すばらしい! 立川談志 写真・田島謹之助「談志絶倒 昭和落語家伝」(大和書房)
2007年 11月 15日
1925年生まれ、子どもの頃から写真と寄席に夢中になったという、なんとも”おあつらえ向きな”写真家・田島氏が1954(昭和29)年から55年まで人形町末広と落語家の自宅を集中的に撮り続けた。
その数2000以上、その中から談志が選んだ26人の噺家の写真と彼らについての談志の”語り”だ。
前書きで談志が書いているように、当時の東京の噺家の数はセイゼイこんなものだった。
戦中から戦後にかけて噺家になろうなんていう若者はいなかった。
理由は食えないから。
実際には聴いていても覚えていない。
学生時代(卒業後寄席に行きだしたのはここ数年のことだ)、そう何度も行ったわけじゃないし。
でも、人形町末広、懐かしいなあ。
畳敷きで、天井から「その筋のお達しにより禁煙」の張り紙が一杯ぶら下がっているのに、入るときに「タバコ盆はいるか?」と聞かれる。
借り賃が5円だったかな、「禁煙じゃないんですか」というと「張り紙と張り紙の間にすわったらいいのさ」と、可笑しかったぜ。
他に座布団も借り賃を払ったような気がする。
入場料がいくらだったかとか昼から晩まで通しで聴いていて飯をどうしたかなど、まるで覚えていない。
ただ、円生がトリで酒を飲むところをやると帰りに飲みたくてたまらなかったことは痛いほど覚えている。
昼頃行くと客は俺一人なんてこともあって、1対1で噺を聴くのは照れくさかった。
この本の中に付録のようにして「人形町末広 楽屋の記憶」というのがあって談志の記憶による末広の見取り図が載っているのも楽しい。
写真がいい。
つくづくいい。
高座の仕草や表情、キメの一瞬が、ここしかないという一瞬がシカと捕まえられている。
今にも声が聴こえてくるようだ。
自宅での写真も素晴らしい。
あかんぼ(後に四代目・三木助となり自殺)を抱きしめる三代目・三木助のとろけそうな顔、長火鉢の前で笑う八代目・正蔵、縁側でうちわを使う志ん生、なんと息子の馬生にも同じポーズがある。
気取っていても脱力していてもさまになっている。
噺家が好きでしょうがない写真家が撮った必殺の一枚ばかりだ。
談志のコメントは歯に衣着せない談志節全開で時に可笑しく、ときに難しくてよく分からない。
他の噺家を語る振りをしながら談志自身を語っている。
写真を眺め、談志のゴタクを読んでいると落語の世界が”奇跡みたいな”存在の連中によって成り立ってきたことがよく分かる。
みんな俺の父くらいな年で既に亡くなっている人ばかりだがイトオシクなってくるから不思議だ。
写真、左はご存知志ん生。
もっと紹介したいけれど知的所有権の問題があるからこのくらいに。
若い噺家は先ごろ小朝と別れた人のお父さん、林家三平。
左は八代目・桂文治。
田島さんは文治が好きで、彼の写真展をやりたくて、でも文治だけでは売り物にならないので他の噺家も撮ったいるうちに2000枚になったという。
それだけに文治の写真はどれもとてもいい。
談志は文治について、人物描写がすばらしく上手い噺家だといい
その数2000以上、その中から談志が選んだ26人の噺家の写真と彼らについての談志の”語り”だ。
前書きで談志が書いているように、当時の東京の噺家の数はセイゼイこんなものだった。
戦中から戦後にかけて噺家になろうなんていう若者はいなかった。
理由は食えないから。
だが、この人間という困った生き物は、そんなときでも、常識では呆れ返るような行動を起こす奴もいた。早い話が”気狂い”である。(略)奇跡みたいな存在の狂った若者がいたのである。で、それが今日の落語界にとりあえずつながった、ということ。26人の噺家の内、俺が高座で聴いた記憶があるのは志ん生を始め半分くらいかな(もっともテープやCDで殆どの人の物を持っているから”お馴染み”ではある)。
実際には聴いていても覚えていない。
学生時代(卒業後寄席に行きだしたのはここ数年のことだ)、そう何度も行ったわけじゃないし。
でも、人形町末広、懐かしいなあ。
畳敷きで、天井から「その筋のお達しにより禁煙」の張り紙が一杯ぶら下がっているのに、入るときに「タバコ盆はいるか?」と聞かれる。
借り賃が5円だったかな、「禁煙じゃないんですか」というと「張り紙と張り紙の間にすわったらいいのさ」と、可笑しかったぜ。
他に座布団も借り賃を払ったような気がする。
入場料がいくらだったかとか昼から晩まで通しで聴いていて飯をどうしたかなど、まるで覚えていない。
ただ、円生がトリで酒を飲むところをやると帰りに飲みたくてたまらなかったことは痛いほど覚えている。
昼頃行くと客は俺一人なんてこともあって、1対1で噺を聴くのは照れくさかった。
この本の中に付録のようにして「人形町末広 楽屋の記憶」というのがあって談志の記憶による末広の見取り図が載っているのも楽しい。
写真がいい。
つくづくいい。
高座の仕草や表情、キメの一瞬が、ここしかないという一瞬がシカと捕まえられている。
今にも声が聴こえてくるようだ。
自宅での写真も素晴らしい。
あかんぼ(後に四代目・三木助となり自殺)を抱きしめる三代目・三木助のとろけそうな顔、長火鉢の前で笑う八代目・正蔵、縁側でうちわを使う志ん生、なんと息子の馬生にも同じポーズがある。
気取っていても脱力していてもさまになっている。
噺家が好きでしょうがない写真家が撮った必殺の一枚ばかりだ。
談志のコメントは歯に衣着せない談志節全開で時に可笑しく、ときに難しくてよく分からない。
他の噺家を語る振りをしながら談志自身を語っている。
写真を眺め、談志のゴタクを読んでいると落語の世界が”奇跡みたいな”存在の連中によって成り立ってきたことがよく分かる。
みんな俺の父くらいな年で既に亡くなっている人ばかりだがイトオシクなってくるから不思議だ。
写真、左はご存知志ん生。
もっと紹介したいけれど知的所有権の問題があるからこのくらいに。
若い噺家は先ごろ小朝と別れた人のお父さん、林家三平。
左は八代目・桂文治。
田島さんは文治が好きで、彼の写真展をやりたくて、でも文治だけでは売り物にならないので他の噺家も撮ったいるうちに2000枚になったという。
それだけに文治の写真はどれもとてもいい。
談志は文治について、人物描写がすばらしく上手い噺家だといい
で、上手くなって、さて、その次の段階に進むことができなかった。(略)上手いが故に、できてしまったがために次の段階に進めなかったのだろう。と書いている。
ここに、落語の持つ魔力がある。
Commented
by
ふくよか
at 2007-11-15 23:54
x
この本面白そうですね。 明日にでも本屋さんに走ります。
0
Commented
by
saheizi-inokori at 2007-11-16 08:42
ふくよかさん、最近落語本が多くて目移りがします^^。
Commented
by
つきのこ
at 2007-11-16 10:05
x
面白そうな本ですね。写真付ってストレートにわかりやすく好きです。本屋さん覗いてみます。
談志が選んだというのも興味あります。
談志が選んだというのも興味あります。
Commented
by
shimamelon at 2007-11-16 12:13
そういえば、「三人噺」でも貧乏っぷりが気持ちいいくらいでしたね。貧乏だからいい・悪いというのは一概に言えないことではありますが、落語家がその昔は食えたもんじゃなかった、というところは、面白いですね。
その煙草盆の話も、本当に面白い。
かなり関係ないんですけど、宮城まり子さんがやっている学校で、ある日お役人さんが来て、「職員室を2つに分けなさい、保育園と幼稚園はそれぞれ厚生省管轄と文部省管轄で違うから」と指導をうけた由、宮城さんは「ああ、そうですね」と、カーテンをつけて、お役人が帰るや否やはずしたそうです。「だって、子供達には関係ないし」と。なんかそんな逸話を思い出しました。
その煙草盆の話も、本当に面白い。
かなり関係ないんですけど、宮城まり子さんがやっている学校で、ある日お役人さんが来て、「職員室を2つに分けなさい、保育園と幼稚園はそれぞれ厚生省管轄と文部省管轄で違うから」と指導をうけた由、宮城さんは「ああ、そうですね」と、カーテンをつけて、お役人が帰るや否やはずしたそうです。「だって、子供達には関係ないし」と。なんかそんな逸話を思い出しました。
Commented
by
saheizi-inokori at 2007-11-16 20:29
つきのこさん、談志がお好きですか?私は彼の高座はまだなのです。CD全集は持っているのですが。来月のチケットが手に入りそうなので楽しみです。
Commented
by
saheizi-inokori at 2007-11-16 20:30
shimamelonさん、その役人も傑作ですね。宮城さんもふたつに分けるのかしら。
Commented
by
散歩好き
at 2007-11-16 21:05
x
落語に馴染もうとしています。先日浅草で扇橋を聞きましたが声が小さくて納得できませんでした。志ん生の高弟の円菊も然りでした。聞き手の修行も道が長いです。
Commented
by
saheizi-inokori at 2007-11-16 22:12
散歩好きさん、扇橋は確かに確信犯かもしれません。聴こえないんじゃどうしようもないという考え方も十分成り立ちます。
この辺は聴く人さまざまで、納得できないから落語が分からないということはないと思いますよ。
ただ、私は”好き”なんです。
浅草は特に会場がザワザワしているから扇橋の噺は聞こえないですね。読売だったか販促で招待券をばら撒くので落語が好きじゃない人も来るようです。いつだったか、扇橋がトリのとき、何人も途中で席を立って行ったほどです。
円菊、もう80です。彼のオーバーとも言えるアクションや話し方も好き嫌いは多いかもしれませんね。
好き嫌いでいいと思います。段々その中身が変わってくるかもしれません。嫌いはずっと嫌いかも知れませんが。
この辺は聴く人さまざまで、納得できないから落語が分からないということはないと思いますよ。
ただ、私は”好き”なんです。
浅草は特に会場がザワザワしているから扇橋の噺は聞こえないですね。読売だったか販促で招待券をばら撒くので落語が好きじゃない人も来るようです。いつだったか、扇橋がトリのとき、何人も途中で席を立って行ったほどです。
円菊、もう80です。彼のオーバーとも言えるアクションや話し方も好き嫌いは多いかもしれませんね。
好き嫌いでいいと思います。段々その中身が変わってくるかもしれません。嫌いはずっと嫌いかも知れませんが。
by saheizi-inokori
| 2007-11-15 22:06
| 今週の1冊、又は2・3冊
|
Trackback
|
Comments(8)