喜多八に乾杯! 第13回・「ビクター落語会」
2008年 02月 16日
柳家喜多八、58歳、小三治の弟子だ。
まず「やかんなめ」。
昔は医者も薬もいい加減だったという枕から「合い薬」の噺。
今はあまり聞かないご婦人の病に「癪」があったが、それには「まむし」といって男の太い蝮のような親指で痛むところを押すと治るとか、男の下帯できりきりと縛り上げると治るとか人によって不思議によく効く”薬”があったそうだ。
この噺に出てくる奥さまは「ヤカンをなめる」とア~ラ不思議猛烈な差し込みも治ってしまう。
その奥方がある晴れたのどけき日に野原を気持ちよく歩いていたとおぼしめせ。
突然癪が起きて七転八倒、お伴の女中も流石に野原ではヤカンなど見つからず周章狼狽だ。
そこに通りかかったお侍、みれば何とも見事な「ヤカン」頭。
「ほんとうに家のヤカンと、、観れば見るほどそっくり」という訳で忠義な女中は決死の覚悟でお侍にお願いをする。
「お願いの儀があります」
「そうかそうか、ワシはなぜか若き女子から頼まれることが多くて、また頼まれると断れない性分だからな。
ササ、遠慮なく申してみよ。はは~、さては野道で怪しからぬ者に襲われそうになったか。こう見えてもワシは一刀流の名人じゃ、もう心配ない。一刀のもとに切り捨てて見せよう。
なに、そうではない?そうではない?
では、親の敵に巡り合ったか。
もう心配はいらぬ。ワシが手助けをしてやろう程に、、、」
人の好い・少しばかり色気もある侍が早とちりしていろいろ聞くがどれも違って「そうではない?そうではない?」と。
ようやく癪が起きて困っていると聞き「持っておる薬をやろう」、
「いやそれでは治らない」
「しからば蝮を」
「いやそれも」
「うむ、そうか、それではワシの褌をといてやろう。、、やや、困った。今日はワシは越中で参ったから短くて、、」
それもお呼びでなくて
「実は主人はヤカンを舐めると治るのです」
「おおそれは、しかし、かようなところにヤカンなどないノウ、、困った」
と、「お侍さまのおつむりを舐めさせていただきたい」
そのわけを聞いて烈火の如く怒る侍、「そこに直れ!成敗してくれる」。
しかし、供の「べくない」は笑い転げる。
「笑うな!べくない!ここな女は自分の主人のために一命を賭して仕えようとしているのにお前は主人の俺がバカにされているのに笑うのか」
女中は泣く。
そっちを向いて「泣くな!」べくないを見て「笑うな」、「泣くな。笑うな。泣くな。笑うな。」
べくないの笑いも女中の泣きもすべて侍の呼びかけで表現される。
それなのにありありと二人の姿が見えるようだ。
振り上げた手の下ろしようもなく怒鳴る侍。
俺は心の中で「怒るな!」
侍はやがて女中に感動していくようでもある。
おかしくもなっていくようだ。
泣き笑いのような顔をして肩がぴくぴく動いて、、
この間がこの噺の”品格”(あまり品格のある言葉じゃないけども)を決めた。
ついには頭を差し出しぺろぺろと舐めさせる。
キレイすっぱり治った奥方を「ホントに治ったのか」と確かめて空を仰いで何思う?
己がハゲ頭の威力を喜んでいいのやら情けないやら。
「べくない、笑うな!」
まだ笑っているんだ。
「笑うな、、」だんだん声が和らいで、間があって侍もどうやら又ひくひくと笑っている。
温かい春の陽ざしに包まれて、ああいい気持!
ああ、いい侍だなあ!
ひとつ間違えば品のないお笑いになってしまう。
それをギリギリのところで大笑いさせながらもなんとも言えない落語ならではの世界を創り上げた喜多八に感動しました。
他は鯉昇「味噌蔵」
大熱演。
どちらかというと俺は今までこの人の方が好きで今日もそれが主体だったんだけど、そしてその期待を裏切らない出来だったけれど前にやった喜多八に毒気を抜かれていた俺だ。
市馬「阿武松」
大食らいの関取が横綱になるという目出度い噺、市馬のニンにあった朗らかな正々堂々とした噺だった。
得意の相撲甚句もよかった。
トリは再び喜多八「もぐら泥」
今日はどちらも珍しいネタでこっちも初めて聴いた。
わびしい商家の深夜、主は何べんやってもソロバン合って勘定足らず、
なんだ、さっきからワキで居眠りしていた女房が黙って反物買ってたんだもの合わないはずさ。
アンニュイ、倦怠期の夫婦の家を狙うのは、モグラのように外から戸の下を掘って手を入れて掛金を外すという泥ちゃん、間抜けにも勘定合わないから主人夫妻が起きている土間に手を差し入れてしまう。
室内、畳の上で主が「もうちょっとで足りるのに」とため息をつけば家の外地べたに這いつくばった泥棒が「もうちょっとで届くのになあ」と掛け合いがシュールだ。
これも大熱演で場内を沸かしたが、何といっても先にやったヤカンがすべてだった。
こういうときは「これでおしまいで~す」かなんか言って後はやめても俺はゼンゼンおーけー牧場だがなあ。
写真は今日の会場・三田・仏教伝道センターの下にある「菩提樹」の「ゴマ入り坦々麺」。松の実もたくさん入って美味しかった。
まず「やかんなめ」。
昔は医者も薬もいい加減だったという枕から「合い薬」の噺。
今はあまり聞かないご婦人の病に「癪」があったが、それには「まむし」といって男の太い蝮のような親指で痛むところを押すと治るとか、男の下帯できりきりと縛り上げると治るとか人によって不思議によく効く”薬”があったそうだ。
この噺に出てくる奥さまは「ヤカンをなめる」とア~ラ不思議猛烈な差し込みも治ってしまう。
その奥方がある晴れたのどけき日に野原を気持ちよく歩いていたとおぼしめせ。
突然癪が起きて七転八倒、お伴の女中も流石に野原ではヤカンなど見つからず周章狼狽だ。
そこに通りかかったお侍、みれば何とも見事な「ヤカン」頭。
「ほんとうに家のヤカンと、、観れば見るほどそっくり」という訳で忠義な女中は決死の覚悟でお侍にお願いをする。
「お願いの儀があります」
「そうかそうか、ワシはなぜか若き女子から頼まれることが多くて、また頼まれると断れない性分だからな。
ササ、遠慮なく申してみよ。はは~、さては野道で怪しからぬ者に襲われそうになったか。こう見えてもワシは一刀流の名人じゃ、もう心配ない。一刀のもとに切り捨てて見せよう。
なに、そうではない?そうではない?
では、親の敵に巡り合ったか。
もう心配はいらぬ。ワシが手助けをしてやろう程に、、、」
人の好い・少しばかり色気もある侍が早とちりしていろいろ聞くがどれも違って「そうではない?そうではない?」と。
ようやく癪が起きて困っていると聞き「持っておる薬をやろう」、
「いやそれでは治らない」
「しからば蝮を」
「いやそれも」
「うむ、そうか、それではワシの褌をといてやろう。、、やや、困った。今日はワシは越中で参ったから短くて、、」
それもお呼びでなくて
「実は主人はヤカンを舐めると治るのです」
「おおそれは、しかし、かようなところにヤカンなどないノウ、、困った」
と、「お侍さまのおつむりを舐めさせていただきたい」
そのわけを聞いて烈火の如く怒る侍、「そこに直れ!成敗してくれる」。
しかし、供の「べくない」は笑い転げる。
「笑うな!べくない!ここな女は自分の主人のために一命を賭して仕えようとしているのにお前は主人の俺がバカにされているのに笑うのか」
女中は泣く。
そっちを向いて「泣くな!」べくないを見て「笑うな」、「泣くな。笑うな。泣くな。笑うな。」
べくないの笑いも女中の泣きもすべて侍の呼びかけで表現される。
それなのにありありと二人の姿が見えるようだ。
振り上げた手の下ろしようもなく怒鳴る侍。
俺は心の中で「怒るな!」
侍はやがて女中に感動していくようでもある。
おかしくもなっていくようだ。
泣き笑いのような顔をして肩がぴくぴく動いて、、
この間がこの噺の”品格”(あまり品格のある言葉じゃないけども)を決めた。
ついには頭を差し出しぺろぺろと舐めさせる。
キレイすっぱり治った奥方を「ホントに治ったのか」と確かめて空を仰いで何思う?
己がハゲ頭の威力を喜んでいいのやら情けないやら。
「べくない、笑うな!」
まだ笑っているんだ。
「笑うな、、」だんだん声が和らいで、間があって侍もどうやら又ひくひくと笑っている。
温かい春の陽ざしに包まれて、ああいい気持!
ああ、いい侍だなあ!
ひとつ間違えば品のないお笑いになってしまう。
それをギリギリのところで大笑いさせながらもなんとも言えない落語ならではの世界を創り上げた喜多八に感動しました。
他は鯉昇「味噌蔵」
大熱演。
どちらかというと俺は今までこの人の方が好きで今日もそれが主体だったんだけど、そしてその期待を裏切らない出来だったけれど前にやった喜多八に毒気を抜かれていた俺だ。
市馬「阿武松」
大食らいの関取が横綱になるという目出度い噺、市馬のニンにあった朗らかな正々堂々とした噺だった。
得意の相撲甚句もよかった。
トリは再び喜多八「もぐら泥」
今日はどちらも珍しいネタでこっちも初めて聴いた。
わびしい商家の深夜、主は何べんやってもソロバン合って勘定足らず、
なんだ、さっきからワキで居眠りしていた女房が黙って反物買ってたんだもの合わないはずさ。
アンニュイ、倦怠期の夫婦の家を狙うのは、モグラのように外から戸の下を掘って手を入れて掛金を外すという泥ちゃん、間抜けにも勘定合わないから主人夫妻が起きている土間に手を差し入れてしまう。
室内、畳の上で主が「もうちょっとで足りるのに」とため息をつけば家の外地べたに這いつくばった泥棒が「もうちょっとで届くのになあ」と掛け合いがシュールだ。
これも大熱演で場内を沸かしたが、何といっても先にやったヤカンがすべてだった。
こういうときは「これでおしまいで~す」かなんか言って後はやめても俺はゼンゼンおーけー牧場だがなあ。
写真は今日の会場・三田・仏教伝道センターの下にある「菩提樹」の「ゴマ入り坦々麺」。松の実もたくさん入って美味しかった。
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fukuyoka at 2008-02-17 00:02
やかんの噺おもしろいですねー。ひとりでクックッと笑いながら読んでると娘が「何笑っているの?気持ち悪いヨ」ですって。
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henry66 at 2008-02-17 03:19
では私からも喜多八に拍手、拍手。
女の人の仕草や表情が上手い噺家が好きです。
円生が「オヤ、そうかい」と言う時の顔が見たくてテープを擦り切らしました。
喜多八の演じる必死の女中も見てみたかったなあ。
実況中継ありがとうございました。次を楽しみにしています。
女の人の仕草や表情が上手い噺家が好きです。
円生が「オヤ、そうかい」と言う時の顔が見たくてテープを擦り切らしました。
喜多八の演じる必死の女中も見てみたかったなあ。
実況中継ありがとうございました。次を楽しみにしています。
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saheizi-inokori at 2008-02-17 08:50
fukuyokaさん、 henry66さん、喜多八になり変ってお礼申し上げます。
ちょっと照れくさそうな顔をして口を歪めるのかもしれないけれど。
脱力からスタートしてやがて熱を帯びてピークに達するとやがてふっと何かあったの?って顔をして高座を降りていきます。
ちょっと照れくさそうな顔をして口を歪めるのかもしれないけれど。
脱力からスタートしてやがて熱を帯びてピークに達するとやがてふっと何かあったの?って顔をして高座を降りていきます。
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maru33340 at 2008-02-17 09:26
おはようございます。
喜多八、鯉昇どちらも僕の大好きな落語家。
喜多八の脱力と熱演のギャップがもうたまらず、鯉昇のバリトンで語る落語家らしい風情もまた・・・。
この二人をたっぷり聞けるとは羨ましいです。
(いつも羨ましいとばかり言ってますが・・・)
喜多八、鯉昇どちらも僕の大好きな落語家。
喜多八の脱力と熱演のギャップがもうたまらず、鯉昇のバリトンで語る落語家らしい風情もまた・・・。
この二人をたっぷり聞けるとは羨ましいです。
(いつも羨ましいとばかり言ってますが・・・)
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74mimi at 2008-02-17 09:33
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saheizi-inokori at 2008-02-17 10:02
maru33340さん、権太楼もつぼです。DVDを買ってしまいましたよ。
地の利ですね^^。
地の利ですね^^。
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saheizi-inokori at 2008-02-17 10:05
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散歩好き
at 2008-02-17 21:02
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癪は古典では積で癪は広辞苑によると種々の病気から起きる胸や腹に起きる激痛を伴う病とあります。女子に多い。
積は臓病なり。病が臓にはいると不治と古典にはあります。
外郎(ういろう)も官位なのに薬であったり食べ物であったり伝わり方が面白いです。
積は臓病なり。病が臓にはいると不治と古典にはあります。
外郎(ういろう)も官位なのに薬であったり食べ物であったり伝わり方が面白いです。
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saheizi-inokori at 2008-02-17 21:09
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散歩好き
at 2008-02-17 21:19
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naomu-cyo at 2008-02-18 08:57
喜多八師匠の「やかんなめ」。喜多八師匠を初めて聴いたときこの噺だったように思います。ほんとにおかしくって。難しい噺だと思うんですけど、喜多八師匠はやりとりが軽妙で、「んなはずないだろ」とは思わせないとでもいうか。大好きな師匠のおひとりです。喜多八師匠の侍が出てくる噺、特に大好きです。
それにしても豪華な顔ぶれ。ビクター落語会、ですよね。
それにしても豪華な顔ぶれ。ビクター落語会、ですよね。
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saheizi-inokori at 2008-02-18 10:24
散歩好きさん、今朝から腹巻をしました。
有難うございました。
有難うございました。
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saheizi-inokori at 2008-02-18 10:25
naomu-cyoさん、ビクター落語会は穴かも。
あんまり知られたくないけれど^^。
あんまり知られたくないけれど^^。
by saheizi-inokori
| 2008-02-16 21:51
| 落語・寄席
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Comments(13)