生き返った談志 「立川談志独演会」( 銀座・ブロッサム)
2008年 03月 01日
1月の末の「談志一門会」の談志は前に書いたように聴いていて辛かった。
今にも談志は終わるのかと思った。気息延々、支離滅裂、見るも無惨と言って言い過ぎじゃないほど。
だから今回出囃子が鳴り始めても不安で、ましてそれが異様に長く続いても談志が出てこないと、もしかしたら今日はダメかなあと思った。
5分も待っただろうか、前回からみたらずいぶん元気そうな顔になって聴衆の拍手に合わせて自分も拍手しながら、それでもちょっとふらついて高座に上がった。
相変わらず風邪で声が出ないの死ぬのと情けない愚痴も今日はかろうじてシャレに聴くこともできる。
ジョークをいくつかやりながら様子を見ているうちに「松曳き」。
粗忽者同士の殿様と三太夫がトボケタやりとりをちんたらやる分には馴らし運転のギクシャクも我慢できる。
たっぷり中入りを取って出囃子も変えて、オヤ、さっきより更に機嫌良く登場。
「天災」。
江戸っ子・ハッツアンにしては随分と間延びした啖呵が段々滑らかになっていく。
談志が八五郎に、紅羅坊に、熊さんになって嬉しい気分なものだから、頭ん中の色々と結びついてアッチコッチに独り歩きを始めて収拾がつかなくなる。
それは流石に見もの聴きもので楽しい。
終わった後、談志が「この天災は良い悪いは別として俺にしか出来ない」と言い切ったのには同感だ。
俺は談志のライブは今日が三度目。三度目の正直、初めて普段CDで聴いている談志の片鱗を味わうことが出来た。
噺が終わって下がりかけた幕を又上げて上記のセリフ、おまけにジョークをひとつやって幕。
その時会場に手をふった。
良い笑顔だった。やれやれだ。
写真はヤンバル・本部・紀の川「チキナー(辛子菜)チャンプル」
何を隠そう沖縄に来ています。
もう本当の春なんでしょうね~、南の国は。菜っ葉の青色が輝いて見えます。
のんびりするでしょうねぇ~
海の色の美しさにため息をついてます。
天才の天災でした。