文楽の足音が聞こえる 柳家小満ん「べけんや わが師、桂文楽」(河出文庫)
2007年 09月 23日
小満んが描き出す文楽の姿には大げさに言えば”逝きし世の面影”すら感じる。
初めて高座に登場する文楽をみて小満んは
「それにしても、なんと品があって、美しくて、神々しいんだろう・・」
黒紋付の着物に袴で、両手で白いハンカチと扇子を重ねるようにして持ち、それを袴へ当てるようにして、いかにも低姿勢な形で、静々と現れ、一瞬うしろから鈴をつけた座敷犬でもついてくるような、そんな錯覚でもしそうな雰囲気なのであった。別称の所以である「黒門町」の9坪半の2階建てに住む文楽の毎日は8時のお目覚めから始まり浣腸をして厠、風呂、ヒゲソリの儀、仏壇と縁起棚、神棚へのお参り、そして入念な顔の手入れがあって長火鉢の前で朝食となる。
「そりゃお前、お約束でしょう」で宮内庁ご用達のお燗酒か夏場は黒ビール。
「お刺身をそいっとくれ」で求めた鯛や平目。
何によらずおいしいものがあると、「おい、手をお出し」、山葵とお下地をつけた一切れを手のひらにのせてくれて「味わってお食べよ」。
「うまいかい」
「はい」
「うまいと思ったら、それが芸ですよ」
お銚子のお代わりには、
「もう一ってれっつだよ」
「あばらかべっそん」「あんだらそんじゃ」「ぜろぜろぜっぷ」、そして「べけんや」、文楽が生み出す意味不明の珍語の数々、師匠は「アサッテの人」でもあった。べけんや、べけんや。
「心眼」を座敷でやって
「めくらてぇものは妙なもんだねぇ、寝てえるうちだけ、ようーく見える」とオチを言うとお客様は無言、気がつくと手を取り合って「よかったねえ」「うん、よかった」、泣いていた。
帰りかけた文楽はお座敷に回りあぐらをかいて盃を受け円朝が「心眼」を創った逸話を語る。
あとにも先にもいっぺんだけのことだ。
高座にかけるネタ数30そこそこ、あまりに少ないので師匠に小満んは思い切って聞いみると”とても困った顔をした”が「そりゃあ、あたしだって三百ぐらいは稽古してますよ」
「富士山も裾があって高いんですよ」。
噺の所要時間について「どんな噺でも、24、5分ですよ、お客がついてくるのは」と言い切っていた。
俺は最近の扇橋や小三治がマクラを短くやるのをもしかしたら文楽に似た心境なのかとも思っている。
昭和46年8月31日、国立小劇場の「落語研究会」で「大仏餅」の途中で乞食が名乗る”神谷幸右衛門”の名前が出てこなかった文楽は「・・・まことに申しわけございません。勉強し直して参ります」と言って深々と頭をさげてしまった。
小満んはその師匠の前に「宮戸川」をやっていた。
ソデで聴いていてくれた文楽は帰りの車中で機嫌よく「おまえの宮戸川も、年をとるとよくなりますよ・・」ダメを出しつつも、他人の演らないクスグリなどを教えて励ましてくれたそうだ。
名人の代名詞・三代目柳家小さんの晩年の高座は噺が一つところをグルグル回ってしまい楽屋から「幕!」と声がかかる始末だった。
それを一番案じた文楽はまさかの時の詫び口上を前日に相談していた。陽気に。
その年の暮に文楽は肝硬変で亡くなった。
小満んは10年後に同じ「落語研究会」で「大仏餅」をやることになる。
文楽の最後の高座のことをマクラに振って噺をした筆者は件の名乗りのところで絶句に近い物を覚える。
乞食にまで零落した神谷幸右衛門の無念さと、師匠文楽の口惜しさが交叉したのだ。
私は今、「大仏餅」の真髄をひとつつかんだと思っている。ポイントは神谷幸右衛門の名乗りにあると悟ったからだ。その無念さこそ、この噺の核心である。(略)あの時きっと10年前と同様に師匠は高座のソデで私の噺を聞いていたものと信じている。女にもてて、洒脱で、可愛いわがまま者で、いいなあ!文楽という人間。
この本は最初から最後まで全部面白い。
だがその中で俺がもっとも感じたのは文楽と小満んの師弟のあり方だ。
「お前はあたしさえ見てればいいんですよ」という言葉は死ぬまで変わらなかった。内弟子になっても文楽は殆ど噺を教えてくれない。
「噺なんざ、まだどうでもいいんだ」
悩んだ小満んは、自分がこの家にいるのは”師匠に尽くす”ためにいるのだと気持ちを整理する。
人様の大事な息子を預かって、こういいきる文楽の気持ち!
全てに責任をもってやる、という覚悟があってこその言葉だ。
そしてそれをそのまま全身で受けとめて精進する小満ん。
幸せな時代の幸せな二人だと思う。
まさにその通りですね。
「こんな時代があったんだ・・・」という羨望にも似た思いに胸が熱くなる・・・
そういう意味で、まさに「逝きし世の面影」ですね。
羨望だけでない、今も同じ考えの方がいるんだと思えば。
そうしなければ現代に失われた生活とそこに生まれた人々の感情の襞を表すことは難しいのかもしれません。
将棋の世界でも修業事情は様変わりしましたが、年輩棋士たちの内弟子生活などを読むと、感じ入り考えさせられることが多いです。
将棋や囲碁でも同じ、ひょっとすると実業でも住み込み書生は何かを得たのかもしれません。