どん底に生きる夫婦愛 志ん輔「お直し」(末廣亭・上席)
2007年 12月 06日
吉原で花の盛りを過ぎて毎晩お茶をひいている(お客がつかないこと)花魁と客引きの男が惚れ合う。
従業員同士の恋愛はご法度なのだ。
ばれないと思ったが店の主人にはお見通し。
ふたりが本気だと言うので主人は粋な捌きで花魁をやり手(客と女郎の仲介役)にし、ふたりを夫婦にしてやる。
幸せな生活も束の間、駄目な男と言うやつはどうにもしょうがない。
女遊びはするしバクチに入れあげて身上すっかり無くしてしまう。
どうするつもりだい?妻に聞かれて男が言ったことは”蹴ころ”でやり直そう。
吉原の外れ、羅生門河岸で、だれ彼構わず半ば暴力的に引っ張り込む最下等の売春。
客引きは俺がやる、という男に
「女はどうするんだい?」年はとってもおめえなら掃き溜めに鶴だ、などとおだてる。
「おめえがやってくれ」
「そんなことできるかい!」
「できるさ、前にやってたんだから。」
「お前さん、女房にこんなことやらせて平気かい?」客との”営業”時間を長引かせて”線香代”を貪ろうという商売、そのために手練手管のかぎりをつくして客をつなぎとめる。
「平気でなんかあるもんか」(というのにかぶせるようにして)「平気じゃなきゃ困るんだよ!」
それを客引きをしている男が焼餅を焼くようじゃ商売にならない。
女を商品にして、地回りや乱暴な客が来てもびくともしない根性を持たなければ勤まらない商売なんだ。
腹を決めた女が男を諭すのだ。
「お前さんのようなお人好しに勤まるかい」と心配している。
蹴っ飛ばしても飽き足らないような男なのに。
商売を始めてみるとやはり男は焼餅を焼いて「もうこんなことやってられない!」。
そこで女が「誰のためにやってると思うんだ」と悔し涙。
場内から全ての音が消えて女房のすすり泣きだけが。
男は「すまなかった。やっぱりやってくれ」でふたりは仲直り。
業だね。
情けない男。
そんな男にアイソも尽かさず尽くす女。
惚れちまったんだね。
地獄はまだまだ先に口を開けて待っている。
待っているけれど愚かなふたりは寄り添って生きていく。
昔分け合って食べた鍋焼きの味を思い出しながら。
志ん輔はそんなふたりをユーモアでくるんで優しく描いたように感じられた。
志ん生はそんなふたりを突き放して描いたけれど。
これだけ暗い噺を笑いを取りながら、しかも男女の心情をまともに語って聴かせるのは凡百ではない。
<お茶をひいている(お客がつかないこと)>
有難いですね。よく解って面白かったです。
この様な噺を今の若い子は理解できるのか・・・?
と思いますけど、、、落語は凄く若者に人気があるそうで、、、
ちゃんと調べて書けばよかったです。三千代は友人の名前、美千代は従姉妹・・実千代・・・ウン、納得。
終わったあとスタッフに「ナンと言う噺ですか」と聞いている人もいました。
私たちも子どものころ分からない言葉でもなんとなく雰囲気は分かりましたよね。
このブログはコメント欄がためになると言う評判です(どこで?)。
なんとか復活いたしました。
さて、志ん輔は最近いよいよ凄いですね。
この間読んだ志ん輔の『噺家パラダイス』の帯に「志ん生襲名って本当ですか?」とありましたが、「お直し」をやるという事については、これはどうもまんざら洒落でもないのかしら・・・