清盛はずるいなあ、タダで観てたんだ 友枝昭世「厳島観月能」(広島1)
2007年 10月 23日
下りなければ
命を取ろうぞと脅されるが
命を取るともふつつと(絶対に)下りまじいと頑張る。
説法を聴く者、説法を説く者、いづれも法を理解しただけではダメだ、ことが起きた時にそれに対処する行動が必要だという少年僧・自然居士の機知に富んだやりとりを交えた行動が厳島の波の上に繰り広げられる。
潮が満ちようとする6時半、橋掛かりに「火入れの儀」についで暗い水面に灯が当てられる。
照り返しで舞台が明るく浮かび上がる。
波の揺れを映して舞台も揺れる。
壁がないから橋掛かりの遠くに赤い大鳥居がみえ(写真は終演後座った位置より右寄りから撮った)舞台の右遠方には五重の塔がライトアップされている。
俺の座った桟敷から右上を見上げると月がくっきりと見える。
能に魅入られて一年足らずでこんな晴れ舞台を観ることができるなんて夢のようだ。
日中は暑いくらいな秋晴れだったが夜の海辺は冷え込んでセーターや受付で頂いたホッカイロが役に立った。
「阿漕」粟谷明生 「玉葛」粟谷能夫 「敦盛」出雲康雅 の仕舞いから夢の空間が現前する。
観阿弥のドラマチックな能「自然居士」。
今までに観た能と違った活劇を観るような面白さがある。
アイ・野村万蔵がワキと絡んだり子方・友枝雄太郎の可憐な存在が面白さを盛り上げる。
相変わらずシテ・友枝さんの装束と姿が美しい。
7時頃に満潮になった海の水が退いていって、、突然海面に舞台が映りこんだ。
姿がさかさまに映り動くと子方の赤、シテの緑、、色が鮮やかに流れる。
笛・松田弘之が嫋々と流れる。
大鼓・亀井広忠と小鼓・曽和正博が機嫌よく合いの手を打つ。
ふっと清盛が隣りで観ているような気がした、なんちゃって!
よく考えてみれば時代が違うね。
清盛の頃は未だ能ははじまっていなかった!
夜の厳島神社きれいです~。
いいなぁ、夜の厳島神社。
人前結婚の時代だから。
能舞台が出来たのは16世紀、とっくに清盛は死んでました。
もっとも清盛の亡霊が私の傍らにいたのかも知れませんね。