どれだけの人が救われたか!錦織さん、ありがとう

金曜日、朝日新聞を読んでいて懐かしい名前に出会ってビックリした。
記事は60歳の介護士・長谷川さんの話だ。
癌の奥様を5年看病、部長をしていた会社を早期退職して、最後はホスピスに泊り込んで1011日身の回りの世話をしたという。
ホスピスの山崎章郎医師から「介護士として働かないか」と言われる。
山崎医師は新しく作る「ケアタウン小平」で長谷川さんと一緒に働きたいと思ったのだそうだ。

映画化もされた「病院で死ぬということ」の作者である山崎さんは武蔵小金井の桜町病院でホスピス部長をされていた。
ホスピスの草分けの一人だ。

どれだけの人が救われたか!錦織さん、ありがとう_e0016828_224162.jpg14年前、亡妻が癌研病院で見放される頃、激痛がひどかった。
横になることもできない。
医師に訴えて座薬とか飲み薬を貰っても効かない。
何としても妻の痛みを止めてやりたいという気持ちで、いろいろ調べたり歩き回って運もあって桜町病院にいわば強引に入院したら嘘のように痛みが消えて妻に笑顔が戻った。
当時の多くの医師は疼痛管理など真剣に勉強していなかったのだ。
”病気を叩く”ことだけで病人の気持ちとか生活などは自分たちの仕事だとは思っていない。

当時既に有名人でもあった山崎医師はまるで昔からの親友であるかのように親身に妻に向き合ってくれた。
診察の際は床にひざまづいて妻と同じ眼の位置で、どんな妻の質問にも丁寧に応じて下さる。
泊り込んでいる俺がコンビニでビールとか冷奴を買ってきて妻にも一滴飲ませているのをみて「おや、酒盛りですね。美味しそう」と笑って下さった。
当時桜町病院のホスピス部は出来たばかりで専用の病室も少なく設備も貧弱だった。
そういう中でホスピス部の看護師たちの働き・思いやりは癌研からみると天国と地獄の差があった。
病人がその気になったら時間にかまわず車椅子を貸してくれて俺は近くの小金井公園に散歩に連れて行ったりした。
どんな夜中でも痛いなどの患者の訴えには当たり前、付き添いの俺が手に傷をしたなどと言っても直ぐに笑顔で対応してくれた。
まるで仲の好い山崎一家のとても親しいお客様になったようだった。
他にも重篤な患者がいるのにまるで我が家だけが特別扱いのような気にさせられた。
コネも何もなかったのに。
当然他の患者も同じように感じていたはずだ。

そんなことを思い出しながら読んでいたら、
所長で看護師の錦織薫さん(42)は朗らかな女性。病院やホスピスでの経験が豊富で「迷ったら何でも話して」と長谷川さんに声をかけた。落ち込んでいるスタッフをそのまま帰すこともない。長谷川さんは「会社員時代、自分はいいリーダーだったろうか」と思わされた。
錦織さんだ!山崎一家の姉妹たちの中でも特に元気でよく動いた人。
小さな風呂しかなくて患者の入浴は男女が一日おきだった。
暑い夏、妻が体が汗で気持ちが悪いといっていることを雑談の中で話した。
そのことを忘れた頃、ロビーに居たら向こうから廊下を走るようにして「saheiziさん!あったあった!」と大きな声で呼びかけてきたのが錦織さんだ。
いつもの笑顔を一段と大きな笑顔にしている。
「入院患者用の風呂は入れないけれどリハビリ用の浴室がちょっとの時間だけ空いたからそこへ直ぐおいで」という。
そして本人ばかりか他の看護師も手伝いに呼んで大きなリハビリ用の浴室で俺が妻の体を洗うのを手伝ってくれた。長靴を履いて。
そして「saheiziさんもあんまり風呂に入ってないでしょう。私たちは患者さんの裸だと思って平気だから一緒に裸になって体を洗ってしまったら」というのだった。
妻の最後があの病院であったことで俺が救われたと思っている。
あの癌研であのまま死なせていたら今精神に異常をきたしているかもしれない。

どれだけの人が救われたか!錦織さん、ありがとう_e0016828_2245265.jpg普通の病院の看護のあり方に物足りないものを感じてボランティアのように志願してホスピスに来た人たちだから、といえばその通りだが、やはり体がきつくて辞めてしまう人も多いと聞いていた。
彼女は頑張って所長さんになっていたんだ。
賃金が安くきついと言われる介護の職場。錦織さんは言う。「ケアに値段はつけられない。大変さもあるけれど、返ってくるものが大きい。話をしなかった利用者さんが自分から話したら、みんなで大喜びする。そんな驚きに会えるから」
素晴らしい人生!
その節は本当にお世話になりました。

夕方散歩していたら、とても大きなまん丸な月が昇って来た。
こんなのは久しぶりだ。
Commented at 2007-11-24 23:17
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by shimamelon at 2007-11-24 23:31
クリスマスー。
私の父も癌でした。というか一族みな死因は癌。みな病院が最後で、悔やむことも多いです。ただ、ここ20年で、って長いですけど、癌治療も随分変わったと最後に父が言ってました。彼は、治療法を自分で指示していたアクティブ患者だったので、いろいろ思うことがあったのかもしれません。
しかし、今日は月がきれいですね。とっても明るいので、驚きました。遠回りしてかーえろーですよ。古いですよ。
Commented by saheizi-inokori at 2007-11-24 23:31
鍵コメさん、ありがとう。
そんなことはないのです。自責の念が桜町で少しは救われたのです。
錦織さんたちのような人がいることは奇跡的なことなのかもしれません。
Commented by saheizi-inokori at 2007-11-24 23:33
shimamelonさん、青くはなかったですよ^^。
卵の黄身みたい。
Commented by ginsuisen at 2007-11-24 23:58 x
新聞、読みました。読みながら悔やみました。父のときに、そういう病院に入れてやれなかったことを。病院で死ぬとき、もしも・・のときはお父さんのようになる前に・・と姉たちと誓ったのでした。
Commented by saheizi-inokori at 2007-11-25 09:01
ginsuisen さん、今はこういう医師が増えているのでしょうかね。
入りたいといってすぐ入れるかどうか。
このときは本当に「診るだけでも!」と小児科病室の空きに入って、結局そのままになったのでした。
山崎さんがしぶるのに「こうしている間も痛がって身の置き所がないのです」とせがんだことを思い出します。
Commented by orangepeko at 2007-11-25 09:35 x
おはようございます。
つい先月…癌で亡くなった友だちがいます…最後の苦しみは見ていられなかった…と…
こちらにはホスピスはありません…癌でなくても、こんな処があれば…と思わずにはいられません…
奥様は良いお医者様に出会われて…幸せでしたね…

「医は算術ではなく仁術」で…これは理想にしか過ぎないのか…と思う昨今です…(;-_-) =3
死は怖くはないけれど…痛いのは絶対に嫌だ~!(^^;
Commented by saheizi-inokori at 2007-11-25 09:49
orangepeko さん、いまだにモルヒネはどうしようもなくなってから処方すると考えている医師が多いそうです。
適正に管理されたモルヒネは痛みを和らげ患者の生活の質を維持ずるばかりか闘病意欲も増加させるので病気の初期であっても投与することが認められている。
勉強不足の医師たちはそういう知見を学ぼうともしない。
時間に追われ、ひたすら”病気を叩く”。病気も叩かれるけれど患者もぼろぼろになります。もちろん家族は生きて居る限り癒されることのない傷を負います。
何とかしてやれなかったのか!と。
ホスピスがあっても経済的にすべての人が入れるかどうかも疑問です。経済大国ってナンダイ?です。
Commented by gakis-room at 2007-11-25 11:29
とてもいいお話です。考えさせられました。昨日,私も満月を見ましたが,私の見た月とsaheiziさんの見た月では,その美しさは断然違っていたようです。
Commented by saheizi-inokori at 2007-11-25 11:57
gakis-roomさん、奈良の月はいつも美しい。
東京でこんな月を見たのは、、さて、記憶がないですよ。
何年も前に青森で農道を宿に向けて急いでいるときに地平にもっと大きな月が昇るのをみたような気がします。
あれは現実だったのか?なにしろ大きかったなあ。
Commented by sakura at 2007-11-25 22:13 x
昨夜のお月様は黄色くて綺麗なまん丸でしたね。
奥様は桜町病院に入院されていたのですね。
以前に新聞で読んで、もし癌になったら絶対此処の病院に
入院させて欲しいと思ってその新聞を切り抜いてあります。
良い病院で最後を迎えられて奥様は良かったですね。
痛みが無いのは最高の治療ですもの・・
今はナカナカ入院できないのでしょうね。
14年間もsaheiziさんはお一人・・・お寂しいですね。
でも これも運命、、生まれたとき既に定められた定名が
あるのですからそれには逆らえません。
今日一日を精一杯美味しいものを食べて
楽しいブログを書いてくださいませね。
Commented at 2007-11-26 02:00 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by saheizi-inokori at 2007-11-26 08:11
sakura さん、ありがとう。
今日は楽しいプランがあるのです、ルンルン^^。
Commented by saheizi-inokori at 2007-11-26 08:16
鍵コメさん、驚きました。亡妻の戒名の頭は慈照院なのです。
いろいろ大変だとお察しします。
長い勝負だと思って引き出し(あなたの)の中身を増やしておいてください。きっといつか役に立つ時があります。
月に雲がかかっても必ず晴れる。そのときの月は輝きを失っていませんよね。
こちらからみたら雲に隠れていても月は変わっていません。
Commented by tona at 2007-11-26 09:00 x
saheiziさの奥様があの桜町病院に入院されていたとは。
山崎さんの本を読んでもしもの場合、家から近いしこんな病院に入れたらと思ったことでした。でもその後山崎先生はちょっと遠くへいかれたし、病院に入るにはクリスチャンでないととかいう話で忘れていました。錦織さん、長谷川さんのお話、偉い方たちがいらっしゃるものと感動しました。
Commented by saheizi-inokori at 2007-11-26 10:45
tona さん、もっとこういう病院がたくさんあるといいですね。
高齢者社会の必需インフラだと思います。
私はクリスチャンで無かったけれど入れてもらえましたよ。
妻は構内の教会で聖歌を聞いて「葬式はここの神父にお願いしたいが洗礼を受けなくてもいいか。」とか「キリスト教で式をするとあっちで子ども達や私などに逢えなくなるのか」などと山崎先生や神父様に聞いていました。
三鷹の禅林寺というお寺でカトリック式の葬式をしました。
看護師さんたちが参列してくださったのがびっくりでした。
Commented by ふくよか at 2007-11-26 12:59 x
saheijiさん涙が出ました。私も13年前の事を思い出しました。激痛のなか最後まで家で過ごした主人の気持ち、世話をした私達家族、ホスピスという言葉も言い出せなかったこと、、、今もこの選択が良かったのかと考えています。
Commented by saheizi-inokori at 2007-11-27 00:00
ふくよか さん、ご主人は自宅で皆さんと過ごせたのが一番よかったのではないでしょうか。
一度は必ず迎える最後をどう過ごすか、難問ですね。主人公は本人。私は自信がないなあ。妻のように逝けたら、、。
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by saheizi-inokori | 2007-11-24 22:16 | よしなしごと | Trackback | Comments(18)

ホン、よしなしごと、食べ物、散歩・・


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