家父長的男性支配を糾弾する サラ・パレッキー「ゴースト・カントリー」(ハヤカワ文庫)

かつては世界のオペラ界に名を馳せたディーヴァは盛りを過ぎて深刻なアル中。
自らの才能に対する自負と一度は手にした栄光・名声が邪魔をして奇矯な自己中心的行動に走り双子の弟夫妻からも爪弾きである。
14歳の姪だけが”おばちゃん”の支持者。

大病院の院長の孫の姉妹。
祖母も母も自堕落でさすらいの人生を送ったらしい。
母が子どもができると突然現れて置いていったのが姉妹だ。
母は早世し父の名前も分からない。
祖父と家政婦に育てられるが美人の姉は秀才の”いい子”で弁護士として有望だ。
それにたいして妹は容貌もさえず情熱的といえば聞こえがいいがどうも落ちこぼれだ。
”小説に出てくるような”意地悪な古い家政婦は祖父に忠誠を誓い姉をエコヒイキする反面妹を蛇蝎のように忌み嫌う。
本当は優しい妹は姉や祖父の愛情に焦がれるものの不器用でもあるし、やることなすことうまく行かずますます疎んじられ”不良”として日常生活からもドロップアウトする。
記憶もない母の死を信じない。
祖父や家政婦が嘘をついていると考え真実を追及するために家出をする。

家父長的男性支配を糾弾する サラ・パレッキー「ゴースト・カントリー」(ハヤカワ文庫)_e0016828_18485437.jpgふたつの家族、姉妹、兄妹の物語。
温かい自然の家族愛から遮断されている者たち。
古めかしい設定、なにやら聖書のカインとアベルだ。

祖父の病院に若きレジデントとして配属になった精神科医、効率と利益至上主義の病院の方針に苦しみ、ある種の救いとして教会のボランテイアとしてホームレスたちの医療に取り組む。

教会を支配する俗悪な大人、世の中の”良識人”。
特に聖書の教えを説きながら家庭では暴力的な父親が憎しみと存在感を持って描かれる。

ホテルの駐車場の壁に聖母の像をみて壁から染み出す赤い水をマリアの血と信じるホームレスが周囲のホームレス、そこに姉妹やレジデント、姪、ホテル経営者、ホテル従業員、、多くの関係者がそれぞれの立場で関わって、やがては全米に奇跡の壁という騒動を巻き起こす。

一人ひとりの思惑を超えて大きくなっていく。
なんとも不思議な聖女が現れ奇跡を起こし、人々の熱狂を煽る。
疎外された者たちとキリストの遭遇を意識して描いているのか。
キリストと違うのはセックスを、根源的なセックスを体現しているところだ。
そういうところは人類の先史時代、古代ヨーロッパ・母系社会が「戦争をしない。飲み食いやセックスを謳歌する」社会であったという考古学的知見にもとづくジエンダー理論的な思考が著者にあるのだろうか。
確かに父が確認できることを必須とする現在の一夫一婦制に対してこの小説の姉妹は父なし子であることによって母系社会への思慕を表明しているようにもみえるのだ。
聖書、キリスト教に対する批判?

主人公たちはいづれも変容を遂げ再生していく。

560ページをこえる長編で、だらだらして繰り返しの描写が多い。
失敗作といっていいのではないか。
ミステリというより普通の小説だし。

それなのに結局最後まで読み通したのはなぜか?

確立された良き社会の中に常識として強制されている”教え”が実は支配者のエゴを正当化するものであり、人々が本当の心のふれあいを求める障害になっているということ。
その中でも男性支配的な教えが最もタチが悪いということ。
それを著者は怒りを持って描いている。
その怒りの力に引きづられて読んでしまったのだ。
あまりにも大きなテーマが手に負えなかったのかも。

古本屋で買った本。
ツンドクになっている新本が山となっているのにこういう本を買い、面白くないと思いながらも読んでしまう俺は変な男だ。

山本やよい・訳
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by saheizi-inokori | 2007-11-17 22:52 | 今週の1冊、又は2・3冊 | Trackback | Comments(0)

ホン、よしなしごと、食べ物、散歩・・


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