勝ちどき・やまに「まぐろのほほ肉」。下、谷中・川村「岩のりせいろ」、岩のりはあったかな汁。
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gakis-room at 2008-03-20 22:04
「マグロのほほ肉」の写真を見て,牛肉かと思いました,このユッケ,どのようにして食べるのかと。狂言に反応しないで,食に反応するとは,やはりろくな食生活ではないのかなあ,とこれは自省です。
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sakura
at 2008-03-20 22:21
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saheizi-inokori at 2008-03-20 22:44
gakis-roomさん、弾力があって美味しいものです。
食欲があるのはいい食生活のせいではないでしょうか。
食欲があるのはいい食生活のせいではないでしょうか。
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saheizi-inokori at 2008-03-20 22:47
sakura さん、日暮里の駅のすぐ近く、本行寺などの並びです。
美味しいですよ。
美味しいですよ。
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ginsuisen at 2008-03-20 22:50
そうですかー。この日は万作お祖父ちゃんが猿曳きだったのですね。で、大名は万之介さん。でも、かわいい、かわいいが見えてよかったよかった。私は、裕基君の初舞台を幸運にも見ました。それはもう、手に汗にぎる思い。パパ萬斎さんの緊張ぶりもすごかったですよー。でも、saheiziさんも芸を伝える場にかろうじて間にあって、よかったよかった。
確かにホール能はしょぼいけど、萬斎さんのオーラでひとまず花が咲いてよかったー、ホッ。
確かにホール能はしょぼいけど、萬斎さんのオーラでひとまず花が咲いてよかったー、ホッ。
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saheizi-inokori at 2008-03-21 07:47
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lotus
at 2008-03-21 09:13
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私も裕基くんの初舞台を見ました。その前にテレビの特別番組を見ていたし、なんだか自分の子どもの初舞台みたいで、何事もなく終わってほっとしたのを覚えています。大きくなったでしょうね。萬斎さんを初めて見たのは彼の自作の「薮の中」とかいう狂言。萬斎さんの立ち姿がすばらしく、それから少しずつ能や狂言を見るようになりました。あの舞台どうしてやらないのでしょう?
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saheizi-inokori at 2008-03-21 09:50
lotusさん、裕基君は着ぐるみをきて猿のように座っているときは少年らしく痩せて小さく見えましたが立ち上がってピョンピョンするとすらっと大きくなりました。
おじいちゃんはオンブするのが嬉しいやら大変やらです。
「藪の中」、有名ですね。みたいなあ。
おじいちゃんはオンブするのが嬉しいやら大変やらです。
「藪の中」、有名ですね。みたいなあ。
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ginsuisen at 2008-03-21 11:45
saheiziさん、ホールの場合は若干変化をつけるかもしれませんが、萬斎さんという人は、本当にオーラがあるんです。扇を返すだけで大きな風が吹くといったら大げさですが。だから彦一トンチ話なんかぴったり。あと悪役もね。ま、最近のTV・鞍馬天狗は私は?でしたけど。ところでlotusさんと同じく「藪の中」はすごい舞台ですよね。再演希望したいなー。ごめんなさい、狂言スレになりそうですね。
マグロほほ肉もお蕎麦もいいなー。谷中の蕎麦屋って、隣とかにつくだ煮屋さんのあるとこかな。
マグロほほ肉もお蕎麦もいいなー。谷中の蕎麦屋って、隣とかにつくだ煮屋さんのあるとこかな。
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Count_Basie_Band at 2008-03-21 13:44
どうでもいいから旨い蕎麦が食べたい!
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saheizi-inokori at 2008-03-21 22:49
ginsuisenさん、オーラってどういうかげんで出来るのかってさっきも話していましたよ。
ソバ屋・川村、そうです。駅を上がってすぐの右側です。
ソバ屋・川村、そうです。駅を上がってすぐの右側です。
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saheizi-inokori at 2008-03-21 22:52
Count_Basie_Bandさんは好みが難しそうだからなあ。逆かな。うるさいことを言うのがお嫌い?
この店も結構いけますよ。
この店も結構いけますよ。
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Count_Basie_Band at 2008-03-22 05:29
by saheizi-inokori
| 2008-03-20 20:50
| 能・芝居
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