そうだ!負けるな若者 團藤重光 伊東乾・編「反骨のコツ」(朝日選書)
2007年 10月 25日
團藤刑法の名前で知られる斯界の権威は93歳。
東大法学部長から最高裁判事や宮内庁参与を歴任したその経歴を聞けば知らない人はガチガチの保守・象牙の塔に安住するエスタブリッシュメントを想像するかも知れない。
実は知行合一を旨とする陽明学徒・反骨の人である。
孫ほども年の離れた伊東は音楽家で東大大学院情報学環准教授、文科と理科双方を学んだ俊秀だ。
単に法律学の権威と言う以上に現代の思想家とも言うべき厚みと深みを備えた大先輩には率直な物言いもあって気にいられたようだ。
話題は團藤の生い立ち、経歴、ポスト構造主義に連なる思想形成を中心に死刑廃止論、裁判官制度批判(民衆の側から求めたのではなく官僚が思いつきでやろうとしている)、憲法改正論の落とし穴など現代の法律家やリーダーたちに厳しい注文がつく。
最高裁判事として多くの少数意見を書いた。
特に大阪空港夜間飛行差し止めの住民訴訟では「住民の生命、生活を守る」という立場で差し止めを認めた反対意見は有名だ。
三島由紀夫は東大の学生時代に教えた。
最も優れていた試験答案が三島のもので「私の学説の一番の理解者だった」と思ったがテーブルの上に置いて席を外して帰ると愛犬が食べてしまったと笑う。
三島は團藤の学説に影響されて小説「仮面の告白」には如実にそれが表れていると言う。
惜しむらくは團藤の刑事訴訟法をのみ学んだこと。
それが形式美の世界に三島を連れて行った。
実体法である刑法理論も学べば現実の政治や社会の問題に本格的に取り組んであのような死を選ぶことはなかったろうとも言う。
法学部を卒業したのだから当然刑法は必修だったはずだが身の入れ方が違ったのかな。
宮内庁参与として昭和天皇と親密に話をする機会が多かったが
人間が人間を殺すことを認める死刑は現行憲法の解釈以前に許されないと断言する。
フランスが憲法で死刑を禁じたように先進国は死刑を廃止する流れにあって国内統治に自信のない国のみが死刑を存置している。
死刑が違憲か否かを判じた1948年の最高裁判決(「一人の生命は全地球より重い」と言うフレーズで有名)の中の判事たちの意見を伊東が紹介するくだりがある。
「こんなまずいこと」とか「何と云っても死刑はいやなものに相違ない。一日も早くこんなものを必要としない時代が来ればいい」などと、これが最高裁判決かとびっくりするような日常的・情緒的な言葉を交えて書かれたその意見は東京裁判が始まったと言う生々しい現実と人権尊重の新憲法(残虐な刑罰を禁じている)の理念の狭間で苦悩する司法を表している。
その意味では死刑を合憲とした判断はその時代に限定的な現実判断だったのではないかと伊東は言い、團藤は肯定的に問題提起を受けとめる。
憲法改正と言うと九条のことばかりが取り上げられるが死刑廃止をきちんと盛り込むかどうかも議論しなければならないのに法律家の多くは逃げている。
若い人たちに贈る言葉として難しいことだけれど「体制の中にあって反骨精神を持ち続けよ」と言い、反骨と反抗は違うとも言う。
反骨精神を持ち続ける人がいない組織は滅びる。
SDというカテゴリーを創ったものの未投稿だ。
責任ということを考えるのはトテモ難しいのだ。
團藤刑法を勉強しなければならないかも知れないなあ。
たとえば毎日テレビをにぎわしている亀田騒動だって多くの人が一番悪いのはテレビ、TBSだって言うけれど、そして俺もそう思うけれど、いかなる意味においてもTBSは何の責任も取らないだろう。
それで世の中は何も変わることなく続いて行くんだよ。
責任って一体なんだ?
東大法学部長から最高裁判事や宮内庁参与を歴任したその経歴を聞けば知らない人はガチガチの保守・象牙の塔に安住するエスタブリッシュメントを想像するかも知れない。
実は知行合一を旨とする陽明学徒・反骨の人である。
孫ほども年の離れた伊東は音楽家で東大大学院情報学環准教授、文科と理科双方を学んだ俊秀だ。
単に法律学の権威と言う以上に現代の思想家とも言うべき厚みと深みを備えた大先輩には率直な物言いもあって気にいられたようだ。
話題は團藤の生い立ち、経歴、ポスト構造主義に連なる思想形成を中心に死刑廃止論、裁判官制度批判(民衆の側から求めたのではなく官僚が思いつきでやろうとしている)、憲法改正論の落とし穴など現代の法律家やリーダーたちに厳しい注文がつく。
最高裁判事として多くの少数意見を書いた。
特に大阪空港夜間飛行差し止めの住民訴訟では「住民の生命、生活を守る」という立場で差し止めを認めた反対意見は有名だ。
三島由紀夫は東大の学生時代に教えた。
最も優れていた試験答案が三島のもので「私の学説の一番の理解者だった」と思ったがテーブルの上に置いて席を外して帰ると愛犬が食べてしまったと笑う。
三島は團藤の学説に影響されて小説「仮面の告白」には如実にそれが表れていると言う。
惜しむらくは團藤の刑事訴訟法をのみ学んだこと。
それが形式美の世界に三島を連れて行った。
実体法である刑法理論も学べば現実の政治や社会の問題に本格的に取り組んであのような死を選ぶことはなかったろうとも言う。
法学部を卒業したのだから当然刑法は必修だったはずだが身の入れ方が違ったのかな。
宮内庁参与として昭和天皇と親密に話をする機会が多かったが
昭和天皇はもう、大の軍人嫌いで。伊東が「天皇が東条を評価していたという記述が(側近の記録に)ありますが」と問うと
それは全然違う。大のお嫌いでしたよ。大変深刻なご様子でおっしゃったので、伺っていて、私にはよくわかりました。と答える。
人間が人間を殺すことを認める死刑は現行憲法の解釈以前に許されないと断言する。
フランスが憲法で死刑を禁じたように先進国は死刑を廃止する流れにあって国内統治に自信のない国のみが死刑を存置している。
死刑が違憲か否かを判じた1948年の最高裁判決(「一人の生命は全地球より重い」と言うフレーズで有名)の中の判事たちの意見を伊東が紹介するくだりがある。
「こんなまずいこと」とか「何と云っても死刑はいやなものに相違ない。一日も早くこんなものを必要としない時代が来ればいい」などと、これが最高裁判決かとびっくりするような日常的・情緒的な言葉を交えて書かれたその意見は東京裁判が始まったと言う生々しい現実と人権尊重の新憲法(残虐な刑罰を禁じている)の理念の狭間で苦悩する司法を表している。
その意味では死刑を合憲とした判断はその時代に限定的な現実判断だったのではないかと伊東は言い、團藤は肯定的に問題提起を受けとめる。
憲法改正と言うと九条のことばかりが取り上げられるが死刑廃止をきちんと盛り込むかどうかも議論しなければならないのに法律家の多くは逃げている。
若い人たちに贈る言葉として難しいことだけれど「体制の中にあって反骨精神を持ち続けよ」と言い、反骨と反抗は違うとも言う。
反骨精神を持ち続ける人がいない組織は滅びる。
反骨のコツですか、、気骨を持って進むとき、何かにぶつかることがあるでしょう。ぶつかると跳ね返りますね。そこで「反骨」になる。そのとき囚われた目で見るのではなくてね、あるがままを見て、そこで「正義」を実践する。俺の言う「志を持つ」と通じるようにも思う。
SDというカテゴリーを創ったものの未投稿だ。
責任ということを考えるのはトテモ難しいのだ。
團藤刑法を勉強しなければならないかも知れないなあ。
たとえば毎日テレビをにぎわしている亀田騒動だって多くの人が一番悪いのはテレビ、TBSだって言うけれど、そして俺もそう思うけれど、いかなる意味においてもTBSは何の責任も取らないだろう。
それで世の中は何も変わることなく続いて行くんだよ。
責任って一体なんだ?
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at 2007-10-26 03:05
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ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
>世の中は何も変わることなく続いていく
そうなんですね。いろいろな出来事がマスコミで取り上げられますが、「あの事件一体どうなったんだろう?」ということがあります。世の中の関心が薄れてくると、ニュース価値も薄れてくると言うことでしょうが、うやむやのままこれらの出来事が人々の記憶からも消えていくようです。
そうなんですね。いろいろな出来事がマスコミで取り上げられますが、「あの事件一体どうなったんだろう?」ということがあります。世の中の関心が薄れてくると、ニュース価値も薄れてくると言うことでしょうが、うやむやのままこれらの出来事が人々の記憶からも消えていくようです。
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saheizi-inokori at 2007-10-26 10:58
鍵コメさん、 ume さん、刑事罰とか民事賠償責任などの法律的な責任とは別の責任が一番厄介、それは確かに根っこは他人からどうこう言われる筋合いではなく自らを律する上で欠かせない観念でしょう。
しかし、そういう意味の責任感自体がそれぞれの”小僧の神さま”によって異なっています。
またそういう意味で自らを律するという観念自体今は死語に近くなっているような気がします。
安倍の辞職はそういう意味で象徴的です。
だから?しょうがない、と肩をすくめて生きていればいいのか?
自由と責任は対のもの、自由を謳歌するならそれに対応する責任を果たす必要がありますものね。
しかし、そういう意味の責任感自体がそれぞれの”小僧の神さま”によって異なっています。
またそういう意味で自らを律するという観念自体今は死語に近くなっているような気がします。
安倍の辞職はそういう意味で象徴的です。
だから?しょうがない、と肩をすくめて生きていればいいのか?
自由と責任は対のもの、自由を謳歌するならそれに対応する責任を果たす必要がありますものね。
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fukuyoka at 2007-10-26 12:04
考えなくてはならないいろいろな出来事にそうだ、そうだ、とうなずいてばかりでごめんなさい。 で、 このビリジャン色のポット、多分北欧のものですね。いいですね〜。
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saheizi-inokori at 2007-10-26 12:24
fukuyokaさん、きれいな色でしょう?
残念ながら昨日行ったらもうなかったです。誰かが買ってしまった。
残念ながら昨日行ったらもうなかったです。誰かが買ってしまった。
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at 2007-10-26 12:47
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greenagain at 2007-10-26 13:10
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shimamelon at 2007-10-26 18:05
反抗と反骨は違う・・・たしかに。
しかし、人との距離が大きくなると反抗もなくなるんですよね。そしてある日・・・いやなんか個人的なんだか、よくわからないことはいうのをやめましょう。
<気骨を持って進むとき、何かにぶつかることがあるでしょう
気骨。
これは今死語に近いのかも・・・。
「面白おかしく」をすでにテレビは越えていますね。ジャンケン大会がテレビで流れたのはもう10年前。2日続けて2時間づつくらいテレビを見ると、もう何が流行ってるのかがわかります。それだけ一斉に同じような人が同じような人を支持してる、これが人気か、と思います。逆にテレビにでないと誰も知らなかったりしてね。
しかし、人との距離が大きくなると反抗もなくなるんですよね。そしてある日・・・いやなんか個人的なんだか、よくわからないことはいうのをやめましょう。
<気骨を持って進むとき、何かにぶつかることがあるでしょう
気骨。
これは今死語に近いのかも・・・。
「面白おかしく」をすでにテレビは越えていますね。ジャンケン大会がテレビで流れたのはもう10年前。2日続けて2時間づつくらいテレビを見ると、もう何が流行ってるのかがわかります。それだけ一斉に同じような人が同じような人を支持してる、これが人気か、と思います。逆にテレビにでないと誰も知らなかったりしてね。
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saheizi-inokori at 2007-10-27 00:34
鍵コメさん、批判に値しない男が総理になってても大丈夫なんだろうか?まあ、私にもどうしようもないんだけどね。
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saheizi-inokori at 2007-10-27 00:36
greenagainさん、私もこんなに元気でいるとは思いもかけなかった。
法律の言葉、確かに気持ちがいい言葉とはいえないなあ。
法律の言葉、確かに気持ちがいい言葉とはいえないなあ。
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saheizi-inokori at 2007-10-27 00:39
shimamelonさん、たしかに無関心とか無視より反抗の方がずっとマシですね。
入院していてテレビを朝から見たことがありますがセイゼイお昼のニュースが限界でした。
入院していてテレビを朝から見たことがありますがセイゼイお昼のニュースが限界でした。
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at 2007-10-27 03:50
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ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
by saheizi-inokori
| 2007-10-25 23:08
| 今週の1冊、又は2・3冊
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