どんどん伸びろ 若者よ 立川談春・独演会「白談春」(紀伊國屋サザンシアター)
2007年 10月 29日
談春の独演会ー彼を聴くのは二回目。
今や超人気で先日も大阪で独演会をしたら満員、しかも東京から押しかけた客も多かったという。
こうして新宿で聴ける幸せを考えたら山手が止まったくらいで文句もいえめえ。
「(ホール出演が多いからー立川流は寄席に出られない)2時間喋るカラダになっちゃって前座にやる15分がもったいない」とプログラムにある前座・こはるをやめて話しだす。
「白談春」は落語のビギナーが対象ということだろう、前座噺について喋る。
前座が修業のためにやる噺だから真打ちには易しいかと思うかも知れないが実は結構難しい。
目的が口馴らしとか形態模写や女のやり方と言った訓練だからあまり面白くない噺が多くて受けない。
そういう前座噺を平気でやったのが先代の小さんだ。
力があるからつまらない噺でも面白く聴かせた。
形態模写で「狸」の出る噺があるがこれが難しい。
ある時小さん師匠に「どうしたら狸を上手くやれますか」と聞くと「そりやあ狸の了見になるってことだ」だと。
落語の教え方は教わる方がいろいろやってあるレベルまで行った時に教える方が教える気になったらその時始めて教えて貰える。
それまでは前座噺がマニュアルみたいなものでひたすらそれを勉強する。
落語の「型」「様式」とでもいうべきものを前座噺で身につけるのだと言いながら「狸の鯉」前座噺をまともに一席。
劇中劇ならぬ枕中噺。
「たらちね」も前座噺だがこの女主人公、似たような女は他の噺には出て来ない。
そんな女を習ってもしょうがないと考えていた。
突然分かったのは「たらちね」の女は特異なキャラだからやり方が決まってしまう。
他の噺に出てくる長屋のオカミさんは噺家によっていろんなやり方が出来ちゃう。
だから「型」を覚えるために「たらちね」が選ばれた。
そんなことを言いながらいろいろ実演してみせる。
「型」があるということが漫才などと違って芸が伝承されることが可能になった所以だ。
あるレベルのところまで行ったら落語は「ウマイ下手」じゃなくて「好きか嫌いか」というべきだと評論家を批判する。
かなり、語気鋭いのは何かあったのか?
「型」を覚え「落語リアリズム」を習得するだけで噺家人生を終える人も多い。
そこに個性をどう生かしていくかとなれば至難の事と言いながら「禁酒番屋」をやる。
小さんの噺だ。
下司っぽくないサラっとしたやり方だ。
小さんの方がサムライは”らしい”けれど。
仲入り後、8代目文楽の「景清」。
文楽、先代小さん、談志、談春という系譜なのだ。
めくらが信心で目明きになる噺。
アル・パチーノの「セント・オブ・ウーマン」を枕に映画は役になりきることが出来るが落語はそうはいかないという。
一人何役も、テンポ良くやるのだから、と役になりきる演技をやってみせると確かに落語にならない。
「景清」、めくら、きれいごとじゃなく突っ放して描写する。
そうしてお百度を踏む後ろに老母が必死になってお賽銭を用意し毎日の生活を支えることをめくらの職人・定次郎が涙ながらに語るところ、談春の感情移入が凄かった。
涙ぼろぼろ。
そんな定次郎が満願の日に隣りに祈る女を匂いでいい女と見て色気をだして仏罰を蒙る。
セント・オブ・ウーマンという言葉が生きてくる。
「はじめての談春。はじめての落語。」が「白談春」のコンセプトだが実際は8割方が「もっと刺激を。もっと談春。」という「黒談春」の客になってしまって当人もやりにくそうだ。
俺は面白かったけれど。
「白」でこれだけ強く自己主張しているなら見どころある。
師匠の談志に負けずもっともっとアクドクやるだけやってごらんなはい。
今や超人気で先日も大阪で独演会をしたら満員、しかも東京から押しかけた客も多かったという。
こうして新宿で聴ける幸せを考えたら山手が止まったくらいで文句もいえめえ。
「(ホール出演が多いからー立川流は寄席に出られない)2時間喋るカラダになっちゃって前座にやる15分がもったいない」とプログラムにある前座・こはるをやめて話しだす。
「白談春」は落語のビギナーが対象ということだろう、前座噺について喋る。
前座が修業のためにやる噺だから真打ちには易しいかと思うかも知れないが実は結構難しい。
目的が口馴らしとか形態模写や女のやり方と言った訓練だからあまり面白くない噺が多くて受けない。
そういう前座噺を平気でやったのが先代の小さんだ。
力があるからつまらない噺でも面白く聴かせた。
形態模写で「狸」の出る噺があるがこれが難しい。
ある時小さん師匠に「どうしたら狸を上手くやれますか」と聞くと「そりやあ狸の了見になるってことだ」だと。
落語の教え方は教わる方がいろいろやってあるレベルまで行った時に教える方が教える気になったらその時始めて教えて貰える。
それまでは前座噺がマニュアルみたいなものでひたすらそれを勉強する。
落語の「型」「様式」とでもいうべきものを前座噺で身につけるのだと言いながら「狸の鯉」前座噺をまともに一席。
劇中劇ならぬ枕中噺。
「たらちね」も前座噺だがこの女主人公、似たような女は他の噺には出て来ない。
そんな女を習ってもしょうがないと考えていた。
突然分かったのは「たらちね」の女は特異なキャラだからやり方が決まってしまう。
他の噺に出てくる長屋のオカミさんは噺家によっていろんなやり方が出来ちゃう。
だから「型」を覚えるために「たらちね」が選ばれた。
そんなことを言いながらいろいろ実演してみせる。
「型」があるということが漫才などと違って芸が伝承されることが可能になった所以だ。
あるレベルのところまで行ったら落語は「ウマイ下手」じゃなくて「好きか嫌いか」というべきだと評論家を批判する。
かなり、語気鋭いのは何かあったのか?
「型」を覚え「落語リアリズム」を習得するだけで噺家人生を終える人も多い。
そこに個性をどう生かしていくかとなれば至難の事と言いながら「禁酒番屋」をやる。
小さんの噺だ。
下司っぽくないサラっとしたやり方だ。
小さんの方がサムライは”らしい”けれど。
仲入り後、8代目文楽の「景清」。
文楽、先代小さん、談志、談春という系譜なのだ。
めくらが信心で目明きになる噺。
アル・パチーノの「セント・オブ・ウーマン」を枕に映画は役になりきることが出来るが落語はそうはいかないという。
一人何役も、テンポ良くやるのだから、と役になりきる演技をやってみせると確かに落語にならない。
「景清」、めくら、きれいごとじゃなく突っ放して描写する。
そうしてお百度を踏む後ろに老母が必死になってお賽銭を用意し毎日の生活を支えることをめくらの職人・定次郎が涙ながらに語るところ、談春の感情移入が凄かった。
涙ぼろぼろ。
そんな定次郎が満願の日に隣りに祈る女を匂いでいい女と見て色気をだして仏罰を蒙る。
セント・オブ・ウーマンという言葉が生きてくる。
「はじめての談春。はじめての落語。」が「白談春」のコンセプトだが実際は8割方が「もっと刺激を。もっと談春。」という「黒談春」の客になってしまって当人もやりにくそうだ。
俺は面白かったけれど。
「白」でこれだけ強く自己主張しているなら見どころある。
師匠の談志に負けずもっともっとアクドクやるだけやってごらんなはい。
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from らくごのパッチBLOG
at 2007-11-05 00:00
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ginsuisen at 2007-10-30 00:50
白談春って、そういう意味なんですね。黒になるには、道は遠いなー。
0
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saheizi-inokori at 2007-10-30 07:20
ginsuisenさん、落語を聴き始めて3ヶ月くらいでいっぱしの事を言い出す人が多いと談春にいわれてしまいましたよ。
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sakura
at 2007-10-30 15:38
x
立川談春ってハンサムな方ですね。
一度会ってみたい気がする。TVで見た様な気がしますが?
落語の事もあまり知らないのですが
こちらに伺って少しずつ分りだしました。
例えば落語が始まる前には前座と言うのがあるそうで、、、
東京弁で べらんめぇ~と言うのでしょうか
「文句も言えめえ~」とか、、こう言う言葉 面白いですね。
落語を聴きに行っても鈍感な私はワンテンポ遅れて
笑い出すかも、、、
先ずはsaheizi旦那の落語の噺を読んで
楽しませてもらいまっさ。
一度会ってみたい気がする。TVで見た様な気がしますが?
落語の事もあまり知らないのですが
こちらに伺って少しずつ分りだしました。
例えば落語が始まる前には前座と言うのがあるそうで、、、
東京弁で べらんめぇ~と言うのでしょうか
「文句も言えめえ~」とか、、こう言う言葉 面白いですね。
落語を聴きに行っても鈍感な私はワンテンポ遅れて
笑い出すかも、、、
先ずはsaheizi旦那の落語の噺を読んで
楽しませてもらいまっさ。
最近は落語をほとんど聴きません。昔、ラジオで円生、金馬、志ん生をよく聴きました。高座を想像すること三分、情景を想像すること七分だったような気がします。
桂枝雀はよくテレビで観ました。そうしますと、話を聴いても高座の姿しか思い浮かんできません。映像抜きの、音声だけ活字だけの方が豊かな世界の場合もありますね。
円生、金馬、志ん生、みんな個性がありましたねぇ。いまの噺家にも個性はありますが、次元の違う個性のような気がします。思い切り単純化して極論すれば、芸人とタレントの違いのように思えます。
桂枝雀はよくテレビで観ました。そうしますと、話を聴いても高座の姿しか思い浮かんできません。映像抜きの、音声だけ活字だけの方が豊かな世界の場合もありますね。
円生、金馬、志ん生、みんな個性がありましたねぇ。いまの噺家にも個性はありますが、次元の違う個性のような気がします。思い切り単純化して極論すれば、芸人とタレントの違いのように思えます。
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saheizi-inokori at 2007-10-30 20:53
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saheizi-inokori at 2007-10-30 20:55
きとら さん、私も生でなければラジオの方が好きです。
最近の有望株は結構いいですよ。私も前は志ん生・文楽親父だったのですが。
最近の有望株は結構いいですよ。私も前は志ん生・文楽親父だったのですが。
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sakura
at 2007-10-30 21:55
x
え?落語を噺している方々は羽織なんか着ていないのでは?
今談春さんの写真を見たら対の羽織を着てられますね。
前座は見習いで雑用係なのですか?
その人が噺をさせて頂くわけですね。
じゃ~下手だと言う事かな~?
寄席は長蛇の列で何時も満員とか、、
病み付きになること、まちげ~ね~。ですか。フフフ・・
主人が一緒に行ってくれたらよいのですがねぇ。
今談春さんの写真を見たら対の羽織を着てられますね。
前座は見習いで雑用係なのですか?
その人が噺をさせて頂くわけですね。
じゃ~下手だと言う事かな~?
寄席は長蛇の列で何時も満員とか、、
病み付きになること、まちげ~ね~。ですか。フフフ・・
主人が一緒に行ってくれたらよいのですがねぇ。
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saheizi-inokori at 2007-10-31 08:05
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hanamaki3 at 2007-10-31 12:25
談春さん、まだ聴いたことないです。
聴きたくなりました。
「白談春」から、ですね。
小さん師匠も聴きに行けばよかったです。
蕎麦をたぐる場面(ホントのお蕎麦屋さんで)は、たくさん見かけたのにあの頃は落語にあんまり興味なかったんですよね。惜しかった!
聴きたくなりました。
「白談春」から、ですね。
小さん師匠も聴きに行けばよかったです。
蕎麦をたぐる場面(ホントのお蕎麦屋さんで)は、たくさん見かけたのにあの頃は落語にあんまり興味なかったんですよね。惜しかった!
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saheizi-inokori at 2007-10-31 17:18
hanamaki3さん、団菊オヤジという言葉、「団十郎はよかった、菊五郎はよかった、今の連中なんて!」嫌われるのですが年をとって威張れるネタはそんなものです。
「ああ、談春の若い頃はよかったよ。今の若いもんとはまるで違う」ってね。
「白談春」は来年はやらないそうです。
ますますプラチナ化しそうですね。
「ああ、談春の若い頃はよかったよ。今の若いもんとはまるで違う」ってね。
「白談春」は来年はやらないそうです。
ますますプラチナ化しそうですね。
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saheizi-inokori at 2007-10-31 17:21
sakura さん、寄席はいつも長蛇の列というわけではありません。
空いていることもあるし、全部聴かなくてもいいのですよ。
普通は2700円(高齢者や身障者割引のある寄席もあります)で一日中楽しめます。
空いていることもあるし、全部聴かなくてもいいのですよ。
普通は2700円(高齢者や身障者割引のある寄席もあります)で一日中楽しめます。
by saheizi-inokori
| 2007-10-29 22:56
| 落語・寄席
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