帯グラフの呪縛 なぜ待たされると切れるのか 「暴走老人!」(2)
2007年 10月 16日
前に書いた「暴走老人!」に出てくる話だが、かつて小学校の夏休みなどで生活の計画を帯グラフにすることを求められたのを覚えていないか。
朝は6時に起きて身支度をしてラジオ体操に行って、朝ごはんを食べて勉強を2時間やって、、、1日の計画を起床から就眠まできちんと決める。
円グラフの場合もあった。
この本の著者・藤原智美は
確かに、幼稚園にも行かなかった俺は小学校でそういう”規則正しい生活”を教えられ、以来自らの帯グラフを如何にして守るか(現実には守りにくい)を重要課題にして走り続けて来た。
それが崩れたのは大学に入ってから。
いわゆる”モラトリアム”の生活、ずばり言えば”ずぼらなだらしのない生活”、興に乗れば徹夜で本を読み語り明かし、学校にも殆ど出たことがない。
そのときも解放感と同時になんとなく罪悪感も感じていたようだ。
そして社会人、再び帯グラフにはめ込まれる。
社会に出ると自分の帯グラフと他人や会社の帯グラフとがぶつかり合う。
力を持つということはそのぶつかり合いに勝つことだった。
力を掴むためには私生活や自分のしたいことを犠牲にしなければならないこともある。
何のことはない。
帯グラフを守るために帯グラフを犠牲にする。
それでも自分は自分の帯グラフを守るために闘っていると信じてやってきた。
まるで金持ちたちが、使うためにある、豊かな生活をするためのお金を使う暇もなく心貧しく稼ぎまくるようなものだ。
そうして”めでたく”リタイアすると正真正銘自分の帯グラフを好きなようにつくり誰にじゃまされることもなく守っていける。
筈である。
ところがドッコイ、そうは問屋が卸さない。
そもそもどういう帯グラフを創るか、が大問題。
全部自由?そんなのありかい。
何をしたらいいのか。
それが大問題。
もうひとつの問題は若い頃と違って時間が早く過ぎるのだ。
朝起きて飯を食って新聞読んで一休みしたらもう昼飯、散歩して読書して映画見て俳句作って、、とんでもない。
殆どなんにも出来ないうちに風呂入って飯くって眠くなって、、。
頭は現役時代のつもり、あれもやりたいこれもやりたい。
しかし、それが出来ない。
時間に置いてきぼりをくっている。
新老人はこうして時間に対する焦りのなかで生きている。
だからスーパーとか銀行とか郵便局や税務署、いろんなところで理不尽に(本人からみて)待たされると突然プッツン!
あの紳士が、というようなオジサンが青筋立てて怒り出す。
「君じゃ分からん!責任者を呼べ!」
暴走老人の誕生だ。
怖いね。俺もいつ暴走するやら。
なに?とっくに暴走してる?
もう一度いってみろ!責任者を出せ!
朝は6時に起きて身支度をしてラジオ体操に行って、朝ごはんを食べて勉強を2時間やって、、、1日の計画を起床から就眠まできちんと決める。
円グラフの場合もあった。
この本の著者・藤原智美は
そもそも近代の学校教育というのは、この帯グラフ的な生活スタイルというものを骨身に染みこませるためにはじまったといってもいい。日の出・日の入りという自然で農業的なリズムから、全国一律に規定される時刻という工業的区分に生活をなじませることが重要な役割だった。という。
確かに、幼稚園にも行かなかった俺は小学校でそういう”規則正しい生活”を教えられ、以来自らの帯グラフを如何にして守るか(現実には守りにくい)を重要課題にして走り続けて来た。
それが崩れたのは大学に入ってから。
いわゆる”モラトリアム”の生活、ずばり言えば”ずぼらなだらしのない生活”、興に乗れば徹夜で本を読み語り明かし、学校にも殆ど出たことがない。
そのときも解放感と同時になんとなく罪悪感も感じていたようだ。
そして社会人、再び帯グラフにはめ込まれる。
社会に出ると自分の帯グラフと他人や会社の帯グラフとがぶつかり合う。
力を持つということはそのぶつかり合いに勝つことだった。
力を掴むためには私生活や自分のしたいことを犠牲にしなければならないこともある。
何のことはない。
帯グラフを守るために帯グラフを犠牲にする。
それでも自分は自分の帯グラフを守るために闘っていると信じてやってきた。
まるで金持ちたちが、使うためにある、豊かな生活をするためのお金を使う暇もなく心貧しく稼ぎまくるようなものだ。
そうして”めでたく”リタイアすると正真正銘自分の帯グラフを好きなようにつくり誰にじゃまされることもなく守っていける。
筈である。
ところがドッコイ、そうは問屋が卸さない。
そもそもどういう帯グラフを創るか、が大問題。
全部自由?そんなのありかい。
何をしたらいいのか。
それが大問題。
もうひとつの問題は若い頃と違って時間が早く過ぎるのだ。
朝起きて飯を食って新聞読んで一休みしたらもう昼飯、散歩して読書して映画見て俳句作って、、とんでもない。
殆どなんにも出来ないうちに風呂入って飯くって眠くなって、、。
頭は現役時代のつもり、あれもやりたいこれもやりたい。
しかし、それが出来ない。
時間に置いてきぼりをくっている。
新老人はこうして時間に対する焦りのなかで生きている。
だからスーパーとか銀行とか郵便局や税務署、いろんなところで理不尽に(本人からみて)待たされると突然プッツン!
あの紳士が、というようなオジサンが青筋立てて怒り出す。
「君じゃ分からん!責任者を呼べ!」
暴走老人の誕生だ。
怖いね。俺もいつ暴走するやら。
なに?とっくに暴走してる?
もう一度いってみろ!責任者を出せ!
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shimamelon at 2007-10-17 11:42
あーあのグラフ!私は円グラフだったように思うが、そうだそうだ。
そういえば、マッキントッシュのコマーシャルで「旅の思い出をグラフにしました」というのがありましたね。その試みは面白いな、と思いましが、それはそれとして。
私も、ノープランで無職生活にはいり、ダラダラばかりしてて、時間が早くすぎるって他人事じゃありません。もーどうなるんだろう?
そういえば、マッキントッシュのコマーシャルで「旅の思い出をグラフにしました」というのがありましたね。その試みは面白いな、と思いましが、それはそれとして。
私も、ノープランで無職生活にはいり、ダラダラばかりしてて、時間が早くすぎるって他人事じゃありません。もーどうなるんだろう?
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antsuan at 2007-10-17 13:50
仕事を追っかけなくちゃいけないのに、仕事に追いまくられている現実。これって帯グラフを作る生活をしていなかったツケなんですよね。何時までたっても時間においてきぼりをくっている自分にただ呆れるばかりです。
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saheizi-inokori at 2007-10-17 15:00
shimamelonさん、なすべき仕事量とその単位当たり所要時間は反比例しますね。
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saheizi-inokori at 2007-10-17 15:01
antsuanさん、そうも見えませんよ。海を友として悠々としていらっしゃるように拝見します。
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tetorayade at 2007-10-17 21:44
不良老人ともいいますね。
万引きしてバレたらボケたふりをしてその場を逃げようとしたり。
万引きしてバレたらボケたふりをしてその場を逃げようとしたり。
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syenronbenkei at 2007-10-17 22:53
僕の場合、並ぶという行為は小銭を得るためのものでした。
例えばパチンコ屋の開店とか。
当時の僕にはその小銭が死活問題でしたから。
それを必要としない今は恵まれているということなのでしょうが、恵まれすぎてわがままになってきている気がします。
「責任者を出せ!」は言ったことがありませんが、「話のわかる人に代わって」は度々(笑)
例えばパチンコ屋の開店とか。
当時の僕にはその小銭が死活問題でしたから。
それを必要としない今は恵まれているということなのでしょうが、恵まれすぎてわがままになってきている気がします。
「責任者を出せ!」は言ったことがありませんが、「話のわかる人に代わって」は度々(笑)
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saheizi-inokori at 2007-10-17 23:19
tetorayadeさん、この本で言おうとしているのはそういうのとはちょっと違って普通の老人が突然切れてしまうような現象を捉えているようです。
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saheizi-inokori at 2007-10-17 23:27
syenronbenkeiさん、今は基本的には予約の時代、本当は並ばなくていい時代。
しかし、「行列の出来る店」とかディズニーランドのように並ぶこと自体を楽しみとする手法があります。
新老人はこういう行列にも弱いのじゃないでしょうか。
普通はスーパーなどの行列には大人しく従っているけれど表示が分かりにくかったりするなどと何か店の不手際があったりすると辛抱が切れて爆発するみたいです。 「話の分かる人を連れて来い」。
しかし、「行列の出来る店」とかディズニーランドのように並ぶこと自体を楽しみとする手法があります。
新老人はこういう行列にも弱いのじゃないでしょうか。
普通はスーパーなどの行列には大人しく従っているけれど表示が分かりにくかったりするなどと何か店の不手際があったりすると辛抱が切れて爆発するみたいです。 「話の分かる人を連れて来い」。
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eaglei at 2007-10-18 06:22
質の高い、均一化された労働人口を生み出そうとした教育が、
確かにありましたね。
今も続いていると思います。
自分で考えないで、素直に従う羊にしようとする教育が・・・。
遅い残業に耐えられるように、小学生の頃から塾に行かせている家庭を見ると、考えさせられます。
大人になるまでに苦労して、官僚になって楽をする。
そんな選択をさせられた子供たちって、かわいそうだと思ってしまいます。
官僚たちは、逆に国民を哀れに思っているのでしょう。
自分達よって、羊のように飼いなれされていてと・・・。
すいません。
関係のないことを、つい書いてしまいました。
確かにありましたね。
今も続いていると思います。
自分で考えないで、素直に従う羊にしようとする教育が・・・。
遅い残業に耐えられるように、小学生の頃から塾に行かせている家庭を見ると、考えさせられます。
大人になるまでに苦労して、官僚になって楽をする。
そんな選択をさせられた子供たちって、かわいそうだと思ってしまいます。
官僚たちは、逆に国民を哀れに思っているのでしょう。
自分達よって、羊のように飼いなれされていてと・・・。
すいません。
関係のないことを、つい書いてしまいました。
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saheizi-inokori at 2007-10-18 07:59
eagleiさん、その官僚自身がもっとも帯グラフ教育の犠牲者なのかもしれませんよ。
どうも社会の”原理”が限界に来ているのかも知れません。
近代化の途上では有効だった価値観が今は機能しえなくなっている。
アチコチで日本が地球が壊れ始めたような気がします。
毎朝新聞を開くたびにあるべキ筈のない事件が報じられています。
トップ(安倍)とか本山(相撲)とか監視すべき立場の組織とかが真っ先に責任を放棄している。
社会全体の任務分担表が守られなくなったようです。
どうも社会の”原理”が限界に来ているのかも知れません。
近代化の途上では有効だった価値観が今は機能しえなくなっている。
アチコチで日本が地球が壊れ始めたような気がします。
毎朝新聞を開くたびにあるべキ筈のない事件が報じられています。
トップ(安倍)とか本山(相撲)とか監視すべき立場の組織とかが真っ先に責任を放棄している。
社会全体の任務分担表が守られなくなったようです。
by saheizi-inokori
| 2007-10-16 23:53
| 今週の1冊、又は2・3冊
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