これがアメリカだ オーガステン・バロウズ「ハサミを持って突っ走る」(バジリコ)
2008年 01月 27日
アル中で大学教授の父と、毎日書いている詩がいつかはニューヨーカーに載り有名な女になると信じている母は喧嘩が絶えない。
殺しあいに近い。
どうにもならなくなると精神病医のフインチ先生がやってくる。
7つ違いの兄は16歳の時に家を出て行った。
両親が離婚してぼくはフインチ家と母の家の間を行ったり来たりだ。
フインチ家がすさまじい。
常時住んでいるのは二人の娘と夫婦に犬と猫だがいつも患者とか誰かが一緒にいる。
医者の家などとは思えないほど汚れ放題、一家は「口唇愛」だとか「肛門期」などというフロイト用語でしょっちゅう罵りあっている。
父・フインチのウンチを家族で鑑賞して神のお告げを読み取ろうとする。
巻きがちゃんとして先っぽがぴんと上を向いた、いいウンチは娘・ホープが裏庭のピクニックテーブルの上に飾っておくのだ。
ぼくは学校に行くのはまっぴら。
美容師になってヴィダル・サッスーンのように世界中に売れる化粧品を開発するのが夢だ。
ぼくはゲイだがそのことと美容師になることを関連付けられるのはたまらない。
13歳の時にフインチの義理の息子・ブックマン(32歳)がぼくを犯して以来彼はぼくに夢中だ。
母は牧師の妻とレズにふけっているところをぼくに見られたが平気だ。
ぼくがブックマンとの関係を告白したとき、ことのほか喜んだ。
ぼくとフインチ家の16歳の出戻り(相手は45歳)ナタリーはフインチ家の台所の天井が低すぎるために押しつぶされていた。
いや、ふたりとも既に人生に押しつぶされそうだったのだ。
翌朝、下着姿で降りてきた先生はいつものように冷蔵庫にオレンジジュースを取りにいくのにガラクタの山を乗り越えなければならなかった。
母親病というフインチ語がある。
母親というのは人生のあるときから不健康になるという原則を拠りどころにしている。
たとえば10ドル欲しいときに、そうはっきり言わず「10ドル持っているかしら」と聞くようなこと。
この家では誰もが母親病にかかっているとみられることを偏執的に気にしている。
フインチ家では全てが自由だった。
哄笑、苦笑、笑いながら読み続けるうちにほろ苦い何かががこみ上げてくる。
破廉恥で無茶苦茶で、外道・落ちこぼれ・外れ者の子供たちとその親。
だが、どうだろうこの切なさと一緒になった爽やかさは。
ひたぶるに人生と格闘している。
母親病を忌み嫌うってのはまっとうなんじゃないか?
嘘をつけない。
昨日書いた映画「スウィーニー・トッド」!
これもまた、「優しさ」と「愛」なのだ。
アメリカで大ベストセラーになった自伝的小説。
アメリカの病気(今や日本も負けていないが)とたくましさ(日本はあるかな)との両面を見る思いがする。
2年以上も積読になっていた。
大西巨人「神聖喜劇」全5巻の真ん中あたりで少しさっと読めるもの(大西さん、面白くてたまらないのだが、疲れもするのです)をと引っ張り出してみたところが、これまたある種の「神聖喜劇」だった。
人生ってそういうものかもね。
青野聡 訳
殺しあいに近い。
どうにもならなくなると精神病医のフインチ先生がやってくる。
7つ違いの兄は16歳の時に家を出て行った。
両親が離婚してぼくはフインチ家と母の家の間を行ったり来たりだ。
フインチ家がすさまじい。
常時住んでいるのは二人の娘と夫婦に犬と猫だがいつも患者とか誰かが一緒にいる。
医者の家などとは思えないほど汚れ放題、一家は「口唇愛」だとか「肛門期」などというフロイト用語でしょっちゅう罵りあっている。
父・フインチのウンチを家族で鑑賞して神のお告げを読み取ろうとする。
巻きがちゃんとして先っぽがぴんと上を向いた、いいウンチは娘・ホープが裏庭のピクニックテーブルの上に飾っておくのだ。

美容師になってヴィダル・サッスーンのように世界中に売れる化粧品を開発するのが夢だ。
ぼくはゲイだがそのことと美容師になることを関連付けられるのはたまらない。
13歳の時にフインチの義理の息子・ブックマン(32歳)がぼくを犯して以来彼はぼくに夢中だ。
母は牧師の妻とレズにふけっているところをぼくに見られたが平気だ。
ぼくがブックマンとの関係を告白したとき、ことのほか喜んだ。
自我の矯正なんて、たやすくできるもんじゃない。あたしはときどき、あたしのような母親に育てられたらよかったのにっておもうの。だが、その母はだんだん異常の程度がひどくなり期間も長くなるのだ。
ぼくとフインチ家の16歳の出戻り(相手は45歳)ナタリーはフインチ家の台所の天井が低すぎるために押しつぶされていた。
いや、ふたりとも既に人生に押しつぶされそうだったのだ。
「生きてるなんて、いやだ」なんだか漫才のようなやり取りが本気になってふたりは一晩かかって天井を壊してしまう。
「ぼくは天井がいやだな」
翌朝、下着姿で降りてきた先生はいつものように冷蔵庫にオレンジジュースを取りにいくのにガラクタの山を乗り越えなければならなかった。
大がかりな工事をはじめたようだな先生はさりげなく云ったもんだ。
母親病というフインチ語がある。
母親というのは人生のあるときから不健康になるという原則を拠りどころにしている。
たとえば10ドル欲しいときに、そうはっきり言わず「10ドル持っているかしら」と聞くようなこと。
この家では誰もが母親病にかかっているとみられることを偏執的に気にしている。
フインチ家では全てが自由だった。
きみは自由な意思を持った自由な人間だ。先生は云うのだが
するといつも閉じこめられている、この感じはどこからくるんだろう。選択肢だけはあると思っていたのに、まるで選択肢がないようにおもうのは、なんでだろう?(略)いきづまったナタリーとぼく。
なににも増してぼくは自由になりたかった。だが、なにから自由になりたい?それが問題だった。
「なにかを追っかけてるように感じることって、ない?なにか大きなものを。わかんないんだけど、なにかあんたとあたしだけにしかみえてないもの、みたいなんだ。それを追っかけてんの、走って、走って、走って」変人・奇人たちが次から次へと繰り広げる騒ぎやらご高説。
「そうだね、ぼくたちは確かに走ってる。ハサミを持って突っ走ってる」
哄笑、苦笑、笑いながら読み続けるうちにほろ苦い何かががこみ上げてくる。
破廉恥で無茶苦茶で、外道・落ちこぼれ・外れ者の子供たちとその親。
だが、どうだろうこの切なさと一緒になった爽やかさは。
ひたぶるに人生と格闘している。
母親病を忌み嫌うってのはまっとうなんじゃないか?
嘘をつけない。
昨日書いた映画「スウィーニー・トッド」!
これもまた、「優しさ」と「愛」なのだ。
アメリカで大ベストセラーになった自伝的小説。
アメリカの病気(今や日本も負けていないが)とたくましさ(日本はあるかな)との両面を見る思いがする。
2年以上も積読になっていた。
大西巨人「神聖喜劇」全5巻の真ん中あたりで少しさっと読めるもの(大西さん、面白くてたまらないのだが、疲れもするのです)をと引っ張り出してみたところが、これまたある種の「神聖喜劇」だった。
人生ってそういうものかもね。
青野聡 訳

自由ってなんだろう? 自分探しって何だろう?
ラッキョウの皮むきのような不確かさが感じられて、どうもそういう世界には入っていけません。
『神聖喜劇』、大好きです。
「大根のおかずが軍事機密」という内務班の喜劇、営庭での人間焼き殺し問答、何度頭の中で演出したか解りません。
ラッキョウの皮むきのような不確かさが感じられて、どうもそういう世界には入っていけません。
『神聖喜劇』、大好きです。
「大根のおかずが軍事機密」という内務班の喜劇、営庭での人間焼き殺し問答、何度頭の中で演出したか解りません。
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「どうなっちゃってるの~~~!?」といったストーリーですね。
それなのに、ほろ苦さや爽やかさを感じさせるなんて、凄いです!
それなのに、ほろ苦さや爽やかさを感じさせるなんて、凄いです!
きとら さん、そうですね。神聖喜劇の東堂とぼくとでは年齢も違うけれど教養とか世界観はまるで違います。
それが時代の差と国の差ですか。
今日本は「ぼく」に近づいているようです。
東堂の苦悩の意味をわかる青年など100人もいるのでしょうか?
それが時代の差と国の差ですか。
今日本は「ぼく」に近づいているようです。
東堂の苦悩の意味をわかる青年など100人もいるのでしょうか?
my_poppyさん、こういうのを徹底的におふざけばかりにしたのが向こうのテレビドラマかもしれません。
荒唐無稽なようでかなり身につまされる人が多いのではないでしょうか。
これほどはひどくないと安心したり。
荒唐無稽なようでかなり身につまされる人が多いのではないでしょうか。
これほどはひどくないと安心したり。

わー凄い家庭。ハチャメチャですね。
アメリカ映画でこんな家庭に似たのをよく観ますね。
日本でも増えてきて社会的事件が起きたりすると、評論家が一斉に吠えて、まだ大騒ぎするわですが、アメリカでは日常茶飯事のように見えてしまいます。ストレス社会が生み出すものなのでしょうか。
アメリカ映画でこんな家庭に似たのをよく観ますね。
日本でも増えてきて社会的事件が起きたりすると、評論家が一斉に吠えて、まだ大騒ぎするわですが、アメリカでは日常茶飯事のように見えてしまいます。ストレス社会が生み出すものなのでしょうか。

我々の世代でも、あの時代の教養主義の崩壊、総転向、否応なしの召集と行き着く先の戦死など、想像を超えていて、了解しがたいところがありますね。
『神聖喜劇』は脚本になったり、劇画になったりしてます。若い層にも読者がありそうです。とにかく戦後文学の傑作ですね。いつまでも色褪せないと思います。
『神聖喜劇』は脚本になったり、劇画になったりしてます。若い層にも読者がありそうです。とにかく戦後文学の傑作ですね。いつまでも色褪せないと思います。
きとら さん、再び神聖喜劇に戻っています。
面白く、痛快でもあるのですが、時々うんざりするくらいしつこい。そのしつこさこそこの小説の命だとは思うのですが、ときどき参ってしまいます。
参ると他の本を読んで、、また戻ります。
面白く、痛快でもあるのですが、時々うんざりするくらいしつこい。そのしつこさこそこの小説の命だとは思うのですが、ときどき参ってしまいます。
参ると他の本を読んで、、また戻ります。
by saheizi-inokori
| 2008-01-27 22:32
| 今週の1冊、又は2・3冊
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