9・12は”空責任時代”の始まり 新カテゴリーを創ります(SD 1)
2007年 10月 18日
「俺たちには早く死ねってことさ」、テレビで老人がしゃべっている。
地方の医師がいなくなって病院が閉鎖に追い込まれている。
医師の研修制度を”改正”したからだ。
本来は地方を指導し救済する立場の中央がやったことの被害を地方が受けている。
厚生労働大臣たるものはこういう問題にきちんと対処しなければならないのに、正義の使者みたいな顔をして何をしているんだろう?
テレビに出ている場合じゃないってのに。
違法を取り締まるはずの警察の不祥事。
違法な偽装請負などがないように指導すべき立場の経団連トップが率先違法な経営を行いあまつさえ事態に合致するように法律を変えろと堂々と要求をする。
木鐸どころか権力・広告主迎合・売らんかな路線まっしぐらのマスコミ特にテレビ。
枚挙に暇がない。
日本が壊れだしている。
アッチコッチ傷が出来た、というようなレベルではなく土台から壊れだした。
部分的な修正であるならば中枢の指揮の下に行われていくはずだ。
その中枢、傷が出来ないように注意深く見守り、それでも傷が発見されたら修正を行うべき中枢自体が壊れている。
日本もそうだが近代国家とはそれぞれの責任ある人々が責任を果たすことを前提に構築されている。
責任ある人とはエリート、すなわち選ばれた人々だ。
使命感をもって他のために尽くすことを期待されて選ばれた人々だ。
選挙ばかりではない。
古い言い方だが”恩寵を背負う”、才能や幸運に恵まれてリーダーとなった人も選ばれた人だ。
そういう人々が壊れてしまって、私服をこやし嘘をつき徒党を組み保身を図るようになって国が壊れ始めたのだ。
こういうことが珍しくなくなったのは高度経済成長を成し遂げて大国日本となった頃からじゃないだろうか。
「衣食足りて礼節を知る」の逆だったんだ。
薄くて軽い人ばかりになってしまった。化学繊維じゃあるまいに。
何事にも歴史がある。
「責任」の歴史、もあるだろう。
俺は「責任」ということに対する人々の考え方がどう始まってどのように進化(退化)してきたかについて詳らかにしない。
だが2007・9・12という日付は責任の歴史上、永遠に語り継がれるべき画期的な日だと思う。
9・12はある意味では9・11以上に世界を、日本を変えていくような気がする。
本来社会におけるさまざまな責任を追及すべき中枢がその機能を失った挙句の到達点が9・12だと思う。
責任を追及し修正を加えるべき中枢が壊れてたとえば大臣候補者が”身体検査”をされるという珍妙な現象が当たり前のようになった。
それでも不祥事や非常識な発言が相次ぎ責任を追及される大臣が続出する。
その場合の「責任を取る」とは「大臣を辞める」ということだった。
「辞職する」ことが大きな意味をもった。
辞職することも出来ずに自殺するひともいたくらいだから。
9・12においてそれまでの責任論は全く異次元の空間に飛び込んだ。
責任を取ろうにもその責任とは「無責任に辞めてしまったこと」に対する責任だなんて。
究極の無責任!責任が有るとか無いとか言う次元を超えてそもそも責任という観念自体が消えてしまった。
ブラックホールに吸い込まれるように。
9・12が責任の歴史上画期をなすということはそれが安倍個人の事件ではなかったからだ。
衝撃の事件のあと日本の国は殆ど何も変わらずに総裁選が行われ、今またワイドショーは亀田と福田を同じように興味深く追いかけている。
福と亀と名前だけは景気がいいけれど。
安倍をリーダーとして選出し彼を褒め称え彼の指示に意見を言うこともなく忠実に従った人々は殆ど責任を取ることもなかった。
民主党も本気で政権を渡せとスゴンダわけでもなかった。
いつもの政変と変わらない。
社会制度に対する信頼性が崩壊したというのに。
何よりも指摘しなければならないのは安倍はいまだに国会議員であり続け自民党もそれを許しているということだ。
除名処分くらいのことは誰か一人くらい言っても不思議じゃないと思う。
「美しい国企画委員会」やら空転国会の費用は請求すべきだ。
議員報酬は無論9・12以降分は戻入。
ブラックホールに吸い込まれた責任は安倍の責任だけではなかったのだ。
ずっと続いてきた中枢の空責任化・機能喪失が完成した。
権力機構のトップが空責任化したら後は一瀉千里、世の中右に習ってオール無責任・空責任でスイスイだ。
これからどうなっていくんだろう?
このまま「空責任状態」を許しておくわけにはいかない。
俺もうかうかしていられないね。
というわけでこれから「責任とは何か」について考えていこうと思う。
新しいカテゴリーの誕生、題して「責任者をだせ!」略して「SD」だ。
地方の医師がいなくなって病院が閉鎖に追い込まれている。
医師の研修制度を”改正”したからだ。
本来は地方を指導し救済する立場の中央がやったことの被害を地方が受けている。
厚生労働大臣たるものはこういう問題にきちんと対処しなければならないのに、正義の使者みたいな顔をして何をしているんだろう?
テレビに出ている場合じゃないってのに。
違法を取り締まるはずの警察の不祥事。
違法な偽装請負などがないように指導すべき立場の経団連トップが率先違法な経営を行いあまつさえ事態に合致するように法律を変えろと堂々と要求をする。
木鐸どころか権力・広告主迎合・売らんかな路線まっしぐらのマスコミ特にテレビ。
枚挙に暇がない。
日本が壊れだしている。
アッチコッチ傷が出来た、というようなレベルではなく土台から壊れだした。
部分的な修正であるならば中枢の指揮の下に行われていくはずだ。
その中枢、傷が出来ないように注意深く見守り、それでも傷が発見されたら修正を行うべき中枢自体が壊れている。
日本もそうだが近代国家とはそれぞれの責任ある人々が責任を果たすことを前提に構築されている。
責任ある人とはエリート、すなわち選ばれた人々だ。
使命感をもって他のために尽くすことを期待されて選ばれた人々だ。
選挙ばかりではない。
古い言い方だが”恩寵を背負う”、才能や幸運に恵まれてリーダーとなった人も選ばれた人だ。
そういう人々が壊れてしまって、私服をこやし嘘をつき徒党を組み保身を図るようになって国が壊れ始めたのだ。
こういうことが珍しくなくなったのは高度経済成長を成し遂げて大国日本となった頃からじゃないだろうか。
「衣食足りて礼節を知る」の逆だったんだ。
薄くて軽い人ばかりになってしまった。化学繊維じゃあるまいに。
何事にも歴史がある。
「責任」の歴史、もあるだろう。
俺は「責任」ということに対する人々の考え方がどう始まってどのように進化(退化)してきたかについて詳らかにしない。
だが2007・9・12という日付は責任の歴史上、永遠に語り継がれるべき画期的な日だと思う。
9・12はある意味では9・11以上に世界を、日本を変えていくような気がする。
本来社会におけるさまざまな責任を追及すべき中枢がその機能を失った挙句の到達点が9・12だと思う。
責任を追及し修正を加えるべき中枢が壊れてたとえば大臣候補者が”身体検査”をされるという珍妙な現象が当たり前のようになった。
それでも不祥事や非常識な発言が相次ぎ責任を追及される大臣が続出する。
その場合の「責任を取る」とは「大臣を辞める」ということだった。
「辞職する」ことが大きな意味をもった。
辞職することも出来ずに自殺するひともいたくらいだから。
9・12においてそれまでの責任論は全く異次元の空間に飛び込んだ。
責任を取ろうにもその責任とは「無責任に辞めてしまったこと」に対する責任だなんて。
究極の無責任!責任が有るとか無いとか言う次元を超えてそもそも責任という観念自体が消えてしまった。
ブラックホールに吸い込まれるように。
9・12が責任の歴史上画期をなすということはそれが安倍個人の事件ではなかったからだ。
衝撃の事件のあと日本の国は殆ど何も変わらずに総裁選が行われ、今またワイドショーは亀田と福田を同じように興味深く追いかけている。
福と亀と名前だけは景気がいいけれど。
安倍をリーダーとして選出し彼を褒め称え彼の指示に意見を言うこともなく忠実に従った人々は殆ど責任を取ることもなかった。
民主党も本気で政権を渡せとスゴンダわけでもなかった。
いつもの政変と変わらない。
社会制度に対する信頼性が崩壊したというのに。
何よりも指摘しなければならないのは安倍はいまだに国会議員であり続け自民党もそれを許しているということだ。
除名処分くらいのことは誰か一人くらい言っても不思議じゃないと思う。
「美しい国企画委員会」やら空転国会の費用は請求すべきだ。
議員報酬は無論9・12以降分は戻入。
ブラックホールに吸い込まれた責任は安倍の責任だけではなかったのだ。
ずっと続いてきた中枢の空責任化・機能喪失が完成した。
権力機構のトップが空責任化したら後は一瀉千里、世の中右に習ってオール無責任・空責任でスイスイだ。
これからどうなっていくんだろう?
このまま「空責任状態」を許しておくわけにはいかない。
俺もうかうかしていられないね。
というわけでこれから「責任とは何か」について考えていこうと思う。
新しいカテゴリーの誕生、題して「責任者をだせ!」略して「SD」だ。
[SD]開設期待してます。
マスコミも政治家も役人も「責任」を問われたときにいかに言い逃れするか、あるいは、言い逃れするためには日頃何をすればいいのかばかりを考え、本来の仕事はさぼっている、と言うのがどうも彼らの実体のようです。つまり、責任を問われることさえしなければ、何をしていても良い、あるいは、何もしなくても良い。
「カメダ事件」。チンピラをスケープゴートにして、本来の責任者たる「JBC」「TBS]は「俺知らんよ」
謝罪会見すべきは「JBC」「TBS」です。
マスコミも政治家も役人も「責任」を問われたときにいかに言い逃れするか、あるいは、言い逃れするためには日頃何をすればいいのかばかりを考え、本来の仕事はさぼっている、と言うのがどうも彼らの実体のようです。つまり、責任を問われることさえしなければ、何をしていても良い、あるいは、何もしなくても良い。
「カメダ事件」。チンピラをスケープゴートにして、本来の責任者たる「JBC」「TBS]は「俺知らんよ」
謝罪会見すべきは「JBC」「TBS」です。
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saheizi-inokori at 2007-10-19 07:10
umeさん、「責任」とは誰がナンについてどのように取るのか?とるべきなのか?考えてみると結構難しい。そこをうまく使われているような気がします。
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otayori
at 2007-10-19 09:02
x
医療、、、どこに住んでいるかで全然違いますよ。
病気も医者次第、、、と言うところあるのでしょうが、田舎では、選択の余地はありません。
実家の父など、病院に行くのに(40分くらい)、往復3000円のバス代がかかります。(300円ではありませんよ)
もちろん、何歳だろうとバス代の援助などありません。
政治家の皆さんで、そういうことの大変さを本当に分かっている人は、、、何人かいますよね、きっと。
病気も医者次第、、、と言うところあるのでしょうが、田舎では、選択の余地はありません。
実家の父など、病院に行くのに(40分くらい)、往復3000円のバス代がかかります。(300円ではありませんよ)
もちろん、何歳だろうとバス代の援助などありません。
政治家の皆さんで、そういうことの大変さを本当に分かっている人は、、、何人かいますよね、きっと。
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saheizi-inokori at 2007-10-19 10:06
慶応病院にすっと入院できるなんて私たちには夢です。
そういう生活をしてきた人たちにはなかなか分からないと思います。
そういう生活をしてきた人たちにはなかなか分からないと思います。
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gakis-room at 2007-10-19 14:39
「SD」に大きな期待を寄せています。saheiziさんなら,どのように考えるのだろうか,そんな1日の楽しみがまた1つ増えました。
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shimamelon at 2007-10-19 18:46
SDカードってあるな、と思いつつ。
どこの組織でも「みな(自分を筆頭に)に責任がかからないように」の配慮のせいで大変なことになってますよね。
フショウジとやらで記者会見に出る人って、訓練されてる人とそうじゃない人がいるなぁと思います。
期待しています。
どこの組織でも「みな(自分を筆頭に)に責任がかからないように」の配慮のせいで大変なことになってますよね。
フショウジとやらで記者会見に出る人って、訓練されてる人とそうじゃない人がいるなぁと思います。
期待しています。
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maru33340 at 2007-10-19 21:43
もう日本が壊れかけていますね。
本当に、9.12がその分岐点でした。
先日亡くなった阿久悠が「清らかな厭世」(亡くなった後出版されました。まさに遺書ですね。)という本の中で本気で歎いています。
司馬遼太郎さんも晩年、あの人には珍しく憤った語り口で日本を憂いていました。
あらゆる不条理に皆が本気で怒ることが必要な時が来てしまいましたね。
本当に、9.12がその分岐点でした。
先日亡くなった阿久悠が「清らかな厭世」(亡くなった後出版されました。まさに遺書ですね。)という本の中で本気で歎いています。
司馬遼太郎さんも晩年、あの人には珍しく憤った語り口で日本を憂いていました。
あらゆる不条理に皆が本気で怒ることが必要な時が来てしまいましたね。
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saheizi-inokori at 2007-10-19 23:32
gakis-roomさん、書いてはみたものの、、追々行きます。
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saheizi-inokori at 2007-10-19 23:34
shimamelonさん、先ず宣言した責任を果たせるか?
果たせない時は坊主になるか。
果たせない時は坊主になるか。
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saheizi-inokori at 2007-10-19 23:36
maru33340さん、言ったそばから防衛庁、次官は部下の外との付き合いが妥当かどうかを判断して許可する事になっているんだそうです。
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greenagain at 2007-10-20 09:41
あまりにも苛烈な現実のため、最近暫く、創作の世界に逃避していました。
けれどsaheizi-inokori さんのように、怒りを忘れちゃいけないですね。
SD(この略し方、ウケました!)、期待しています♪
けれどsaheizi-inokori さんのように、怒りを忘れちゃいけないですね。
SD(この略し方、ウケました!)、期待しています♪
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saheizi-inokori at 2007-10-20 10:10
greenagainさん、変な言い方だけど責任というものを突き詰めていくとある種の創作、というか自分なりの価値観の表現、それも自分なりの方法論で創り上げていく表現なのかなあ、と思います。
それほど責任概念て多種多様なのです。
だから安倍も守屋も逃げおおせるのかも知れません。
それほど責任概念て多種多様なのです。
だから安倍も守屋も逃げおおせるのかも知れません。
参院選惨敗時点で総裁辞任が筋、居座った挙げ句の放り出しは議員辞職が筋だと思うのですがねぇ。政治家が腹を切るとはそういうことでしょう。一方、亀田の切腹は引退が筋だと思います。
スーパーモーニングでは小池百合子を出演させ、スタッフがお世辞たらたらでした。いつからマスコミは政治家本の宣伝をするようになったのでしょう。テレビ朝日は小池劇場を準備しているような雰囲気でした。木鐸どころではないですね。
スーパーモーニングでは小池百合子を出演させ、スタッフがお世辞たらたらでした。いつからマスコミは政治家本の宣伝をするようになったのでしょう。テレビ朝日は小池劇場を準備しているような雰囲気でした。木鐸どころではないですね。
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saheizi-inokori at 2007-10-21 00:44
きとらさん、小池と言う人は運の強い人ですね。
もう終わったかと思ったら元次官殿のスキャンダルでまるで小池が「ほ~ら私が正しかったじゃないのよ」になってしまう。
目くそ鼻くそなのに、マスコミは勝った負けたが好きだからなあ。
もう終わったかと思ったら元次官殿のスキャンダルでまるで小池が「ほ~ら私が正しかったじゃないのよ」になってしまう。
目くそ鼻くそなのに、マスコミは勝った負けたが好きだからなあ。
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antsuan at 2007-10-21 20:59
責任は政治家ではなく民衆がとらねばならないと云うのが、民主主義の欠点なのでしょうね。
責任者を出せって言ったら、アンタだろと言われたらどうします。
責任者を出せって言ったら、アンタだろと言われたらどうします。
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saheizi-inokori at 2007-10-21 21:07
antsuanさん、そうなんですね。でもそこで終わってしまうから安倍は今でも国会議員でいるのです。何もしなくても歳費を貰っているのです。飢えて死ぬ人がこの日本にいると言うのに。
by saheizi-inokori
| 2007-10-18 22:11
| 責任者を出せ!
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