漢字が伝える古代の世界 白川静・監修 山本史也・著「神さまがくれた漢字たち」(理論社)

漢字がつくられたのは、およそ3300年前、殷王朝の頃とされている。
当初一万字にも満たない文字の集合体が漢字の世界だ。
一つひとつの文字が孤立しているのではなく強いつながりを保ち調和した整然とした世界なのだ。
一字一字の漢字には、中国古代の人々の祈りや思い、また信仰や認識のあとが深々と刻印されている
亀の甲や牛、鹿、羊ときには人の骨に刻まれた「甲骨文」が漢字の始まり、それは王と神との対話を記す。

甲骨文字が100年ほど前に発見されたことによって漢字の成り立ちがはっきりした。
それまでの漢字解釈は2000年前、後漢の学者・許慎が著した「説文解字」の流れを汲むものだった。
長い歴史を経て出来上がった漢字の姿形をもとにその成り立ちを探求していた。
それを甲骨文や金文の分析をもとに覆したのが白川静(1910~2006)、文化勲章を受章している。

漢字が伝える古代の世界 白川静・監修 山本史也・著「神さまがくれた漢字たち」(理論社)_e0016828_1429513.jpg本書は白川監修のもとにその薫陶を受けた山本が新しい文字学にもとづいた漢字の成り立ち、その世界を書いている。
一見子ども向きの図書のように(全て振り仮名つき)見えるが結構手ごたえのある本だ。

「人」という字について。
よく言われるのは「人と人とが支えあう形にもとづく」ものだと。
上記の「説文解字」によれば「天地の性、最も尊き者なり」とし、「肘と足の形(象)」だというが本書はどちらの見方も否定する。

漢字が伝える古代の世界 白川静・監修 山本史也・著「神さまがくれた漢字たち」(理論社)_e0016828_14373933.jpg右の写真のように甲骨文字や金文で描かれた「人」は
何かに服従してでもいるような、あるいは重いものをひしひしと背に感じてでもいるような、心なしか、うつむき加減の姿勢を写しとった形にみえる

むしろ「大」や「立」の方が尊くりりしく直立する人の形を現している。
宮廷の厳粛な儀式に臨むときの、一にぎりの高貴な「人」のみがとりうる特権的な姿勢を象るようだ。
すなわち古代の中国の人々は、「人」を崇高な存在として重んじてはいなかった。
神に試され、操作され、傷つけられること、命を奪われることもある哀れな存在が「人」だった。

漢字が伝える古代の世界 白川静・監修 山本史也・著「神さまがくれた漢字たち」(理論社)_e0016828_14475543.jpg「民」という字は、大きい矢か針で目を突き刺す形で記された。
殷王朝を脅かす異族が捕らえられると、目に処罰を加え神の僕(しもべ)として仕える身になる。
視力を失った「民」は「瞽史(こし)」と呼ばれ宮廷楽の伝統を育んでいく。
「目」から出来た漢字には「臣」、「賢」、「童」がいずれも神に仕える人々を表す。
「童」はなんと「目」の上に入れ墨がほどこされた形だ。

漢字が伝える古代の世界 白川静・監修 山本史也・著「神さまがくれた漢字たち」(理論社)_e0016828_15204520.jpg写真の字の下にある「口」の両側に突き出た形の字、「サイ」と音読みして箱型の容れ物を象ったもの。
甲骨文字の発見で初めて知られ白川博士が、この容れ物のことを「器(うつわ)」と呼んだ。
甲骨文字以前は「口」の形しか認められなかったから「説文解字」は「告」の字は「牛が角に木をつけて、人に向かい口をすり寄せて告げる」と解釈していた。
白川博士は「サイ」は祈りの文を収めたものと考える。

「告」の上の部分は牛ではなく木の枝、神の憑り代だ。
人が神に対する祈り、告白が「告」ということ。
「名」を現在の小学生用辞典の中には「夕方には相手の顔が見えないから、口で名を告げる」などと頓知みたいなことを書いているそうだ。
あわてて亡母遺愛の「岩波漢語辞典」(87年版)をあたると、やはり「夕暮れの薄暗い中で自分の存在を告げる意」とある。
本書は「夕」は、祭祀のために供える肉の象形、サイとともに神に祭るものとみる。
「名」はまず神に告げられ、承諾を得て、神にゆだねられるべきものでした。
それより後その「名」は神の独占的に所有するものとなり神以外の他者に告げることは出来なかった。
清少納言、紫式部、藤原道綱母などの実名が知られないのは、その名が神のもとにのみ秘められてあったからだ。

「一」、林檎でも皿でも人でも「一」、「指事」という作字方がある。
3300年も昔にこのように形や像としてとらえられない、抽象的な概念をすでに文字とする認識や思考がなされていた!

どうです?
面白くないですか?
こんなにも漢字のお世話になり慣れ親しんでいたつもりだったのに、その氏素性についてはナンも知らんでいたんだ。

漢字が伝える古代の世界 白川静・監修 山本史也・著「神さまがくれた漢字たち」(理論社)_e0016828_1557640.jpg


ふ~ん、と流石の梟もうなるばかり。
Commented by 高麗山 at 2007-10-29 00:23 x
藤堂明保著の漢和辞典に傾倒して、かなりの期間過ごしてきました。
なんと、白川静博士の論敵ではないですか。   「単語家族説」でもって、白川静の「漢字」を全否定している。
今後、じっくり研鑽してみます。
Commented by きとら at 2007-10-29 01:59 x
 愛用の『漢辞海』で「名」を引きますと、
 「夕」は暗い夜の意である。暗夜は互いに見えないので口で自分からなのるのである。
 とあり、「夕」を引きますと、
 1に暮れ、日暮れ、2に夜、夜間、とありました。
 
 『岩波漢語辞典』に異を立てているような感じですね。
 
 白川静のは『初期万葉論』『後期万葉論』を拾い読みした程度です。山上憶良を渡来人だろうとされていました。手堅い論考だと思いました。
Commented by mitsuki at 2007-10-29 06:28 x
読んでて落語の「千早振る」を思い出しました。
民という字は目を穿たれた象形文字だと中学の時、国語か社会の先生が授業の合間に教えてくれましたが、こんなにリアルな形だったとは。
驚きです。
Commented by tenjin95 at 2007-10-29 07:25 x
> 管理人様

久々にコメントいたします。
この辺の成果は、丹念に漢字の原形を探って、考古学的に見ていくことが必要になりますが、その過程で様々な解釈が入ることから、議論が発生するところですね。拙僧も、白川氏の別の本を読みましたが、その度に目から鱗が落ちたのを思い出します。
Commented by saheizi-inokori at 2007-10-29 07:59
高麗山さん、そうなんですか!
この年になってそんな論争の世界があることを知って驚いています。面白いです。
Commented by saheizi-inokori at 2007-10-29 08:01
きとらさん、その愛用の辞典は岩波と同じ、今までの通説ではないでしょうか。夕を月の形とみるのです。
Commented by saheizi-inokori at 2007-10-29 08:03
mitsuki さん、いい授業を受けて、ヨク覚えていらっしゃいますね。
羨ましい、大きな穴の開いた笊みたいな私の頭です。
Commented by saheizi-inokori at 2007-10-29 08:05
tenjin95さん、物事の関連性を追及していくのでしょうね。飛躍的と思えるほどの想像力も必要なのでしょう。
Commented by ginsuisen at 2007-10-29 08:44 x
へぇ~へぇ~へぇ~初めて知りましたー。で、三省堂新明解漢和辞典(長沢規矩也 原田種成著)で確認したら、ほんとうに「名」の会意は、そうなんですねー。また1個勉強になりましたです。ありがとうございました。
Commented at 2007-10-29 10:38
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by saheizi-inokori at 2007-10-29 10:49
鍵こめさん、やっぱり!外から見て「ナンチャって!」の店だったのです。ありがとう!
Commented by saheizi-inokori at 2007-10-29 10:59
ginsuisen さん、白川静「常用字解」によると「名」は「子どもが生まれて一定期間過ぎると、祖先を祭る廟に祭肉を供え、祝詞を上げて子どもの成長を告げる名という儀礼を行なう。その時、名をつけたので「な、なづける」の意味となる」とありました。
本書はもっと古い時代のことなのかな。
Commented by ginsuisen at 2007-10-29 11:44 x
いやー、ますます学術的でむづかしいですわー。大漢和開かないと・・そのあたりの起こりも書いていると思いますが、持っていませーん。白川さんの本も読んだことないので、すみませんです。
Commented by maru at 2007-10-29 21:24 x
この本は私も以前とても楽しんで、そして静かに興奮して読み終えました。「学問」は良いなあと素直に思える名著ですね。
Commented by saheizi-inokori at 2007-10-29 22:58
maru さん、そうですね。静かに興奮、おっしゃるとおりです。
名前
URL
削除用パスワード

※このブログはコメント承認制を適用しています。ブログの持ち主が承認するまでコメントは表示されません。

by saheizi-inokori | 2007-10-28 23:43 | 今週の1冊、又は2・3冊 | Trackback | Comments(15)

ホン、よしなしごと、食べ物、散歩・・


by saheizi-inokori
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31