殺人者予備軍を育てている日本人 柳田邦男「壊れる日本人」(新潮文庫)

佐世保市で小学校6年生の女児が同級生を殺害した事件は記憶に新しい。
こうした低年齢の児童による悲惨な事件が起きるたびに加害者について「おとなしく手のかからない子」とか「普通の子だったのに」というような言葉が聞かれる。

著者は、この「普通の子」という捉え方が問題だという。
今、「異常」が普通になっているのではないか!

佐世保の事件後、長崎家裁佐世保支部が加害児童(K子)の鑑定結果を公表した。
それによるとK子の「人格特性」として次の4点が挙げられている。
① 自分の中にあるあいまいなものを分析・統合して言語化する作業が苦手。
② 自分の欲求や感情を受けとめてくれる他者がいるという基本的な安心感が希薄で、他者に対する愛着を形成し難かった
怒り、寂しさ、悲しさといった不快感情が未分化で、適切に処理されないままに抑圧されてきた
③ 言葉や文章の一部に囚われやすく。文脈全体や作品のメッセージ性を読み取れない。
他者の視点に立って、その感情や考えを想像し、共感する力や、他者との間に親密な関係を作る力が育っていない。
④ 愉快な感情以外の感情表現に乏しく、周囲から「大人しいが明るい子」と思われていた。
怒りを認知すると適切に処理できず、抑圧・回避するか、相手を攻撃して怒りを発散するかという両極端な対処行動しかできない。
そのため「怒ると怖い子」と評されていた。

1998年に保育士456人を対象に保育年齢の子どもたちの傾向を調査したものがあるが、そこで指摘されている当時の保育園児童の特性傾向は
①夜型生活 ②自己中心的 ③パニックに陥りやすい④粗暴 ⑤基本的しつけの欠落 ⑥親の前ではよい子になる
であった。
1998年とはK子が小学校に入る前の年だ。
なんとも良く似ている。K子はおない年の子たちから見て「普通の子」だった。
「異常」が普通になっている!

殺人者予備軍を育てている日本人 柳田邦男「壊れる日本人」(新潮文庫)_e0016828_2275416.jpgK子や現代っ子たちの特性をさらに突き詰めていくと、「言語化能力の未発達」ということが他の特性をも創り上げている。
いわば「心の未発達」と裏腹の関係だ。

どうしてそのような子どもになってしまうのか?
さまざまな要因が考えられるがK子の場合、乳幼児期において他者に対する「愛着」の感情を形成するチャンスを失ったことが大きい。
「愛着」、抱きしめてもらったり、声をかけてもらったり、溢れるような母親の愛情に包まれていると感じることが子どもの健やかな成長にとって重要だ。
テレビやゲームを見て大人しくしているからといって子どもの心が満たされているわけではないのだ。
それなのにK子が2歳になる直前、父親が長期間入院して両親の関心、とくに母親の関心が闘病と就労に向かわざるを得なくなった。
核家族、一人っ子、外で遊ばない子ども、共働き、、現代の家庭ではこのように幼い時に十分な「愛着」を感じないで子どもが育つ条件には事欠かない。

同じような環境で育っても問題を起こさないまま一生を終える子の方が多いけれどさまざまな悪条件・要因のベクトルが同一方向に重なることがとてつもない行動を引き起こした。
ストレスが重なりあうことで「閾値」を越えてしまう。

著者は現代の子どもたちの性格特性を歪めている重要な要素として、テレビ、ゲーム、ケータイ、ネットの悪影響を挙げる。
それは次の5点に大別される。
① 現実の人間同士のリアルな接触が少なくなり、コミュニケーション・スキルが十分に身につかなくなる。
② 言語力の発達や感情の分化発達が著しく遅れ、相手の文脈や心情を理解する能力が発達しない。
③ 刺激的な映像や情報を次々に求めるようになり、それ以外の物事に対して無関心になる。
④ キー操作で情報の選択・発信をしているうちに、思考・行動が自己中心的になり、自分が万能であるかのような錯覚に陥る。
⑤ 匿名発信が無限に可能になったことで、中傷、いじめが日常化する。
その結果、モラル意識の喪失、二重人格化が促進される。

殺人者予備軍を育てている日本人 柳田邦男「壊れる日本人」(新潮文庫)_e0016828_22103715.jpg著者は、ケータイやパソコンの利便性を否定しているのではない。
これらに依存することによって、特に子どもたちが無防備にこれらに依存して育つことによって日本社会が持っていた美質(著者はこれを”あいまい文化”と呼び、その再生こそ救国の道だという)がなくなり国が壊れていくことを憂えている。
ノー・ゲームデー、ノー・ケイタイデー、ノー・ネットデー、ノー・テレビデー、の実行を提唱する。

とくに親たちには、子どもたちと生身で「向き合う姿勢」を取り戻すべきだという。
その具体例を挙げている。
そのひとつ。
がんになって余命がいくばくもないことを知って、点滴ビンをぶら下げて子どもたちの机の横にしゃがみ、眼の高さを子どもと同じにして、子どもの顔をみつめて「命の授業」を続けた小学校長。
この人のことは俺も知っていた。

あいまい文化、地貌季語・方言の大切さ、マニュアル主義・官僚主義に対する糾弾、「ちょっとだけ非効率」な社会文化を見直そう、「だが、しかし」と考える視点、、など示唆に富んで面白い。

俺は娘に、「孫が誕生してお兄ちゃんが『愛着』欠乏にならないように」と「少なくとも2歳になるまではテレビの前に座らせるな(アメリカの小児科学会ですら、そういう勧告をしている)」のふたつを”メール”した。
「2歳以上になっても一日一時間以上はだめ」というのを書き忘れた。

「ケータイ・ネット依存症への告別」が副題。
写真・下・ドリス・デイ、高校生の頃、好きだったなあ。
「When I was just a little girl I asked my mother・・」。
ね!親子の対話があったでしょう。
Tracked from 墓の中からコンニチワ at 2007-11-24 13:35
タイトル : 本当はどうなんだろう?
11月17日付だから前号になるが『週刊ダイヤモンド』が「うつ」の特集を組んでいた。書き出しは うつ病を「心の風邪」と表現する医師がいる。誰もがかかることがあり、治療すれば治るが、放置して悪化すれば死を招くからだ。最近は30代を襲う“新型”が続出したり、子どももおとな同様の有病率であったりと多様化し蔓延している。 となっているが、私が接した精神科医の見解は アレルギー体質が変わらないように、鬱気質が変わることもない。 アレルギーを持っている人がアレルゲンに近づいてはいけないように、鬱...... more
Commented by 高麗山 at 2007-11-24 00:33 x
私は、どちらかと言うと母親っ子で何時も  I asked my mother ‥‥でした。
あまり付きまとって、質問ばかりするので、出始めの「広辞苑」初版とコンサイスを買い与えてくれました。
今、紐解いて懐かしく観ています!
Commented by saheizi-inokori at 2007-11-24 09:36
高麗山さんは「愛着」、問題ないですね。
文字通り栴檀は双葉より、、。
Commented by rinrin at 2007-11-24 20:51 x
これからの子供は私たちが育てた子供が、子供を育てるんですよね
うーん、自信ないですね。
うちの子はと思って育てましたけど、なかなか今の教育は、曖昧で難しいです。
ほんものの、この先生だったら、と言う人が少なくへんに子供に受けようとする先生と、受ける先生じゃないと人気がないというテレビ化した、学校がバランスを崩しているような気がします
均等と、平等はちがうのに、といつも思いますが、この辺が今の親が分かってないのかな?
Commented by saheizi-inokori at 2007-11-24 22:21
rinrinさんのお宅は大丈夫だろうと思います。
でも世の中は心配ですね。学校も親も。
Commented by shimamelon at 2007-11-24 23:28
母はいう「なるようになる」
いい歌です。
私は子育てをしたことがないのですが、テレビの中毒性の高さや影響についてはもうすこし話されてもいいように思っています。つまらなくてもテレビがついてないと落ち着かない、というのは、少しおかしい、と思います。
あと、言葉と思考の発達の相関については、最近、ろう者の本を何冊か読んで、その関連の深さにただただうなるばかり。言葉によって、考えてるんだなぁと、あらためて認識しました。言われてみればあたりまえなんですけど、空気以上に認識しにくいことだったので(空気は水中で苦しくなるので認識しやすい、位の軽い意味です)
Commented by ginsuisen at 2007-11-24 23:28 x
働く母は、子どもとの時間が足りてなかったのではないかと、永遠に子育てに負い目を感じながら、暮らしています。そして、いずれにも当てはまりそうな我が子・・もう取り返すことのできない時間。うーん、やはり、親である限り、何かあったら世間様に謝るしかないのかもしれませーん。
Commented by そら at 2007-11-25 00:50 x
>K子が2歳になる直前、父親が長期間入院して両親の関心、とくに母親の関心が闘病と就労に向かわざるを得なくなった。

だからおまえの子は「異常者」になったんだと言われても、
「じゃあ、あのとき、どうすればよかったの!?」とこの母親は思うだろうなぁと、自分のことを鑑みて思います。

まだ3人の子供たちが小さかった頃、何度となく「手が3本あったら」と思いました。そして「体が3個あったら」と思うような出来事が重なって、もうだめ…と潰される前に、いろんな人が、本当に思いがけないほどいろんな人が手を貸してくれました。
あの「手」がなかったら…と思うと、たまたま「手」に恵まれなかった人が子育て失敗者、母親失格のように言われることに、私は感情的に(あくまでも感情的に)受け入れがたい異物感が残ります。

Commented by そら at 2007-11-25 00:51 x
(続き^^)
この手の愛着理論はもう随分前からいわれていることだけど、
どうしてもその矛先が母親に向けられてしまい、
そして、諸々の事情を抱えた親は、ある親は罪悪感を持ちすぎ、ある親はヒステリックに反発し、そしてあまりに大きい反応にそそくさと退散…みたいなことを繰り返しているような気がします。

母親が何かしらの事情でままならなければ、おじいちゃん、おばあちゃん、隣のおじさん、おばさんがみんなで育てていければいいのにね。
「たまたま」いい人が近くにいて助かった…というのではなく、
だれもが助け、助けられ…という社会になればいいのにね。
作者さん、何やかんやと分かったようなことを言ってる前に、お願いだから、近くのお母さんがテンパっていたら、「手」を貸してあげてくださいな…と思う私(*^_^*)
Commented by saheizi-inokori at 2007-11-25 09:05
shimamelonさん、旅行で宿の部屋に案内されるなり先ずテレビをつけることがあります。
自分もかなり汚染されています。
パソコンメーカーのために小学校かの授業でパソコンを取り入れることを推進したシンキロウとか、ケセラセラではすまないです。
Commented by orangepeko at 2007-11-25 09:09 x
おはようございます。
>「言語化能力の未発達」…
子どもたちのいろんな事件が起きていますが…私たち大人がいくら分析しても…想像でしかなく…限界でしょう…
子どもたちが寂しい思いをしている…と想像する以上に「寂しさ」を抱え、傷ついている…と想像する能力が大人には欠けている…
そんな大人が子どもたちを育てているのですから…「言語化能力の未発達」…は当然ながら考えられます…

子どもたちが素直に自分の感情を出せる環境が必要でしょう…どんな感情も呑み込んで育つと言葉を必要としなくなります…自分さえ
我慢すれば…で済ますのです…そのまま大人になった人が如何に多いか…愕然とさせられます…(;-_-) =3…(つづく)
Commented by saheizi-inokori at 2007-11-25 09:13
そらさん、著者は原因を分析した家裁の文書を紹介して「愛着」がいかに大事かを説いているのであって、K子の親を責めているのではありません。
記事の中にも書いたように多くの要因がたまたま同じベクトルで重なった時に爆発するのではないかといっています。
むしろK子の親のような場合が多くなった(核家族、少子化)からこそ、そのことによる悪影響を弁えて最善を尽くす(たとえば子どもの訴えかけに声で返すとか)ことが大事だといっているようです。
視線を受けとめることだけでも子どもは感じていると思います。
K子のケースが異常ではなく普通になっていることを、そのことの孕む危険を知ることが大事だと思いました。
多くの人が同じ危険に直面していること。
だからそらさんが言うように隣近所の声かけも大切。
オール・オア・ナッシングではなくて。
Commented by orangepeko at 2007-11-25 09:14 x
(つづきです…)
私のようにわが儘な人はいないと(^^;自負していますが、それでも我慢しないと社会では生きにくい現実が多いですものね(^O^)

社会全体…大人が自分の事で手一杯!なのです…だから子どもの事にまで手も心も回らない…そんな現状の中で…
「子どもの出生率が低い!」と無責任な発言をする人たちが許せません!安心して子育ても出来ない!そんな社会にしたのは誰だ!
親の責任だけではない現状があると…感じています…政治家・企業…の責任は大きいですね…
すべてのしわ寄せが子どもたちに…・゚・(ノД`)・゚・大人が言う(考える)良い子にならなっくて良い!と言ってあげたいですね(^O^)
Commented by saheizi-inokori at 2007-11-25 09:21
そらさん、ちなみに私も父親が早世したから母親は働いていて残業が多く、世の中の子どもたちのような「愛着」は望めなかったです。
特に弟はもっと幼かったからつらかったろうと思います。
ただそういう物理的な環境の中で母が視線を常に私たちに送っていてくれたことがむしろ逆境をプラスにしたかもしれません。
一見、恵まれている友人でグレタ子がいますが小遣い潤沢、個室をあたえられ参考書も欲しいだけ買って貰っていましたが、いつも兄と比較されて「出来が悪い」と云われるのがかなりプレッシャーのようでした。
Commented by saheizi-inokori at 2007-11-25 09:28
そらさん、手が三本ないことを子どもはわかっていると思います。そらさんが切り抜けられたのも周りの協力もあるけれどオカアサンが「手が三本欲しい!」と悲鳴をあげるほど一生懸命皆のことを考えてくれていることがお子さんに伝わったのだと思います。
娘の所のお兄ちゃんが弟が誕生したら喜んでいるけれどときどき妙に甘えてくるそうです。
そのとき「ママ、いい?」と一応はママのことを気遣いながら甘えるのだそうです。
親が苦戦しているのを知ってはいるけれど、なお自分のことを忘れていないのを確かめたいようです。
Commented by saheizi-inokori at 2007-11-25 09:39
orangepekoさん、今問題になっている子どもたちの親は戦争前後自分が生きるだけで精一杯の、したがって「愛着」の機会も少ないままに育った世代が多い。
祖父母がいる安定的な家族と社会ではなくて田舎から都会に出て見知らぬ地域で背伸びをしながら生きてきた親たち(私もそうなのですが)、まわりの価値観も劇的に変化するのについていくのに背一杯。
負けないで!ばかりだったかもしれません。背伸びしていると自分より低いところは見えなくなってくる。
テレビとケータイとゲームを与えられていれば子どもは大丈夫とほって置かれたのではないでしょうか?
著者が書いているように「ちょっとだけ非効率な社会」とか「地方の固有の文化」を見なおす考え方が必要なのだと思いました。
Commented by saheizi-inokori at 2007-11-25 12:08
ginsuisenさん、理想的と思われる家庭教育をしても避けられないアクシデントはあるのでしょうね。
働かない主婦がきちんと子どもに向き合っているかとなると、、疑問な人たちをしょっちゅう見聞きします。
むしろ”負い目”を感じている親のほうが短い時間に適切な対応をしている場合があるようにも、、。
Commented at 2007-11-27 09:51 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by saheizi-inokori at 2007-11-27 22:16
鍵コメさん、そろそろ違うバックに変えようかと思っています。
ドリス・デイを聞いて喜んでいたあの頃はアメリカに対しても普通に憧れていました。
何にも知らない子どもだった。
Commented by 近所 at 2007-11-28 18:00 x
・・・・アメリカに対しても普通に憧れていました・・・・そうでした・・・
ほかにも、ジューン・アリスン、アラン・ラッド、ジェームス・スチュワート、そしてブロンディ、ノーマン・ロックウェル・・・普通にあこがれた時代のアメリカでした。
Commented by 園長 at 2007-11-28 21:54 x
読んでみようかなと思いました。

毎日のように友達の家でゲームに興じてくる息子。
我が家はゲームはありますが、約束を守らなかった息子は、
父親に取り上げられてしまって我が家ではできない状態。
公園に行ってもポータブルのゲーム機を持ってくる子が多いし、
遊びに行けばゲームやり放題。

ああ・・・この世からプレステもWiiもなくなってしまえ!
と毎日のように思います。冬は息子にとって鬼門です。
周りの親に「ゲームばっかりして」と嘆くくらいなら
買うなーーーーーーッ!と言いたい気分。
Commented by saheizi-inokori at 2007-11-28 22:14
近所さん、「黄金の腕」「スミス氏都に行く」、、多くの西部劇、健やかなアメリカだったのですね。
Commented by saheizi-inokori at 2007-11-28 22:18
園長さん、ゲームもケイタイも面白い上に無いと仲間はずれにされそうなのが困りますね。
友達のうちにそのために行って卑屈になっていはすまいか、とか親は心配してしまいます。案外子どもの方が平気なのですが。
Commented by 園長 at 2007-11-30 21:58 x
欲しがるからとか、サンタに頼んだからという理由で、
簡単にゲームを買ってやる親がいるから、
おもちゃメーカーはちょんこづくんだ!(長野の方言ですよね!)
おもしろいことも知っているんだ、こっちだって。
最近は発達障害の原因のひとつとまで言われているのに、
野放しにしているのは大人の責任だと思うんだけどー。
Commented by saheizi-inokori at 2007-11-30 22:56
園長さん、ちょこづくともいいませんか?
懐かしいなあ。孫にもねだられるとつい買ってやりたくなる。
大人が我慢しなければ^^。嫌われてもいいと。
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by saheizi-inokori | 2007-11-23 22:34 | 今週の1冊、又は2・3冊 | Trackback(1) | Comments(24)

ホン、よしなしごと、食べ物、散歩・・


by saheizi-inokori
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