カワイイ千作爺さん(魚説経)と愉快な秘曲「花子」 「忠三郎狂言会」(国立能楽堂)

「いよォーっ!」ポン!
大鼓の音がまっすぐに俺にぶつかってくる。
正面の一番前、しかも真ん中に座った。
「素囃子」、笛・寺井宏明 小鼓・大倉源次郎 大鼓・大倉慶乃助が床に直に座る。
いいなあ、ほっとする。
小さい頃から馴染んだわけではない。
それなのにずっと昔から聴いてきた音のような気がする。
日本人のDNAに刷り込まれている。

「通圓」

カワイイ千作爺さん(魚説経)と愉快な秘曲「花子」 「忠三郎狂言会」(国立能楽堂)_e0016828_15441310.jpg通圓・茂山忠三郎 旅の僧・善竹十郎 里人・善竹富太郎
地謡・大蔵吉次郎 大蔵千太郎 善竹大二郎他
能仕立ての狂言は初めてだ。
能「頼政」のパロデイ。
世阿弥作の能が源頼政が宇治橋の合戦で刀折れ矢尽きて自刃して果てるという筋なのを茶屋坊主・通圓が寺社詣での人々が茶を所望するので次から次へと応じていたが遂に茶碗も割れ柄杓も折れて、茶を立て死にするという話にひねってしまう。
能の方をよく知っていれば面白いのだろうが。
浅学の俺はせっかくの忠三郎師の滅多に観ることが出来ない舞台(これは能会ではあまりやらない由)をもうひとつ楽しめなかった。
写真は通圓専門の面。
飄逸な趣がある。

「魚説経」
僧・茂山千作
男・茂山千之丞

88歳と84歳、「お豆腐狂言」の兄弟、やっと観ることが出来た。
理屈ぬきに楽しい。
発心して僧になったばかりの漁師が男に説経をしてくれと言われるが何の素養もない。
困った挙句に魚の名前を並べ立てて説法を装う。
「サメザメと」泣いたり「なまだこなまだこ」と念仏唱えたり、イカ、鯵、タイ、さわら、鰯、、さてどのくらいの魚が登場しただろう。
寿司屋の茶碗、落語「黄金餅」、、物づくし、並べ立て、駄洒落、それ自体に面白さがある。
しかし、やる人が下手だとウケ狙いのオジサン、面白さは半減する。
そこはモチロン国宝の語り、ひと言ひとことがくっきりと、しかも元々そういう言葉があったかのように流麗に、しかも困り抜いて必死になっているさまも窺えて、それが可笑しいやら可愛いやら、。
二人の(特に千作師の)春風駘蕩、滑稽、軽妙な演技、というより存在感が醸し出す空気が能楽堂に時ならぬ春を呼び寄せたかのようだった。
失礼な言い方だが間に合ってよかった。
そうはいうものの千之丞師、若いなあ。
ほんとに120歳までやれそうだ。

「花子」(はなご)
洛外に住む男・茂山良暢
太郎冠者・善竹隆司
女房・善竹忠亮

秘曲の由、今日は良暢さんの「披き」、狂言師としてもうひとつ上のステージへの一里塚だ。
そういうことならと居住まいを正し緊張感をもって臨んだが、すぐにリラックスして笑いの連続。

山の神(この狂言が初めて使った言葉らしい)にバレナイように浮気をしようと仏参りをするから暇をくれ(って旦那がいうんだよ)と交渉するが、”わわしき”女房は外に出ることすら認めない。
神妙な態度で仏参りを言い立ていい立て、とうとうひと晩だけ持仏堂に篭ることを勝ち取り身代わりに太郎冠者をおいて小躍りして花子のもとに駆け出す大名の滑稽というか哀れさ。

わわしく優しい女房はお篭りする夫のことが心配で約束を破って様子を見にきて替え玉であることを発見。
怒り狂う女房の振りが滑稽を通り越して少しく恐ろしいのは俺も男だからか。

橋掛かりに満ち足りた一夜を過ごして寝乱れ姿で朝帰りの男、小歌をくちずさみ「私の恋は因果か縁か、因果と縁とは車の両輪のごとく、、」、いい気持ちのまま持仏堂に戻る。
座禅衾を被っているのが女房とも知らず、上首尾の様子を語り聞かす。

女房に「腹立ちや腹立ちや、、、有り様に言わずは、食い裂いてのきょうか引き裂いてのきょうか」、男「許さしめ、許さしめ、、」。

予定は55分だったが20分近くオーバーする熱演。
シテは舞いながら謡い語りの連続、滑稽なやりとりと朝帰りの余情、バレタ後の哀れさ、、たしかに演ずる方からすると大曲だ。
観ている方は楽しんでいればいい。

良暢さんはいい声で堂々と楽しませてくれた。
余情の方はもう少し?
女房は”わわしい”ところは役につきすぎるくらいぴったりだった。
ただ大名の女房にしてはやや長屋のオカミサン風でもあったが「お豆腐狂言」の所以かな。

こういう狂言を観、小三治などを聴いていると新劇は歴史が短いのだなあ、と痛感する。
言葉、仕草、舞台、いまだ模索中なのだ。
逆に言えばそういうものが出来上がってしまった古典演芸はそれをどうしたら現代の観客に理解させるかという難問を抱えている。
出来上がっているから簡単にぶち壊すことは出来ないし。

先代忠三郎の50年忌、追善公演。
Commented by ginsuisen at 2007-10-14 21:49
いいですねー。千作ジイチャンの坊主のありがたそうなの説法姿が目に浮かびそうです。千作ジイチャンなら、だまされてもいいですー。花子・・一つの大学院卒業らしいです。新婚くらいの青年がまず披くよう。余情が加わってくるのが楽しみですねー。大名の妻は・・ウーン、萬斎さんでないとカモです。でも、あの妻、中年になってくるとわかっていての腹立ちやなんですよねー。このあたりは古女房ならではの感想。これ、能の熊野の女が花子とも言われています。で、歌舞伎でもあるようです。でも、間に合ってよかった、ホントニ。
Commented by saheizi-inokori at 2007-10-14 21:59
ginsuisenさん、「班女」がベースだと言うのですがそれを見たことが無いのです。
なぜ秘曲かというに「狂言「花子」の大名は後水尾天皇(上皇)、そして奥方は江戸から輿入れした将軍秀忠の娘・和子(東福門院)」という見立てで演じられるようになったせいだというのです。
畏れ多いから滅多なことではやれない。
それと、将軍の娘だから山の神が怖い。とても優しい女房なのに。
Commented by ginsuisen at 2007-10-14 22:14
花子は、班女でしたか。ごめんなさい、間違えておぼえていたかも。私も見たことないか。しかし、いずこの妻もお見通しなのが、現代でも通じます。ちょっとお年を召した方がイソイソと花子の下へ通う。それも舞台の上なら愛嬌がありますわん。一夜あけての謡はちょっと色っぽいですねー。源氏の時代はわざとモテタ証拠に、しどけない姿で帰るものだったとか。
Commented by saheizi-inokori at 2007-10-14 22:30
さしずめ昨日と同じ背広にネクタイで出勤ですか。これは色気ないなあ。徹夜マージャンだ。
Commented by sakura at 2007-10-15 21:36 x
姉が片山慶次郎先生に(井上八千代の次男)にお稽古をして頂いております。それから毎年、おさらい会があり京都に11月には出かけます。初めて京都観世会館に参りました。お謡いの会はこんなに人が少ないのだとまずびっくり・・姉の関係の方ばかりの様でした。
それからと言うもの今年の9月に名古屋でおさらい会に特別出演?
で我々も名古屋1泊して名古屋能楽堂に行って、あまりにも立派な名古屋能楽堂で驚きました。京都には能楽堂がないそうです。
不思議ですね。又9月末に片山先生が出演されるといって
姉が上京。今度は初めてお金を出して国立能楽堂に参りました。
ここの国立能楽堂も大変立派で良かったですね。
そこで驚いたのがあまりにも大勢の方が居られた事でした。
先生は 能 (観世流) 阿漕 お能の良さは未だよく分りませんでしたが、何だか怖い感じがしたお能でした。笛、小鼓、大鼓,太鼓 この音の良かった事。すばらしかったです。
saheijiさんのような方が大勢来ておられたのでお好きな方が多い事を知りました。座席の前の椅子の後ろにTV?の画面が出て説明してくれたのが意味が分って大変良かったです。
Commented by saheizi-inokori at 2007-10-15 22:57
sakuraさん、国立能楽堂に京都からおいでになる方もいます。
逆に東京から京都や大阪などに行く人も沢山いらっしゃるようです。
人気のある役者のキップは取るのが大変です。
ほんとにお囃子はいいですね。
目を瞑って聴いていてもうっとりします。
説明のTVは国立劇場の定例公演のときに出るようです。
他の催しで貸し会場として使うときには出ないのです。
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by saheizi-inokori | 2007-10-14 21:31 | 能・芝居 | Trackback | Comments(6)

ホン、よしなしごと、食べ物、散歩・・


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