松本清張と水上勉の「点」と「線」 大村彦次郎「文壇挽歌物語」(筑摩書房)から
2007年 11月 28日
日本交通公社(現在のJTB)発行の雑誌「旅」の編集者・岡本喜秋は、松本清張が「別冊・文藝春秋」に書いた「ひとり旅」という短編を読んで、心惹かれるものがあり原稿を依頼した。
それが縁となり清張は同誌に何本かの紀行文を自筆のペン画入りで書く。
元は鉄道の会員雑誌だった「旅」はGHQの指令で市販雑誌に切り替えられた。
それにふさわしく充実するために岡田は清張に本格的な連載推理小説を書いてもらうことを考える。
編集費が安く高額な原稿料を払えない「旅」、著名な作家では書いてもらえないが清張ならという思惑もあった。
6年前に「或る『小倉日記』伝」で芥川賞を受賞していてもそんなものだったのかなあ。
打診された清張は興奮した面持ちで、すぐに承諾した。
清張にとってこれまで連載小説といえば中学生か高校生向きの月刊誌あるいは地方のスポーツ新聞くらいだったのだ。
岡田としては、作品が万一成功しなくても、小説の専門誌ではないからお互いに深傷を負う気遣いもないだろうと、とタカが括れた。
稿料は一枚1500円、当時(昭和32年)としてもひどく低廉な額だった。
当初、清張は「縄」という題名を提示した。
彼はクロフツの名作「樽」の連想から一文字の題名に凝っていて、前年には日本探偵作家クラブ賞を受賞した「顔」を書いている。
岡田は「縄」に抵抗する。
折り返し清張から「点と線」が提示されたのだ。
人間をひとつの「点」として捉え、点と点とを結びつける「線」を人間関係になぞらえた。
光文社の編集者・松本恭子は少女時代からミステリー・マニアだった。
社の後輩となんとなく清張の自宅を訪れる。
練馬区関町の清張宅は6帖と4畳半ふた間に8人家族が暮らしていた。
玄関脇に読み古されたハヤカワ・ポケット・ミステリが積み重ねられてあるのを目ざとく見つけた恭子。
雑談の中で「点と線」のことを連載中と聞いて、第1回を読む。
どこか今までのミステリとは違うものを感じ取った恭子は常務の神吉晴夫にこれを直ぐ読むように進言した。
神吉は、これまで小説の出版には強い拒否反応を示してきたが、恭子の熱心な説得に負けて読んでみた。
ジャーナリスト特有の嗅覚で、この作家が大バケするかもしれないと予見、直ちに恭子の案内で清張の家に向かい出版契約を結ぶのだ。
水上勉は私小説「フライパンの歌」を昭和23年に処女出版したきり、小説が思うように書けなくなり、業界紙の編集者、広告取り、などをした挙句、洋服生地の行商人として細々と生活していた。
川上宗薫の義妹と水上の妻が大分の高校、東京の短大と一緒で交際があったことから川上がふらりと市川の水上を訪れる。
ひょうきんな川上は自分が芥川賞の候補になって落選をしたときの話などを面白おかしく話して水上の胸襟を開く。
川上は自分よりも文壇のことにも詳しく人柄もよい水上に惚れこんでしまう。
しょっちゅう水上の家に来て酒食を共にするばかりか自分の入っている同人誌「半世界」(佐藤愛子などがメンバー)の合評会に水上を誘ったりする。
「硫黄島」で芥川賞を取ったばかりの菊村到をつれてくると人見知りする菊村も水上を買い「あなたなら、きっと小説が書けますよ」と云ったりするのだが水上にはもう一歩踏み出す自信がない。
そうこうする内に水上が始めた生地の販売会社が不況のためにつぶれてしまう。
妻は生活のために姉が勤めているキャバレーに働きに出たいと言い出す。
前妻がダンス・ホールに働きに出たことが切っかけで娘をおいて家出をしたから、水上は妻が外に出るのは懲り懲りなのに。
考えた末に水上が妻に言ったこと。
自分は洋服の販売をやめて小説を書く。
出来上がるまでにおよそ半年はかかるだろう。
その間だけホステス勤めをして暮らしを支えてくれ。
虫のよい話だ。
その頃、光文社から出版された「点と線」はベストセラーになっていた。
水上はこれを読み夢中になる。
これまでの探偵物とは違って、謎解きのトリックばかりではなく、日常の細部が良く書き込まれていて、現実感がある。
こういう手法でなら自分にも推理小説が書けるのではないか。
700枚になる第1稿から第4稿までに4000枚近くのコクヨの原稿用紙が費消される。
川上の紹介で会った河出書房の坂本一亀の執拗な要求に応えて書き直しを続けることが出来たのは、この10年間に水上が嘗めたすべての屈辱に対する復讐心があったからだ。
そのようにして誕生したのが「霧と影」である。
見本が出来上がったときに水上は坂本を妻の働くキャバレーに案内する。
妻はピンクの背抜きのドレスを着てお客と踊っていた。
席に着いた妻に坂本は
それが縁となり清張は同誌に何本かの紀行文を自筆のペン画入りで書く。
元は鉄道の会員雑誌だった「旅」はGHQの指令で市販雑誌に切り替えられた。
それにふさわしく充実するために岡田は清張に本格的な連載推理小説を書いてもらうことを考える。
編集費が安く高額な原稿料を払えない「旅」、著名な作家では書いてもらえないが清張ならという思惑もあった。
6年前に「或る『小倉日記』伝」で芥川賞を受賞していてもそんなものだったのかなあ。
打診された清張は興奮した面持ちで、すぐに承諾した。
清張にとってこれまで連載小説といえば中学生か高校生向きの月刊誌あるいは地方のスポーツ新聞くらいだったのだ。
岡田としては、作品が万一成功しなくても、小説の専門誌ではないからお互いに深傷を負う気遣いもないだろうと、とタカが括れた。
稿料は一枚1500円、当時(昭和32年)としてもひどく低廉な額だった。
当初、清張は「縄」という題名を提示した。
彼はクロフツの名作「樽」の連想から一文字の題名に凝っていて、前年には日本探偵作家クラブ賞を受賞した「顔」を書いている。
岡田は「縄」に抵抗する。
折り返し清張から「点と線」が提示されたのだ。
人間をひとつの「点」として捉え、点と点とを結びつける「線」を人間関係になぞらえた。
光文社の編集者・松本恭子は少女時代からミステリー・マニアだった。
社の後輩となんとなく清張の自宅を訪れる。
練馬区関町の清張宅は6帖と4畳半ふた間に8人家族が暮らしていた。
玄関脇に読み古されたハヤカワ・ポケット・ミステリが積み重ねられてあるのを目ざとく見つけた恭子。
雑談の中で「点と線」のことを連載中と聞いて、第1回を読む。
どこか今までのミステリとは違うものを感じ取った恭子は常務の神吉晴夫にこれを直ぐ読むように進言した。
神吉は、これまで小説の出版には強い拒否反応を示してきたが、恭子の熱心な説得に負けて読んでみた。
ジャーナリスト特有の嗅覚で、この作家が大バケするかもしれないと予見、直ちに恭子の案内で清張の家に向かい出版契約を結ぶのだ。
水上勉は私小説「フライパンの歌」を昭和23年に処女出版したきり、小説が思うように書けなくなり、業界紙の編集者、広告取り、などをした挙句、洋服生地の行商人として細々と生活していた。
川上宗薫の義妹と水上の妻が大分の高校、東京の短大と一緒で交際があったことから川上がふらりと市川の水上を訪れる。
ひょうきんな川上は自分が芥川賞の候補になって落選をしたときの話などを面白おかしく話して水上の胸襟を開く。
川上は自分よりも文壇のことにも詳しく人柄もよい水上に惚れこんでしまう。
しょっちゅう水上の家に来て酒食を共にするばかりか自分の入っている同人誌「半世界」(佐藤愛子などがメンバー)の合評会に水上を誘ったりする。
「硫黄島」で芥川賞を取ったばかりの菊村到をつれてくると人見知りする菊村も水上を買い「あなたなら、きっと小説が書けますよ」と云ったりするのだが水上にはもう一歩踏み出す自信がない。
そうこうする内に水上が始めた生地の販売会社が不況のためにつぶれてしまう。
妻は生活のために姉が勤めているキャバレーに働きに出たいと言い出す。
前妻がダンス・ホールに働きに出たことが切っかけで娘をおいて家出をしたから、水上は妻が外に出るのは懲り懲りなのに。
考えた末に水上が妻に言ったこと。
自分は洋服の販売をやめて小説を書く。
出来上がるまでにおよそ半年はかかるだろう。
その間だけホステス勤めをして暮らしを支えてくれ。
虫のよい話だ。
その頃、光文社から出版された「点と線」はベストセラーになっていた。
水上はこれを読み夢中になる。
これまでの探偵物とは違って、謎解きのトリックばかりではなく、日常の細部が良く書き込まれていて、現実感がある。
こういう手法でなら自分にも推理小説が書けるのではないか。
700枚になる第1稿から第4稿までに4000枚近くのコクヨの原稿用紙が費消される。
川上の紹介で会った河出書房の坂本一亀の執拗な要求に応えて書き直しを続けることが出来たのは、この10年間に水上が嘗めたすべての屈辱に対する復讐心があったからだ。
そのようにして誕生したのが「霧と影」である。
見本が出来上がったときに水上は坂本を妻の働くキャバレーに案内する。
妻はピンクの背抜きのドレスを着てお客と踊っていた。
席に着いた妻に坂本は
奥さん、長いこと、ご苦労さんでした。水上さんは、これで、作家になられました。あなたも、これで勤めをやめてもいいですよ。最近テレビで「点と線」が放映されて、いくつかのブログで好評を読ませていただいたので、テレビを見ない俺もちょっと話の仲間に入れてもらいました。
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ginsuisen at 2007-11-28 23:55
練馬区関町!キャー。あそこにおられたのですか、清張さんは。しかし、かつては生活のために小説を書いた。書かねばならなくて書いた・・そんな作家たちが多かったのですね。旅の成り立ち、点と線の成り立ち、水上さんの話も知りませんでした。改めて、かつての巨匠たちのすごさに感服です。また読み直ししないと・・違うものが見えてくるかもしれませんね。
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「顔」は清張作品の中でもっとも印象の深い作品でです。犯人の「顔」が割れるときの件は、緊張感から実を堅くして読んだ記憶があります。「太陽がいっぱい」でヨットが海から巻き上げられたときの緊張感に似たものがありました。水上作品「越後つついし親不知」の筒石は、私の住む地区の駅から西へ2駅行ったところにあります。これは今村昌平によって映画化されました。後に今村は「人間蒸発」というセミドキュメンタリードラマを作りましたが、これは冬の直江津が舞台になりました。水上には「丹原入水」という作品もありますが、「丹原」は、何を隠そう私の住んでいる集落です。先日愚ブログでアップした画像の「我が家の前の日本海」そのものが舞台でした。すべてが30~40年前の作品ですが、私の脳裏にすべてが蘇った記事でした。
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saheizi-inokori at 2007-11-29 08:15
ginsuisenさん、今もみんな生活のためには書いているのでしょうが、かつてはまさに言葉どおり食べていけるかどうかだったんでしょうね。
もっともまたそういう時代が来つつあるようにも感じられます。
もっともまたそういう時代が来つつあるようにも感じられます。
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saheizi-inokori at 2007-11-29 08:18
ume さん、このコメントで私の耳には日本海の荒波と吹きすさぶ風の音が聞こえてきました。
時折海鳥が鳴いています。
時折海鳥が鳴いています。
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otayori
at 2007-11-29 15:35
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このような、いろいろないきさつがあったのですね。
私は中学時代、松本清張、読みふけっていましたが、、、大人になってからは、なんだか気重で、読んでいません。
中学時代の清張と今の清張、違うでしょうね。
印象深いのは映画の「砂の器」です。冒頭の緑の田んぼ道を、さすらっている映像と音楽、今でも、時折思い出すくらいです。
中学時代は、立原正秋とか井上靖とか五木寛之、、、ストリー性のある小説を読んでいましたが、、、、最近は小説を読むということが、ほとんどないですね。
働いていたときの上司が川上宗薫さんのご兄弟でした。長崎の出身なのでしょうか?
私は中学時代、松本清張、読みふけっていましたが、、、大人になってからは、なんだか気重で、読んでいません。
中学時代の清張と今の清張、違うでしょうね。
印象深いのは映画の「砂の器」です。冒頭の緑の田んぼ道を、さすらっている映像と音楽、今でも、時折思い出すくらいです。
中学時代は、立原正秋とか井上靖とか五木寛之、、、ストリー性のある小説を読んでいましたが、、、、最近は小説を読むということが、ほとんどないですね。
働いていたときの上司が川上宗薫さんのご兄弟でした。長崎の出身なのでしょうか?
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suiryutei at 2007-11-29 16:43
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近所
at 2007-11-29 17:32
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「点と線」は高校の頃だったが、一気に読んでしまった。かつてなかった推理小説。飛行機に気がつくシーンでは、「・・ああ、翼でもなければ・・」と思うところから、「アッ!!」と階段をすべりちそうになった・・・雨の日の喫茶店にひとりで入った時、同時に入った女客とアベックと間違えられ、傘を一組に扱われたところから、別々のところで死んだ死体をならべて心中死体にしたのではないか・・・点を線で結ぶ・・・傑作です!!いまでも時々読みます。ビデオはしっかりとりました。短編を上手に膨らましたと思います。
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近所
at 2007-11-29 17:39
x
お気に入りをもうひとつ・・「ゼロの焦点」。行方不明の亭主の本の間から出てきた2枚の写真の実物を見たシーン(映画も印象的だった。久我美子、有馬稲子、高千穂ひずる)。映画のラストはだめ。原作の小説のほうがずっと良かった!!清張さんの短編はキレがあっていいんだが、長編は「目の壁」などちょっと期待はずれ・・・
「点と線」と「ゼロの焦点」が面白く松本清張を随分読みました。
どの本だか忘れましたが、東京駅で乗り換えていたので、11番線ホームだかを実地検分したりしました。北九州にいた時は「ある『小倉日記』伝」に浸ったりしたのですが、水上勉とも、苦渋の前半生だったのですね。
どの本だか忘れましたが、東京駅で乗り換えていたので、11番線ホームだかを実地検分したりしました。北九州にいた時は「ある『小倉日記』伝」に浸ったりしたのですが、水上勉とも、苦渋の前半生だったのですね。
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antsuan at 2007-11-29 22:24
ウーーン、人生の絢と云うより、まさに点と線。身も知らぬ人の感性が、点(人)と点(人)をつないで行く、単なる偶然と言えない人との出会いが発火点となって作家の心の炎を燃え立たせる。ジーンと来てしまいました。
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saheizi-inokori at 2007-11-29 23:08
otayoriさん、私も清張は高校時代かな。
ミステリはやはり娯楽性の強いものの方が好きです。
大人になってから小説を楽しむのもいいとおもいますよ。
若い頃読まなかった渋い短編など意外に面白いです。
ミステリはやはり娯楽性の強いものの方が好きです。
大人になってから小説を楽しむのもいいとおもいますよ。
若い頃読まなかった渋い短編など意外に面白いです。
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saheizi-inokori at 2007-11-29 23:10
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saheizi-inokori at 2007-11-29 23:12
近所さん、良く覚えていらっしゃいますね。私は読んだということだけは覚えていますが内容となるとすっかり忘れてしまいました。
もう一度読み返すかなあ。
もう一度読み返すかなあ。
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saheizi-inokori at 2007-11-29 23:13
YUKI-arch さん、ホンの気まぐれです。直ぐに戻します。
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saheizi-inokori at 2007-11-29 23:15
tona さん、ある意味では苦しい前半生をしのいだ清張が水上にエールを送ったようで愉快です。
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saheizi-inokori at 2007-11-29 23:17
antsuanさん、ほんとにそう思います。力もあったのでしょうが微妙な縁にも救われている。人生の縮図ですか。
「屈辱に対する復讐心」ですか。清張と水上勉に共通する要素の一つだと思います。共感できる「人間の暗さ」ですね。好きな部分です。
司馬遼も好きなのですが、ときに明るさが軽さに映る場合もあります。その時その時の気分に応じて選んだりしています。
司馬遼も好きなのですが、ときに明るさが軽さに映る場合もあります。その時その時の気分に応じて選んだりしています。
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saheizi-inokori at 2007-11-30 08:30
きとら さん、そうですね。モツアルトを聴きたいときとベートーヴェンを聴きたいときと、いっそちあきなおみを聴きたいとき、いろいろです。読むほうも然り。
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shimamelon at 2007-11-30 08:54
松本清張の小説っていうのは、独特の暗さだけ印象に残っててあまり筋を覚えられない。いかにいい加減に読んでいるか、ですね。点と線を読んだときには、ずっと「録音だろう!」って思ってて、でもあの頃は生放送が当たり前だったんだなーと筋とは関係ないところで驚きました。
しかし、水上勉が色々サラリーマンをやってたのはなんとなく知ってたけど、このような経緯があったのですね。あの人の小説も、独特の鬱屈があるなーと思いつつ、1つ1つのストーリーは思い出しにくい。トタンの屋根にヒョウが降ってるのはなんだったっけな?みたいな感じです。
でも竹の人形を自分でつくる話は、その鬱屈が、まぁ小説じゃないので、違う形ででてて面白いんですよね。
しかし、こんな縁があったとは、面白い~。
しかし、水上勉が色々サラリーマンをやってたのはなんとなく知ってたけど、このような経緯があったのですね。あの人の小説も、独特の鬱屈があるなーと思いつつ、1つ1つのストーリーは思い出しにくい。トタンの屋根にヒョウが降ってるのはなんだったっけな?みたいな感じです。
でも竹の人形を自分でつくる話は、その鬱屈が、まぁ小説じゃないので、違う形ででてて面白いんですよね。
しかし、こんな縁があったとは、面白い~。
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saheizi-inokori at 2007-11-30 10:12
shimamelonさん、「独特の暗さだけ印象に残って」、同感です。
もっとも他の小説はスジばかりではなく印象すら残らないのも多いですよ。昨日読んで今日忘れてしまう。困ったものです。
もっとも他の小説はスジばかりではなく印象すら残らないのも多いですよ。昨日読んで今日忘れてしまう。困ったものです。
by saheizi-inokori
| 2007-11-28 22:08
| 今週の1冊、又は2・3冊
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